第9話 パール、アリスとマール最初で最後の交渉を見守る。
「さあ、交渉を始めましょうか!」
絶望的な状況にみんなが絶句する中、たった一人自信に満ちた表情。
――アリス様だ。
腰に手を当てて嫣然と微笑むいつものアリス様。
男の話し方ではない、いつものアリス様が戻ってきた。
メイスという人になっていたときは焦りばっかりが先走っているように感じた。
話の内容ではメイスという人がアリス様を演じていたということだったけれど、ボクの直感はそれを否定した。
確かに最初こそメイスがアリス様の仮面を被ったのかもしれない。
そうやってセカイを着々と自分のモノにしていったのかもしれない。
――だけど、この場では違った。
アリス様がメイスの仮面を被ったのだと。
よく分からないけれどメイスの仮面を被る必要があったのだ。
何かの情報を引き出す為に。何か有利に働かせる為に。
何の根拠もないけれどそう思った。
そしてその結果が出たからアリス様は本来の姿を取り戻したのだと。
「――今更何を言う。もう話すことなどない!」
「それは非常に残念ですね。この私が用意した最後の勝負手ですよ? 貴方が期待した『あのアリスをブチ込んだアリス』とやらがようやく見出した乾坤一擲の解決方法、それを聞きたいくない、と?」
挑発的に笑うアリス様は本当に楽しそうで。
何故かボクも心が躍るのを感じていた。
「皆様が交渉材料を集めてくれました。……とくに皇帝陛下。あなたの功績は大きい。おかげでメドが立ちそうです」
ロレントさん、宰相さん、クロエさん、そして皇帝へと順に視線を合わせて微笑むアリス様。
そして再び中空を見上げた。
息詰まる長い沈黙が続き、やがて大きく息を吐く音が聞こえた。
『……話せ』
その諦めにも似た呟きは、アリス様の策が嵌ったのだとみんなに理解させるには十分過ぎるものだった。
「そもそもこのゲームが退屈なモノになってしまったのは、このセカイの構造そのものに問題があると思うのです。魔王を倒すという代り映えのしない一本道のストーリー。味方になるレジスタンスの面々も同じ顔。敵側の皇帝も宰相も同じ顔、脇役も全員同じ顔。そんなセカイを何千回と? ……流石の私でも飽きてしまいます。むしろよくそれだけの数をこなせたモノです。何故その忍耐力を他に向けることができなかったのか、と」
アリス様は大袈裟に溜め息をつく。
いきなりマール神に対するダメ出しから入るあたり、カッコ良すぎる。
『しかし魔王は復活しない、戦争も起きないようなセカイはそれ以上に退屈だろうが? ……我は仲良しで平和なセカイなどに興味はない』
にべもないマール神の反論。
結局そこに固執するようだ。それを打破しない限りは――。
だけどアリス様に動じる気配はない。
「なに、戦争など無くとも人が集まれば日々何かしらの諍いは起こるモノです。……せっかくですから今からその種を蒔いてみましょうか?」
そう口にしてからアリス様は目を瞑って数秒ほど黙り込んだ。
だけどこれは考えるフリだとボクは知っている。
こうやって相手を焦らすのが大好きなのだ。
「たとえばですが、これからのセカイ、この私が女王としてこのセカイを治めることにしましょう。おそらく帝国の方々には相当な不満が残るはずです。勝手に決めてしまった訳ですから。……あるものは私と言う権力に媚びることを選び、あるものは反発し私と距離をとる。その状況を改善しないまま私は後継者の指名をせずに死ぬことにしましょう。更に第一候補になりうる子供も作らないと宣言します。……そもそも元男の私が子供をつくる為に相手の男性と……というのは正直勘弁してもらいたい」
確かに元々男だったのならそれはキツイかも。
もし相手を選ぶとしたら誰だったのだろう?
……ブラウンさん?
