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第十七章 自転車

第十七章 自転車


「おいーっす!ごきげんいかが?僕様元気ぃ!」

「こんにちは。失礼します。」

今日も木村兄妹は二人揃って仲良く部室に現れた。冬子ちゃんの入部から一週間が経ち、その間ほぼ毎日のように冬子ちゃんは部室を訪れていた。

そしてその際にはだいたい木村も一緒であり、当初の出来事を目撃していない綾ちゃんとユージにはとても仲のいい兄妹に見えているのだろう。

一応在籍している水島先輩には事の顛末は伝えておいたが、部長である君が頑張るのよ、と楽しそうに僕の報告を聞いていた。

あ、余談だがもちろん武田先輩には特に何も言っていない。面倒だから。

真紀ちゃんは現場にいたが、客観的に見ていたのか、何も考えていないのか、特に行動に変化は見られず、冬子ちゃんとも普通に会話をしている。

冬子ちゃんは、部室では綾ちゃんや真紀ちゃんに話しかけている場面をよく見かける。あの事件さえなければとってもいい子が入部してきたってことで終わっていたのにな。

「草野くん、何をボーっとしてるの?まさか冬子ちゃんに惚れた?」

「ぶっ、ばっ、バカなことを!僕はあの事件のことを思い出して心配して考え事をしてただけで。」

「あはははは、冗談冗談、わかってるって。そんなにムキにならなくてもいいじゃん?」

夏樹ちゃんに言われたらついムキになってしまう対応能力の低い僕。ああ、もっとレベル上げをしないといけない。どこかに僕のハートを傷つけずにレベルだけを上げてくれる魔法使いはいないものか。

「冬子ちゃんってホントいい子だよね。あんな妹ならあたしもほしいよ。」

「そうだね。礼儀正しいし、明るくて見てて飽きないタイプだよね。」

「うん。昨日も綾ちゃんと真紀ちゃんを誘って3人で遊びに行ったみたいだよ。人付き合いもいいし、この調子なら木村くんのことも普通に受け入れてくれるんじゃないかなぁ。」

「だといいけど。でも確かにあれから木村を責めたりする場面はないし、むしろお兄ちゃんお兄ちゃん言いながら一緒にいるよね。」

そこへ主役の登場だ。

「なになに?なんなのなぁの?もしかしなくても僕様の噂?肖像権の侵害にならない程度の写真なら撮影許可を出してもいいよ?」

「随分強気だな、木村お兄ちゃんよ。冬子ちゃんとは和解できたのか?」

「うむ。あれから家ではいつも通りなのだよ。そして部室でも特に何も言われない。これってハッピーエンディングアンドエピローグってことでいいのかにゃ?」

「いいじゃない、冬子ちゃんが思ってたような状況じゃなかったんだよ、きっと。今までどおりの木村くんでいられてよかったね。」

夏樹ちゃんはそういうけど、はたして本当にそうなのか?僕の心配し過ぎなのだろうか。

そんな僕の心配を無視して木村は昼食にいつものカップ麺を取り出し、嬉しそうに準備を始めている。もうどうでもいいか。考えるだけ無駄だ。

「あーーー!お兄ちゃんまたそんな体に悪いもの食べようとしてるぅ!いつもダメって言ってるでしょ?」

「これは止められないんだ!僕様の血液みたいなものなのだ!冬子だってケーキ食べなきゃ死ぬって言ってるじゃないか!僕様はカップ麺とハンバーガーとマヨネーズがないと死ぬんだ!」

「なんでそんな有害物質ばっかり食べるのよっ!最近は家で食べないと思ってたらここで食べてたんだね?これからは冬子が監視するよ?」

「許そうよぉ、僕様を許そうよぉ。これがないと僕様は天に召されてしまうのだよ。せめて一日1個だけわぁ。」

「お兄ちゃんも大人だもんね。わかったよ。週に1個だけ許してあげる。お昼ゴハンが必要ならお兄ちゃんのために冬子が作ってあげるのに。」

「ばっ!ばかなっ!一週間飲まず食わずで過ごせっていってるのか君は!?」

「お兄ちゃん、朝と晩はうちで食べてるでしょ。お母さんに言いつけるよ?それに冬子が作るって言ってるの無視しないでよ。」

「佳代子さんは僕様の食生活に関しては特に文句を言いません。冬子さえ黙認してくれたらいいのです。」

「じゃあお兄ちゃんが食べるなら冬子も食べる。それちょーだい。」

「うぐっ!僕様の至宝である超舌ラーメン”極み”を奪うつもりか。お主なかなかの悪よのぉ。」

そんなわけで兄妹仲良くカップ麺を食べる二人。なんだかんだ仲がいいようにしか見えないのだが。それにしても木村の昼食といえば、確かにカップ麺かハンバーガー、それか弁当屋さんのカラアゲ丼(マヨネーズたっぷり乗せ)のローテーションと言ってもいいくらいだ。今後どうするのだろうか。

