4.聖騎士の館……④
ユーリアの騎竜である飛竜『三日月』は、飛竜の中でも飛行速度が抜きんでて速い。その速さは地球の大気速度に換算して時速270km。
現実世界のヘリコプター並みの速度で飛翔することができる。
そんな『三日月』に騎乗するユーリアが、自身の風系統魔術と合わせて用いれば、対地速度に換算して時速350kmになる。
それだけの飛行速度を誇る『三日月』だから、騎乗するユーリアも自らに風系統の魔術を施し、風圧に耐える工夫をしている。これも魔力量が膨大なユーリアならではの芸当だ。
出発は明朝。騎竜の『三日月』で2日の空の旅だ。
その間『三日月』は、この大荷物も一緒に運ばなくてはならないのだろうか?
休み期間の度に身を寄せ、今ではすっかり仲良くなった白い飛竜の事を思うと、気の毒としか言いようがない……そう思った。
「大丈夫、問題ないの! 私には主様から授かった亜空間収納の魔術があるから」
左手を虚空に翳すと、黒い空間が姿を現し、シェリルは大きく驚いた。
「これは……!?」
今度は目を丸くするシェリルに、ユーリアは満足そうに頷いた。
「第5等級の魔術よ。この原理を応用した魔術鞄も売ってはいるだろうけど、この魔術程の収納量はないわね」
「第5等級……」
大きな鞄を次々に亜空間収納へと放り込んでいくユーリアに、シェリルは驚くより他にない。
ホーリーウェル魔導学院で全ての魔術を修得しても修得できる最高等級は、基本的に第3等級までだ。後は、魔術省等に入り専門に研究するか、高名な魔術師に弟子入りして学ぶしかない。
「でもねシェリル、私には分かるのよ。いずれ貴女は、この程度の魔術は簡単に使えるようになる」
「そんな……」
戸惑いを浮かべる桜色の瞳を覗き込んでユーリアは笑った。
「なんてね、冗談よ! この館の留守居役、頼んだわよ。新学期始める前にはちゃんと帰って来るから」
「了……」
シェリルは静かに頷いた。
◆◆◆◆
ユーリアがエルスワース辺境伯領に出発して、5日が経過していた。
部屋の一つ一つを清掃し、出入口に降り積もった雪を、精霊の力を借りて除雪したシェリルは、リビングルームに戻って休憩していた。温かい紅茶が湯気と共に芳香を漂わせ、ソファーに腰を下ろしたシェリルを癒していく。
「ユーリアさん……ちゃんと着いたかな? 寄り道してないと良いんだけど」
府と呟いて窓の外を眺めた。雪が積もった王都の景色は美しく、学院での喧騒を忘れさせてくれる。
ユーリアの館には使用人もいない。この広大な館に残されているのは、シェリルとルーミア、そして家精霊とそれに従う気まぐれな精霊達だけだ。
中には姿を現し、時折悪戯をするものもいれば、ほとんど存在を感じさせないものもいる。孤独な筈なのに、どこか生きているような雰囲気が館全体に満ちていた。
するとリビングルームに置かれた本棚から、本が数冊、バラバラと音を立てて床に散らばった。
「あっ! ホーリー! また本を散らかした!」
シェリルの声に応えるように、本棚から青い光の粒が舞い上がり、クスクスと笑うような音が響いた。
図書精霊のホーリーは、ユーリアが集めた貴重な書物を守るために館に住み着いている精霊だが、時折悪戯好きな一面を見せる。世の中に大量に出回っている本には、容赦なく本棚から落としてしまう。
特に精霊の存在を否定するアニマ教の経典には冷酷だった。
「もう、さっき掃除したばかりなのよ」
彼女は溜息交じりに呟きながら、散らばった本を拾い始めた。
他の精霊達は彼女の姿を見るや否や『かくれんぼ』で、鬼役から逃げるように壁の隙間や天井の飾りの陰に隠れてしまう。人間との接触をあまり好まない彼らだったが、シェリルにはとても懐いている。
だから、物陰に隠れて、誰がシェリルに見つかるかを競って、精霊同士で遊んでいるのだ。
「こら、キミ達! 隠れても無駄よ。はい、そこにも!」
シェリルが虚空を指差すと、何もいなかった筈の空間が次々に小さく光り、空中を飛び回り始めた。「みつかっちゃったぁ!」と言わんばかりに。
「わたし、雪掻きで疲れたんだから、少し休憩したいの」
シェリルの言葉を理解したのか、それとも気が済んだのかは判らない。精霊達は彼女の周りに一旦集まると、四方八方に飛び去って行った。まるで雲の子を散らすばかりの勢いだ。
「まったく、仕方ない子達……」
シェリルは穏やかに微笑み、ユーリアの書斎に足を運んだ。そこには整然と並べられた古い書物の数々が置かれている。リビングルームの本とは異なり、重厚感がある。彼女は一冊の魔導書を手に取った。火系統の魔術で、シェリルが苦手とする系統だ。
「わたしも本を読んで、少しでも上達しないと……」
ふとクラスメイトのステファニー・アニエス・ハンコックの顔が浮かんだ。
入学した当初からシェリルに敵愾心を持つ辺境伯令嬢であり、何かにつけ、シェリルに絡んでくる少女だ。まさにシェリルの抱く貴族令嬢を具現化したような存在で、正直に言って苦手なタイプだ。
「苦手な系統に苦手な人……でも、避けて通ることはできないよね……」
魔導書を手に取り、詠唱を始めると、部屋の隅から細かな光の粒子が集まり始めた。
精霊達が彼女の魔法に興味を示し、時には力を貸してくれる。彼等のおかげで、シェリルの魔術は、学院で練習する時よりも効果の確認がし易くなっていた。
「この館では、わたしは一人じゃない……」
シェリルはそう呟くと、暖炉の火に向かって手を伸ばした。するとすぐに、火の精霊が彼女の指先で踊るように炎を揺らし、部屋をより暖かく照らしてくれた。
この不思議な共生関係は、ユーリアがいない時の寂しさを紛らわせてくれる唯一の慰めだった。
外の雪はますます激しく降り始め、シェリルは精霊達の協力を得ながら館の管理に勤しんだ。長い冬の夜が、彼女と精霊達の静かな世界を包み込んでいく。




