第07話:『@Laplace_Demon』の予知と確定
深夜2時。
六畳一間の安アパートは、ブルーライトの冷たい光と、鼻を突く饐えた臭いで満たされていた。
散乱したカップ麺の容器、飲み干されたエナジードリンクの空き缶、そしてキーボードの隙間に落ちたポテトチップスの破片。
万年床の布団は脂汗で黄ばみ、主である四見啓介(31歳)の不健康な皮膚と同じ色をしている。
彼は無精髭を指で掻きむしりながら、ニチャリと歪んだ笑みを浮かべてキーボードを叩いた。
「『犯人は執事。動機は10年前の事故。主人公は最後に死ぬ』……っと。送信」
人気ミステリードラマの実況掲示板に、放送前のネタバレを投下する。
直後に湧き上がる「最悪」「死ね」「楽しみにしてたのに」という阿鼻叫喚のレス。
啓介にとって、それは極上の賛辞だった。
その中に、一件の長文レスが混じっていた。
『入院中の母と、毎週この放送だけを楽しみにしてきました。最終回だけは、知りたくなかった』
「感謝しろよ。無駄な半年を、省略してやったんだ」
啓介はニヤつきながら呟いた。
意外な結末なんてのは、無能の言い訳だ。
プロの仕事ってのは、あらかじめ提示された結末に向かって、整合性を取ることなんだよ。
彼のハンドルネームは『@Laplace_Demon(ラプラスの悪魔)』。
元データアナリストという経歴を鼻にかけ、あらゆる物語の結末を予測し、他人の楽しみを奪うことを至上の喜びとする男だ。
「くだらない。どいつもこいつも、あんな見え透いた伏線にハラハラしやがって。感情の無駄遣いなんだよ。先の見えない展開なんてのはノイズだ。結論を先に出せ」
人生も同じだ。結果がわからないまま努力するなど、非効率の極みだ。
そう毒づきながら、次の標的を探そうとブラウザを更新した時だった。
画面の中央に、漆黒の闇が広がった。
『一生懸命書きました。アナタの人生「あなた」の幸せがココに詰まっています。』
黒地に白の明朝体。
装飾を削ぎ落としたそのバナーは、まるで葬式の案内状のように静謐で――抗いがたい引力を放っていた。
指が勝手に動く。
脳がクリックを命令するより早く、人差し指がマウスボタンを押し込んでいた。
ページが開くと、そこには小説が掲載されていた。
サイト名は『カタルシス』。
『【完結保証】アナタの人生「あなた」が主人公の物語』
作者名:サイフォン
タイトルは『完全なる予知者』。
主人公は、啓介そっくりの男。
彼はすべての未来を見通し、株で巨万の富を得て、愚かな大衆を見下ろしながら王のように振る舞っていた。
そこには、啓介が常々不満に思っていた「不確定要素」や「ご都合主義」が一切ない。
完璧な論理。完璧な因果律。
そして、完璧な自分。
「ははっ、なんだこれ。最高傑作じゃないか。俺が書きたかったのは、こういう『正解』だけの物語なんだよ」
(……そういえばこの主人公、最後まで一度も「選んで」いないな)
ふと引っかかったが、すぐに打ち消した。
当然だ。正解が見えているなら、選択なんてただの無駄なコストだ。
啓介の自尊心が、かつてないほど刺激される。
この物語こそが、世界で唯一評価されるべきだ。いや、この主人公こそが、最高評価を受けるべき存在なのだ。
画面下部に現れた評価ボタン。
彼は迷いなく、震える指で一番右の星をクリックした。
――カチッ。
★5。最高評価。
「おやおや、そんなに驚かないでくださいよ」
不意に、部屋の中に男の声が響いた。
啓介が振り返るより早く、モニターから黒い影が滲み出し、実体化する。
黒いスーツにシルクハット。
片眼鏡を光らせた男が、慇懃に一礼した。
「今時、幽霊だってモニターから出てくる時代じゃないですか。なら、悪魔が出てきたって何の不思議もありませんよ……くっくっく」
