弓矢
寒村の村長が処刑される事になった。
寒村にいるダラスの弟は村長の『助命嘆願』をしてもらおうとダラスに手紙を書いた。
「総大将なら国王にも顔が利くだろう」と。
村長はダラスにとっても父親のような存在だ。
身寄りの無いダラスと弟を育てあげたのも、兄弟に剣や弓を教え込んだのも村長だ。
『ダラス兄ちゃんも知っての通り、村長は処刑されるような人間じゃない。処刑はきっと何かの間違いだ。兄ちゃんからも国王様に村長の処刑を中止するように呼び掛けて欲しい』と。
この時ダラスが動かなかったのは『ベガスの手紙が漠然としていて具体的じゃないから』だ。
ベガスは「手紙に王族の事をかくべきではない。下手したら自分はともかく、兄が『機密漏洩』で処刑されるかも知れない」と敢えて細かい事は書かなかったのだ。
それが災いして、ダラスには物事の重大性が伝わっていない。
だからダラスは動かなかった。
ダラスが動かないならベガスが動くしかない。
『ベガス』とは弟の名前だ。
ベガスはそこで『シルバーウルフをお前が狩るなら、村長の処刑は行わない』と死刑執行人に言われる。
「何故だ?」とベガスは思うが、その答えは死刑執行人にはわからない。
死刑執行人はハッサンに『村長の助命嘆願に訪れた者にそう言え』と言われているに過ぎず、その意図は理解していなかった。
シルバーウルフは寒村の『守り神』と言われている。
狩猟の対象にするなんてとんでもない。
しかしベガスにとって村長は親同然、いや、行き倒れて死寸前だった兄弟に愛情を注ぎ、生きる術を教えてくれた村長には親以上の恩がある。
シルバーウルフをとるか、村長をとるか・・・。
ベガスは悩んだ末に、村長を選んだ。
「俺がシルバーウルフ様を狩ります。だから村長の処刑は取り止めて下さい」と。
森にベガスは潜む。
普段であれば、危険な肉食獣狩りは一人では行わない。
だが、相手は『シルバーウルフ』なのだ。
シルバーウルフは鼻が良いし、耳が良い。
しかしそれらは『・・・という話だ』という伝聞だ。
過去の記録に『眉間に傷のあるシルバーウルフを森の中で見た』という記述を最後に現在の村にシルバーウルフを見た事がある人物はいない。
畑の周りに大きな狼の足跡が残っていて、銀色の毛が落ちている事が頻繁にあったから「きっとここにシルバーウルフ様が来たんだ!」と。
大勢の人間の気配が近付いたら、更に森の深くに潜んでしまって狩るのは難しくなるだろう。
過去に何度か、密猟者達がシルバーウルフを狩ろうと森に入って行ったという記録が残っている。
森をくまなく捜索したにも関わらず、密猟者達はシルバーウルフを見つける事が出来なかった。
その時の経験から『シルバーウルフ様は大勢で狩ろうとしても余計に警戒して他所に行ってしまう。
だが、一人で森に入ると逃げずにシルバーウルフ様から近付いてきた。
もし、シルバーウルフ様を狩る気があるなら、単独で行動すべきだ』という『冗談』が村人の間で広まった。
何が『冗談』なのか?
