第8話 皇帝ロイ、マールの本性を知る。
溜め息交じりの声が広間に響く。
厳密にいえば私たちの頭の中に直接――。
『戦争も起きない、魔王も復活しないでは、このゲームの意味がないだろう? 我は何のためにお前に夢を見させたと思っているのだ?』
声の主はマール神だという。
あのマール神だ。
セカイの方向を決める会議が始まったかと思えば、いきなり女王による衝撃の告白があった。
皆は荒唐無稽だと思っていただろう。
私自身メイスだとか元勇者だとか、そういう話こそ理解不能だったものの、帝国の歴史と魔王の封印に関しては先にニールから聞かされていたので、やはり彼は正しいことを言っていたのだなと思う程度の衝撃で済んだ。
だが流石に神の声には驚かされた。
『――あれを越える刺激的なセカイ、あれを越える陰謀の数々、あれを越える攻防の入れ替わりの激しさ。それを期待していたのに、コレは何だ!? 仲良しこよしで皆と手を取り合ってセカイを作っていきましょう、だと!? ……ふざけるのも大概にせよ! 誰もそんなモノは望んでいない!』
何故かマール神は怒り狂っていた。
その矛先はアリシア女王――彼女の言葉が正しいとするならば、元勇者メイス。
あれが何を指すのか見当もつかないが。
『こんな無駄な時間を過ごすぐらいならば、もうこんなセカイなど完全に終わらせて、新しい設定新しい駒新しい物語のセカイを作っておけばよかった! ……何故我はこんなセカイになど固執してしまったのか!? ……そもそも何故我はコイツにそこまで過度な期待してしまったのか!? 自分の見る目の無さに反吐が出る!』
怒りは徐々にマール神自身へと向かっていく。
それを皆は息を殺して聞いていた。
『もういい! もうたくさんだ! こんなセカイなど消えてしまえばいい!』
そして神はそう吐き捨てた。
「――待ってもらえませんか。それではこのセカイはどうなるのでしょう?」
困惑した表情で口を挟んだのはロレントだ。
彼に似つかわしくない少し怯えた感じで。
私相手にも滅多に使わなかった敬語に笑ってしまいそうになるが頑張って堪える。
あぁ、ロレントも必死なのだな、と。
そしてそんなことを考えられる余裕のある自分自身に少しだけ驚く。
『――当然、こんなモノ全て取り壊す!』
「私たちはどうなるのです?」
今度は宰相ニールが声を上げる。
震えてこそいないものの彼の顔面も蒼白になっていた。
おそらく本当は問わなくても分かっていたはず、私でも理解できるのだから。
それでも敢えて尋ねる彼は勇気があると思う。
何がおかしいのかマール神はクツクツと笑った。
ニールをバカにしたような笑い声に不快感が増す。
『盤上の駒も全て取り払われ、廃棄される』
「……全員死ぬということでしょうか?」
ニールの声は平坦だった。
あくまで確認だ。
『少し違うがその認識と大差ない。……まぁ面白い駒は他のセカイに流用することもあるだろうが』
その意味を知った全員がどよめき、広間が騒然とした。
魔王復活も十分危機だが、それ以上の危機が発生したのだとこの場の全員が認識したようだ。
「私たちは盤上の駒だという話ですが、……どういう意味なのか伺っても?」
そこに切り込んだのはクロエ=ターナー。
――メルティーナ=アンダーソン。
ニールの妹にしてアンダーソン一族が認める天才。
彼でさえ敵わないと白旗を揚げる程の鬼謀だという。
そんな彼女がレジスタンスを裏から支えていたらしい。
彼女は神の発言に慄くこともなく、取り乱すこともなく淡々と自分の欲しい情報を求めていた。
その胆力に感心させられる。
息が漏れる音が聞こえた。神も同じことを感じたのだろう。
『そうだな、せっかくだから話してやろう。……そもそも人間は魔法なんてモノは使えない。それが常識だ』
常識だと言われても困る。
私たちにとってはこのセカイが全てだ。
『普通のセカイにはモンスターなんてモノもいない。当然セカイ共通言語やセカイ共通通貨なんて便利なモノも存在しない。――つまりこのセカイは物語を円滑に進める為に我が作り上げた舞台なのだ』
なるほどアリシア陛下の言葉は正しかったようだ。
……ウラが取れたからといって何の解決にもならないが。
『そしてそんなセカイに住まう人間を模した駒、それがお前たちだ。我が考えた舞台に我が考えた駒を配置し、我が考えた物語に沿って動く。お前たちは我が生み出した妄想の産物に過ぎないのだ。我が死ねと思えばお前たちは簡単に死ぬし、生き返れと思えば簡単に生き返る。すべては我の心次第』
