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十五戒目「懐旧」

「虹にぃ!」


「どうしたんだい? またここに来て……。陸奥実君はとっくに退院してるよ?」


「そんなの知ってます。葬式の日に会いましたから」


 また瑠璃人が来た。前回も自分を迎えに来てくれた気がする。

 自分はまた病院にいた。というのも、自分の知り合いが勤めているところなので、その挨拶ついでに仕事だ。

 あの殺人事件は未だに解明の糸口すら見せない。聞き込みのプロフェッショナルと自負している自分でさえもわからなかった。このままでは未解決のまま左遷される可能性もなきにしもあらずだった。


「虹にぃ、顔色悪いです。大丈夫ですか?」


「あっ、あぁ。ちょっと寝不足なだけだよ。心配しないで……」


 弟に心配されるほど顔に出ていたようだ。しっかりしなくては。

 とりあえず、まずは挨拶でもしに行こう。


「それじゃ、行こうか」


「はい!」


 いつもの軽めの服装は涼しいこの空間にピッタリだ。きちんとした警官のような制服では外に出た瞬間に干からびてしまうし、何より視線が痛い。Yシャツの袖を捲って見える腕から体温が抜けていく。それを防ぐために袖をある程度直した。

 そうしていると、いきなり後ろから声をかけられた。女性のようだ。振り返ってみる。


「こんにちは」


 その人は軽く会釈をした。自分もそれに応える。

 彼女は容姿端麗だった。緩いラインを描く顔は端正で、背中を超える長さの金色、瞳がエメラルドに揺らぐ。その時、柔らかく微笑んでくれた。


「あ、あはははは……」


 それに合わせて笑うしかなかった。


「虹にぃ、鼻の下伸びてますよ」


「えっ……?」


 きっととんでもない程の情けない顔だったのだろう。一体自分は何をしているんだ!

 瑠璃人の首根っこを掴み、逃げるように走り去った。いや、歩き去った。……恥ずかしい。


「? お大事に」






「はぁ……」


 我ながら、本当に情けなかった。ああいう時にこそ“大人の振る舞い”というものをしなければいけないのに。

 でも、あれほど魅力的な人と会うのは初めてかもしれない。これはいわゆる一目惚れなのか……?


「新戸 虹、二十六歳、未だに独身」


「瑠璃、言っていいことといけないことがあるんだよ。地獄車やってあげようか?」


 瑠璃人は時々、痛いところを突く。そこらへんは兄として厳しくしなければならない点だ。案の定、大人しくなってくれた。

 それにしても広すぎる。ずっと歩き回っているのに一向にたどり着けない。まるで迷路だ。


「虹にぃ、お腹空きました……」


「えっ? あっあぁ、もうこんな時間なのか……」


 銀色の腕時計は十一と七をそれぞれ指していた。もう三十分近く歩きっぱなしだ。しかし、出口さえもわからない。近くの案内板を確認するが、覚えるのはちょっと難しい。

 それとにらめっこすること数分後、ある程度覚えられた。


「瑠璃、自分はこれから友人に会いに行く。多分そこでお昼を取ると思うんだけど、瑠璃はどうする?」


「えっ……? うーん……」


 正直な話、来てほしくはない。仕事関連で瑠璃人を巻き込みたくないから。

 瑠璃人はちょっと考えた後、自分の手を握った。


「僕も行きます。虹にぃは気が進まないでしょうけど」


「……いや、大丈夫だよ。でも、絶対に誰にも話しちゃダメだからね。」


「はい!」


 そして一緒に歩いていった。






 そこは普通の病室や診察室とは違っていた。とてもシンプルで、医療機具などほとんどない。まるでそこらへんの部屋にベッドと点滴を置いただけのようだ。床は淡い青の正方形のマスが敷き詰められている。

 そんな似合わない部屋を開けた時は何かの間違いかとも思ったが、一人の白衣が小さく丸いテーブルに寝そべっているのを見て、訂正した。

 その人は僕らに気づいた。


「よく来てくれたな、虹。久しぶりだ」


「あぁ、何ヶ月ぶりだろうね、てつ


 虹にぃは友達との再会を果たした。少し長い黒髪を後ろで縛り上げている。スポーツマンのように焼けていて、顔つきもそれだった。それに少し背も高い。医者とは思えなかった。