「待って待ってぇ!返してそれぇ!!まだ残ってるんだよぉ!」

「何言ってるの、スープたくさん飲んじゃって。こんなの最後まで飲み干すなんてダメだよ。これは冬子が捨ててきます。」

「待て冬子。よーく聞くのだ。そのラーメンはただのラーメンではない。超舌ラーメン”巧み”と言ってな、我が国が誇るもう一つの国宝なのだ。冬子が先ほど食した”極み”がトリガラであるのに対し、その”巧み”は魚系のダシをベースにしている。その最後の一口には洗練されたスープが凝縮され、さらに隠し味的な香辛料たちが沈んでいて、それに加え食べ損ねた麺の切れ端、そして何より細かくなって食べてあげることができなかった具材たちがハーモニーを生み出しているのだよ。それを君が今まさに捨てようとしているんだよ。わかるかい、この偉大な一口が。ああああああああああああ!待って、待って冬子さん、僕様の、僕様の、くりすちーぬを返してぇーーーーーーーーー!」

誰だよクリスチーヌって。響き渡る木村の断末魔の叫び声を無視し、冬子ちゃんは国宝を捨てるべく廊下へ出て行ってしまった。

木村よ、そんなに落ち込むなよ。いつも旨そうに飲んでたもんな。ちょっと慰めるために悪ふざけに乗ってやろう。なんて優しい僕。

「ところで木村よ、”巧み”がクリスチーヌなら”極み”はなんて名前なんだ?」

「は?」

「え?」

「何言ってんの君。カップ麺に名前なんて付けるわけないでしょ?ブァカですか君は。このブァーカ。」

「さっき名前叫んでましたよね木村くん!?」

確かに、聞いた僕がバカだったな。

そこへ冬子ちゃんが戻ってきた。

「ごちそうさまお兄ちゃん。おいしかったけどやっぱり明日からは冬子が作るからね?」

やはりどう見ても仲のいい兄妹じゃないか。


翌日、家ですることがなく、僕はいつもより早く部室へと向かった。

いつもの通学路。いつもの商店街。いつもの踏み切り。いつもの学校。最近は繰り返しの毎日が楽しく感じるようになってきた。

「おっ、綾ちゃん一人?いつもこんな早いの?」

「あ、草野先輩、おはようございます。そうですね、曜日にもよりますけど、家にいても暇なんで、だいたいいつも早い時間に来てますよ。」

「そうなんだ。そういえば、最近冬子ちゃんと仲がいいみたいだけど、木村のこと何か言ってる?」

「え?木村先輩のことですか?んー、いえ、特に冬子ちゃんからは聞いてないです。だいたい授業の話とか、ケーキの話とか、あとは秘密です。」

「秘密って気になる言い方だなぁ。」

「もー、先輩ったらガールズトークの内容なんて聞いちゃダメですよ、エッチですねぇ。」

と言って無邪気に笑う綾ちゃん。一つしか年が違わないけど、なぜか言葉の節々に若さを感じてしまう。おっさんか僕は。

「それより先輩、ユージくんと最近会いませんけど、部活来てます?」

「うーん、まあ、たまに顔を出すくらいかな?バイトとか忙しくて寝不足なんじゃないか?」

「そうですか。」

正直、部長としては失格だがユージとは性格が合わず、積極的に声をかけていないこともあり少し後ろめたい気持ちがあった。

こういうところで下級生たちに信用度、信頼度が問われていくんだろう。社会に出たらこんな好き勝手な気持ちでやっていけないんだろうな。でも社会に出るなんて今はまだ考えたくない。立派な会社に入って、社会の歯車の一つになって、なんてよく言うけど、結局は取り替え可能な一つの部品だ。僕にしか出来ないことを、なんて思っていたのはいつの頃だったろうか。そんな能力もなければ資質もない。それは自分がよくわかっている。わかってはいるけど。

「先輩、どうしたんですかボーっとして。熱でもあるんですか?」

「あ、ごめんごめん。考え事してただけ。真紀ちゃんは今日は一緒じゃないの?」

「そうなんですよ。真紀も自分のことが色々あるのか、一緒にいる時間が減ってきた感じです。まだ仲良くなって日が浅いけど、あたしって寂しがり屋なんで落ち込んじゃうんです。」

「まあ家が遠いし、仕方ないんじゃないかな?寂しいならこの部長が愚痴でも聞いてあげようか?」

などとガラにもなく先輩風を吹かせてみた。

「ありがとうございます。でもこの後授業なんで、また今度聞いてください、ぶ・ちょ・お・さん♪」

そういって綾ちゃんは出て行ってしまった。あれ?僕、なんか恥ずかしいぞ?

