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第ニ話 古神白雨

 暗闇には丸い光が浮いていた。

 それは規則的に揺れながらこちらへ近づいてくる。


 人…?


「こちらへ」


 古神の家紋が入った提灯を持つ女はそれだけ言った。


 こちらも見ずにすたすたと前を歩き出す。


 長い髪を一つに結った、柳腰の女。

 腹の違和感を堪え、その背中を足早に追う。


 やがて、闇の奥から屋敷が輪郭を現した。

 大きな提灯が二つ灯されている。


 屋敷の手前を小川が囲む。

 拱橋を渡り、正面に降り立った。


 御神木が左右から伸び、屋敷を覆い隠している。


 思わず足を止め、暗闇の奥に目を向けた。


 おびただしいのは…

 結界だけじゃない、か。


「当主がお待ちだ。早くしておくれよ」

 提灯の女性が尖った声を出す。


「はい」

 と返事をし、急いで後を追った。


「開けておくれ」

 女がそう言って扉を叩く。


 少し間が空いて、ぎいと掠れた音がした。


 重々しい門扉が開くと、そこには数人の使用人が整列していた。

 皆、一斉に頭を下げるが、誰一人口は開かない。


 使用人をわざわざ出迎えてくれるとは驚いたな。

 腐っても籠神ってわけか。


 提灯をその内の一人に預け、女は初めてこちらを見た。

 瓜実の整った面差し。

 その口が静かに開く。


「私が古神の世話役を務める夕立と申します。当主がお待ちゆえ、すぐにお着替えを」


 そして、一拍遅れてこう付け足した。


「籠神からお持ちのものは全てこちらでお預かりいたします」


 預かる、ね…


 言われるがまま、持っていた荷物を夕立に渡した。

 代わりに差し出されたのは作務衣だった。


 薄紅色のやけに肌触りの良い生地。

 後ろには、真円が二つ重なった古神の家紋が、銀糸で縫い付けられていた。


 わざわざしつらえてくれたのか?

 こんな上質な作務衣、さすがは名家。


 作務衣を手にするのは初めてだった。

 着方がまったくわからない…


 もたもたとしていると、

「こう着るんだよ」と夕立がぶっきらぼうに言いながら手を伸ばす。

 手際よく無駄もなく、さっと着替えさせてくれた。


「さあ、早く」

 急かされるまま、右も左もわからずに後を追う。


 襖の前で夕立がすっと呼吸を整える。


「当主さま、籠神家のこよみを連れて参りました」


「入れ」低く柔らかい声が響く。


 顔を伏せながら夕立に続き、部屋にはいる。

 正座をし深く頭を下げた。


「まあ、そう堅苦しくする必要はない。

 楽にしなさい」

 柔らかさの中に威厳が漂う声が響く。


 迷いながらも顔を上げる。


「籠神睦月の遺言により参りました、こよみでございます」


「古神の当主、黒雨だ」

 精悍な顔付き。

 その目線はこちらを見定めるかのように鋭い。


「よく来た、とは言わないでおこう」


「お前もわかっているだろうが」

そう言い言葉を切った。


「籠神の者が古神に入るのは異例中の異例。

 国主の取り巻きどもがうるさくて敵わんよ」

 わずかに眉を動かす。


「だが、お前の祖父君、睦月殿には返しきれない恩があってな」

 言葉が途切れる。


「睦月殿の遺言だ。無下にはできまい。些か無理は通したがな」


 話しはすでに回っているか。

(ふん、噂好きな連中だ)


「睦月殿が何故あのような遺言を残したか、理由は聞かん」

 そう言い、私の目を真っ直ぐに見る。


「聞かぬが」

 わずかに止まる。


「この家で滅多なことはしてくれるなよ」

 含みのある重い声だった。


 じじ様の遺言。

 籠神から古神へ奉公に入る。


 あまりに異例だ。

 籠神の連中は両手放しで喜んだ。


(化け物)

 卯月の言葉が耳に蘇った。

 腹に目を落とすと、すっと体の温度が下がる。


 この腹の存在が知れ渡れば…

 全てが崩れる。


 私だけではない。

 籠神も終わる。


 遺言の意図。

 それは、じじ様と私の秘密だ。


「ありがとうございます。籠神の名に恥じぬよう努めてまいります」

改めて深く頭を下げた。


「しかし、睦月殿がこんなに早く逝くとは…」

「最後は安らかであったか?」


「死ぬ直前まで、あれやこれやと楽しそうに小言を言っておりました。けれど、最後は静かにこと切れました」


「まったく、睦月殿らしいな」

 黒雨は優しそうに目を細め微笑んだ。


「夕立、白雨を呼んでこい」


「はい。すぐに」


 夕立が襖に手を掛ける。

 その瞬間――


「おります」


 涼やかな声と共に襖が開いた。


 そこには、背の高い青年が立っていた。

 艶のある漆黒の髪。

 乱れ一つないおかっぱ頭。


 まるで人形だな。


「使用人が奉公に来るだけで、当主自ら挨拶なさるとは」

 白雨と呼ばれる青年は面倒くさそうに当主の横に座る。


「籠神から参りましたこよみでございます」


「顔をあげろ」


 黒目がちな瞳がこちらを一瞥する。

 目が合った瞬間、空気が冷気を帯びる。


「古神の長子、白雨だ」

「なにやら顔色が優れないようだが?」

 感情のない声でそう問いかけられる。


「久しぶりに外に出たので、疲れたようです」


「そうか」

「来る途中に――」


「大事はなかったか?」

 白雨の口の端が意味深に微かに動く。


 その瞬間、腹の内側が熱を帯びる。

 そして、もぞ、と蠢き始めた。


(大事…だと?)

 顔の表情が少しだけ強張る。


 白雨は返答を待たず、すっと立ち上がる。


「では、私はこれで」と当主に一礼し、部屋から出ていった。


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