じいちゃんの古い家
二年という時間は、思っていたよりも早く過ぎていった。
僕は、少しずつこの家で過ごす夜に慣れていった。
星が来る夜には、ランプを準備する。
玄関を開けて、軒先に掛ける。
最初の頃は、それだけでも緊張していた。
何を話せばいいのか。
相手が何を考えているのか。
変なことを言ったらどうしよう。
「何を探してるの?」
最初の頃なら、そんな簡単な言葉すら出てこなかった。
けれど、何度も夜を過ごすうちに、少しずつ変わっていった。
「……これかな?」
僕が台の上に現れたものを指差す。
星がそれを見つめる。
「そう、それだ。」
そんなやり取りを、何度も繰り返した。
時には、祖父より先に星の気配に気がつくこともあった。
「じいちゃん、今夜来るよ。」
「そうか。」
それだけで通じる。
いつの間にか、僕たちはそんなふうになっていた。
ある夜、星を見送ったあと。
僕がランプの火を消していると、祖父が言った。
「ずいぶん慣れたな。」
「じいちゃんの真似してるだけだよ。」
「それでも、最初は何もできんかっただろう。」
「……そうだったね。」
祖父は笑った。
それから、僕の頭を軽く撫でた。
「大きくなったな。」
その言葉に、母の声が重なった。
――大きくなったね。
あの夜の声は、今でも覚えている。
僕は空を見上げた。
「うん。」
小さく答えた。
それから、また時間が流れた。
高校の卒業式の日。
家に帰ると、玄関先に父の車が止まっていた。
「迎えに来たぞ。」
「うん。」
僕は荷物をまとめ、家の中を見回した。
ここへ来たばかりの頃は、この古い家から早く出たいと思っていた。
今は、離れることが少し寂しい。
「じいちゃん。」
「ああ。」
「行ってくる。」
「気をつけてな。」
「また来るよ。」
「ああ。」
「絶対に。」
祖父は何も言わず、僕を見ていた。
「それと」
「なんだ。」
「いつか、僕がこの店を継ぐ。」
祖父が目を細める。
「……そうか。」
「うん。」
「お前がそう決めたなら、それでいい。」
僕は頷いた。
荷物を持って玄関へ向かう。
その時、後ろから父の声がした。
「……親父。」
「なんだ。」
「少し、話せるか。」
僕は足を止めた。
「先に車に行ってる。」
そう言って外へ出る。
玄関を閉める前に、二人の姿が見えた。
父が、家の中を見回している。
「こいつ、ここに来てから変わったな。」
祖父は黙っている。
「……ここに預けてよかった。」
祖父が父を見る。
「そう思えるようになったか。」
父は少し笑った。
「ああ。」
それから、軒先のランプを見上げた。
「俺には、まだあの夜を思い出す場所だけど。」
「……ああ。」
「でも、あいつにとっては違うんだろうな。」
「そうだろうな。」
父はしばらく黙った。
「……俺は、継げなかった。」
「ああ。」
「でも、あいつなら。」
祖父は、すぐには答えなかった。
「店を継ぐかどうかは、あいつが決めることだ。」
「分かってる。」
父は小さく笑った。
「ただ、あいつが戻ってくる場所を、親父が残してくれてよかったと思ってる。」
祖父は目を伏せた。
「……そうか。」
僕には、二人がどんな顔をしているのか見えなかった。
ただ、玄関を出た。
「じいちゃん。」
振り返る。
「元気でね。」
「お前もな。」
「また、来るから。」
「ああ。」
僕は車に乗り込んだ。
窓を開ける。
父が車を出す。
少しずつ家が遠ざかっていく。
祖父は最後まで、玄関に立っていた。
僕は手を振る。
角を曲がる。
家が見えなくなる。
それでも、僕はしばらく振り返っていた。
やがて町の景色が流れていく。
この町に来たばかりの頃は、何も知らなかった。
星が降ることの意味も。
この古い家に店があることも。
夜になると、忘れ物を抱えた人たちがここへ来ることも。
そして――母が帰らずにいたことも。
僕は窓の外を見る。
昼間の町は、どこにでもある普通の町に見えた。
でも、僕は知っている。
夜になれば、この空から星が降る。
誰かが大切なものを忘れてしまった時。
その忘れ物を求めて、もう一度ここへ帰ってくる。
僕も、いつか帰ってくる。
その時は、祖父の隣に立って。
あの古い家の軒先で、ランプに火を灯す。
星を迎えて。
台の上に現れた忘れ物を、その人に返す。
そして、最後まで見送る。
それが、僕の知っているこの町の夜だ。
車が町を抜ける。
窓の向こうに、あの家はもう見えない。
けれど、不思議と寂しくはなかった。
いつか帰る場所がある。
そう思えるだけで、十分だった。
夜空を見上げる。
昔は苦手だったこの町の夜も、
今では綺麗だと、心から思える。
僕は前を向いた。
そして、心の中で呟く。
――ただいま、と言える日まで。
星が降る町を、あとにした。
ここまで読んでくださり本当にありがとうございます…!!
拙い文章に付き合ってくれた方々に感謝が止まりません。
本編はこれで一旦完結となりますが、きまぐれでまた動き出すかもしれません。
その時はどうかまた、お付き合いください。




