第06話:『Glit_Cheater』の最適解と座標喪失
午前3時。
デュアルモニターのブルーライトが、暗い部屋を不健康な青色に染め上げていた。
漆原享(26歳・システムエンジニア)は、無機質な瞳で画面上のチャットログを眺めていた。
画面の中では、MMORPGのプレイヤーたちが阿鼻叫喚の声を上げている。
『ふざけんな! 苦労して集めたレア装備が消えたぞ!』
『運営! 早くチーターをBANしろ!』
『3年育てたキャラだったのに……もう引退します』
「馬鹿だなあ、真面目にやるなんて。データなんだから、効率的に書き換えればいいのに」
漆原は鼻で笑い、手元のキーボードでコマンドを打ち込んだ。
彼のアバターが、本来入れるはずのない壁の向こう側――「裏世界」へと滑り込む。
そこから、ボスモンスターを一方的に攻撃し、ドロップアイテムを無限に増殖させる。
彼のハンドルネームは『Glitch_Cheater』。
バグやグリッチ(不具合)を悪用し、ゲームバランスを崩壊させることを至上の喜びとする愉快犯だ。
だが、ふと手を止める。
画面の中のアバターは最強の装備を身に纏っているが、周囲には誰もいない。
圧倒的な力を持っているのに、そこにあるのは「孤独」と「排除」だけだ。
「……チッ、つまんねーの。どいつもこいつもレベルが低すぎて、張り合いがねえな」
漆原は舌打ちし、ブラウザを開いた。
もっと刺激的な「攻略対象」を探そうとしたその時、画面の端に簡素なバナーが現れた。
『一生懸命書きました。アナタの人生「あなた」の幸せがココに詰まっています。』
黒地に白文字。
デザインセンスの欠片もない、素人がペイントソフトで作ったような画像。
普段なら「クリック詐欺乙」とスルーするはずだった。
だが、なぜかそのバナーの裏側に潜む「コード」のような気配が、彼のハッカーとしての直感を刺激した。
吸い寄せられるようにクリックする。
遷移先は『カタルシス』という謎の投稿サイト。
『【完結保証】アナタの人生「あなた」が主人公の物語』
作者名:サイフォン
作品タイトルは『異世界コード・ブレイカー ~元天才ハッカーの俺、暗殺スキルで世界をデバッグする~』
「……はっ、ベタなタイトルだな」
苦笑しつつも、漆原は興味を惹かれて読み始めた。
内容は、彼の好みに合致していた。
主人公は現代の天才ハッカー。
異世界に転生した彼は、魔法術式を「ソースコード」として視覚化できる能力を持っていた。
彼は正面から戦わない。
敵の魔法障壁のセキュリティホール(脆弱性)を一瞬で解析し、バックドアを仕掛けて心臓を停止させる。
国家転覆も、王の暗殺も、寝室にいながら遠隔操作で完遂する。
「ほう……悪くない」
漆原の指がスクロールする。
主人公は「効率」を愛し、無駄な戦闘を嫌い、スマートに敵を排除して成り上がっていく。
だが――読み進めるうちに、漆原の眉間に皺が寄った。
「……遅い。なんでいちいち『解析』に時間をかける?」
作中の主人公は、敵の弱点を見つけるために観察したり、情報を集めたりしていた。
漆原にはそれがまどろっこしかった。
「俺なら、敵のパラメータを直接『0』に書き換える。解析なんて不要だ。
移動もトロい。馬車で隠密移動? 座標指定してテレポートすれば終了だろ。
動いてる無駄なプロセスは、全部殺す。それが最適化ってもんだ」
最終話。
主人公は「影の支配者」として国を裏から操る存在になり、その「神業」を称賛されて終わる。
漆原は鼻を鳴らした。
「甘いな。この作者、ハッキングの本質を分かってない。
これじゃただの『手際の良い暗殺者』だ。本当のチートってのは、世界の理そのものを無視することだろ」
画面の最下部に、評価システムが表示されていた。
『面白かったら★5評価をお願いします』
物語の設定は最高だ。魔法=コードという世界観は、まさに彼のためにあるようなものだ。
だが、プレイヤー(主人公)の腕が未熟すぎる。
彼は物語への称賛など微塵もなかった。
ただ、このセキュリティホールの塊のような世界観だけは、自分の遊び場として高く評価してやったのだ。
「ダセー主人公だったな。★1レベル。まあ、この異世界のガバガバ設定は笑えたから★5にすっか」
カチリ。
★5の星マークが、黄色く輝いた。
その瞬間。
バチバチバチッ!!
