第03話:『Market_Maker』の独占と在庫処分
6畳一間のアパートは、夏場でもないのに異様な熱気に包まれていた。
部屋の四隅に設置された業務用ラックには、10数台のPCとスマートフォンが鎮座し、ファンの回転音が絶えず唸りを上げている。
それ以外のスペースは、天井まで積み上げられた段ボールの山で埋め尽くされていた。
財前儲は、モニターの光に照らされた顔を歪めて笑った。
「よし、買えた。全部買い占めたぞ」
画面には『購入完了』の文字が並んでいる。
今日発売の限定版ゲーム機。定価5万円だが、市場価格は既に10万円を超えている。それをツールを使って100台確保した。
一撃で、500万円の利益だ。
「チョロいもんだな。情弱どもが」
彼は『Market_Maker』というハンドルネームでSNSを開いた。
タイムラインは阿鼻叫喚だ。
『また買えなかった』
『転売ヤー死ね』
『子供の誕生日なのに』
財前は鼻で笑い、予め用意していた定型文を投稿する。
『買えないのは努力不足です。我々は市場の流動性を高めているだけ。嫌なら定価で買おうとする乞食根性を直しましょう』
即座に罵詈雑言のリプライが飛んでくる。
それが心地よかった。
持たざる者たちの嫉妬。敗者たちの遠吠え。
この世は金だ。商品を右から左へ流すだけで、汗水垂らして働く社畜の年収を1日で稼ぎ出す。
これこそが「賢い生き方」なのだ。
「さて、次の商材は……」
財前は別のモニターに視線を移した。
次のターゲットを探すため、Web広告の巡回ツールを走らせていた時だ。
不自然なポップアップが、監視ツールの最前面に割り込んできた。
『一生懸命書きました。アナタの人生「あなた」の幸せがココに詰まっています。』
黒地に白文字。デザインセンスの欠片もない、素人臭いバナーだ。
普段ならスパム認定して閉じるはずだった。
だが、その不気味なほどの素朴さが、金に汚れた彼の目に、妙に異質なものとして映った。
「な、なんだ……?」
視線が外せない。
ただの黒いバナーのはずなのに、モニターの奥底から何者かが手招きしているような、底知れない引力を感じる。
商売人の勘が「関わるな」と警鐘を鳴らしている。
閉じろ、無視しろ。
しかし、思考とは裏腹に、指先が勝手に動いた。
「おい、待て……なんで……」
まるで何かに操られるように、財前の指は震えながらマウスをクリックした。
サイト名は『カタルシス』。
『【完結保証】アナタの人生「あなた」が主人公の物語』
作者名:サイフォン
あらすじには、こうある。
『アナタの人生「あなた」が主人公の物語です。もし、お気に召したら★5をお願いします。』
「なんだ、ただのWeb小説か」
舌打ちをしてブラウザを閉じようとしたが、小説のタイトルが目に入り、指が止まった。
『無限の蔵~世界の全てを独占する唯一の商人~』
主人公の名前は「ザイゼン」。
異世界に転生した彼は、「アイテムボックス」というスキルを持っていた。
だが、ただの収納魔法ではない。
その世界に存在する「希少なアイテム」の全てが、最初から彼のボックスの中に収納されているのだ。
伝説の剣、万病を治す霊薬、王家の秘宝。
世界に一つしかないそれらを、ザイゼンは独占している。
勇者も、国王も、魔王さえも、彼に頭を下げなければ何も手に入らない。
「……なんだこれ。最高じゃねぇか」
財前は画面に食い入った。
PCの前で張り付く必要もない。
ツールを調整する手間もない。
ただ座っているだけで、世界中の需要が彼に集中する。
「1億ゴールドだ。嫌なら他を当たれ。まあ、他にはないがな」
作中のザイゼンが言い放つ。
勇者は涙を飲んで全財産を差し出す。
その描写に、財前は脳髄が痺れるような快感を覚えた。
これだ。俺が目指しているのはこれだ。
中抜きではない。絶対的な支配。
価格決定権を完全に握り、市場そのものをコントロールする神の視点。
読み終えた時、財前の目には血走った欲望が浮かんでいた。
現実は面倒だ。
在庫の保管場所、発送の手間、アカウント停止のリスク、アンチからの嫌がらせ。
そんなノイズがない世界。
全てを独占し、誰もが俺にひれ伏す世界。
画面の下に、評価ボタンが表示される。
『面白かったら★5評価をお願いします』
「★5だ。文句なしの★5だ」
財前は迷わずクリックした。
このアイデア、パクって情報商材にすれば売れるかもしれない。
そんな浅ましい計算も頭の片隅にあった。
カチリ。
乾いたクリック音が響いた、その瞬間。
ズズズズ……。
部屋中の段ボール箱が、一斉に振動を始めた。
地震か?
