茨木童子と速剣遣い
轟々と降りそそぐ豪雨。
二人の人物が相対しています。
一人は人間。
もう一人は魔の者でした。
「絶対に殺させないぞ! この子だけは殺させない!」
一方が吼えると片方も同じく返します。
「殺さなきゃいけないんだ! そこをどけぇええええ!」
二つの影が重なるとき。
いよいよ鬼退治の物語が大きく転換しようとしているのでした。
その数刻前。
吉備太郎たちは茨木童子が指定した草原に来ていました。
周りに遮蔽物はなく、罠など小細工のしようのないまっさらな場所。
日が暮れようとしている黄昏。まるで血のように赤い夕焼け。
これから起こる果たし合いに相応しい情景でした。
「吉備太郎ちゃん。まずは俺の式神で攻める。茨木童子が疲れてきたら、君の出番だ」
「分かりました」
「山吹も吉備太郎と同じように動いてくれ」
「ああ。承知した」
吉平は用心しながら辺りを見渡しています。
もしかすると茨木童子だけではない可能性があるかもしれなかったのです。
熊童子も来るかもしれませんし、もしかしたら援軍もくるかもしれないと考えておりました。
けれど、そのように考えていたことが無駄になってしまいました。
「よく逃げずに来たな。人間共」
まるで雷が鳴ったように草原に響き渡る声でした。三人は目を離したつもりなどなかったのに、茨木童子は三人から距離を取って、堂々と隠れもせずに正面に立っていたのです。
酒呑童子と変わらない大きさの鬼。伸ばし放題の髪に全てを憎んでいるような怒りの篭もった目。大きな口。ギラギラと光る歯。
「貴様が、茨木童子……!」
吉平は式神札を取り出しました。
「ああそうだ。それで? 兄弟殺したのはどこのどいつだ?」
茨木童子は見下すように見下ろしました。
「私だ。私が殺した――」
吉備太郎は前に進もうとして、吉平に止められました。
「てめえのようなガキに兄弟が殺されるわけねえだろ。かといって、他の二人に殺せるような器量もねえな」
茨木童子は苛立っていました。この三人ではないとすると他に居るはずです。それを探さないといけないと思ったからです。
「――『鬼に横道は無い』かな。確か」
吉平の言葉にぴくりと反応する茨木童子。
「てめえ、どうして兄弟の言葉を?」
「酒呑童子が戦ったときに言ってた言葉だよ。聞き覚えあるようだな」
茨木童子はそれに答えませんでしたが、じりじりと怒りが増してくるのを三人は感じました。
「そうか。てめえらは卑怯者だな。そうなんだろう……許せねえ」
茨木童子はあまりの感情の高ぶりに何もいえなくなってしまいました。
「それじゃあ卑怯者に絶望を味合わせてやるよ――小娘! こっち来い!」
茨木童子の背後から一人の少女がゆっくりとやってきました。
「あの子は……!」
山吹が息を飲みました。
それもそのはず、背後から現れた少女とは、大江山合戦で救い出した少女でした。少女は山吹に食ってかかった威勢の良さはなく、ぼんやりとしていて、まるで操られたようでした。
「貴様ああ! その子に何をした!」
山吹は薙刀を構えて、茨木童子を見据えます。茨木童子は「簡単なことだ」と素っ気無く言いました。
「この娘の前で村人を殺した。一人一人、臓物と脳髄を噛み砕きながら。そのせいでちょっとやられちまったかもな」
茨木童子は狂ったように笑いました。
「なんで、そんなことをしたんだ? 俺たちが狙いだろう!」
吉平も流石に冷静さを欠いて、今にも茨木童子につかみかかりそうでした。
「復讐だよ。兄弟を殺された恨みだ。まあこんなので気が済むわけねえけどな」
茨木童子は背中に背負った大刀を少女に向けます。少女は何も反応を示しません。
「目の前でこいつ殺したら、少しはてめえらも兄弟を殺された苦しみが分かるか?」
