七人の水戸黄門
水戸黄門は実は七人いたと聞いたら、あなたはどう思われますか?
戦国時代には自分に似た人物を影武者として用意し、敵の目をあざむいたそうですが、もしかして時代劇ドラマで有名な水戸光圀にも影武者がいたのでしょうか?
影武者といえば、平安時代の平将門には六人の影武者がいて、「七人将門」と呼ばれました。
また、大阪夏の陣では真田信繁(幸村)が、真田十勇士の根津甚八、穴山小助らを影武者に仕立て、西軍を引っ掻き回したと伝えられています。
黒澤明監督の映画「影武者」では、武田信玄が自分にそっくりな盗人を影武者に仕立てた物語です。
隆慶一郎氏の小説「影武者 徳川家康」は、関ヶ原で本物の家康が暗殺され、影武者の世良田二郎三郎元信が本物として入れ替わるお話です。
水戸黄門に影武者がいたとしたら、どんなドラマが展開したでしょう?
実は……影武者がいた、というわけではありません。
時代劇ドラマで有名な「水戸黄門」は、江戸時代の権中納言、水戸藩主の徳川光圀の通称です。
「水戸」は水戸藩のこと、「黄門」は徳川光圀が権中納言という官職についていたので、それを唐名で「黄門」と洒落ていったのです。
ちなみに「黄門」とは、中国・秦の時代の「黄門侍郎」からきています。
黄門が官職であった、ということは他にも中納言=黄門はいるということです。
水戸・徳川家は徳川家康の十一男で、初代水戸藩主の徳川頼房から幕末の昭武まで十一人の藩主がいました。
その十一人中、七人が権中納言になりました。この官職は世襲制であったので、本来は十一人の水戸黄門が誕生するはずでした。
しかし、権中納言に就任するまえに亡くなるなどの事情があり、四名が世襲できなかったのです……