この話を村の年寄りに聞かせてみて欲しい。
年寄りは真っ赤になって怒鳴るだろう。
「村の守り神『シルバーウルフ』様を狩る、などと畏れ知らずな事を言いおって!」と。
これは年寄りをわざと怒らせるために、村の若い衆が言う事なのだ。
それぐらい現実味がない。
実際に『シルバーウルフ様を狩る』などと考える人物は村にはいない。
しかしベガスはシルバーウルフを狩るために森に入った。
ベガスは優秀な狩人だ。
兄のダラスには剣の才能があった。
弟のベガスには弓の才能があった。
ベガスは天性の『千里眼』というスキルを持っていた。
つまり遥か遠くの獲物も見ることが出来る。
シルバーウルフは狼であるのに群を作らないらしい。
どうやって繁殖しているかすら謎だ。
数百年前の賢者の研究資料によると『子供の頃に見たシルバーウルフ様の眉間には傷があった。数百年生きた儂は人生の終わりにシルバーウルフ様を見た。何とそのシルバーウルフの眉間には傷があり、儂が子供の頃に見たシルバーウルフ様と同じ個体であった可能性が高い』と。
賢者が『数百年生きた』という話が既に眉唾モノだ。
しかし話半分だとしてもシルバーウルフの寿命がとんでもなく長いという話は本当かもしれない。
ベガスはシルバーウルフを千里眼で探す。
そう簡単に見つかるはずがない。
そこかしこにいる狼が『神獣』なんて言われる訳がない。
「やはり巧妙に隠れているのか」とベガス。
だとしたら『何もいない場所』が怪しい。
こんな森深くに何の動物の気配がない場所があるのもおかしい。
ベガスは狩猟の師匠である村長から『違和感を探れ。狩りは獲物との知恵比べだ』と言われている。
ベガスは師匠の教えに従って、小鳥すら一匹もいないところを目指した。
「森にこんな場所があったなんて・・・」
森の奥に入って行くと、そこには小高い丘があった。
丘というんだろうか?
丘はどうも土を盛って作った古墳のようなモノだ。
丘の麓には入り口というんだろうか、洞窟が口を開けている。
洞窟は地下に続いている。
入り口は人間が横に並んで入っていけるほどのそこそこの大きさではあるが、森の茂みに隠されていて『そこに入り口がある』とは中々気付かない。
この洞窟の中にシルバーウルフがいるんだろうか?
洞窟の中は真っ暗だ。
松明も無しで無計画に入ってはいけない。
ベガスは洞窟の外でシルバーウルフを待ち構えた。
不思議と『ここにシルバーウルフがいる』という確信があった。
理由は『コウモリ』だ。
普通、洞窟の天井にはビッシリと『コウモリ』や『コウモリ型のモンスター』が張り付いている。
なのにこの洞窟の周辺から生物の気配を全く感じないのは不自然だ。
コウモリ達は『中に住んでいる何か』を怖れて洞窟に寄り付かないのだろう。
その確信通り、シルバーウルフが洞窟の周辺に現れた。
それがシルバーウルフであるかどうかは知らない。
何故ならベガスはそれまでの人生でシルバーウルフを見た事がなかったからだ。
『銀色の狼』だから「シルバーウルフじゃないか?」と思ったという程度の認識だ。
狼が一瞬、こちらを見たような気がした。
そんなはずはない。
『千里眼』のスキルがあるからこそ、ベガスは狼を認識出来た。
狼の方から自分が見えている訳がない。
伝聞ではあるが、シルバーウルフは耳と鼻が凄く良いらしいが、目が良いという話は聞いた事がない。
目よりも先に耳や鼻でこちらを認識するならわかる。
でも、よりにもよって『こちらを見て気付いた』なんて事が有り得るのか?
シルバーウルフは伝説上の生き物じゃない。
人語を解し『困った人間に協力的だった』と村のさほど古くない記録にも残されている。
比較的信頼性が高い情報が残っているのだ。
シルバーウルフがこちらに気が付いたなら勝算はかなり減ってしまう。
伝聞ではシルバーウルフの運動能力はかなり高い。
闇討ちして勝算が少しはある程度で、正面から勝負を挑んで単体の人間が勝てるはずがない。
ベガスは弓矢をつがえた。
狙うはシルバーウルフの眉間。
腕利きの射手が射貫ける的より5倍以上の距離がある。
向かい風も強い。
しかしベガスは思う。
「この程度の距離ならば目を閉じていても命中する」と。
ベガスは矢を放つ。
矢はシルバーウルフとは違った明後日の方向に飛んでいく・・・かに見えた。
強風に煽られた矢は飛んで行く方向を大きく変える。
終いにはちゃんとシルバーウルフの眉間に向かって矢は飛んで行くのだった。