第02話:『KIRARA』の虚飾と素材化
映見はスマートフォンの画面をタップし、画像の明るさをプラス15、彩度をプラス10に調整した。
画面の中で、コンビニで買った300円のカップケーキが、高級ホテルのラウンジで供されるスイーツのように輝き出す。
背景に映り込んだ生活感のあるゴミ箱は、AI消しゴム機能で丁寧に抹消済みだ。
「よし。いい素材」
彼女にとって、世界は二種類しかない。
「素材になるもの」と「ノイズ」だ。
先週、半年ぶりに会った友人との写真も、自分の写りが良い一枚だけを残した。投稿の際、友人の顔はスタンプで潰してある。
用が済んだ素材に、二枚目はいらない。
彼女は『送信』ボタンを押した。
アカウント名は『KIRARA』。フォロワー数は5万人を超える。
プロフィール欄には「丁寧な暮らし」「美容」「カフェ巡り」といった、聞こえのいい単語が並んでいる。
『午後のティータイム。自分へのご褒美に、お気に入りのパティスリーへ来ています』
嘘だった。
ここは築40年の木造アパートの一室だ。
6畳の部屋は、足の踏み場もないほど散らかっている。
脱ぎ捨てられた服、飲みかけのペットボトル、撮影用に買ってタグだけ残したブランドの紙袋。
カーテンを閉め切った薄暗い部屋で、映見は膝を抱え、通知を待った。
ブブッ。
すぐに反応があった。
『KIRARAさんのセンス憧れます!』
『私もそこ行きたいです~』
『今日も可愛いですね!』
その中に、一件のDMが混じっていた。
『KIRARAさんが紹介してたサプリ、思い切って3ヶ月分買いました! 私もKIRARAさんみたいになれますよね?』
映見は定型文をコピペして返信した。
『絶対なれるよ♡ 続けることが大事だからね』
効果なんて知らない。飲んだことすらない。
でも、紹介料は入る。
信じる方が悪い。あの子たちは私の「収益」という素材だ。
承認の電子音が鳴るたび、脳の奥が痺れていく。
この数字こそが、私という人間の全てだ。
ふと、スマートフォンの画面が暗転し、自分の顔が映り込んだ。
ボサボサの髪にすっぴん、目の下にクマを作った、冴えない女。
「……見たくない」
映見は舌打ちをして、急いで画面を点灯させた。
現実の自分なんてゴミだ。
加工アプリを通さないと、鏡も見られない。
逃げるようにタイムラインをスクロールする。
他人のキラキラした投稿。海外旅行、高級ディナー、プレゼント。
こいつの鼻、整形じゃない? このバッグ、レンタルでしょ?
疑心暗鬼と嫉妬が渦巻く。
私の方が、もっと見られるべきなのに。
その時、指先が止まった。
見慣れない広告が、タイムラインの間に挟まっていた。
『一生懸命書きました。アナタの人生「あなた」の幸せがココに詰まっています。』
黒地に白文字。デザイン性のかけらもない、素人がパワーポイントで作ったようなバナーだった。
普段なら「ダサい」と一蹴してスルーするはずだった。
だが、その不気味なほどの素朴さが、嘘で塗り固められた彼女の目に、妙に異質なものとして映った。
黒いバナーの奥から、何者かが手招きしているような――底知れない引力を感じる。
「アナタの人生、ねぇ……」
操られるように、指が動いた。
サイト名は『カタルシス』。
『【完結保証】アナタの人生「あなた」が主人公の物語』
作者名:サイフォン
『アナタの人生「あなた」が主人公の物語です。もし、お気に召したら★5をお願いします。』
物語の主人公の名前は「キララ」だった。
王国の公爵令嬢。
生まれながらの絶世の美貌。肌は白磁のように滑らかで、瞳は宝石のように輝いている。
もちろん、加工なんて必要ない。
朝起きた瞬間から、彼女は世界一美しかった。
(……なによこれ。ベタな設定)
鼻で笑いながら読み進める。
物語の中のキララは、何もしない。
ただ微笑むだけで、王子が求婚してくる。
ただ座っているだけで、絵画のようだと称賛される。
努力も、演出も、画角の調整もいらない。
彼女が存在するだけで、世界中が「いいね」を押しているようなものだった。
(……あれ。この子、最後まで一言も喋ってなくない?)