ボクは想像して笑ってしまった。
それを感じ取ったのかこちらを睨みつけるアリス様。でも笑顔だった。
「せっかくですから後継者は女王国らしく女性という取り決めを作りましょう。落ち着き次第法律を制定すると約束します。……私は何歳まで生きられるのか分かりませんが、仮に六十歳ぐらいまで生きるならば後継者は私と同世代のケイト=ターナー嬢などではなく次の世代になってくるでしょうね」
『――ほう、次の世代、とな?』
ようやく食いついたマール神に満面の笑みを浮かべるアリス様。
「はい、今思いつく限りで最有力候補に挙げられるのは、宰相ニール=アンダーソン殿とマストヴァル家のアンジェラ嬢の間に生まれた娘でしょうか――」
その言葉に出席していたアンジェラさんとお母さまのディアナさんの顔が華やぐ。
対して宰相さんは天を仰いだ。そしてその姿にクロエさんが噴き出す。
広間も騒然となった。
「その娘に対抗しようとするならば、ロレントさんとケイト嬢の間に生まれた娘でしょうか?」
興味津々の視線を一斉に浴びたケイトさんが顔を真っ赤にして俯いた。
よく聴こえるボクの耳が彼女の「……絶対に殺す」という呟きを捕らえる。
……一応、警戒しておこう。
クロエさんの娘さんだから無茶なことはしないはずだけど。
一方ロレントさんは全く知らなかったのか、目を見開いて固まっていた。
「私が長生きしたならば、更に次の世代が本命になるか知れません。そうなると今度は組み合わせが重要になってきます。例えばロレントさんの子供がレジスタンス関係者の子供と結婚したりしたら、その血筋を嫌がる人が現れるかもしれない。そういったコトを考慮するならば帝都の血が混ざっていた方がいいでしょうね。女王になったときの議会運営を考えるならばその点も重要になってきます」
アリス様は続ける。
もし自分が七十歳まで生きたとして、次の女王が二十歳ならば完全に孫の世代になる。
女王になる為には即位の時期を見極める機微や駆け引き、その為の多数派工作が必要になってくるのだと。
「その辺りの調整を一番得意としているのは生粋の帝国貴族でもあるゴールド卿ではないかしら? ……確か前皇帝と皇妃の縁談をまとめたのは彼の父上だったはずよ」
そのことは山猫で調べた。
最初はただの気取った空気の読めないお爺さんだと思っていたけど、実はそれなりに優秀な一族だったらしい。
みんなの目が彼に移った。
彼は視線を受け止めて無言のまま頷くに留める。
今、彼の頭を占めているのは、この会議の後どう影響力を発揮していくのか、にあるようだ。
「女王を選ぶに当たって民衆の人気も大事になるはず。そうなれば教会の重要性は今以上に増してくるかもしれないわね」
今度はオランドさんに視線が集まる。
彼は満足そうに微笑み返した。
だけどその表情から読み取れるのも、ゴールド卿と同じこと。
既に思考は未来へと向かっていた。
『――なるほど。それがお前の出した答えなのだな?』
神の声が急に楽しそうに笑い出した。
『何度セカイ繰り返そうとも、その全てで切り捨ててきた上級貴族と教会をもお前はこのセカイに組み込もうというのか?』
ボク自身も上級貴族や教会は不要の存在だと考えていた。
少なくとも女王国が治めるセカイの足手まといだと。
「――このセカイに不要な存在など無いわ」
ボクの心を読んだかのようにアリス様は首を振る。
害獣は害獣なりにセカイで役割があって生まれてきた、ということ?
「ねぇ、どうかしら? こっちの方が楽しそうでしょう? 移り行く時代、血を継ぎながら代替わりしていく者たち。……あなたはそれらを眺めながらゆっくりと思考を巡らすの。誰がどこでどう動くのか? 誰が誰と血を繋いで勢力を大きくしていくのか? そこに渦巻く駆け引き陰謀、暗殺謀殺。……確かに派手さは無いかも知れないけれど、それはそれで人間の醜い部分を思う存分に堪能できると思わない?」
いたずらっぽい笑みで趣味の悪い言葉を紡ぐ美しいアリス様。
ボクの大好きなアリス様だ。
「少なくとも同じ顔を見続けるよりは刺激的じゃないかしら? ……思わぬ世代でクロエの血が大暴発したりして、ね?」
そういってアリス様はクロエさんを横目で見る。
その言葉にロレントさんが大声で笑い出した。
当のクロエさんは苦虫をかみつぶしたような渋い顔。
「暴発とは実に上手いことを言う。確かにアレはそういう類の力だな」
宰相さんもしきりに感心していた。
しばらく沈黙が続く。
この場の全員がマール神の反応を待っていた。
『……お前の言いたいことは十分理解した。確かに興味深い話だ。そもそも我は退屈を紛らわす為の道具が欲しかっただけで、このセカイを壊そうと思ったのはもうその役目を終えた――いや我が勝手に終えたと判断したから、か……』
力無く呟くマールの声をみんな一言も逃さないように集中する。
『だがお前はこのセカイに新たな刺激を用意して見せた。心から感謝しよう。――これで当分は退屈せずに済みそうだ』
「……それでは?」
『よかろう。お前に免じてこのセカイを残すことにする』
その一言が発せられた瞬間、歓喜の声が広間を轟かせた。