とそこへやってきたよ、災厄が。

「じゃじゃーん!僕様登場!って草野だけかよっ!せっかくの僕様の登場に拍手喝采をする人間が一人とはどういう要件だ。」

「誰が拍手するんだ誰が。って今日は冬子ちゃんは一緒じゃないのか?」

「ふっふっふっ、これで駅から引き離してやったぜ!」

そう言って木村は得意気に折りたたみ自転車を見せた。

「おぉ、自転車を買ったのか。って、駅から大学までのために?そんな距離もないのに。」

「僕様には僕様にふさわしい相棒が必要だと日頃から感じていたのだよ。そんな時こいつに出会ったのさ。さっそく乗ってやったぜぃ。そうだな、こいつにも名前を与えてやろう。イカツイ名前がいいな。ほら、案を出せ草野部長。」

「おい、イキナリ過ぎるだろ。だいたい自転車に名前を付ける必要があるのか?そうだな、さしずめクリスチーヌでいいじゃないか。」

「バカ野郎!このバカ野郎!くりすちーぬは女性じゃないか!こいつは男だ!いや魔獣だ!僕様が乗りこなすにふさわしい名前を、はっ!貴様、僕様がくりすちーぬを乗り回すという妄想をして興奮していたのだなっ!?なんてイヤラシイ男っ!」

「すまん、僕が悪かったからその流れで考えないでくれ。魔獣であって乗り物であるイカツイのなら、ドラゴンとかでいいじゃないか。」

「竜か。僕様にふさわしい乗り物だ。そうだ、せっかくだから飛竜にしよう。ん?でも自転車に飛竜って名前は変じゃないか?もう少しひねることができないのか君は。そうだな、ファング・オブ・ドラゴンでどうだ?かっけーだろー!」

「竜の牙、ですか。確かにイカツイけど、絶対自転車の名前じゃないですよね。」

「それがいいんじゃないか。誰も付けないようなキラキラネームだぞ?でもオブは言いづらいな。意味はともかくとしてファング・ザ・ドラゴンにしよう。」

「飛竜って言ってたから、それならファング・ザ・ドラゴンフライってのはどうかな?」

「おお、たまには良いこと言うじゃないか。さすがは軍曹だけある。それで決定だ。僕様の自転車に銘を与える。ファング・ザ・ドラゴンフライである。」

「お兄ちゃん、何そのネーミングセンス。さすがに冬子、お兄ちゃんとの距離をとりたくなっちゃうよ。」

駅から歩いてきたらしい冬子ちゃんが部室に到着した。

「おお冬子、遅かったじゃないか。素晴らしい名前だぞ、”飛竜の牙”を乗りこなす兄を誇りに思え!」

「お兄ちゃん、ドラゴンフライって飛竜じゃないよ。トンボだよ。だからその自転車、トンボの牙くん。」

「トンボ?」

「うん。トンボ。」

「トンボの牙?」

「うん。トンボの牙。」

「トンボノキバ?」

「うん。トンボの牙。」

「あの開けゴマ、で開く岩が縦に裂けて出来るような形したガチガチ鳴りそうなあれですか?」

「冬子はそんな見たことないからわかんないけど、たぶんそれ。」

「ぶはっ、あっはっはっはっ!木村、ださっ!トンボだって、イカツイ、イカツイっす木村さん!あっはっはっはっ!」

「草野っ!貴様、この僕様を罠に嵌めたなっ!」

「あはっ、あひっ、笑いすぎて、腹が、痛いっ!別に、そんなつもりじゃなかったんだけど、木村が、あっはっはっ、いやすまんすまん、木村が飛竜って言うからそのまま英語にしたら、ドラゴンとフライだなって、ぷっ。そして木村よ、お前は頭いいんじゃなかったのか?」

「誰がトンボをわざわざ英語にするんだよ!通常勉強しないような単語なんて知るわけないだろっ!しかもなんであんな貧弱なトンボがドラゴンを名乗ってるんだ!許さん!僕様が大統領になったらトンボの英訳を変更することから始めてやる!」

「大統領の器が小さいよ。そもそもお兄ちゃんはいつから大統領を目指してるの?あまりふざけていないでちゃんと就職活動のことも考えてよね?」

「うぐぐ・・・」

冬子ちゃんの前ではいつもの木村のようにはいかないな。何はともあれ、木村の自転車の銘はファング・ザ・ドラゴンフライで決定した。なぜか木村自身が一度銘を打ったからには変えるわけにはいかないとか言って、トンボの牙で納得している。

まあ本人がいいなら僕がとやかく言う必要はまったくない。


新登場 折りたたみ自転車ファング・ザ・ドラゴンフライ


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