第01話:『ゴッド・アイ』の批評と削除
深夜2時。
安普請のアパートの一室で、評道健は脂ぎった親指で『送信』ボタンを叩いた。
爪の先には、コンビニ弁当の鶏肉のカスが挟まっている。
画面には、たった今投稿したコメントが表示されていた。
『一章で「魔法は詠唱必須」と書いてあるのに、三章で無詠唱で発動してますよね? ご都合主義もいい加減にしてください。設定資料集からやり直すことをお勧めします』
アカウント名は『ゴッド・アイ』。
フォロワー数は3桁にも満たないが、プロフィール欄には「辛口評論家。真の傑作しか認めない」と刻まれている。
十数分後、通知が鳴った。
標的の新人作家――投稿歴3ヶ月、ランキング圏外の素人だ――が、活動報告を更新したのだ。
『ゴッド・アイ様。ご指摘の通りです。自分には才能がありませんでした。本作の更新を停止し、筆を折ります。読んでくださった皆様、短い間でしたがありがとうございました』
「……ハッ」
背筋を、痺れるような快感が駆け上がる。
折った。
これで7人目だ。
俺は殴ってもいないし、脅してもいない。
ただ「正しい指摘」をしただけだ。
それで消えるなら、そいつに実力がなかっただけの話。
一生懸命なら評価されるとでも?
甘えるな。
結果が全てだ。
健は34歳の派遣社員だ。
昼間は倉庫で段ボールを仕分け、上司からは「おい」としか呼ばれない。
だが、この6インチの画面の中でだけは違う。
彼は神の視点を持つ審判者であり、未熟な作家どもの生殺与奪を握る処刑人なのだ。
「次だ、次」
獲物を探す獣の目で、ランキングをスクロールする。
異世界、転生、追放、ざまぁ。
流行に乗っただけの粗製乱造。吐き気がする。
俺ならもっとうまく書ける。
書かないだけだ。
まだ本気を出していないだけだ。
その時、スクロールする指が止まった。
極めてシンプルな、黒地に白文字だけのバナー広告。
派手なイラストも、煽情的なキャッチコピーもない。
ただ、明朝体でこう書かれていた。
『一生懸命書きました。アナタの人生「あなた」の幸せがココに詰まっています。』
健は眉をひそめた。
クリック率など端から捨てているような、不気味なほどの素朴さ。
だが、その「一生懸命」の五文字が、神経を逆撫でした。
一生懸命だから、何だ。
その甘えを、俺は今夜、7人目まで斬り捨ててきたばかりだ。
「……見てやるよ。どんな稚作か」
嘲笑を浮かべ、バナーをタップした。
サイト名は『カタルシス』。
聞いたことのない投稿サイトに、掲載作品はたった1つ。
『【完結保証】アナタの人生「あなた」が主人公の物語』
作者名:サイフォン
あらすじも一行きりだった。
『アナタの人生「あなた」が主人公の物語です。もし、お気に召したら★5をお願いします。』
「ナメてんのか」
毒づきながら、第一話を開く。
主人公の名前は「ケン」。34歳、倉庫作業員。
描写されるアパートの間取りも、床に転がる弁当の残骸も、まるで今この部屋を盗撮したかのようだった。
「……俺をモデルにしたつもりか。リアリティだけはあるな」
その異常さを「作者の悪趣味なリサーチ」としか捉えられないまま、読み進める。
物語のケンは、通勤途中に異世界へ召喚される。
ここまではよくある展開だ。
だが、その世界には奇妙な法則があった。
――批評が、世界を書き換えるのだ。
ケンが魔法体系の矛盾を指摘すれば、その場で世界の魔法体系ごと修正され、王宮魔導士長が「千年間、誰も気づきませんでした」と土下座する。
騎士団の作戦を嘲笑えば布陣が組み直され、王女が「貴方こそ真の軍師」と抱きつき、酒場の飯を貶せば、次の皿は完璧な味になって出てくる。
ただ欠点を指摘するだけで、世界の方がひれ伏して直るのだ。
「…………は?」
乾いた声が漏れた。
なんだこの小説は。
文章力は皆無。構成も破綻。主人公が全肯定されるだけの安っぽいポルノだ。
つまらない。
つまらないはずなのに、指が止まらない。
現実の健が倉庫の隅で腐らせてきた「俺は正しい」という自尊心を、この物語は全力で肯定してくる。
この「ケン」は俺だ。俺と同じスペックだ。
なら、なぜ俺は今、王女に抱きしめられていない?
