名奉行・遠山の金さん、桜吹雪のイレズミは本当か?
遠山の金さん、といえばクライマックスのあの名シーンが思い浮かぶと思う。
奉行の遠山景元が、遊び人の金さんに扮して事件にクビをつっこみ、単独潜入捜査。悪人たちの前で事件の真相を暴いて、逆上した悪人どもと大立ち回り。このとき片肌脱いで桜吹雪の刺青を披露する。
のちに奉行所のお白洲に被害者と悪人など、関係者全員が集められる。しかし、悪人達はしらを切り、被害者は事件の証人として遊び人の金さんを呼ぶように奉行所に頼む。
「おうおうおう! だまって聞いてりゃ寝ぼけたこといいやがって! この背中の桜吹雪が目に入らぬか!」
白洲の上座から長袴の裾をひき、肩肌ぬいで見栄をきる。すると悪人たちも蒼白となって「へへぇ~~~」と恐れ入って観念する……
悪人達は市中引き回しの上獄門、または遠島の処分。武士だと切腹などとなる。そして遠山景元は被害者たちに優しく声をかける――
と、これがテレビドラマの定番のエピソードだ。
さて、これは本当にあった話であろうか?
遠山の金さんの本当の名前は町奉行の遠山景元だ。
この人は実在の人物で江戸時代後期の寛政5(1793)年生まれ。複雑な家庭事情のため、一時期家を出て、放蕩生活をしたらしい。
のちに江戸幕府の小納戸役から、小普請奉行、作事奉行、勘定奉行、北町奉行へとトントン拍子に出世していった……
少年時代にグレたことはあるが、やはり優秀な人物であったようだ。
北町奉行時代の天保12(1841)年に天保の改革がはじまり、老中・水野忠邦と目付・鳥居耀蔵らは町人たちに贅沢禁止を命令する。しかし、町人たちの生活を脅かす天保の改革に北町奉行の遠山景元は反対。水野・鳥居らと対立することになる。
水野・鳥居は寄席、浄瑠璃、芝居を全面廃止させたいが、遠山は待ったをかけて、縮小や移転にとどめた。芸人の失業者や庶民のささやかな娯楽が消えるのを食い止めた。
芝居小屋の人々は感謝して、遠山景元をモデルにした『遠山の金さん』の芝居をさかんに上演する。正義の遠山の金さん対悪の水野・鳥居の構図はこうして生まれた。
これがテレビドラマの遠山の金さんの原点である。
さて、実在人物の遠山景元は芝居やドラマのように本当に桜吹雪の刺青をしていたのだろうか?
講談の遠山景元は両の二の腕から背中にかけて桜吹雪となっている。また、右腕に昇り龍、左腕に下り龍、背中に桜吹雪を彫ってあったともいう。
なので、役人となってからは夏の暑い日でも衣服を人前でくつろぐことはしなかった、とある。
桜吹雪のほかにもこんな説がある。「右腕のみ桜吹雪」、「桜の花びら一枚のみ」という大人しいものから、「背中に女の生首」なんておどろおどろしい説がある。また、事実無根、刺青なんてしてなかったという説もある。
遠山景元の伝聞によると、奉行時代にしきりに袖を気にして、袖がめくれるとすぐ下ろしたという。これは若い頃の放蕩時代に侠客と親しくなり、若気の至りで刺青をしたらしい……そうだ。
しかし、人からの伝え聞きゆえ、証拠にはならない――
ともかく、遠山景元は大岡越前とならぶ名奉行として、そのユニークなキャラクターはフィクションの世界で有名になった。




