二十一戒目「焦燥」
「―――――さん」
「? どうした?」
「実は………ぅでして……」
「そうか。意外に早かったな」
「……、……ょう?」
「とりあえず大丈夫だ。こいつさえ来なければ……」
「わかりました。では、例の件も……」
「条件を満たした瞬間、決行だ」
「了解。では失礼します」
「あぁ。頑張ってくれ」
とっくに目が覚めている。そういう抜け目が後になって尾を引いてくるのだ。僕はそれをできた。しかし、肉体的にはどうにかなっても、精神的に参ってきた。今にも気が狂いそうだが、堪えなければ全てが台無しだ。チャンスも命も。
とりあえず会話は終わったようだ。しかし、なぜか孤独を錯覚させられてしまう。絶対に人がいるのに、その気配がないというか何というか……。僕の第六感が戸惑っている。
それでも今のことから拾えたのはいくつかあった。
一つはこいつらは綿密な計画を立てていること。ちょっとしたハプニングにもしっかり報告し、見落とさない。逆に言えば、そうしないと支障を来す可能性があるというわけだ。
もう一つはやはり僕がキーマンであること。僕の行動一つで計画を台無しにできる力を持っているのだろう。とするならば、それは多分“手紙”だろう。
それよりも時間が気になる。僕はまだ寝ているので、そろそろ起きないとまずい時間になる。
「……ん……」
だから態とらしく目覚めた。
「! 起きたか……」
「……くっ……、今何時ですか……? お腹空きました……」
「……そうだな、そろそろ昼にしよう。……おぃ!」
今は十二時くらいなのか? だとするとおかしい。僕が連れ出されたのは昼食後だ。この男のが本当なら翌日、つまり十四日の昼あたりということになる。だが嘘ならば最低でも今日、十三日の夕方あたりだ。どちらかを取るかで意味が違ってくる。
すると、急に手首や足首の締め付けが緩くなった気がした。
「……!」
そして、ついに解放された。ただし目隠しは外されていない。
「それじゃあ目隠しも外せ」
無理矢理取られる。そして目を開けた向こうには……。
真っ暗な中で目の前に少女が立っていた。少女は何かに寄りかかってなぜか泣いていた。その瞳がゆらゆら波打ち、雫を落としていく。一ヶ所に溜まっていた。どんどん溜まっていく。無くなることなく、どんどんと……。
その分だけ胸に溜まる何かは嫌なものだが嫌ではなかった。意味が分からなかった。不思議な渦が渦巻いていた…………。
「…………ぅ、……こ…………、こ……ぅ、こぅ、こう……! 虹!」
「………………っっぅ……!」
「……ょし! 今すぐ…………ってきて……。虹、具合は……ぅだ?」
「……最悪、だよ……」
何度も見ていて見飽きた顔にはうっすらと潤いがあった。それを雑にぬぐい去る。
脇腹の後ろから全身にかけて流れる激痛。まるで電気を流されたように痛い。しかし滑りはあまり感じなかった。徹の迅速な処置が幸を結んだのだろう。心から何度も感謝した。
「意識もはっきりしてきたな?」
「あぁ、なんとかね。……一体どのくらい寝てたんだい?」
「……丸一日くらいだな。確かお見舞いした後だったからな」
「そうか……」
丸一日分止まっていた体内時計を進める。これで時間感覚は回復した。問題は……。
「陸奥実君はどうなったんだ? 彼はどうしたんだ?」
「……あぁ、それなんだけどな……。実は……」
陸奥実君は自分を刺した後、凶器を片手に病室から抜け出して、さらには病院から出ていったという。数十名の患者や看護士たちが目撃していて、ほぼ間違いない。
愕然とした。
「彼は今、状況判断がとても難しい状態だ。しかも凶器も持ち出してしまった。このままだと、被害が増えてしまう……!」
「……仕方ない」
丁度手の届くところに電話があった。それは内線も外線も使えるタイプだった。今は一刻を争う事態になっている。もうこれからは友人の兄としてでなく、警察として動かざるを得ない。
自分はボタンを順に押していく。……呼び出し音が鳴る。
「……虹、するんだな?」
「……あぁ。…………もしもし、こちらは新戸だ。全員に告ぐ。陸奥実 流をただちに捕まえるんだ。傷害及び殺人が拡大する可能性がある。自分は今、それの被害に遭い療養中。体調がよくなり次第、自分も加わる。以上!」
自分は陸奥実君を信頼していた。今も信頼したい。君なら背中から命を奪えたはずだ。なのに急所じゃないところにした。まだ戻れる。陸奥実君、自分が絶対に戻してみせる……!