啓介は椅子から転げ落ちそうになりながらも、持ち前のプライドで虚勢を張った。
「あ、悪魔だと? ふん、どうせ新手のAR(拡張現実)広告だろ。凝った演出だが、プロットが甘いな。俺のPCに不正アクセスした罪は重いぞ」
「はじめまして、『@Laplace_Demon』様。わたくし、小説家のサイフォンと申します。先ほどは稚作への高評価、誠にありがとうございました」
サイフォンは愉しげに肩を竦め、続けた。
「契約成立です。お礼に、貴方の嫌いな人を小説で殺して差し上げましょう。さあ、誰ですか? 貴方に『死ね』と書き込む実況民の皆様ですか? それとも、見え透いた伏線しか書けない脚本家の先生ですか?」
「殺す? ……くだらない」
啓介は鼻で笑った。
「あいつらは変数ですらない。ただの定数だ。予測する価値もない連中に、割くリソースはないね」
「おや、殺したい相手がいないとおっしゃる?」
サイフォンはモノクルの奥で、目を細めた。
「安心してください。そんな時は、『嫌いな現実』を生きるアナタ自身を殺してしまえばいいのですよ」
「……は?」
「『結果がわからないまま努力するなど、非効率の極み』。……ええ、その通りです。だから貴方は、この万年床から一歩も動けない。先の見えない現実に竦んだまま、画面の中の結末だけを暴いて生きてきた。――その四見啓介を、削除するのです」
図星を突かれ、啓介の喉が鳴った。
「推敲しましょう。貴方の人生に『完全攻略チャート』を実装するのです」
啓介の目が欲に濁る。
攻略チャート。それはつまり、未来予知だ。
株価の変動、他人の思考、成功への選択肢。それらがすべて可視化されるなら、人生はイージーモードになる。
「……条件は? タダじゃないんだろ。俺は客だぞ、足元を見るなよ」
「強欲な素材だ……。いえいえ、対価は先ほど頂きましたよ。読者様。さあ、物語を始めましょう」
世界は一変した。
啓介の視界には、常に半透明のウィンドウが浮かんでいる。
『【A】上司にお茶を出す(好感度+5)』
『【B】無視する(解雇フラグ)』
『【C】昨日の失態を指摘する(パワハラ訴訟勝利ルート確定)』
すべてが見える。
啓介は迷わず【C】を選び、嫌味な上司を論理的に追い詰めて退職金をもぎ取った。
投資を行えば『【A】この銘柄は3時間後に暴落する』という警告が出る。
ナンパをすれば『【B】この女性は今、寂しさを感じている。正解ワードは「映画」』と答えが表示される。
「ははっ! 簡単だ! 人生なんて所詮、パラメータ調整されたプログラムに過ぎない!」
啓介は笑いが止まらなかった。
失敗の恐怖がない。迷う時間も不要。
最短最速で、彼は高級タワーマンションの一室を手に入れ、美女を侍らせ、シャンパンタワーの頂点に立った。
そういえば最近、表示される選択肢の数が減ってきた。
三択が、二択に。二択が、一択に。
「いいことだ。ノイズが減って、正解だけが残る」
サプライズ? 不要だ。
ハプニング? 欠陥品だ。
すべてが予定調和された世界こそが、至高のエンターテインメントなのだ。
――そう、信じていた。あの日までは。
その日の朝、視界に表示されたウィンドウは、いつもと少し様子が違っていた。
『【確定イベント】10時05分、駅のホームから転落し、電車に轢かれて死亡する』
啓介はコーヒーを吹き出しそうになった。
時刻は9時30分。これから外出する予定だったが、当然キャンセルだ。
「おいおい、バグか? 死ぬわけないだろ。俺は家にいるんだから」
彼はソファーに深く座り込み、外出を取りやめた。
これで回避完了。そう思った瞬間だった。
『警告:シナリオからの逸脱を検知。修正措置を実行します』
空中に赤い文字が明滅する。
同時に、啓介の身体がガクリと跳ねた。
「な、なんだ? 手が……足が、勝手に!?」
