第49話 1人では届かない
包帯で固めた右手を胸の前に寄せて、左手だけで第16層の通路を歩く。
『手、大丈夫?』
『包帯ごっつ』
『まだ握れないの?』
『今日も澪さんいない?』
「今日は、第20層の中間ボスの広間を見に行くだけです。戦いません」
ノートの『第20層 中間ボス』の下に書いた日付が、今日だ。見るだけなら、手が1本でも足りる。
始めた時点の同時接続数は38,000。天野さんのことを訊くコメントには答えなかった。答えられることはまだ1つもない。
『見るだけって言って戦うやつ』
『兄の「見るだけ」は信用してない』
「本当に見るだけです。今日は泥団子も投げられないので」
そのくせ鞄には、泥団子を5つ入れてきている。
◇
前の角の手前で首筋がぞわっとして、《気配察知》が働いた。
角の先から、何かが弾けるような音と人の声が聞こえる。
角から顔だけ出してのぞくと、通路の先で3人組が配信をしていた。
先頭は金髪の男で、顔の横にドローンが浮いている。雷堂誠だ。陽菜を助けに行った日、ダンジョンの入口で、カメラに向かって俺を土Fと笑った男だ。
後ろに、揃いの防具を着た若いのが2人ついている。
3人の足元には、壁際から通路の半ばまで、湿った黒い土が帯になって出ていた。土の上で何かが起きると、俺はつい見てしまう。
通路の奥から、丸太のような棍棒を提げたオーガの2体連れが来た。
若手の2人が構えるより先に、雷堂が飛び出していた。
体じゅうで青白い雷が弾けて、踏み切った足元の黒い土に火花が散った。そう見えたときには、もう1体目のオーガの懐にいる。
拳が喉に入って、オーガは膝から崩れた。
1歩で通路の半分を詰めている。ドローンのほうが、追いつけずに遅れて回りこんだ。
速さは本物だ。
オーガは俺が2週間前に、壁を使ってやっと倒した相手でもある。腹は立つが、そこは認めるしかない。
若手の2人は、残りの1体に手こずっていた。棍棒を受けるたびに、2人そろって後ろへ下がる。
雷堂がその2人の背中に言った。
「遅いって。それ映んないよ」
雷堂は振り向きざまにもう一度飛んで、2体目も片づけた。若手の2人は、構えたまま肩で息をしている。
『土F笑ってた雷堂じゃん』
『はっっや』
『今の見えた人いる?』
『若手が置いてかれてる』
ここで出ていけば、相手の配信に映る。
引き返そうとしたところで、雷堂がこっちに気づいた。
雷堂は口を開く前に、ドローンのレンズへ顔を向けて、あごの角度を2回直した。
第2層の行き止まりで泥団子を作る俺より、よほど手順がしっかりしている。
「お、みんな見て。土Fいるわ。先週バズった、崩落の人」
「相方を岩の下に閉じ込めて、自分で掘り出した人ね。……あれ、今日は相方いないじゃん。誰埋めに来たの」
若手の1人が遠慮がちに笑った。
雷堂はスマホに目を落として、口の端を上げる。
「で、今何人見てんの。……おー、来てる来てる。土Fってやっぱ数字持ってんね」
俺が映ってから、雷堂の配信の同時接続数が増えたらしい。
「てかさ、土魔法って崩すか埋めるかしかできないっしょ。前で戦う魔法じゃないって。後ろで土こねてればいいのよ」
『は?』
『掘り出したのも土魔法だろ』
『兄、相手すんな』
俺のことなら、何と言われても黙っていられる。陽菜を助けに行った日も、黙って引き下がった。
でも土魔法のことは別で、黙っていられなかった。
「違う。今の1歩目、見てた」
左手で、雷堂の足元の黒い土を指していた。
ドローンのレンズが、雷堂の顔から俺の指へ下りてくる。
「あんたの1歩目は、あの湿った土の上だった。土が水を含んでるから、足から出た雷が吸われて床に散ってた。膝より下で、火花が3本」
「2歩目からは1本も散ってない。帯の横の乾いた岩から踏み切れば、1歩ぶん速い。あんたの雷なら、まだ速くなる」
『早口』
『敬語消えた』
『兄がキレた』
『キレてこれ?』
雷堂が一度だけ、自分の足元を見た。
靴は黒い土の上に乗ったままだ。
すぐに、雷堂はレンズへ顔を戻した。
「……で、Fの言うこと聞いて何になんの。映んないとこの話っしょ、それ」
雷堂は若手の2人に顎で合図して、通路の奥へ歩いていった。
途中で一度だけ振り返ったが、こっちでなくドローンのほうを見ていた。
『教えてて草』
『敵に塩送ってる』
『キレても講義なの土F兄だけ』
『早口の兄、レアすぎる』
『雷堂より兄のほうが雷に詳しい』
「……言い返すつもりだったんですけどね」
『才能の無駄づかい』
『それで雷堂が速くなったら笑う』
敬語の抜けた早口なんて、自分の口から出るとは思っていなかった。
あんなに口が回るなら、研究所の発表のときにも回ってほしい。
さっきまで熱かった顔が、通路の冷たい空気でようやく冷えてきた。