いや、違う。モニターだ。
10数台あるモニターの全てがブラックアウトし、そこから黒い霧のようなものが噴き出している。
「な、なんだ!? ショートしたのか!?」
財前が椅子から飛び退くと、黒い霧は空中で収束し、一人の男の形を成した。
シルクハットにモノクル。
時代錯誤な燕尾服をまとった紳士が、乱雑に積み上げられた段ボールに腰掛けていた。
「おやおや、そんなに驚かないでくださいよ」
男は手元の段ボール――中身は限定版フィギュアだ――を値踏みするように撫でながら、ニヤリと笑った。
「今時、幽霊だってモニターから出てくる時代じゃないですか。なら、悪魔が出てきたって何の不思議もありませんよ……くっくっく」
「あ、悪魔……? 誰だお前! そこは商品置き場だぞ! 指紋がつくだろ!」
財前の怒号に、男はきょとんとした顔をした。
そして、盛大な溜息をつく。
「やれやれ。悪魔を前にして、命より在庫の心配ですか。……さすがは『Market_Maker』様だ」
「なっ……俺のハンドルネームを……?」
「はじめまして。わたくし、小説家のサイフォンと申します。先ほどは拙作への高評価、誠にありがとうございました」
サイフォンと名乗った男は、帽子を取って優雅に一礼した。
「契約成立です。お礼に、貴方の嫌いな人を小説で殺して差し上げましょう。さあ、誰ですか? 商売敵の転売屋ですか? それとも転売対策を強化するメーカーの担当者ですか?」
殺す。
物騒な提案だが、財前の思考は損得勘定で動いた。
ライバルがいなくなれば、利益は増える。
だが、一人二人消したところで、雨後の筍のように湧いてくるだろう。
効率が悪い。
「……いないな。特定の個人に恨みなんざねぇよ。俺が興味あるのは数字だけだ」
「おや、殺したい相手がいないとおっしゃる?」
サイフォンは面白そうに目を細めた。
そして、部屋を埋め尽くす在庫の山を見渡し、冷ややかに告げる。
「安心してください。そんな時は、『嫌いな現実』を生きるアナタ自身を殺してしまえばいいのですよ」
「は? 俺を殺す?」
「ええ。貴方はこの部屋に愛着などないでしょう? 寝る場所もない、発送作業に追われる、ただの商品倉庫。貴方が本当に欲しいのは、『物』ではなく『支配』だ」
サイフォンが指先で空中に円を描く。
そこには、先ほどの小説の光景が映し出された。
黄金に輝く宝物庫。そこに立つ、絶対的な支配者としてのザイゼン。
「推敲しましょう。今のせせこましい転売生活を、物語の人生で上書きするのです。世界の全てを独占する、唯一無二の商人に」
ごくり、と財前は唾を飲み込んだ。
この薄汚いアパートとおさらばできる。
いちいちツールを監視する必要もない。
俺がルールだ。俺が市場だ。
「……条件は? 金か?」
「いえいえ。頂いた★5評価だけで十分ですよ。読者様」
サイフォンがパチンと指を鳴らした。
世界が一瞬で反転する。
PCの排熱の臭いが消えた。
狭い天井が消え、視界の果てまで続く巨大な石造りの空間が広がった。
そこには、見たこともない財宝、武具、秘薬が山のように積まれている。
「す、すげぇ……」
財前は震える手で、近くにあった剣を手に取った。
鑑定スキルなどなくても分かる。国宝級の代物だ。
これ1本で、城が買えるだろう。
それが、ここには無数にある。
巨大な扉が開き、豪奢な服を着た男たちが駆け寄ってきた。
王冠を被っている。どこかの国の王だろう。
