第三話 結界の数を数えよう
屋敷に住んでいるのは、当主、嗣子の白雨、そして使用人は数えるほど。
夕立は歩きながらそう教えてくれた。
こんな広い屋敷なのにやけに少ないな。
保管しているモノを考えれば妥当か?
いや、あれだけの結界だ。
人間より確実か。
「さあ、ここがお前の部屋だよ」
夕立はそう言って襖を開けた。
使用人が使うには綺麗な一人部屋だった。
大きな窓の前には机が置かれている。
「明日の朝から仕事だ。今日は疲れているだろうからもうお休み。後で食べるものを運ばせよう」
「ありがとうございます」
襖が閉まると同時に仰向けになる。
(疲れた!)
歩き通しで脚が鉛のように重い。
緊張が解け、一気に疲れが体を覆う。
(しかし、あの結界…危ないとこだった)
白雨。気付いているのか?
だが、大事にするつもりもなさそうだった。
軽く目を閉じる。
(気を付けなくては)
知られれば元も子もない。
(お前、何もするなよ)
腹に向かって釘を刺す。
反応がない。
先ほどまでの蠢きが嘘のように消えている。
(やけに静かだな…)
動かない腹をそっとさすった。
熱もなく気配もない。
拗ねてるような――そんな気がした。
一、ニ、三…
歩いて来た道をなぞり、数え直す。
考えを巡らすうちに思考が朧げになる。
やがて、意識が途切れた。
目を覚ますと、そこには寝床が用意されていた。
机の上には食事が並んでいる。
白米、銀鱈、煮付け、汁物。
起こさないでくれたのか。
使用人にしては、ずいぶん手厚い。
腹が鳴る。
そういえば、朝からほとんど食べていなかった。
(腹ぺこだ)
「いただきます」
ーうん、美味い。
◇◇◇
「こよみ。起きてるかい?」
「はい。起きております」
「これから使用人頭の霧雨さんのところへ行くよ」
廊下を渡り、陽の殿へと向かう。
霧雨の部屋は当主のすぐ横にあった。
「霧雨さん、夕立です」
襖越しに声をかけると「どうぞ」と力強い声が返ってきた。
襖を開けると、穏やかな顔をした男が出迎えてくれた。日に焼けた肌に無駄のない身体つき。年の瀬は五十ほどだろうか。
「さあ、中に入りなさい」
部屋に通される。
「昨日は暗くてよく見えなかったが、美しい髪をしているね。初めてみたよ」
関心したように髪を見つめる。
「ありがとうございます」
「白子なのです。もし、見苦しければ被り物をしますので」
銀髪に白い肌。
事実、白子を気味悪がる者は多い。
「何を言うんだ。そのままでいい」
「白子は神様の使いと云うが…いや、これほどまでに美しいとは」
神の使い、か。
…柄でもない
照れ臭くなり、思わず目を伏せる。
「霧雨さん。ほら、褒めるのはそのくらいにして」
夕立が呆れたように口を挟む。
「そうだ。仕事の話しだね」
「お前さん、使用人仕事はしたことがないだろう?」
「はい。ですが、教えていただければ何でもやります」
「そうだねえ。まずは掃き掃除、洗濯、あとは夕立さんの手伝いだ」
「それと、保管庫と奥殿側には絶対に近づいてはいけないよ」
霧雨の表情が急に険しくなる。
「使用人が入っていい場所じゃないからね」
「承知しました」
「わからないことがあればいつでも聞いてくれればいい」
そう言ってまた柔らかい表情に戻る。
夕立や霧雨をはじめ、皆とても親切だった。
いや、白雨だけは例外だが。
思ったより居心地が悪くない。
不慣れだった仕事も一週間ほどでこなせるようになる。
しかし、掃き掃除と洗濯以外にすることもなく、やがて、一人の時間を持て余してきた。
(暇だ)
掃除ついでにうろつくか。
本殿、陽の殿、月殿そして奥殿。
木々に囲まれた広大な敷地。
屋敷の敷地を歩きながら辺りを見渡す。
結界がそこかしこと目につく。
一、二、三…
ここだけでも四つ。
(やけに多いな)
まあ、多いに越したことはない、か。
しかし、この結界。
張ったのは絶対白雨だろ。
結界の張り方には性格が出る。
(…性格が悪そうだ)
そんな事を考えていると、ちらっと奥が瞬いた気がした。
木々の間に何かが潜んでいる気配がする。
集中してじっと目を凝らす。
「あれで…五か?」
呟いた時だった。
「さっそくサボりか」
後ろを振り向くと、そこに白雨が立っていた。
(ちっ)
気づかなかった。
いや、まるで気配がなかった。
「申し訳ありません。少し考えごとを」
「ぼんやりできるほど慣れてきたか」
白雨はそう言い、五つ目の結界の方へと視線を投げる。
ふと、小夏が騒いでいたのを思い出す。
月のような、人とは思えない美しさなんです。そう言って頬を染めていたっけ。
ふーん。
月…ね
確かに整いすぎてる。
そこにいるだけで、空気が凛と澄むようだ。
それにしても…
白雨がいると決まって腹が蠢きだす。
ぞわぞわと、落ち着かない。
「ーーと言ったのか?」
遠くを見つめたまま、独り言のようにぼそりと白雨が呟く。
「何とおっしゃいましたか?」
「いや、いい」
「奥殿とその裏は禁足地だ。お前が近づくことは許されない。心に留めておけ」
(釘を刺しにきたってわけか)
「しかと心に留めておきます」
仰々しいほど頭を下げる。
「さぼらず励めよ」
そうとだけ言い残し、白雨は去って行く。
白雨の足音が遠ざかるにつれ、騒めいていた腹の蠢きがおさまってくる。
軽くさすると、腹がきゅうと鳴った。
いつもの反応ではない。
(そうか。お前も、苦手なんだな)
奥殿と禁足地か。
籠神にもあったな。
幼い頃に忍び込み、母上にこっぴどく叱られた。
母上の声が微かに蘇り、胸の奥が騒つく。
そうだ。
あの場所なら…
古神にもあるかも知れない。
視線が自然と奥殿へと向かう。
(行く理由しかない)
当主は国主からの用向きでしばらく不在。
使用人はあの辺りには近づかない。
白雨さえいなければ…
さて、どうするか。
屋敷に戻ると、入り口には夕立が待ち構えていた。
「何してるんだい!外を掃くだけで日が暮れちまうよ。坊ちゃんの夕餉をお部屋に持ってておくれ」
夕餉の膳を強制的に渡される。
「夕立さん、まだ四つですよ。いくら何でも夕餉は…」
「坊ちゃんはこれからご友人の所へ行くんだよ。先に食べてもらわないと困るだろ」
「今日、白雨様はお出掛けで?」
「だから、そう言ってるだろ。ほら、早く!」
膳を持ち、白雨の部屋がある月殿へと向かう。
白雨が出掛ける。
まさに渡りに船だな。
(決行は、今夜)