そう言って、大刀を振り上げて、少女に振り下ろそうとします。
「やめろ! 茨木童子!」
吉平は式神札を飛ばしますが、距離が遠すぎて間に合いません。
刃は迫り少女はそれでも動かず――
「死ねや。人間」
冷たく言い放つ茨木童子。
その刃を止めるものは誰もいないと思われました。
しかし、ただ一人だけ居たのです。
野山を駆けずり回ったことで、音も無く素早く動ける、獣のような脚を持つ少年。
それは――
「――っ!」
茨木童子の刃は途中で止められました。
自らの刀を盾にして、少女を救った勇敢なる者とは――
「てめえ、何者だ?」
茨木童子の問いに答える少年。
「貴様らを殺すものだ」
吉備太郎は刀を弾いた隙に少女を抱え込んでその場から離れました。
その動きはまさに獣の如く素早いものでした。
「てめえ、何してるんだ? その娘は俺が殺すんだよぉおおおお!」
茨木童子はとうとう激高して、吉備太郎に向かっていきます。
戦いの火蓋が切られてしまったのです。
「吉備太郎ちゃん!」
吉平は小鳥の式神を大量に召喚して、茨木童子の視界を防ぎます。
「舐めた真似をしやがって! 舐めんなあぁあああ!」
茨木童子は適格に小鳥を捉えて大刀で斬り刻みます。
しかし、その僅かな刻だけで吉備太郎には十分でした。
少女を抱えたまま、吉平の元へ走ります。
「――速えな」
茨木童子は激高しながらも戦いの中で冷静で居ました。
吉備太郎の素早さは人間にしては異常に速いのです。何か呪術を使っているのかと思っていました。
しかし吉備太郎の速さは呪術を使っていることが起因していません。
たゆまぬ鍛錬と生き残るために必要だった技能でした。
加えて吉備太郎はここ数日ほど、より速く走れるようにと吉平と虎秋に訓練を受けていました。
「吉備太郎ちゃんの武器は『速さ』だね」
吉平は感心したように語りかけました。
「速さですか? 父上は剛剣を主として私に教えていましたが」
虎秋との稽古の途中に話しかけられた吉備太郎。
「お主は気づいておらぬが、それが奥義になりえるだろう」
虎秋も吉平に同意しています。
「剣術には剛剣や柔剣があるけど、吉備太郎ちゃんは言うならば速剣だね。速さを主眼に置いた剣術だ」
吉平の言葉に吉備太郎は「気づかぬ間に、そうなっていましたか」と複雑な思いを抱いていました。父親の教えを無視しているような気がしたからです。
「これからは、剣術の基本と共に、速くなる訓練を行なおう。毎日重りを担いで走る。それだけでも今よりも速くなれる」
その訓練によって、酒呑童子と戦ったときよりも素早く、そして強くなったのです。
吉平は少女の安全を確保するために、虎秋を召喚しました。
「虎秋ちゃん、頼んだ! 山吹、一緒に加勢してくれ!」
「心得た!」
山吹と虎秋は茨木童子に向かいます。
「式神と女風情が! 俺に勝てると思っているのか!」
茨木童子の大刀に怯むことなく、虎秋は向かいます。山吹は虎秋の背後から茨木童子を狙うようです。
「吉平さん、この子を頼みます!」
吉備太郎は吉平の足元に少女を寝かせて、そのまま茨木童子に戦いを挑みます。
吉平は頷くとその場に座り、呪術を行使します。
「間に合ってくれよ……頼むから」
吉備太郎は山吹たちに加わり、茨木童子に攻撃を始めます。
茨木童子は三人を相手にしながらも優勢に進めていきます。
前に述べましたとおり、鬼は人間の百人分の力を持ちます。ましてや鬼の副首領である茨木童子は凄まじい力を持っています。
このままでは――吉備太郎たちは負けるでしょう。
何かの力を借りなければ。
戦いの最中、空からぽつりと雨が降っていました。
まるで空が泣いているようでした。




