第2話 邂逅
夢の女神が死者を蘇らせ、実らないはずの果実を実らせた。
その話は、瞬く間に街へと広がっていた。
夢の女神が実らせた果実や野菜は世界一美味しく、冬でもたわわに実り、収穫してもすぐに成長し、常に食べ頃の状態を保っているのだという。
更には美を保つ効果や、不治の病を治したという噂までが飛び交っていた。
ゲイルの畑がある村は、けして裕福ではない。
若者も少なく、いかにものどかな田舎という雰囲気だった。
だが今は、貴族や王族までが使者を遣わし、夢の女神が実らせた果実を我先にと求め、いつも人で溢れていた。
「なーんか気持ちわりぃ」
村の少年、リュウトはそう呟きながら、ゲイルの畑の草刈りをしていた。
「何が気持ち悪いのよ?」
マリーが、リュウトの頭を小突いた。
「いてっ!いてぇって姉ちゃん。何するんだよっ」
そう言ってマリーの顔を見ると、楽しそうに笑っていた。
「弟が痛がる姿がそんなに嬉しいかよ」
「リュウがサボるからでしょ。女神様の畑よ。ありがたく働きなさい!」
そう笑うマリーは、いかにも健康そうだ。
冬にしては薄着だが、びくともしない。
茶色いくせ毛は以前と変わらず、重力に逆らってハネているし、頬はうっすら紅潮し、リュウを殴る手は以前にも増して力強い。
とても一度死んだ人間とは思えない。
そう、一度死んだ。
この世界に、蘇りの魔法は一応ある。
だけどそれは大司教がその命をもって成し得るほどに困難で、国王が亡くなっても、蘇生を行うことなど滅多にない。
ここ数十年は成功の記録もなく、失われた魔法と呼ばれるほどだった。
リュウトは、姉のマリーが死んだことを確認していた。
すべてが焼けた火事で、マリーとサチだったであろう遺体のカケラを拾ったのはリュウトだった。
16歳の少年にはひどく辛い経験だったが、夫のゲイルは放心状態だったし、姉弟の唯一の肉親の祖母にそんなことはさせられなかった。
人が焼けたイヤな匂いの中、火が消えたのは2日後だった。炎は畑にも燃え移り、燃やせるだけを燃やして、ようやく鎮火したのだ。
「人の気も知らないで…」
リュウトはぽつりとこぼし、目頭が熱くなるのを、奥歯を噛み締めることで押し殺した。
女神が実らせた果実と、みんなは持て囃して群がるけれど、リュウトにとっては、マリーとサチが帰って来たことが何より嬉しい。
同時に、ひどく不安にもなる。
夢の女神の力は、どこまでを保証してくれるのか。
マリーとサチは、今までと同じく、『普通の人間』なのか。
野菜や果実に群がる人々は、まるでなんの不安もないようだ。
なんというか、良い部分だけを受け取るようにナニカに操作されているような。
それがリュウトには、とても気持ち悪く感じられた。
「ばあちゃんの昼飯用意するから、オレ先に帰るわ」
「あ、もうそんな時間?朝早くからありがとうね」
マリーはそう言って、リュウトの頭を撫でた。
マリーと同じ茶色の癖毛が、撫でた先からピンとハネる。
10歳上のマリーは、リュウトにとって母代わりだった。
「もうガキじゃないんだから、やめろよ」
「ふふふ。いいじゃない、ケチ」
マリーの手を、軽くはねのけた。
その時。
マリーの手首から先がぼろりと落ちた。
血は出ない。
粘土で作ったみたいに命の気配を感じない、だが確かに先程までマリーの手だったはずのそれは、じつにあっさりと崩れ落ち、風の中に溶けていった。
「!!?」
マリーはまだニコニコと笑っている。
マリーとサチは、今までと同じく『普通の人間』なのかー…
先程の問いの答えと言わんばかりに、目の前で起こる出来事。
