マンボウではない
今回は陸成分が多めです
大学が春休みなのをいいことに、今日も今日とて満足するまで愛するラオシャンの世界へとダイブしようとしたところ、我が妹である優芽がすんげぇニコニコっつーかニチャニチャした笑みを浮かべながら長袖インナーシャツっぽいものをリビングのソファに座って抱き締めていた。
「ちょっと、妹がこれだけ嬉しそうにしてたらなにか声をかけるのが兄ってものじゃないの?」
「えー……そうだな、特殊な性癖の人っぽく見える顔はやめた方がいっっっ!?」
優芽が向けた目線の圧に、それ以上続けると命の危機だと感じ取った俺の喉が声を出すことを拒んだ。俺は今、自分が生まれたのが超能力ファンタジーの世界でなくてよかったと心から安堵している。視線で物理的な干渉ができる世界だったら俺は既に息を引き取っていたことだろう。
「なにを言ってるのか聞こえなかったからもう一度言って?」
「強く賢く麗しいマイシスター、よければこの愚兄に君がご機嫌な理由を教えてもらえませんか?」
今までやってきたゲームの記憶にある『妹にとことん甘いお兄様キャラ』の真似をして全力で媚びへつらってみたら「表情筋が動いてない、60点」との評価をいただいた。どうやらギリギリ単位は出してもらえるようだ。
「で、結局そのインナーシャツが何なんだ?」
「本当にわからないの?もうちょっと海洋生物以外の現代知識を脳にいれた方がいいんじゃない?」
しょうがないわね、と呆れながら優芽がその手にあるものがいかに素晴らしいかをプレゼンしてくれる。
なんでもこのパッと見では普通の長袖インナーにしか見えないものはほぼ完璧に紫外線をカットする素材でできており、さらに吸水速乾かつ汗の臭いを吸着して周囲に放出せず、通気性抜群かつ肌触りも絹のように滑らかで着用していることすら忘れそうになるという、もはや高性能を通り越してマジックアイテムに近い存在だとか。それでいて値段も高いには高いが優芽が即決で買えるくらいのもの。
まあ要するに最強の日焼け対策グッズらしい。まだ3月なのにそんなもん要るのか?と聞いたら人気がありすぎて常に品切状態なので店頭で見かけたら即買いが常識、本格的に必要な夏が近づいてきたら競争率も爆上がりになるので買えるわけないだろバカと至極まっとうな理由を述べられた。
「スポーツ用としても使えるほど丈夫だから、日焼けを気にする女性だけじゃなくてアスリートもトレーニングウェアとして使ったりするそうよ。今日たまたま店員さんが品だしした瞬間に出くわせてラッキーだったわ」
「はえー、買えて良かったな。きーちゃんとかも欲しがってたりすんの?」
「……きーちゃんはほら、あんまり服とか美容にこだわりないから」
「あー、うん、そうだったな」
きーちゃん家だと芋ジャージだもんな。さすがに外出するときはそれなりの格好をしてくるけど、それもお母さんや女友達にコーディネートしてもらったものって言ってたし。いちおうスキンケアとかはしてるそうだが、より上を目指すためというよりはやらないとお母さんが悲しそうな顔をするからという。
それらについては本人曰くロボットのアセンブルは何時間でもできるけど自分のファッションには毛ほども興味が湧かないんだって。何を着ても本人の顔面力でねじ伏せられるから意義を感じないらしい。キャラのレベルがカンストしてるからどんなショボい武器を使っても余裕で勝てる、みたいな。
「そういえば、このシャツって元々はどこかのお金持ちが皮膚系の病気で陽の下に出れない娘さんのために開発させたものなんだって。その娘さん用の本物?オリジナル?はもっとすごい性能をしてるらしいよ」
「ふーん。そういうのに頼らなくても普通に外出できる体に生まれたことを感謝だな」
病気でまともに外に出られない人からしたら、健康な体があるのに電脳世界にズブズブになっている俺みたいなのは許せなかったりするんだろうか。冷たいようだがそれもまた運だと言う他ないけども。
「じゃ、もう行っていいよ」
何様のつもりだ貴様はと言いたくなったが、どうせ俺が優芽に口で勝つことなんてできないから黙っておく。要するに良いものを買えたから誰かに自慢したかったってだけだろう。
では遠慮なくと自室に引っ込んだ俺はラオシャンを起動すべくVRヘッドギアを装着。すぐさまラオシャンを起動してもはや自室よりも馴染むといってもいい、ラオシャンの案内人たる人魚のアクアがいるいつもの砂浜に立つ。
「おかえりなさい」
にっこりと笑ってアクアが出迎えてくれる。ラオシャンの中で唯一人間の体でいられるこの空間、厳しい海の世界に心を折られたプレイヤーたちが癒しを求めてアクアに話しかけることも多いらしい。まあアクアは丁寧で優しいけどそこはラオシャンの顔とも言える存在らしく、慰めてもらおうとしても遠回しにおまえが弱いのが悪いんだよと言われるだけなのだが。
「さて今回はアカマンボウにでも……おや、DMか」
ピロン、とシンプルな着信音がメッセージを受け取ったことを教えてくれる。それなりにプレイしていればさすがに知り合いというほどでもないけれどお互いに名前は覚えている程度のプレイヤーも多少はいて、そういうやつらからアトランティス闘技場で殺し合わないかというクソ物騒なお誘いがきたりもする。