ふと引っかかったが、すぐに打ち消した。
台詞なんていらない。存在が完璧なら、言葉はノイズだ。
悔しかった。
画面を握る手に力がこもる。
私は毎日、必死に光を探して、角度を研究して、何十分もかけて加工しているのに。
この主人公は、ただ「ある」だけで愛されている。
物語は、キララが国一番の聖女として崇められ、永遠の美を約束されるハッピーエンドで幕を閉じた。
読了後、映見の頬には涙が伝っていた。
羨ましい。
加工アプリの中だけの虚像じゃなくて、これが本当の私だったら。
画面最下部に、評価ボタンが現れる。
『面白かったら★5評価をお願いします』
「……面白くはないわよ。都合が良すぎて、リアリティがない」
独り言をつぶやく。
だが、指は動いた。
(あげるわよ、★5くらい。どうせ誰も見てない過疎サイトでしょ)
それは、自分への嘘だった。
本当は、この物語に縋り付きたかった。
彼女は震える指で、一番右の星をタップした。
ザザッ。
不快なノイズが走り、画面が歪んだ。
アプリが落ちたのかと思った直後、液晶の奥から「手」が伸びてきた。
白い手袋を嵌めた、紳士の手だ。
「きゃあぁぁっ!?」
映見はスマートフォンを放り投げた。
だが、手は画面の枠を掴み、強引に身体を引きずり出してきた。
シルクハットにモノクル。
時代錯誤な燕尾服を着た男が、散らかった6畳間に音もなく着地する。
「おやおや、そんなに驚かないでくださいよ」
男は服の埃を払う仕草を見せ、優雅に微笑んだ。
「今時、幽霊だってモニターから出てくる時代じゃないですか。なら、悪魔が出てきたって何の不思議もありませんよ……くっくっく」
「あ、悪魔……? な、なんなのよアンタ! 不法侵入で警察呼ぶわよ!」
「警察ですか。それは困りますねぇ。SNSでは『丁寧な暮らし』をしているはずのKIRARA様が、こんなゴミ溜めにお住まいだとバレてしまいますよ?」
「っ……!」
「はじめまして。わたくし、小説家のサイフォンと申します。先ほどは稚作への高評価、誠にありがとうございました」
怪異は恭しく一礼し、続けた。
「契約成立です。お礼に、貴方の嫌いな人を小説で殺して差し上げましょう。さあ、誰ですか? 貴女よりフォロワーの多いライバルですか? それとも――原価300円のサプリを、貴女を信じて買い続けているフォロワーの皆様ですか?」
「な……なんで、それを……」
「取材は執筆の基本ですので」
殺す。
言葉の冷たさに背筋が凍る。
消えてほしいと思ったことはある。
自分より可愛くて、金持ちで、幸せそうな女たち全員。
でも、一人を選べと言われても、顔が浮かばない。
私が本当に憎いのは――。
「……いない? おや、殺したい相手がいないとおっしゃる」
サイフォンは、映見の顔を覗き込んだ。
モノクルの奥の瞳が、心の底まで見透かすように細められる。
「安心してください。そんな時は、『嫌いな現実』を生きるアナタ自身を殺してしまえばいいのですよ」
「私を……殺す……?」
「先ほど、ご自分でおっしゃったでしょう。『現実の自分なんてゴミ』だと。――ゴミは、削除するに限ります」
サイフォンが、床に落ちたスマートフォンを拾い上げた。
画面には、過剰に加工された映見の自撮りが映っている。
「推敲しましょう。今の人生を物語の人生で上書きするのです。嘘も加工も必要ない、本物の『キララ』に」
悪魔の囁きだった。
だが、それはどんな救いの言葉よりも甘美に響いた。
「……なれるの? あの小説の主人公に」
「ええ。貴女が★5を押して契約した通りに」
サイフォンが指を鳴らした。
世界が粒子のレベルで分解され、再構築されていく。
カビ臭い空気は花の香りに変わり、薄汚れた壁紙は大理石の柱になった。
着ていたジャージは、最高級のシルクのドレスへと変化する。
窓の外には美しい庭園が広がり、通りかかった召使いが頬を染めて跪いた。
「おはようございます、キララ様。今日も世界で一番お美しい」