リュウトは、震える手を押さえ込むように歯を食いしばった。
「違う、これは夢だ」
マリーの腕を掴み、手をイメージする。
命が通った、姉の手を。
刹那にマリーの手は現れる。
ふぅっと息を吐いて、リュウトは周りを見回した。
現実と変わらない、いつもの風景。
人々の声も、風の音も、太陽の熱も、すべてがリアルだ。
リュウトの夢はいつもこうだ。
色も音も温度も、味でさえも、すべてを感じる夢。
夢と現実の区別がつかなくなるほど、精巧だった。
しかし、リュウトにはたいてい、それが夢であることがわかる。
彼の夢の8割が、いわゆる明晰夢だ。
何もかも平凡なリュウトの、唯一の特技だった。
夢だと気づくまでの時間は日によって違うが、夢だと気づいた瞬間から、最近の彼にはやることがあった。
スゥッと、実にスムーズにリュウトの体が浮いた。
地面から10メートルほどの高さで、リュウトは移動を始めた。
そうして、夢の異物を探す。
「どこだ…どこにいる?」
呟きながら、マリーとゲイルの家、森の中や川沿いなど、思いつく限りを探し回る。
マリーとサチが蘇ってからというもの、もう何十回と夢の中で探しているが、一度も遭遇したことはない。
「いるなら出てこい夢の女神!」
出せるだけの大声を上げた。
その時だった。
「お呼びかしら?」
宙に浮かぶリュウトの耳元に、聞き慣れない少女の声。
振り返ると、太陽を眩しく反射するプラチナブロンドの髪。
見たことのないほど、美しい少女がそこに居た。
しかしリュウトの目をひいたのは、美しい容姿に似合わぬ、道化師のような衣装だった。
袖とスカートが大きく膨らんだ白と赤のストライプのワンピースに、大きな青い襟、水色の先の尖ったブーツ。
「服の趣味わっる…」
思わずそう呟いてしまうほどだった。
「えっ!」
瑠璃色の瞳をさらに大きく見開いて、少女は驚きの声を出す。
「あなた、私の服まで認識できるの?」
「…?当たり前だろ?」
少しの沈黙が流れた後、少女は確認するように尋ねた。
「私の服は、素敵よね?」
「そんなわけあるか」
すぐさま否定するリュウトに、少女はなぜか嬉しそうに微笑んだ。
そして唐突にこう言った。
「現れよ、ダークドラゴン」
2人が浮かぶ空中に、巨大な黒竜が現れる。
トカゲでも蛇でもない、とんでもなく大きな爬虫類が、翼を持っていた。
その目はいかにも凶暴で、紅い輝きを放っている。
前身を覆う鱗は固く黒く、陽の光にぎらぎらと光って見えた。
「なんだよこれ…」
事態についていけず、リュウトは少女を見た。
しかし、何かを聞く時間を与えてはくれないようだ。
黒竜がその長い尾をリュウトに向けて振りかざしていた。
次の瞬間には、大きな衝撃音。
リュウトの前の見えない壁に、黒竜の尾は阻まれていた。
咄嗟にリュウトが壁を作っていたのだった。
壁に阻まれた黒竜は、獲物が無事であることに腹を立てたのか、大きな咆哮を上げる。
びりびりと皮膚を伝うように、恐怖が体を侵食していく。
立ちすくみそうになる体とは裏腹に、リュウトの心は冷静だった。
だって、これは夢だ。
マリーとサチが死んだ現実より、怖いものなんてない。
「これは夢だ」
リュウトは、黒竜を睨みつけた。
夢なら、オレに従え。そう言わんばかりに。
「消えろ」
その一言で、黒竜の姿はかき消えた。
一息をつく間も無く、少女がリュウトに抱きついた。
「やっと見つけた!!」
「えっ?」
戸惑うリュウトを置いてきぼりにして、少女は歓喜の声を上げる。
「あなたを探していたのよ、夢の勇者!」