 徹さんは僕のことを笑いながら見下ろすと、頭をわしゃわしゃしてくる。ここは虹にぃ専用だ。


「瑠璃人君も久しぶり」


「徹さんとは一週間くらい前に会ったと思います」


「……そうだったかな?」


 虹にぃの友達はどことなく同じ雰囲気を漂わせていた。まさしく、類は友を呼ぶ。

 徹さんは僕たちを座らせると、昼食を差し出してくれた。と言ってもコンビニ弁当だけど文句は言わない。割り箸を割って中身を食べていく。

 徹さんは丁度、三角形になるように座った。


「やっぱり、二人は似ているね」


「? どこが?」


「ほとんど」


 徹さんは以前から僕たちは似ていると話している。兄弟だから似ているかもしれないけど、なぜかそれだけが素直に受け入れられなかった。

 しばらくして、やっと食べ終えた。意外に量が多かった。

 ふとして時間が気になる。部屋に時計が付いていなく、仕方なく虹にぃのを見せてもらう。一時弱……くらい。


「じゃあ早速話を伺おうか。例の話を……」


「ちょっと待ってくれ。瑠璃人君もいるが、それでもいいのか?」


 虹にぃは僕の方を見て微笑んだ。


「構わない。自分が責任を持つ。なぁに、瑠璃は人に言い触らすようなやつじゃないよ」


「……それなら、虹を信じよう」


 徹さんは椅子を下げながら立ち上がる。そして、奥のベッドから何かを持ってきた。それは何個かのファイルと書類のようだ。流石にそれらは見せてくれない。

 でも、それがいかに重要で恐ろしいのかは容易に想像できた。あの虹にぃが手を進めるにつれて、表情を強張らせていたからだ。


「……徹、これは本当なのか……?」


「……わからない。だが本当ならば、今後の行動は慎重になった方がいい」


 一体どういうことだろう? “慎重”にって……。そうしないと命に関わる程なのだろうか……。

 僕がここに居る理由は全くない。だが、虹にぃの命に関わる事ならば話は別だ。いや、たった今別になった。

 そしてそれから時間が進むと、ふとして虹にぃの手が止まった。


「……? なんだこれは……?」


 その驚きぶりを見た徹さんは虹にぃの後ろに回った。僕も行きたかったが、彼らは許してくれなさそうなのでやめた。僕だけ蚊帳の外は寂しかった。


「あぁ、これは今月中旬から下旬にかけての搬送してきた人、及び死亡した人のリストだよ。勿論、共通した……ね」


「……」


 その量はあまりに膨大で紙を擦る音が二、三回以上聞こえた。

 僕は今、中身を見れない状況にある。唯一できることは会話を理解することだった。


「……これはつまり、さっきのと関係がある……ということだね?」


「……そうだよ。この方たちは全てあれと関係がある、かもしれない。実在していればね」


「実に難解だね。これでは犯人の見つけようがないよ……」


 二人とも頭を抱え込んでしまった。その隙に悟られないようにファイルなどに手を伸ばすが、虹にぃに一睨みされてしまった。やっぱり駄目か……。

 ならば考えるしかない。さっきの会話を整理してみよう。

 ファイルに載っている人たちは少なからず、怪我や病気になったはずだ。そしてそれに関係があるという“あれ”。それは現実的に存在するのか怪しく、あったとしても逮捕されにくい。そんなものが果たして、あるのだろうか?

