結婚編6
あのあと結局絢音はそのまま入院ということになった。
極度の睡眠不足、食欲不振、栄養失調などが重なり、体力が非常に低下しているということだった。そこにウィルス感染による発熱ということで、2,3日程度の入院と、その後の自宅療養の診断が下った。この一日二日の間は高い熱が出る可能性が高く、継続的な点滴が必要なことから入院をした方が良いということだったようだ。絢音はすでに気を失っており、今は病室のベッドに移され、点滴を打ちながら横になっているところだ。
玲美と真紀は絢音の母親が入院のために必要なものを取りに行っている間、絢音のそばに付添っていた。母親が病院に戻ってきた際、絢音の小学生の弟も連れてきたようで、絢音を心配そうに覗き込んでいた。夕方前になり、絢音の意識が戻ると、みんなホッとしたように胸をなでおろした。
「あれ…私…」
「あやね!大丈夫?」
「れみちゃん…まきちゃん…あれ…お母さんも…卓も?」
「良かった…どう、気分は?」
「え…あ…ちょっと…頭痛い…かな…体も…だるいし…」
「あんた、今熱あるのよ、気づいてた?」
「え…」
「栄養失調だって言うし…」
「え…ご飯…食べてたと思うんだけど…なんでだろう…消化不良かな…」
「………」
「絢音、お二人とも、心配して病院まで付き添ってくださったの。」
「そっか…れみちゃん、まきちゃん、心配かけてごめんね。ありがとう。」
「あやね、ちゃんとゆっくり休むんだよ。」
「うん…」
「この1,2日、かなり熱が出るみたいだから、ちゃんと食べて、休んで、無理しないで、しばらくはゆっくりしてね。」
「うん、わかった。レポート…出したから…もう…」
「絢音!!!」
「え…」
「絢音、絢音、絢音…」
「せい…じ…さん?」
「良かった…絢音…倒れたって…聞いて…」
病室に征爾が息を切らして入ってきた。
スーツを来たまま、絢音のベッドに近づいてくる。
「征爾さん。」
「お母さん、ご連絡をありがとうございます。」
「あら、荷物は?駅から直接来たんでしょ?」
「あ、タクシーが…」
「あらあら、タクシーからは私が荷物を引き取ってくるわね。卓、手伝ってくれる?」
「うん、いいよ!」
「あやね、良かったね。ダーリン、戻ってきてくれて。」
「…う…ん…」
「やっとでしょ。二人でゆっくり話すといいよ。」
「ありが…とう…」
「旦那ね、あやね、ちょっといま状態良くないのよ。絶対無理はさせないでね。極度の睡眠不足、食欲不振、栄養失調でウィルス感染の発熱よ。体力が無いから本来大した熱にはならないはずなんだけど、今かなり体力が落ちちゃっているから、ちょっと発熱が厄介なのよね。この1,2日はかなり高い熱が出ると思うし、体も相当きついはずよ。あやね、今だって本当はかなり苦しいんでしょ?」
「…わたしは…大丈夫…だから…」
「あやね、だめだって、無理しちゃ。ちゃんと体力戻さないとなんだよ。食事も取れずに眠れずに、無理しちゃってたんだから…。」
「ごめ…まきちゃん…」
「だから、旦那ね、あやねに無理をさせないでくださいね。もしかしたら食事もまだ取れないかもしれないから、その場合は点滴になっちゃうだろうし、胃に負担がかからないように少しずつ食事を戻していくしか無いから。あ、入院は2,3日みたいです。その後は自宅療養。絶対にあやねに無理はさせないでくださいね。夜もですよっ!」
「…わかった…」
「お母さんたちは下で待っててもらうようにするからね。旦那は話が終わったらお母さんたちを呼びに行ってあげてよ。」
「…あぁ…すまない…」
「それじゃ、お大事にね。また連絡するからね~」
二人はそう言って病室を出ていった。
「アヤ…どうして…アヤ…いや、俺のせいだな…アヤに心配かけないようにと思ってたことが逆に心配をさせてしまったんだな…」
「征爾さん…私のこと…嫌いになっちゃった?だから…連絡しなかったの?もしそうなら…私…征爾さんから…離れないと…」
「アヤ!」
「あの…きれいな女性と…写真に写ってたの見たの…私なんかよりずっときれいで…征爾さんと…お…お似合い…で…」
「写真?」
「だから…征爾さん…やっぱり私なんかとじゃなく…違う人のほうが良くなっちゃったのかなって…思ったら…」
「アヤ…」
「も…う…よく…わからなく…なっちゃ…って…」
「アヤ…ごめん…アヤ…」
「私…もう…いらないん…だよね…邪魔…なんだよね…私…いなくなっちゃったほうが…」