「ザイゼン様! どうか、どうか我が国に秘薬をお売りください! いくらでも出します!」
「いいえ、我が国に聖剣を! 領土の半分を差し上げます!」
王たちが地面に額を擦りつける。
財前は、腹の底から笑いが込み上げてくるのを抑えきれなかった。
「ははは! いいぞ、もっと競え! 吊り上げろ! 俺の言い値が相場だ!」
最高だ。
これこそが、俺が求めていた景色だ。
努力も工夫もいらない。
ただ持っているだけで、世界が俺に屈服する。
財前は恍惚の表情で、宝の山に背を預けた。
永遠に続く支配。尽きることのない富。
俺は神になったんだ。
――その時だった。
『ピロン』
無機質な電子音が、広大な宝物庫に響き渡った。
どこからだ?
財前が周囲を見回すと、空中に半透明のウィンドウが浮かんでいることに気づいた。
それは、彼が使い慣れた「在庫管理ツール」の画面によく似ていた。
『在庫チェック開始。……不良在庫を検知しました』
「あ? 何言ってんだ。ここは全部お宝だぞ」
財前が毒づいた瞬間、彼の身体が急に重くなった。
手足が動かない。声が出ない。
視界が急速に狭まっていく。
(な、なんだ? 金縛りか?)
カツ、カツ、カツ。
足音が近づいてくる。
あの燕尾服の男だ。サイフォンが、バインダー片手に現れた。
「おやおや、困りましたねぇ。この商品は動きが悪い」
サイフォンは、財前の顔を覗き込んだ。
いや、彼が見ているのは財前ではない。
財前の額に貼り付けられた「値札」だ。
「貴方は望んでいましたよね? 誰にも渡したくない。独占したい。言い値で売りつけたいと」
サイフォンがペンを走らせる。
財前の視界の端にある価格表示が、桁違いの数字に書き換えられていく。
『価格:9999兆ゴールド』
「ふむ。これなら誰も買えませんね。世界中の富を集めても届かない。まさに『世界一の高値』がついた商品です」
(は……? ふざけんな! 俺は売る側だぞ!)
叫ぼうとするが、唇は硬質化していた。
手足の感覚が消える。
皮膚がプラスチックのように無機質な光沢を帯びていく。
彼は人間ではなくなった。
棚に並べられた、ただの「フィギュア」になったのだ。
「貴方は常々おっしゃっていた。『買えないのは努力不足』だと。なら、貴方が誰にも買われないのも、誰かの努力不足なのでしょうかねぇ……くっくっく」
サイフォンは意地悪く笑うと、巨大な段ボール箱を取り出した。
財前の視界が、茶色い壁に覆われていく。
「さて、売れる見込みのない商品は、倉庫の肥やしです。光の当たらない棚の奥で、永遠に出荷の時をお待ちください」
バタン。
蓋が閉められた。
ガムテープを貼る、ビーッという音が鼓膜に響く。
暗闇。完全な静寂。
狭い箱の中で、意識だけが鮮明に残っている。
動けない。見えない。聞こえない。
ただ、「高すぎて誰も買わない在庫」として、永遠にここに在り続ける恐怖だけが残った。
箱の外から、サイフォンの声が遠く聞こえた。
「これにて第03話:『Market_Maker』は完結です。……読者の皆様。この売れ残りがお気に召しましたら、高額転売せずに★5評価をお願いしますね」
足音が遠ざかっていく。
後には、誰にも見つけられることのない、梱包された絶望だけが積み残された。
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