 しかし、解ったこともないわけではない。


「虹にぃ……」


「? どうした?」


「陸奥実君の名前もありますか?」


「…………」


 後に続けなかった。虹にぃはさらに俯く。徹さんは肩に手を乗せていた。その反応から簡単に読み取れる。

 それならば話は早い。


「虹にぃ、車のトランクに折りたたみ自転車、ありますよね?」


「瑠璃、何をする気だい?」


 虹にぃのポケットから巧く車のスペアキーを抜き取る。


「今から陸奥実君に会いに行って、確認してきます」


「……!」


 虹にぃと徹さんは度肝を抜かれた表情を見せた。その直後、それは呆れ返ってしまった。

 虹にぃは僕の前に立ちはだかり、膝を落として目線を合わせた。


「いいかい、瑠璃人? いくら自分の弟だからって勝手な事はしちゃ駄目だ。下手をすれば人生を台無しにしてしまうんだよ」


「……ですが、虹にぃはいつも身を投げ出すことだってあるじゃないですか」


「それは、仕事だからだよ。瑠璃人も高校生だからわかるだろう? 刑事というのはこういう仕事なんだ。だから……」


「関係ありません。僕は行きます」


 僕は虹にぃを振り解き、部屋を飛び出した。ドアが閉まる音が耳に残ったのは、なぜか不思議だった。






「流さん! それでは!」


「陸奥実! 次こそは勝ってやるから覚悟しろよぉ!」


「ほな、またなぁ〜!」


 太陽が少し低くなり、暑さが失せていく。それでも強い日差しと残暑が汗を流させていた。だが、爽快で気持ちがいい。

 八月三十一日。つまり夏休み最後の日。明日から学校かと思うと、気が重くて仕方がなかった。それに加えて、確実に迫ってくる“期限”。その重圧が肩にのしかかる。唯一の助け舟である美浦さんとは最近連絡がつかなかった。

 今日は普通に野球をして遊んだ。そして特に違和感なく過ごせてよかった。いや、それなら“ここ最近”と訂正しよう。

 俺のマンションの前で解散した俺はすぐさま、帰る。庭を通り過ぎ、鉄板を貼り付けた階段を淡々と駆け上る。そして、二階に着いて……。


「…………」


 二階に着いて……。


「……」


 巧く避けて奥へと進んだ。


「待ってくださいよ! どうして無視するのですか!」


「……じゃあなぜ、お前が仁王立ちして、進路を妨げていたのかを教えてくれれば教えてやる」


 まさか、本当にストーカーになったんじゃないだろうな……? こいつなら有り得る事だ。

 とりあえず、落ち着きを取り戻した後に家の鍵を開けた。瑠璃人は口を横にしてじっと見ていた。。


「……ご相談です」


「……は?」


「だから、ご相談です。……駄目ですか?」


 黒い髪をなびかせ、眼鏡を中指で上げた。

 相談の為にここまでするのか?


「……とりあえず、入るか?」


「はい、どうぞ」


 瑠璃人がなぜか先に入って手招きしていた。それは俺の台詞だ!

 丁寧に靴を並べ、居間にへと入る。瑠璃人には適当に座らせた。そして悟られないように時計を見ると、五時十八分を回っていた。意外に経っている。


「意外に綺麗にしてるじゃないですか」


「……うるさいな……。そんなことはどうでもいいだろう? それで、相談って何だ?」


「……それは、大したことではないんですが……」


「?」


 とても言いづらそうに俯く。その表情から暗黙の了解を破ってしまうかもしれない、と読み取れた。それほどに重要なことなのか?

 何はともあれ、一応友達のご相談だ。耳を傾かせずにはいられない。

 とりあえず、お茶をお出しした。


「ありがとうございます……」


「さっきまでの態度は謝る。だが、何かあったのか?」


「……ちょっと待ってください……。頭を整理しますので……」


 やはり様子がおかしい。いつもの減らず口が出てきていない。

 俺は向かい合うように座り、瑠璃人の気が済むまで待った。


「……」


「…………」


「…………」


 時折、お茶をすすり味を楽しむ。一瞬クーラーを点け忘れたと思うが、今はそんなに暑くはなくむしろ、爽やかな風が入り込み、涼しかった。

 時計の針が機械的に響く。


「……実は……」


「……!」


 瑠璃人はいきなり話し出した。漸く話す気になれたか。

 静かに耳を澄ました。


「命を……狙われています」


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