「アヤ!!!絢音…ごめん…アヤ…こんなに…こんなに絢音が追い込まれていたなんて…違う、違うよ、絢音…俺には今までもこれからも絢音だけ…それは前と全然変わらない。」
「でも…あの写真の…」
「俺は写真のことは知らない。でも多分誰か予想はつく。」
「…そう…なんだ…」
「出張先のストーカーだな。」
「そう…え…す…ストーカー…」
「そうだよ。大変だったんだよ…もう本当に…」
「え、ストーカーって…だってすごい綺麗な人で、二人で一緒に写真に写っていて…」
「多分だけど…それ、合成だな。」
「え…」
「取引先の社長令嬢だよ。全く大迷惑だった。最後には警察沙汰にしてやったよ。」
「え、そんなことして…大丈夫なの?」
「俺の方は全く大丈夫だよ。損害を受けたのは向こうの会社だけだからね。」
「そ、そうなん…だ…」
「アイツのせいで俺の帰国が伸びたんだよ。全く…本当に大迷惑だった…」
「そ…だったん…だ…」
「アヤ…ずっと会いたかった…でも盗聴器とか結構洒落にならなかったんだよな…アヤに変な攻撃を仕掛けてほしくなくて、連絡しなかったんだ。アヤにどんな危害も受けさせたくなかったから…でもそれが…アヤがこんなふうに弱ってしまうなんて…ごめんね、アヤ…」
「せ、征爾さん…嫌いに…なってない?」
「アヤを?どうして?」
「だって…こんな…すぐ…弱くなっちゃうし…勝手に誤解して…嫉妬して…倒れちゃうなんて…」
「アヤ…嫉妬…してくれたの?」
「あ…」
「それは…すごく嬉しい…嫉妬するのはいつも俺だけだと思ってたから…」
「え…嫉妬は…いつもしてたよ…征爾さん…かっこよくて…女の人達の視線が集まって…いつも…周りの女の人達に…嫉妬してたの…征爾さんは…私の…」
「俺は…絢音の?」
「あ…あの…」
「じゃ、俺も思っていい?絢音は俺のもの。俺だけのもの。俺だけの恋人で、フィアンセで、妻で…」
「…う…ん…うれ…しい…」
「絢音…」
征爾は絢音にキスをした。
ようやく…ようやく戻ってこれた…俺の絢音…俺だけの絢音…
「絢音…」
「征爾…さん…」
「熱があるんだったな…」
「う…ん…」
「アヤ…?」
「良かった…征爾さん…もどって…くれて…」
「アヤ?」
「安心したら…眠くなっちゃって…」
「絢音?」
「………」
「アヤ、アヤ…アヤ…絢音!」
絢音の意識が!
征爾は一瞬動転するが、自分の持っている医療知識を思い出した。
冷静に…絢音の様子を…
そうだ…医師に…男の医師に触らせるくらいなら…俺が…
征爾は再び絢音の様子を確認する。
そういえば…睡眠不足で栄養失調…体力が極端に低下していてという話だったし、ウィルス感染で発熱…。そうか…睡眠不足だったため、安心して眠くなったということか…熱は…高い…もう少し熱が上がりそうだ…このままこの病院でみてもらっても構わないが…できることなら個室に移らせて、絢音が良くなるまで付き添っていたい…。付添が無理なら、実家の病院に転院させる方が良いな…。
征爾はひとまず落ち着いて眠っている絢音の様子を確認すると、絢音の母と、これからについてを相談しに行った。
そして…絢音はそのまま同じ病院の付添可能な個室に移ることになった。諸々を征爾がすべて手配をし、準備を進めていく。
部屋を変える準備をしている間、征爾は近くの量販店で自分の着替えを購入し、病院近くの銭湯で身ぎれいにすると、再び病院に戻ってきた。ちょうど病室の準備ができ、絢音が新しい部屋に移ったところだ。そして、絢音の両親が病室に入ってきた。絢音の弟は近所の知人宅で待っているようだ。征爾が絢音の様子を覗き込むと薄っすらと目を開けたところだった。少し意識が戻ったのかもしれない。絢音の両親も直ぐ側まで寄ってくる。
「せ…じ…さん…」
「アヤ?」
「…ん…わ…たし…」
「アヤ…」
「征爾…さん…」
絢音は力が入らない手で征爾の手を必死で握ってくる。
「アヤ…俺はここにいるから…心配しないで…ここにいるよ。」
「本当…ここに…一緒に…?」
「いるよ。もう離れないから大丈夫。アヤ…ゆっくり休むんだよ。」
「離れない?本当?約束?」
「もちろん。」
「手…離しちゃやぁ…このまま」
「わかってる、絢音。俺も…アヤに触れていたい…アヤと離れたくない…」
「征爾さん…好き…」
「アヤ…俺も…好きだよ…ずっと会いたかった…仕事で離れているのは辛かった…」