包帯の右手を抱え直して、第17層への階段へ向かった。
◇
第17層では、触るなと天野さんの風が教えてくれた岩が、くぼみの前で今も天井を支えていた。第19層では、座りこんだトロールを《気配察知》で先に知り、今日は戦わないと決めてきたので、脇道へ避けた。
◇
第20層の、中間ボスがいる広間の入口に、俺は1人で立っている。中には入らない。
俺の靴の先に、灰色の岩の欠片が1つ転がっていた。
広間の奥には、岩の小山がうずくまっている。同じ欠片が、あの小山の足元から、俺の靴の先へ向かって扇のように開いて散っていた。
「あれが第20層の中間ボスの、ロックゴーレムです。協会の資料で、名前だけ見ました」
入口の脇の壁には、俺の頭より高い所に、同じ灰色の欠片が1つめり込んでいた。
あれが頭に当たれば、ヘルメットごと頭が割れる。
『でっか』
『岩の山にしか見えん』
『入口まで石来てるじゃん』
『兄、そこ近くない?』
しゃがんで、靴の先の欠片を左手で押さえた。
欠片の中の割れ目がどの向きに走っているかを見るために、指先から土を流しこむ。粉は割れ目に沿って、斜めに一筋流れていった。
欠片は灰色で、粉の流れたとおり、しまも斜めに走っている。
手をついている床の岩は白っぽく、しまは横に寝ていた。
「床の岩じゃないです」
同じ所に立ったまま投げたなら、欠片はこうは広がらない。
「あいつの体の岩です。歩きながら自分の体を剥がして、投げてくる。それが、ここまで届く」
『体投げてくるの!?』
『自分ちぎって投げるボス』
『ここ射程内ってこと?』
協会の資料では、ランクはBになっていた。
「あいつを倒せば、Bに上がれます。陽菜と同じランクです」
ランクより欲しいのは、あいつの後ろにある下層への階段だ。
『妹に並ぶ』
『兄B来る?』
『泥団子でいける?』
欠片は、広間の奥から入口まで、30メートルほどにわたって散っている。それが、あいつの投げる岩の届く距離だ。あいつはそのいちばん奥にいて、近づくあいだに、この欠片が何発も飛んでくる。
俺の土魔法は手をついた所から5メートルほど、泥団子も《引力》で7メートルほどしか届かない。どちらも、30メートルの4分の1に満たない。
「1人じゃ、届かない」
コメントの流れが、そこで遅くなった。
『それはそう』
『Bだもんな』
『じゃあどうすんの』
入口の脇の壁際に、土の溜まった浅いへこみがある。その土を研究所の瓶2本に詰め、最後に自分の瓶にも同じ土を詰めた。棚に並べる中層の瓶では、これがいちばん深い1本になる。
瓶の口からこぼれた土を、指でほぐしてみる。第17層の土より粒が細かく、ひやりと冷たい。
あいつの後ろの階段を下りた先の土は、どんな手ざわりなのか。
自分の瓶のふたを回す手が、そこで止まった。
黙っているあいだに、コメントがまた流れ始めた。
『元相方の澪さんいればな』
『元相方って言うな』
『まだ相方だろ』
『代表のとこの配信で釣りしてたよ』
この配信は天野さんも見ている。閉じ込められた日の朝、本人が「先週の配信、見てました」と言っていた。俺の目は『元相方』の字で止まった。
昨日の夜に見た代表のパーティの配信で、天野さんは画面の中で一度だけ手のひらを上げかけて、下ろしていた。
瓶をしまって、ノートを開いた。見出しに『天野さん 風魔法C』と書いた、天野さんのことのページだ。
いちばん上に、天野さんと潜り始めたころに書いた『風で、遠くまで運べる?』の行がある。運ぶのは、俺の泥団子だ。
天野さんの風は6メートルほどしか届かないから、遠くへ運ぶなら、天野さんが泥団子の飛んでいく先の近く、今より敵のそばに立つことになる。だから俺は、風で泥団子を運ぶやり方を試さず、天野さんにも黙ってきた。
家で天野さんに、私とはどこに立つかの話しかしないのに、と言われた日も、俺は話を土にすり替えた。
風で泥団子を遠くへ運ぶ話を、天野さんにする。
入口の脇の壁にもたれて、スマホを左手で持った。左の親指では1文字ずつしか打てず、短い文を打つのに1分かかった。
天野さんの風のことで、話したいことがあります。会えませんか。
送った途端に既読が付いた。
『兄、黙った』
『スマホ見てる?』
『何かあった?』
俺は画面から目を離さずに待った。広間の奥で、ロックゴーレムはうずくまったまま立たない。
既読は付いている。
返事は来ない。
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知識で先回りして元の職場を見返す話がお好きなら、同じ作者名のページから『俺のスマホのAIだけ、ダンジョンの答えを全部知っている〜クビにされた配信の裏方、元職場が狙うボスを先に倒してバズる〜』も読めます。
次回から「正面」が始まります。