映見は恐る恐る、姿見を覗き込んだ。
そこにいたのは、加工アプリの中の自分よりも、さらに完璧な美女だった。
修正なんていらない。フィルターもいらない。
私が、本物のキララだ。
彼女は鏡の前でポーズを取った。
どの角度から見ても完璧だ。死角がない。
「すごい……これが、私……」
歓喜のまま、乱れてもいない髪を直そうとした。
だが、その手が届くより先に、侍女たちの手が完璧に整えてしまう。
「キララ様のお手を煩わせるわけには参りません」
紅茶に手を伸ばせば、カップの方が唇まで運ばれてくる。
何かを言いかければ、「皆まで仰らずとも」と先回りして意を汲まれる。
歩こうとすれば腕を支えられ、足はほとんど地を踏まない。
(……何もしなくて、いいんだ)
なんて楽なの。
撮影も、加工も、返信も、演出も、ぜんぶ。
行動は世界がやってくれる。私はただ、在ればいい。
映見はバルコニーへ導かれた。
眼下には大勢の民衆。彼らは一斉に見上げ、ため息を漏らす。
「美しい……」
「聖女様だ……」
視線が心地よい。
もっと見て。もっと私を称賛して。
カメラのレンズなどない。この世界のすべてが、私を映す瞳なのだ。
人生で一番の「いいね」を浴びている気分だった。
――ふと、気づいた。
自分がさっきから、一度も瞬きをしていないことに。
瞬きをしようとした。
できなかった。
手すりに置いた手が、離れない。
足も、首も、視線さえも。
空気が透明な樹脂に変わってしまったかのように、ピクリとも動かせない。
息ができない。
肺が膨らまない。
心臓の鼓動さえ、聞こえない。
視界の隅に、空中に浮かぶ文字が見えた。
『画像データ統合中……レイヤーを結合しました』
無機質なシステムログと共に、あの男が現れた。
サイフォンは、空中に浮かべた巨大なモニターの前で、ペンタブレットを構えている。
そこには、バルコニーで微笑む「キララ」の画像が表示されていた。
「おやおや、そんなに硬くならないでください。……ああ、失礼。硬くなっていただくのが仕様でしたね」
サイフォンは楽しげに、動けない映見の頬をペチペチと叩いた。
感触がない。
自分の肌が、人間の肉体ではなく、硬質な「素材」に変わっている。
「では、仕上げに入りましょう。明るさ、プラス15。彩度、プラス10。……ええ、貴女のいつものレシピ通りです」
視界が、不自然なほど鮮やかに発色していく。
「呼吸や鼓動といった生活感は、AI消しゴムで消しておきました。貴女もいつも、そうなさっていたでしょう?」
(やめて……戻して……!)
心の中で叫ぶが、声にはならない。
「何もせず、ただ場面を華やかにするためだけに置かれる存在。我々はそれを『背景素材』と呼びます。ただ『在る』だけで愛されたい――お望み通り、動作も台詞も、もう永遠に不要です」
サイフォンは満足げに頷き、最後の仕上げとばかりに操作パネルを叩いた。
「保存形式は……劣化しないように書き込み禁止をかけておきましょう。これで貴女は永遠に歳を取らず、動かず、誰かに見られ続けることができますよ。おめでとうございます」
視界が固定される。
民衆たちの視線が、永遠に彼女に注がれる。
だがそれは、人間への眼差しではない。美術館の絵画や、ショーケースのマネキンを見る目だ。
瞬きさえ許されない瞳に、サイフォンの顔が近づく。
「ああ、それと。貴女のお顔にスタンプは押さないでおきますね。――せっかくの、いい素材ですから」
彼は画面の向こう側の「あなた」に向かって、恭しく一礼した。
「さて、これにて第02話:『KIRARA』は完結です。……読者の皆様、この美しい背景素材がお気に召しましたら、スクショと★5評価をお願いしますね」
サイフォンの指が、虚空のスイッチを切る。
映見の意識は、永遠に微笑む彫像の中に閉じ込められたまま、暗転した。
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