「せい…じ…さん…ずっと…一緒…」
「そうだ、ずっと一緒だ。」
「ほん…と…に?」
「嘘はないよ。」
「いつも…そばに…いてくれる?」
「いつも側にいるよ。」
「いつも…」
「あぁ。」
「うれ…しい…」
「俺もだ。」
「さみし…かったの…」
「俺が…いなかったから?」
「うん…」
「絢音…」
「せいじ…さん…いないと…息ができない…の…」
「絢音!」
「なんにも…食べられ…ない…」
「絢音…」
「せい…じ…さん…ずっと…ここに…」
「いるよ、アヤ。ずっとここにいる。愛しているよ、アヤ。」
「ほん…と?」
「俺がアヤに嘘を言ったこと、ある?」
「……な…い…」
「だから、俺がアヤのことを好きで好きでしょうがないことも、アヤのことを愛していることも、全部本当だよ。」
「うれ…しい…わたし…も…」
絢音のまぶたが少しずつ落ちてくる。
握っている手も熱い。
熱が上がってきたようだ。
「アヤ、俺はここにいるから。今日も明日もこれからもずっとアヤのそばにいるから、だから安心してゆっくり休むんだよ。」
「せい…じ…さん…いて…」
「ここにいるよ。おやすみ、アヤ。」
「うん。おやす…み…な…さ…」
絢音はそのままスーッと眠りに落ちた。
熱はあるようで少し苦しそうではあるが、表情は穏やかだ。
「征爾さん…」
「征爾くん…」
「すみません、お父さん、お母さん。早く絢音さんに元気になってほしくて…俺の…気持ちをちゃんとわかるように伝えておきたくて…お恥ずかしいところをお見せしてしまいました。」
「いや…それは…」
「いいのよ、征爾さん。素敵ねぇ~。ちょっと、うっとりしちゃったわ。」
「こら、母さん。」
「絢音のこと、本当に大事にしてくれてるのね。」
「それは…絢音さんに言ったことはすべて自分の本心です。でも…今回は俺のせいで絢音さんがこんなに体調を崩してしまって…本当に申し訳ありません…自分が代われるものなら…」
「征爾くん…」
「はい。」
「君は本当に絢音のことを心から大切に想っているんだね。」
「はい。絢音さんは…俺の…すべてなんです。俺のような若造が…とお思いになるかもしれませんが…でも…本当に…絢音さんは…俺の命そのものなんです。だから…」
「征爾くん……あの…だね…もう、絢音と籍を入れてしまいなさい。」
「え…」
「あら、お父さん。」
「…君が仕事で戻れない間、絢音を見ていたんだよ…。絢音は君がいないと本当に元気がなくなってね…今回も、少しだけ征爾くんのご両親から話は聞いているよ。もし君が既婚者であったら、これほど困ることにはならなかったと思っている。」
「…それは…」
「絢音は…もうすぐ成人とはいえまだ19だ。まだまだ結婚なんて、ずっと早いと思っていたんだ。だがね、二人を見ていると、そういうことではないんだと思ったんだよ。二人の絆は強くて…嫁にやるのは寂しいが、遠くに住むわけでもないし、何かあればうちにはすぐに遊びに来れるだろう。」
「お父さん…」
「良かったわね、征爾さん。」
「ありがとうございます。」
「それで、どうするのかね?」
「お父さんとお母さんにお許しをいただけるのであれば、明日にでも婚姻届を提出します。」
「即断だな。」
「はい。もちろん、絢音さんが『はい』と言ってくれたらですが。」
「絢音は嫌とは言わないだろうね。」
「そうであってほしいと思います。」
「式はどうするんだ?」
「絢音さんの気持ちを一番に、時期や、どんな式を希望するのかを聞いて、お父さん、お母さん、そしてうちの両親に相談して決めていきたいと思います。絢音さんの大学もあると思うので、夏休みや春休みがいいかと思います。」
「そうか…絢音の気持ちをいつも一番に尊重してくれるんだね。それであれば…私からは特になにもないよ。あぁ…ただ…そのだね…孫は…」
「あぁそうねぇ。孫はもう少し待ってほしいわね。せめて、絢音が卒業するまでは。これからまだまだ大学での勉強も大変でしょうから。」
「はい。それはもちろんです。絢音さんの体への負担も大きいですから。子供は…ちゃんと時期を考えます。」
「そうか。…そうしてくれるか。」
「あら、征爾さん、見て。明日は大安よ。絢音からはきっと良いお返事があると思うわ。」
「はい。お父さん、お母さん、ありがとうございます。これからよろしくおねがいします。」
「絢音を頼むよ、征爾くん。」
絢音の両親はそう言うと絢音を征爾に託し家に戻っていった。