陣営など関係なく握手して抱き合って喜びを分かち合う。
興奮したボクがアリス様の表情を窺うと、彼女は喜んではいるもののまだ緊張感を保ち続けていた。
……まだ交渉は終わっていないらしい。
少し静まった頃合いを見てアリス様は続けた。
「最後に魔王のことだけれど……」
そのことを思い出したみんなが再び着席して行儀よく耳を澄ます。
『あぁ、魔王の出番は必要ないだろう。皇帝の痣は消しておこう。もう意味もない。……それ以上のモノを見せてくれるのだろう?』
「えぇ、きっと退屈させないわ。そう遺言にも残すから。『マール神は波乱をお望みだから絶対に期待を裏切らないようにね』って」
クツクツと笑うマール神とそれに応えるアリス様。
……アリス様もアリス様だ。
とても為政者の発言だとは思えない。
「……あ、最後の最後にもう一つだけ」
『まだあるのか!?』
マールの呆れたようなどこか楽しそうな声が返ってくる。
「えぇ、これが本当に最後だから。……さっき死んだり生き返ったりさせることが出来るって言っていたわよね?」
『あぁ、だからといって戦争で死んだ人間全員とかは無理だぞ?」
「じゃあ一人だけ、――ジニアス=ハルバートだけでもお願い出来るかしら」
その言葉にウィル君とガイ様が顔を跳ね上げた。
『……フム、まぁいいだろう。……辻褄はお前が責任を持って合せるのだぞ?』
しばらくして広間の扉が開かれ、一人の男性が部屋に入ってきた。
よく事情が飲み込めないのか大勢が集まっていることに面食らいつつも、努めて冷静であろうとしているのが表情から読み取れた。
「……父上!」
そんな彼を見たウィルくんが立ち上がり涙声で叫ぶ。
男性は驚いた顔を見せながらも、一拍置いて無理矢理渋面を作った。
「今は大事な会議中だ。……若輩者ならば弁えろ!」
その一喝にウィル君は涙をポロポロと零しながらも満面の笑顔で頷くと「会議の邪魔をして申し訳ありませんでした」と周囲に向かって丁寧に謝罪して着席する。
その横でガイ様は肩を震わせてむせび泣いていた。
『……それでは、皆の者せいぜい励んでくれよ』
咳払いの後、そう言い残し早々にマール神の声は聞こえなくなった。
これ以上アリス様が注文をつけるのをイヤがったのかもしれない。
今度こそアリス様は大きく息を吐いて緊張感を解いた。
「まぁ、こんな感じでどうかしら?」
「……このセカイは大丈夫なんだな?」
ロレントさんが念を押す。
「あの感じならそうだと思うわ。……万事解決というコトよ」
そういって笑うアリス様。
広間に安堵の溜め息が漏れる中、アリス様は皇帝に向かって頭を下げた。
「勝手に決めてしまって申し訳ありません。交渉の流れとはいえ、このセカイは私のモノになってしまいました」
その何気ない一言に少し冷静になったみんなが顔を見合わせた。
もしかしてこの一連の流れ全てがアリス様の仕込みだったのか、と今更ながらに思いついたらしい。
そんなみんなの愕然とした表情をアリス様は実に満足げな笑みで見渡すのだ。
ボク自身どこまでかは分からないけれど、大筋では計画通りだったのだと確信している。
もちろんアリス様に尋ねても正直に全部話してくれないだろうケド。
「皇帝陛下、結果的にあなたから居場所を奪うことにもなりました。今後の生活で何か希望があるのでしたら、出来る限り叶えさせてもらいます。是非お伝えください」
その言葉に皇帝はハッとしたような表情を見せた。
珍しいその姿にみんなが注目する。
そして躊躇いがちに口を開いた。
「……私には子供の頃から捨てきれなかった夢がありました」
丁寧な言葉遣いの彼にみんなが沈黙で先を促す。
皇帝は頷くと儚げな笑顔で続けた。
「私の居場所は玉座か墓の下にしか無いと頭では理解してたのですが、それでもずっとその夢が胸の中でくすぶり続けていました。絶対に叶うはずのない夢なのに、自分でも愚かだと思います。……でも待ってみるものですね。もしかしたら、あとは私の努力次第で何とかなるかもしれません」
一呼吸おいて彼は宰相さんを見つめた。
「私の夢は、ニールお前の、いえ貴方の部下として国の為に働く政務官になることでした」
その言葉に広間がざわめいた。
だけどすぐに全員が口を噤む。
「国の為に人々の為に……私の為に、自分を捨てて尽くすその姿は私の憧れでした。私はずっとずっと子供の頃から貴方のようになりたかった。貴方のような本物になりたかった。……どうか私に政治を教えてください。貴方の弟子にしてください。期待を裏切らないように精一杯頑張りますから、どうかよろしくお願いします」
皇帝は宰相さんに向かって丁寧に頭を下げた。
というより皇帝って今まで頭を下げたことがあっただろうか?
その言葉を受けて宰相さんは放心したように立ち上がり、覚束ない足取りで玉座へ進み膝から崩れ落ちる。
そして顔を覆い誰憚ることなく嗚咽を漏らした。
「……もった………おこと、ば……。あり、が……ます……」
言葉にならない。
だけど十分伝わった。
そんな二人を見つめるアリス様の表情は今までにない穏やかなものだった。
まるで全てを包み込むような。
ボクはしばらくの間、その横顔に見惚れていた。