神がセカイを作ったという話は当然知っていた。
でもその話はもっと慈愛に溢れていたはずだ。
マール神もこんな傲慢ではなかった。
だがおそらく今の話は真実なのだろう。
少なくとも私は納得出来た。
全員がマール神の告白に絶句していた。
本当は皆も理解していたはず。
それをこんな形で神から宣告されたのが衝撃だったのだろう。
自分たちの愛した神が自分たちを駒としてしか見ていなかったことに耐えられないのだ。
「……そもそもあなたは誰なのですか?」
そんな重い沈黙の中で手を挙げた女性がいる。
彼女は背中に折り畳み式の弓を背負っていた。
武器を持って入室することが許された数少ない人間のうちの一人だ。
『マリスミラルダだが……。今更何を言うのだ?』
皆もポカンとしている。
私も質問の意味がよく理解できなかった。
「ちょっとおねぇちゃん! 何言ってるの?」
女王の横に立っていた少女が顔を真っ赤でその女性を窘めていた。
女性も周りからの胡乱な視線に気付いたのか、驚いたように手をバタバタと振る。
「あ、あの……そういう意味ではないのです! あの、その、普段は何をされている方ですか? ずっと私たちを見ているだけなのですか?」
そういう意味もどういう意味もない。
一同が唖然とする中、不意にマール神が大声で笑い出した。
今までの笑いではない。
弾けるような心底楽しそうな笑い声だった。
『そうか! おまえはそこに踏み込んで来られるのか? 駒風情の脇役風情が! 本能なのだろうが、メイスを出し抜くにはそれなりの理由があった訳だ!』
マール神が狂喜しているのだけは分かった。
彼女は私たちとは違うモノが見えていたらしい。
神の言葉の意味は見当もつかないが。
『サファイアに敬意を表して、今の質問に答えよう』
満足そうな神の声が響いた。
マール神は異次元のセカイの住人なのだという。
『神』ではない。
人間だから寿命が来ればいずれ死ぬ。
ただ私たちと時の流れる速度に大きな差があるのだと。
彼ら『ゲンダイジン』は七つの病気のどれかに侵されている。
高慢。憤怒。色欲。嫉妬。強欲。怠惰。暴食。
その中でもマールは怠惰なのだという。
それを慰める為に毎日妄想ばかりを繰り返している。
その妄想の一つがこのセカイなのだと。
勇者が魔王を倒す。いわゆる彼のセカイでは王道の物語らしい。
マールは勇者に助言のみを与える。
勇者の性格を細かく設定し、あとは勇者の意思に託す。
そしてその成否を楽しむらしい。
『我はこのゲームを何千回と繰り返してきた。その中で一番目を引いたのがメイスの2周目だった。……そして彼奴が先程の告白で頑なに隠し続けていたことでもある』
マール神は含み笑いをしながら、その2周目を語りだした。
――壮絶すぎた。
本当にこのセカイの話なのかと思えた。
特に魔王を倒したあとのクロードと彼女の会話シーンには寒気がした。
一斉に女王とクロードに視線が集まり、クロードは下を向く。
アリシア女王は私たちの視線になど全く興味がないのか、真剣に何かを考えている様子だった。
『我はそれを超える、より興奮するセカイが見たかった。だからその2周目の記憶を東方3国を平定した直後の、今のアリスに捩じ込んだ。――最後の最後まで楽しませてくれたあのアリスを』
慈愛溢れた主神マリスミラルダは存在しなかった。
そこに居たのはただ楽しさだけを追求する邪な存在だった。
『コイツはアレを夢だと思い込んでいただろうが、実際に起こった話だ。そしてその知識を得たことで、この先どう修正して悲願を達成するのかと楽しみにしていた。……どこをどう変えてくるのか? どんな結末を迎えるのか!』
マールはそこで深呼吸する。
思い通りに行かなかった憤りに震えているのであろうことは容易に察することができた。
『――だが、それも結局全部全部無駄だった。結果は見ての通りの中途半端な仲良しこよしエンド。実に無駄な時間を過ごしてしまった。こんな結末ならば他の勇者でも出来ただろうに。……そうではないだろう? あのアリスをぶち込んだアリスならもっと色々、思うがままにこのセカイを蹂躙することが出来ただろうに!』
マールが悔しそうに呟くのを私たちは黙って聞くことしか出来なかった。
部屋は完全に静まり返っていた。
誰も身動ぎ一つしない。
『もう、このセカイに用はない。……心配せずともお前たち苦しめるようなマネはしない。せめてもの慈悲だ。安らかに眠らせてやるからそこは安心しろ』
神はこのセカイを壊そうとしている。
……どうすれば?