意思とは無関係に、筋肉が収縮する。
まるで、見えない糸に操られるマリオネットのように、啓介は立ち上がり、玄関へと歩き出した。
「やめろ! 止まれ! 俺は行きたくない!」
叫んでも、口は勝手に靴紐を結んでいる。
恐怖で涙が溢れるが、足は軽快なリズムでドアを開けた。
『伏線回収:貴方は言いましたね。「意外な結末なんてのは、無能の言い訳だ」「プロの仕事とは、あらかじめ提示された結末に向かって整合性を取ることだ」と』
サイフォンの冷徹な声が脳内に響く。
「ふざけるな! これは俺の人生だぞ!」
『ええ。ですから「ご都合主義」は排除しました。貴方は結末を知っている。ならば、その結末に向かわないのは「キャラ崩壊」であり「プロットの破綻」です』
「いやだ、いやだいやだ……!」
『ご安心を。結末までの無駄な時間は、省略して差し上げます。――貴方も、そうなさってきたでしょう?』
駅のホーム。
電車が近づく轟音が聞こえる。
啓介の意識は必死にブレーキをかけているのに、身体はスムーズに黄色い線の外側へと歩みを進める。
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!! 助けてくれ!!」
『貴方の望んだ「確定された世界」ですよ。さあ、ラストシーンです。綺麗な放物線を描いてください』
10時05分。
啓介の身体は、完璧なタイミングで宙を舞った。
激痛と衝撃の後、啓介は奇妙な感覚に包まれていた。
痛みはない。だが、動けない。
目を開けると、そこは駅のホームだった。
しかし、誰も彼を見ない。彼を通り抜けていく。
サイフォンが、線路の脇に立って手帳に何かを書き込んでいた。
「素晴らしい。完璧な『死亡シーン』でした。これにより、貴方はこの世界の『背景素材』として固定されました」
「……あ……あ……」
声が出ない。
いや、自分自身が「駅のホームにある染み」や「注意書きの看板」といった、単なるテクスチャデータに変換されているのを感じる。
「貴方は未来を知りすぎた。結果を知っている人間に、選択の自由などありません。あるのは、決められたレールをなぞる義務だけ。……これからは永遠に、ここで『悲惨な事故の痕跡』として、他人の物語を彩ってください」
サイフォンは帽子を取り、優雅に一礼した。
「ああ、それと。物語にはオチが必要ですよね? 貴方はもう、誰にもネタバレできませんよ。誰からも認識されないのですから」
絶望する間もなく、啓介の意識は静止画した。
サイフォンは、中空に浮かぶモニターに向かって、読者に微笑みかける。
「人間というのは不思議な生き物です。未来を知りたがるくせに、いざ未来が確定すると、その不自由さに泣き叫ぶ。不確定な明日があるからこそ、人は今日を選べるというのに」
彼は懐から万年筆を取り出し、虚空に×印を刻んだ。
「貴方も、あまり先のことは知りすぎない方がいいですよ? 楽しみが減ってしまいますからね……くっくっく」
そして、サイフォンは画面の向こう側にいる「あなた」をじっと見つめた。
まるで、値踏みをするような冷たい視線で。
「さて、今回の物語……いかがでしたか? 愚かな彼が迎えた必然の結末。もし楽しんでいただけたのなら……ええ、わかっていますよね?」
彼は白い手袋をはめた指先で、画面の下を指し示した。
「私への報酬は『★5評価』だけで結構です。さあ、そこにボタンがあるでしょう? 嫉妬でも、優越感でも、どんな感情でも構いません。……押してください。そうすれば次は、貴方の願いを叶える番かもしれませんよ?」
「これにて第07話:『@Laplace_Demon』の予知と確定は完結です」
『403 Forbidden
選択権限がありません。既定の処理を実行します
※ネタバレ注意:この先の結末は変更できません』