「虹、陸奥実君はやはり“手紙”を持っているのか?」
「……わからない。手紙に書いた通り、瑠璃人が写真で持っていたんだ。そこには何も書いてなかったけど、内容を全て覚えてたとか……」
今思えばここ最近、瑠璃人は大胆な行動をとっている。しかも陸奥実君に関わることが多い。
そして自分に渡した情報。瑠璃人は先にこれの存在を知ったのだろうか? だとするなら次はどんな行動をとる? 瑠璃人のことだからこうなるのも考えていたに違いない。
「だったら瑠璃人君も捜す必要があるかもな」
「……“捜す”……? そうか!」
瑠璃人は陸奥実君を止めに行くに決まっている。
「まずい! 徹、携帯を貸してくれ!」
「? おいおい、ここをどこだと思ってる? 病院だぞ?」
そんなことは判っているけど、時間がない。理由を先に言った方が早い。
「瑠璃は陸奥実君を止めに行ったんだ!」
「何! それホントか!」
「あぁ! 瑠璃ならしかねないことだ! 頼む徹! 携帯を……ってもう掛けてるし……!」
ここは病院だ、って言ったのは誰なんだ! だが、ありがたい。ごめんなさい病院にいるかたがた。ほんの数分だけ時間をください!
「…………虹!」
「かかったかい!」
「……携帯切ってるぞ、多分!」
「くそっ! なんでこんな肝心な時に!」
瑠璃人が切っていること自体珍しいことだが、最悪だった。
瑠璃人……!
目の前に立ちふさがる建物。彼が住んでいたところだ。そんなに古くない寧ろ新築に等しいくらい。東條 真乃、前橋 透気、奈多弓 棗が見上げていた。
ヒュウッと突風がすり抜ける。
「陸奥実んちか……。こうして見ると、なんだか不気味に感じるよ」
「……とりあえず、行きましょう。管理人から鍵は拝借していますから、大丈夫です」
棗が意を決して先に入っていった。それに続いて二人も足を歩ませる。歩が進むにつれて胸からこみ上げてくる何かが、ストッパーをかける。でも、それに従っては何も始まらない。彼を知ってこそ謎が解明できるのだから。
止まりかけた足をぎこちなく動かす。そしてそのまま階段を上っていき、遂に目に入った。使われていたドアまで走る。一瞬だった。
「真乃やん、鍵……」
「はい」
金色に煌めく鍵を差し込み、捻る。重々しく乾いた解除音がした。棗がゆっくりと引いてみる。微力を加えながら。そして、完全に開ききった。
「…………」
「……」
「……行くで」
中は真っ暗だった。光が入ることを一切許さない。見えるのは、外から染みこむ玄関のみ。明かり無しではとてもではないが手探りになってしまう。
棗は入ってすぐ脇を手で探る。指先に伝わる微かな突起に引っ掛け、押す。暗闇から一瞬にして道筋を現した。でも突き当たりの一枚奥は依然として変わらない。
「ドキドキしますね……」
「オレは悪いけどぞくぞくする……。頼むから脅かすなよ……」
「い、意外にビビり、やなぁ!」
「奈多弓も、こっ声が震えてるぞ……!」
透気も人のことが言えなかった。
靴を慎重に脱ぎ捨てて床に足を着ける。ひんやりとしていて気持ちよかった。そのまま忍び足で向かう。まるで泥棒みたいだ、と誰かが言った。その通りだと思う。そして、奥の部屋である居間のスイッチを横に滑らせた。間が空いて電気が点いた。
「何で誰もいないんだろうな……」
「むっちゃんの両親は共働きなんとちゃうん?」
「…………」
「奈多弓、開けてくれ」
「ほな、いくで……」
今度は勢いよく開けた。
中は照明が働いていて明るい。柔らかい白に包まれている。しかしどことなく黒かった。
早速三人ともそれぞれ散らばって物色し始めた。透気は風呂場やトイレなどの生活空間、棗はキッチンや居間、そして真乃は彼の部屋を担当した。
「なんか食器とか綺麗に並べとんのやな。なかなかの綺麗好きやで、これは……」
棚に整頓されたそれらは寸分の狂いなく並んでいる。しかも種類別に重ねる枚数も合わせていた。ある種の芸術かもしれない。
他にも冷蔵庫、炊飯器、キッチン全てが新品同様と言っていいほどだった。
「……なるほどな……これはアカンなぁ……」
「みなさん、来てください!」
「……?」
真乃がいきなり叫んだ。二人はすぐさま部屋に向かう。
「どうしたん!」
「なんかあったのか!」
「これ、見てください……」
真乃のところに行って指差す方を見る。そっちは壁だった。それも彼の使っていたであろう机の上あたりだ。透気がそこを細かく調べる。
「……ん? なんだこりゃ?」
「何かあるんかぃ?」
「……黒い点がある」
黒い点? と疑り深そうに棗も行ってみる。確かに鉛筆の芯を突き刺したくらいの点があった。二人とも危なそうなので触れはしなかった。
「……これは最悪です」
「何でや? 画鋲でポスターも留めたんやろ」
「あいつの好きな芸能人誰だったっけ?」
「そんなものではありません! これはおそらく、“盗聴器”の類のものです」
「……盗聴器?」
透気が間抜けに言った。
「この部屋は盗聴されていたんですよ……! しかも、既に回収されているようです」
「……変態やないか!」