モニターから火花が散り、漆原はのけぞった。
「うわっ!? なんだ!?」
ノイズが走る画面から、白い手袋をした男の手がぬっと伸びてきた。
手はモニターの枠を掴み、強引にこちらの世界へ這い出してくる。
「おやおや、そんなに驚かないでくださいよ。今時、幽霊だってモニターから出てくる時代じゃないですか。なら、悪魔が出てきたって何の不思議もありませんよ……くっくっく」
燕尾服を着た男は、空中に浮遊しながら漆原を見下ろした。
「あ、悪魔……? なんだお前、演出か?」
漆原は混乱しながらも、口元を歪めた。
これがゲームの隠しイベントなら、とんでもないレアものだ。
「はじめまして、『Glitch_Cheater』様。わたくし、小説家のサイフォンと申します。先ほどは稚作への高評価、誠にありがとうございました」
男は優雅に一礼した。
「契約成立です。お礼に、貴方の嫌いな人を小説で殺して差し上げましょう。さあ、誰ですか? 貴方をBANしたがっている運営ですか? それとも、貴方に装備を消されて泣いているプレイヤーの皆様ですか?」
「殺す? ……興味ねーな」
漆原は肩をすくめた。
「あいつらは敵ですらない。障害物にもならない、ただのNPCだ。憎むだけ処理の無駄だろ」
「おや、殺したい相手がいないとおっしゃる?」
サイフォンはモノクルの奥で、愉しげに目を細めた。
「安心してください。そんな時は、『嫌いな現実』を生きるアナタ自身を殺してしまえばいいのですよ」
「……は? 俺を殺す?」
「ええ。最強なのに、誰もいない。張り合いのない現実に飽き果てた、その退屈な漆原享を削除するのです。推敲しましょう。今の人生を物語の人生で上書きするのです」
漆原はしばし黙り――そして、ニヤリと笑った。
「……いいぜ、乗った。ただし条件がある」
彼はモニターに残る作中作を指差した。
「お前がこの世界の管理者か?
いい世界観を作ったな。だが、主人公のプレイングがぬるすぎる。
俺に代われ。もっと効率的に、無駄なく世界を攻略してやる」
サイフォンは漆原の傲慢な要求に、深く満足したように頷いた。
「強欲なユーザーだ……素晴らしい。
ええ、差し上げましょう。貴方が望む『究極の効率』を追求できる環境を」
サイフォンがパチンと指を鳴らす。
漆原の意識は、強烈な光の中に吸い込まれていった。
再起動。
漆原が目を開けると、そこは王宮の影、暗殺者の隠れ家だった。
彼は全身を黒い装備で包み、手にはデータの輝きを放つ短剣が握られている。
視界の端には、期待通り「デバッグメニュー」のアイコンが浮いていた。
「ははっ、マジかよ! 話が早い運営だ!」
漆原は、空間からキーボードを出現させると即座にメニューを開いた。
小説の主人公のように、地道に情報を集めるつもりなど毛頭なかった。
マップを開く。王宮の最奥に、王の反応。
「座標指定――っと」
一瞬で景色が変わった。
玉座の間。衛兵が異変に気づくより早く、漆原は王のステータスウィンドウを開き、HPの数値をゼロに書き換えた。
王は、音もなく玉座から崩れ落ちた。
「あっけね~! おいサイフォン、見てたか? これが『最適解』だ!」
再びテレポートで隠れ家へ。
城が大混乱に陥る頃には、彼の手元に「王殺し」の称号と莫大な報酬が転がり込んでいた。
次は宰相。次は敵国の将軍。
座標指定、数値書き換え、帰還。3手で終わる作業ゲーだ。
だが、数をこなすうち、漆原は苛立ち始めた。
「……重いな、この世界」
テレポートのたびに、一瞬のロードが挟まる。
視界の隅では、雲が流れ、川がせせらぎ、NPCが意味もない無駄話をしている。
SEの本能が告げていた。
無駄なプロセスが、多すぎる。
ふと、自分の指先がキーボードをすり抜けた――気がした。
「……ん? 表示バグか」
気にも留めなかった。
「よし。掃除してやるよ」
漆原はデバッグメニューから、この世界の稼働プロセス一覧を呼び出した。
物理演算。衝突判定。座標補正。天候制御。NPC思考。
「暗殺に必要ないもんばっかりだ。……特にこれだな。『座標補正』。テレポートのたびに割り込んで、俺の足を引っ張ってた犯人はお前か」
補正、検証、念のため――そんな処理は、現実の仕事でも真っ先に切り捨ててきた。
「無駄なプロセスは――全部殺す」
全選択。一括終了。
漆原は高らかに宣言し、実行キーを叩いた。
ガタガタガタッ!!