マールは私たちを守る神ではない。
それを認めた上でこのセカイを守る為にはどうすれば――。
私は覚悟を決めて立ち上がった。
「――アリシア女王、いや、このセカイに招かれた最初の勇者メイスよ。そなたに頼みがある。……帝国の皇帝としての最後の願いだ。どうか聞き届けて欲しい」
私には守らなければいけないものがある。
愛する妻、ニール、シーモア。それにロレントも。
そして何よりこのセカイを守る。
ならば――。
「そなたの手で私の首を落として欲しい。そして復活した魔王をここにいる皆で力を合わせ討伐するのだ」
私の発言にニールが慌てた。
ロレントも立ち上がって声を荒げた。テオドールも蒼白な顔をしている。
懐かしい声が聞こえてそちらを見ると二人の兄も立ち上がって落ち着けと叫んでいた。
……嬉しかった。
皆、私など死ねばいいと考えていると思っていた。
その気持ちを知れただけでも十分だ。
もう心残りはない。
私は彼らに笑いかけた。
「私たちの敬愛するマール神はセカイの混迷をお望みなのだ。平和なセカイなど必要ないと。波乱そして血で血を洗う戦、それらをお望みなのだ。だから、それが必要ならば今から起こせばよいだけの話。……メイスよ。我の首を落とし魔王が復活したならば皆で協力しそれを討伐せよ。そして宝具とやらを使い三度勇者として新しいこのセカイに嵐を巻き起こして欲しい。少なくともその間は、その間だけはこのセカイを守ることが出来よう。……無責任な先延ばしであることは十分承知だが、それでも私はそんな歪な形だったとしても、このセカイを守りたいのだ。このようなことを頼むのは心苦しいが、どうか聞き届けて欲しい」
私は言いたいことを言うと再び腰を掛けた。
ここの座り心地はそれ程嫌いではなかったと今更ながら気付いた。
私は誰からも望まれていない存在だった。
あまりの風当たりの強さに心を病んでしまった母上は、前の夫と連れ立って海に身を投げた。
物心つく前だったからそれ程の痛みは無かったが、それでも虚無感はあった。
何故何の取り柄もない自分が皇帝になったのか?
何故母はあそこまで追い詰められたのか?
何故自分にはこんなにも味方が少ないのか?
女王国から会議の打診があり、その対策の為に皇位継承の話をニールから聞いてようやく納得出来た。
そんな事情があったのか、と。
それならば敵ばかりでも仕方ないなと。
ようやく心に平穏が訪れた。
不意にマール神の笑い声が響いた。
『皇帝よ、その姿勢は立派だと認めよう。しかしそなたは初めから生きることに対する意欲が希薄なのだ。我がそのように設定したからな。往生際の悪い皇帝だと話が進まないし、死に様に尺をとられるのはシャクだしな。……それにそのような――』
「――『そのような展開では今更我の退屈はしのげない』……ですね?」
マールの言葉を奪い取るように、続いたであろう言葉を繋ぐ者がいた。
――その声の主はアリシア女王。
「皇帝陛下、貴方が命を差し出したとしてもこのセカイは救われません」
もう男の口調ではなかった。
だが先程よりも堂々とした姿。
何かの迷いを断ち切ったかのような。
それとも初めから女王は女王だったのか。
何にしろ、これが話に聞くアリシア女王だろう。
『理解してもらえたようで何より。もうこのセカイに用はない。これ以上は時間の無駄だ。それでは失礼――』
「――いいえ、まだ話は終わっておりません。むしろこれからが本番です」
彼女は晴れやかな笑顔でそう言い放つ。
腰に手をあてて挑発するように中空を見上げる。
「さぁ、交渉を始めましょうか!」
彼女はずっとこの瞬間を待っていたのだと悟った。
おそらく会談の目的は初めからコレだったのだ。
――主神マリスミラルダを交渉の舞台に引きずり出す。
数人の聡い人間もそれに気付いたのだろう。
その筆頭であるクロエ=ターナーの目に光が戻った。
私は深呼吸する。
……セカイの命運は水の女王国アリシア=ミア=レイクランド女王陛下に託そう。
たとえ交渉が失敗に終わったとしても、そのときは笑顔でこのセカイを去ろう。
私はアリシア女王を見つめ頷いた。
――全て貴女にお任せします。