というか青たちリアルの知り合いからを除けば、ラオシャンで俺に送られてくるメッセージの7割は果たし状だと言っていい。残り3割のうちの2はよくも殺してくれたなという恨み節か何かしらの勧誘みたいな迷惑メッセージ。
んで今回のはというと貴重な最後の1割、つまり普通に友好的なメッセージだ。送り主は最近何かと絡んでくる性別不明の外国人プレイヤー。語尾や一人称が豊富な日本語とは違い、英語で書かれたメッセージでは書き手の性別がわからないしアバターの方もボイスチェンジャーで中性的な声にしているっぽい。
「原文はあとで英語の勉強がてらじっくり読むとして、とりあえず翻訳文を読むか」
世界中のプレイヤーと繋がるフルダイブVRゲームおよびヘッドギアにはリアルタイム翻訳機能が搭載されている。よほどの秘境の少数民族限定の言語とかでない限り、設定していればテキストもボイスもかなり違和感の無い自動翻訳がされるのだ。リアルタイム翻訳自体は親父が子どもの頃にはできていたし、そんな翻訳機能が携帯端末にデフォルトで搭載される今となっては小説や映画の吹き替えみたいな情緒や意訳要約を求められるもの以外で人間が翻訳や通訳をすることはまず無い。
とはいえどこの言語圏の人かもわからないまま自動翻訳任せでは何かと問題が出る。日本人なら許されるような言い回しでも向こうなら完璧アウトだったりなんてのはよくあることだし、その逆もまた然り。なのでテンポが重視される会話はともかく、メッセージは原文と翻訳文を同時に並べるように設定している人が大半だ。
「えーっと……」
親愛なる友人、赤信号様
先日、貴方が鮭として狐や熊を相手に果敢に戦ったと聞きました。
コミュニティの熱狂具合から、惚れ惚れするような立ち回りだったことが容易に想像できます。その勇姿をこの目で見れず、他者からの伝聞でしか知れないことが悔しくてなりません。
貴方の武勇伝を耳にする度、我が子共々シャチの群れに襲われていたあの時のことを思い出します。
群れから引き剥がされ、我が子を満足に守ることもできず、沈められ牙を突き立てられ、ただ泣くことしかできなかったところに颯爽と現れ瞬く間にシャチを蹴散らした貴方の姿はまさに英雄でした。
貴方がくれた鮮烈な思い出を胸に、私はまたしばらく何かしらのクジラとして広い海を巡ることにします。
またどこかでお会いできたなら、わずかな間でも共に泳ぐことを望んでもよろしいでしょうか。
鮭の神へと、敬意を込めて
貴方の友人 AQUAより
「鮭神の話が広まりすぎだろ……あいかわらずド丁寧な文章だなぁ」
英語にも敬語があることくらいは知っているが、だとしても自動翻訳でここまで綺麗な文章になるってどんなレベルだよ。役に入りきってるときのアジサイさんくらいじゃないと出てこない文章だぞ。1回すれ違った程度の相手に使う言葉かね?
それにしてもまあAQUAねぇ……。このスーパー美人な人魚のアクアを前に同じ名前を登録するとは、よっぽど愛着のあるプレイヤーネームなのかな。俺はゲームキャラと同じ名前は嫌なタイプだからそうなったら多少もじるくらいはする。まあ感じ方や考え方は人それぞれだから好きにすればいいが。
「よし。アクアー、アカマンボウを成魚からでよろしく」
「承りました。では良いオーシャンライフを」
ぐるりと暗転した視界が晴れたときには既に海の中。今の俺はアカマンボウ目アカマンボウ科アカマンボウ属アカマンボウ。学名はLampris megalopsis。名前こそマンボウっぽいがどっちかというとリュウグウノツカイに近い。ちなみにマンボウはフグ目である。
世間一般の人でアカマンボウの名前に聞き覚えがあるとしたら『マグロの代用魚』としてじゃないだろうか。
実際に赤身はマグロの代用として十分な味とされ、寿司ネタや刺身として提供するお店もある。が、アカマンボウはマグロの代用にするには漁獲が不安定すぎるし、マンボウのような丸い体は加工もしにくい。よって、マグロの代用魚としては向いていないそうだ。味が似てるだけじゃダメなんだな。
そんなアカマンボウを選んだ理由は特に無い。実は魚類で唯一のとある能力を持っているけどそれが理由というわけじゃない。
ただのんびり海に浸かりたい。そう思ったときに頭に浮かんだのがマンボウだったものの、ラオシャンのマンボウは卵からやってこそ意味があるしその場合のんびりなんて言葉とは真逆の修羅の世界が始まる。
だからマンボウっぽい名前のアカマンボウにしただけ。明確な目標がないときなんてそんなノリでいいんだよ。
赤とAQUAが出会ったときはお互いにマッコウクジラでした。
圧倒的な強さで絶体絶命のピンチを救い、当然のように群れに合流するまで護衛をしてくれた寡黙な赤にAQUAは強い憧れを持ちます。
ちなみに赤は『シャチに襲われている母子を助ける』という実績を解除できるぜラッキー!くらいに思ってました。戦闘が終わってからお礼を言われて初めてAQUAがNPCじゃないことに気付き、実績解除に必須の護衛中も気まずくて口数が減ってただけでしたとさ。