世界が激しく振動した。
足元の床が消失し、彼は何もない空間に投げ出されていた。
「な、なんだ!?」
漆原は慌てて修正コマンドを打ち込もうとした。
だが、指がキーボードをすり抜ける。
自分の手を見れば、指と指が重なり合い、融合し、ドロドロのポリゴンになって混ざり合っていた。
「うわぁっ!? て、手が! 当たり判定がないぞ!?」
その時、空中にシステムウィンドウが出現した。
『Warning : Critical Error. Physics Engine Not Found.』
「物理エンジンが見つからない……? いや、待て、俺が切ったのは無駄なプロセスだけで……」
漆原が狼狽えていると、背後の闇からサイフォンが現れた。
彼は漆原の惨状を見て、愉快そうに肩を震わせている。
「おやおや、見事なお掃除でしたねぇ。ええ、貴方の操作は一切バグっていません。完璧に実行されましたよ」
「サイフォン! 戻せ! 早く直せ!」
「壁があるから床があり、床があるから貴方は立っていられる。……その全部を、貴方はご自分の手で終了なさったのですよ」
漆原の体は、際限なく落下を始めた。
そこは地面の下の「裏世界」。テクスチャの貼られていない、無限の暗闇。
「物質には『ここに在る』という証明が必要です。
しかし、衝突も、補正も、物理も失った貴方を、世界はもう認識できません。
――座標の取得に、失敗しました」
「や、やめろ! 戻せ! 俺は主人公だぞ!?」
「いいえ。貴方はただの『不正データ』です。
正規のルートを通らないデータは、ガベージコレクション(ゴミ掃除)の対象でしかありません。
……お掃除がお好きなのでしょう? 最後のゴミは、私が片付けておきます」
「助けてくれぇぇぇ!! 真面目にやる! ちゃんと歩くからぁぁぁ!!」
漆原の絶叫は、ドップラー効果のように歪みながら遠ざかっていった。
彼は裏世界の闇へと吸い込まれ、最後には一粒のドットとなって消失した。
誰もいなくなった空間に、サイフォンだけが佇んでいる。
彼は空中に浮かんだデバッグメニューを操作し、漆原の存在データを『削除』した。
「近道を探すのは賢いことですが、道そのものを消してしまっては、どこへも行けませんからねぇ」
彼は満足げに頷くと、画面の向こう側の読者へ視線を向けた。
「貴方も、人生の『攻略』を焦ってはいませんか?
失敗や遠回りを『バグ』として消し続ければ、最後に残るのは――どこにも接続されない、貴方自身かもしれませんよ」
サイフォンは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「これにて第06話:『Glitch_Cheater』の最適解と座標喪失は完結です。
……ああ、お忘れなく。この『バグ』だらけの悲劇がお気に召しましたら、是非とも★5の評価を。
貴方のそのワンクリックが、次の迷える素材を救済するエネルギーになるのですから……くっくっく」
サイフォンは優雅に帽子を取り、一礼した。
画面が暗転し、冷酷なステータスコードが表示された。
『503 Service Unavailable
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※現在地を取得できません』