「いや、そっちじゃないだろ! きっと!」
「ですが少なくとも、流さんに恨みを持った人物に間違いはないと思います」
彼に恨みを持つ人物。直接でないならいるかもしれない。でも彼はそんな事をする人ではない。それは誰にでもわかること。
「とにかく、警察呼ぼうぜぃ!」
「そ、そやな! これもアカン!」
「私が呼んできます! お二人はここを調べてください。もしかしたらまだあるかもしれません!」
真乃は部屋を飛び出していった。
残された二人は彼の部屋を隅々まで探ることにする。ベッド、その下、本の隙間、机の引き出し、などを消化していく。しかし、違和感あるものはなかった。それでも棗は繰り返し調べていた。内心がっかりした反面ホッとしている。
「……なぁ、奈多弓」
「……なんやねん?」
「さっき言ったよな?」
「?」
「これ“も”アカンって……」
「!」
「何かあったのか?」
棗は作業していた手を止めて、透気を見る。そしてベッドに座る。透気の隣に。
「実はな、……その……」
「なんだよ。言いづらいのか?」
「……ワイ、真乃やんに言うか言わんか迷うとる」
棗は表情を落とす。その言葉も呟くようだった。本当に重大な事だと理解してくれたようで、透気も真剣な眼差しを送る。ここだけの相談……、と呟く。
「むっちゃんは多分独りや」
「……は?」
「……だから“独り”なんや」
「…………もうちょっとわかりやすく言ってくれ」
ため息を深くついた。
「むっちゃんは両親と別居中や」
「……! なんでだよ……!」
「ワイに聞かれてもわからんよ……! ……ただ」
「……ただ?」
「お箸と茶碗は五つくらいずつあったんやけど、お箸のうち一組だけ反対向きになっとって、茶碗は裏返しになっとった」
「……つまり……どういうこと?」
「つまり、それらだけが使われてたっちゅうことや!」
透気は少し考えに耽る。頭の中で冷静に整理整頓していく。そしてある一つの事に到達した。
「じゃあ何で親の分とかもここにあるんだ?」
「…………」
「一人暮らししてんなら、自分のだけで十分だろ? わざわざ持ってくる必要は……、……?」
棗は何も言わなかった。透気と目も合わせずじっと床を見つめる。両肘を膝に付けて頭を掌で支える。いや、覆い隠す。透気はさっきのを思い返す。考えているのはわかっているが、そこまで至れない。それを見かねて、透気に言う。
「……気付かない? 自分で言ってて……!」
「…………」
「…………ぃてますよ」
「……!」
真乃が微笑みながら戻ってきた。多少気まずい空気が流れる。当の本人はもちろん理解していない。そちらの方が良かった。棗は小さく、内緒やで……? と呟いて真乃の方に向かった。
「……家に帰ってからでいいか」
透気も立ち上がった。
「で、どうだった?」
「それが、電話線が切断されていたので携帯からかけました」
「マジかよ……? 危ないのに絡んでるんじゃ……」
「大アリですね……。しかも、切断面は綺麗に揃ってましたし……」
「ってちょっと多すぎねぇか!」
「……ひぃ、ふう、……六台止まったで?」
「ふむ……こりゃあただの失踪じゃないのぉ」
部屋で管理人と一緒に待つことになった。一応成人がいた方がいいとのこと。確かに、勝手に入っていたと誤解されるよりましだ。だが、四人とも確実に無実なので心配する必要はない。問題なのはこの後。
“手紙”について聞かれたらどう説明すればいいのだろう? 少なくとも、一般の警官には知られていないはず。理解できない人間に説明するなんてたかが知れている。しかし、されたらするしかない。
彼は虜になっている。それは“良いこと”だけれど、今回はどうやら駄目。
一人の少し肉付きのいい警官がやってきた。玄関まで来た。一緒にそこから出て、外で接待をされる。
「連絡してくれた方々ですね?」
「はい。そうですが……、これは……?」
「今からこの部屋を捜索します。警部殿からでして……」
そう言うと、後から続々と同じ格好が現れる。
「わかった。わしらはここで退散しますわい」
「はい。後で少々時間をもらいますが、よろしくお願いします」
管理人が頭を下げるとそれに倣った。そして彼らに引き継いでもらい、管理人の家に戻った。彼の家は自転車屋を趣味でやっいているらしい。
その途中、いくつもの車が道を陣取っているのを見かけた。
「さすがでしたね……」
「あぁ。まさかこんなになるとは思いもしなかったぜぃ……」
とりあえず同感ということにしておく。
「でも、むっちゃん大事かなぁ? 心配やわぁ……」
「陸奥実さんは弱くはないわい。簡単にはくたばらん……!」
「随分と陸奥実を知ってるな、じいさん」
「ほっほっほ! ……ちょっと小話してもよいかの?」
管理人はみんなに三つパイプ椅子を差し出した。それぞれ座る。それにいつの間に用意したのか、お茶や和菓子も持ってきていた。もちろん、最初に飛びついたのは透気。厳重注意されたのは言うまでもない。
さて、準備は整った。
「ふむ……、実はのぉ……」
そしていよいよ話が始まった。




