信頼という絆
「それで、これからどうするの?」
竹姫は大津宮の屋敷の軒先でくつろいでいました。
「もちろん、白鶴仙人さまの予言に従うさ」
吉備太郎は庭先で素振りをしています。
「仲間を探すの?」
「うん。そのとおりだよ」
「右大臣たちと一緒について行かないの?」
吉備太郎は「なんとなくそうしたほうがいいと思うんだ」と良く分からないことを言いました。
「それに都の人たちと一緒に居たら出発するのに時間がかかるし、それに吉平さんのこともある」
吉備太郎は暗い顔になりました。
「みんな吉平さんのことを悪く言うんだ。そんな人たちと一緒に居られない」
軍勢の間では吉平は人を裏切り鬼に寝返った半々妖として悪く言われています。
「竹姫、私は吉平さんを信じるよ」
素振りをやめずに吉備太郎は毅然として言いました。
「そうね。吉備太郎は正しいわよ」
竹姫はくすりと笑いました。
「……私は、竹姫に出会って良かったよ」
唐突に竹姫にとって『恥ずかしいこと』を言われたので「ふえ?」と変な声をあげました。
「と、突然、何を言っているのよ!」
「しみじみ思うんだ。聖黄山で竹姫に出会わなかったら、とうの昔に死んでしまっただろう。海も越えられず、伊予之二名島で朽ち果てていただろう」
竹姫は顔を赤くしながら「どうしてそんなことを言うのよ!」と照れていました。
その理由は至極当たり前のことでした。
「竹姫、君は右大臣さまたちと一緒に居たほうがいいんじゃないか」
それは最後の別れの言葉だったからです。
「――え?」
吉備太郎は素振りをやめて竹姫を見つめます。
「私は竹姫、君を危険な目に遭わせたくない。右大臣さまと一緒に居れば、安全だと思う」
竹姫は吉備太郎を厳しい目で睨みつけます。
それを――敢えて無視して吉備太郎は続けます。
「私はもう大切な人を失いたくない。竹姫、私にとってただ一人の大切な人なんだ」
そして吉備太郎は意を決して告げます。
「私は――竹姫を一緒に連れていけ――」
最後まで、言えませんでした。
「――馬鹿なことを言わないで」
吉備太郎は平手で殴られる覚悟をしていました。
怒られる覚悟もしていました。
それらを当然受け入れようと思いました。
けれど――抱きしめられる覚悟はしていませんでした。
「……竹姫?」
「あたしは吉備太郎と離れない」
顔を胸に押し付けられていて、表情は見えませんけど、それでも悲しんでいることは分かりました。
「あたしを想ってくれるのは嬉しいけど、あたしを言い訳にしないで」
竹姫はぎゅっと強く力を込めます。
「でも、私は、竹姫が大切で――」
吉備太郎はなんとか翻そうとしましたが、次の竹姫の言葉に何も言えなくなりました。
「大切だと想うなら、傍に居させて。大切だと想うなら、ちゃんと守って」
竹姫はそれからも抱きしめ続けました。
吉備太郎は、しばらくして、ふーっと息を吐くと竹姫を抱きしめ返しました。
「ごめん。竹姫。情けないことを言って」
「ううん。いいよ」
「私も竹姫と離れたくない」
「うん。いいよ」
「こんな頼りない男だけど、守らせてくれるかい?」
竹姫は嬉しそうに言いました。
「うん! だって吉備太郎はあたしの武者なんだもん」
それは初めて出会ったときに言われた言葉でもありました。
二人はしばらく抱きしめ合いました。
そんな彼らを見ていたのは――
夜空に浮かぶ大きな満月だけでした。
「右大臣さま、お世話になりました」
「本当に君たちは一緒に行かないのかい?」
右大臣が名残惜しそうに吉備太郎と竹姫に言いました。
一夜明けて、大津宮の外れで、吉備太郎と竹姫は右大臣に見送られていました。
「そうね。あたしたちは仲間を探すことに決めたのよ」
竹姫は笑みを見せました。それは覚悟を決めた者の笑い方でした。
「仲間? ここに居る武者たちでは不満なのかい?」
「ううん。そうじゃないの。詳しくは言えないけど、仲間になってくれる人が必要なのよ」
白鶴仙人の予言を知らない右大臣は首を傾げました。
「よく分からないけど、どこへ向かうつもりなんだい?」
「私たちはとりあえず、美濃を目指します」
吉備太郎も右大臣に目的地を告げました。
「美濃か。君たちも東国に向かうのかい?」
「そうですね。皆さんは東国のどちらへ向かいますか?」
吉備太郎が訊ねると右大臣は「相模だね。それも鎌倉だ」と答えました。
「鎌倉は治めるには難しいけど、守るのに適した要地だね」
「ふうん。鎌倉ね。気が向いたら行くかもしれないわ」
悪戯っぽく笑うと傍に控えていた褐色の武者と枯れ木の武者は「この子は怖いもの知らずなのか?」と怒りを通り越して呆れていました。
「そちらの方々もお世話になりました」
吉備太郎は武者たちの呆れを知ってか知らずか、普通に頭を下げました。
「うむ。気をつけるんだぞ」
「達者で旅をしなさい」
それから改めて自分たちの名前を名乗りました。褐色のほうは黒井、枯れ木のほうは高木という名でした。
「これは少ないが路銀だ。足しにしなさい」
右大臣は旅の路銀にしては多めの袋を手渡しました。
「それでは鎌倉で会いましょう」
「三人とも元気でね!」
吉備太郎は手を振って、別れを告げました。
竹姫も大きく手を振ります。
右大臣たちは二人の姿が見えなくなるまで、その場に居ました。
吉備太郎たちは大津宮を離れ、一路、美濃へ向かいます。
「そういえばどうして美濃へ向かうんだ?」
行き先を決めたのは竹姫でした。
「特に理由はないわよ。多分尾張を通って東海道から軍勢は東国へ向かうと思うから、出会わないようにしたのよ」
「どうしてその道筋で行くと分かるんだ?」
「吉備太郎、少しは自分で考えなさいよ」
そう言われてしまったので、吉備太郎は首を捻りました。
「えっと、そうだなあ。山道だと疲れるからかな」
「半分正解」
意外と惜しいところかすめたので感心しました竹姫。
「東海道なら平地が多いし、海に面しているから村も多い。途中で休めるしね」
「なるほど」
「加えて道が整備されているのよ。行軍には最適よ」
竹姫は賢いなあと吉備太郎は素直に思いました。
「ああ、それから。旅を始める前に一言良いかしら?」
先を歩いていた竹姫はくるりと振り返って吉備太郎にびしっと指差します。
「昨日みたいな情けないこと言わないでね!」
「……うん」
「言ったら許さないんだから!」
それから吉備太郎に向けて笑顔になりました。
「あたしも吉備太郎に出会えて良かったよ」
「…………」
吉備太郎は口をあんぐり開けて驚きました。そんなことを竹姫が言うとは思わなかったからです。
「この世界でこうして陽に当てられるのは、吉備太郎のおかげ。本当にありがとう。それだけ!」
そして顔を真っ赤にして先を小走りで進みます。
「あはは。なんと面妖な……」
そう言いながらも顔がほころんでしまうのを止められない吉備太郎。
二人は真っ直ぐ道を歩み続けます。
この先、困難が待ち受けているでしょう。
しかし、二人ならば乗り越えられるでしょう。
理由は簡単です。
二人に宿る信頼という絆があれば。
何が起きても克服できるのです。




