山を越える。
冬山の最終日となった朝、起きたら今日も彼女は居なかった、毛布を畳み、自分の身支度を済ませる、焚き火の火を強め、一昨日香辛料を使い防腐処理を施したウサギ肉をスープにしていく、調味料は塩を少ししか使わない、朝飯というのもあるが一日香辛料と寝かした肉は風味が移っているからだ、完成間近になると彼女は現れた。
「おはよう、もう出来てるのね…すごい手際だわ。」
「ああ、おはよう、今日中には街に着いときたいからな、繁忙期では無いから大丈夫だと思うが、安くていい宿は埋まるのも早いからな、急ぐ必要はないが時短をできるならそれに越したことは無いだろう。」
「宿…泊まったこと無いわ、楽しみね。」
「ハハハ、あんまり期待されると困るな、旅の宿なんてたかが知れてる、良いところをなんとか見つけて他を誤魔化す物だ」
「いいえ、それでいいわ、それが楽しみよ。」
「…そうかい、なら急いで向かうか。」
彼女にスープの入った器を手渡すと彼女はスープの香りを嗅ぎ、雪だらけの景色を見回して、その後目的地の方角を優しげな顔で見つめていた。
未だに慣れなかった、そんな表情の横顔を見ただけでまた鼓動が速くなる、なんと言うか、愛おしさやらなんやらが湧き出て、一流の職人が作った銀細工を見る時の様に彼女から目が離せなずにいた。
「ウサギの味が変わってるわ。」
「…あ、ああ、熟成されたんだろう、日を開ける事で肉の味と食感が変わるんだ、それに香辛料もまぶしてたからな、風味も最初と違うだろうな。」
「本当ね、食感も柔らかくなってるわ。」
「大抵の肉は時間を空けると、元より美味く柔らかくなるんだ、だがこれは夏には出来ない、冬だけの特権なんだ。」
「……解ったわ、夏だと腐るのね。」
「そういうことだ、後、夏はカビも怖いな、冬でも生えなくは無いが水気を拭き取っていれば問題はない。」
「なるほど、冬の特権…素晴らしいわ。」
「寒くて何もかも嫌になる冬だからな、こういう楽しみの一つでも無いと楽しくないさ。」
「……今日も美味しかったわ、ごちそうさま。」
「どういたしまして。」
食器を片付け、準備を終えると歩き出す。
「そういえばさっきの熟成の話なんだがな。」
「ええ、日を開けると美味しくなるのよね。」
「俺もこれは聞いた話だから本当かは分からんのだが、なんでも北方のある国では、一ヶ月も香辛料と一緒に熟成させた肉を食べるらしい。」
「一ヶ月も!?…それは、腐らないのかしら。」
「北方はここよりも寒いだろうからな、それにきっと香辛料もふんだんに使うんだろう、おそらく高級品だな。」
「すごいわ、どれだけ美味しくなってるのかしら…食べてみたいわね。」
「確かにいいな、いずれ北方の国へ行ったらその美味さを確かめに行こう。」
「ええ、そうしましょう。」
こうして旅の目標が一つ増えた、いざ食べる時には今日のウサギ肉を思い出しているだろうか、まだ先の北方の国でも会話と食事を今日みたいに楽しんでてほしいと思いながら、俺は進んだ。
予定通り昼過ぎには山を無事抜けた、ひと段落つき、休憩をとる時、俺は背後の山を見納めと思い眺めていた。
思えば人生で一番濃い数日間だった、追われ、逃げて、出会い、終わり、始まり……山に入る前と今では何かが大分変わったような気がする、それは性格のような、感情のような、振る舞いのような、景色のような…あるいはそれ全部なのかもしれない。
でも変わったと思う理由だけは明確に解っている、彼女と出会い、二人旅を始め、彼女と話し、彼女と歩き、変わったのだ、それだけ分かっていれば、それでいいかと思う、俺を変えた旅の連れを俺は信頼してるから。
「よし、行くか、もうすぐ見えてくるぞ」
「そうなのね、どんな景色かしら、早く見たいわ。」
もう港町まではあと少し、今日は見て回れないが、明日には賑やかなその街並みに目を回す思いだろう、それでも楽しみだ、二人旅で初めての街、きっと新鮮な何かを感じれるだろう、目に映る次の目的地へ俺たちは歩くのだった。
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