最終話。ケンは「審美眼の英雄」として銅像を建てられ、永遠の栄誉を約束される。
画面の最下部に、評価欄が現れた。
『面白かったら★5評価をお願いします』
星は5段階。現在、評価ゼロ。
「……駄作だ。0点でもいいくらいだ」
口ではそう呟いた。
だが胸の奥では、ドス黒い感情が渦を巻いていた。
羨ましい。妬ましい。
このふざけた物語が、もし俺の現実だったら。
(★5をつけてやるよ。憐れみだ。こんなクソ小説、俺以外に誰も評価しねぇだろうからな)
それは言い訳だった。
本当は、たったワンクリックで、この「全肯定」と繋がっていたかったのだ。
健の指が、一番右の星に触れた。
カチリ。
その瞬間、画面が砂嵐のようなノイズに覆われた。
「うわっ!?」
取り落としたスマートフォンの液晶から、バチバチという異音と共に、黒い液体が滲み出す。
インクだ。
黒いインクが重力に逆らって立ち上がり、人の形を成していく。
シルクハット。モノクル。仕立ての良い燕尾服。
6インチの画面から、奇妙な紳士が這い出してきた。
「ひ、ひぃ……ッ!?」
「おやおや、そんなに驚かないでくださいよ。
今時、幽霊だってモニターから出てくる時代じゃないですか。
なら、悪魔が出てきたって何の不思議もありませんよ……くっくっく」
「あ、悪魔……?」
「左様。わたくし、小説家のサイフォンと申します。以後、お見知り置きを」
怪異は優雅に一礼し、心底嬉しそうに続けた。
「稚作を読んで下さる貴方は神様です。……して、先ほどの★5評価、しかと頂戴いたしました」
「あ、あれは間違いで……! 手が滑っただけで……!」
「おやおや。『結果が全てだ』――常々そう仰っているのは貴方でしょう? 押した、という結果が全てですよ」
健自身の言葉が、健の退路を断った。
「お礼に、貴方の嫌いな人を小説で殺して差し上げましょう。さあ、誰が憎いですか? 名前も呼んでくれない上司ですか? それとも、貴方の赤ペンで廃業なさった7名の作家先生のどなたかですか?」
「な……なんで、それを……」
「取材は執筆の基本ですので」
殺す。
物騒な単語に思考が凍りつく健へ、サイフォンは大げさに首を傾げてみせた。
「おや? 殺したい相手がいないとおっしゃる?」
「い、いない! 俺は誰も……!」
「嘘はいけませんねぇ。評論家なら、ご自分の心こそ客観的に批評なさい」
モノクルが怪しく光る。
「安心してください。そんな時は、『嫌いな現実』を生きるアナタ自身を殺してしまえばいいのですよ」
「……は?」
「貴方が一番低い星をつけていたのは、他人ではないでしょう。一文字も書けないまま、他人を折ることで自分を保ってきた――『評道健』という未完の駄作だ」
図星だった。
健が7人の作家に投げつけてきた言葉は、すべて、鏡に映る自分への罵倒だった。
「推敲しましょう。今の人生を物語の人生で上書きするのです。
貴方が★5をつけた、あの素晴らしい物語の通りにね」
サイフォンが指を鳴らした。
世界が反転した。
腐った弁当の臭いが消え、薄汚れた壁紙が白亜の壁に変わる。
ヨレヨレのトレーナーは豪奢なローブに、窓の外の電信柱は中世の城下町に。
扉が開き、金髪の王女が駆け込んでくる。
「ケン様! ああ、探しましたわ!」
温かい。柔らかい。夢じゃない。
俺は、あの物語の主人公になったんだ。
そして健は、すぐにこの世界の「法則」を思い出した。
「……この城、様式が混在してるな。東翼だけ建築年代が矛盾してる」
試しに呟いた瞬間、ゴゴゴ、と地響きがして、城の東翼が組み変わった。
完璧な様式美へと「修正」されたのだ。
廷臣たちがどよめき、跪く。
「なんという御眼力……!」
「千年、誰も気づきませんでした……!」
「は……ははは!」
健は笑った。笑いが止まらなかった。
魔導士長の術式の穴を突けば魔法体系ごと書き直され、軍の布陣を嘲笑えば国防が丸ごと組み変わる。
空の色が安っぽいと呟けば、夕焼けが名画の茜色に染め直された。
創らなくていい。書かなくていい。
俺の赤ペンが、世界そのものを添削する。
俺は神の目。この世界を推敲する、唯一の批評家だ。
――至福の絶頂は、王宮のバルコニーで訪れた。
眼下を埋め尽くす民衆の歓声。
「審美眼の英雄」を讃える鐘の音。
健が手を振り上げ、演説を始めようとした、その時。
『ピロン』
聞き慣れた通知音が、青空に響いた。
見上げた空に、巨大な半透明のウィンドウが浮かんでいる。
『一章では一人称「私」だったのに、今「俺」になってますよね? キャラ崩壊です。設定資料集からやり直すことをお勧めします』
投稿者名:『ゴッド・アイ』
「……は?」
俺の、コメントだ。
一言一句、俺の文体だ。
困惑する健の喉が、勝手に動いた。
「――私は、この国の未来を憂えておりマス」
声が、変わっていた。
意思に反して、一人称が「修正」されたのだ。
そうだ。
この世界では――批評が、世界を書き換える。
ピロン。ピロン。ピロン。
『顔の造形が場面ごとに不安定。作画修正を入れるべき』
『34歳の割に言動が幼稚。年齢設定を見直せ』
『こんな主人公を民衆が支持する理由が不明。ご都合主義乙』
投稿者名は、すべて『ゴッド・アイ』。
コメントが表示されるたび、健の顔の骨格がゴキゴキと音を立てて組み変わり、声帯が引き攣れ、民衆の熱狂が冷たい無関心へと差し替えられていく。
「や、やめろ……やめてくれ……!」
「おやおや。素晴らしい反響じゃありませんか」
バルコニーの隅に、いつの間にかサイフォンが立っていた。
手元の分厚い原稿の束に、赤いペンを走らせている。
「貴方が生涯に投稿なさった批評、全2,847件。一件残らず、この世界に実装させていただきました」
「た、助けてくれ! 約束が違う!」
「私は『物語の人生で上書きする』と申し上げたはずですが。……それに」
サイフォンは、健自身の声色を完璧に模倣して、こう言った。
「『それで消えるなら、そいつに実力がなかっただけの話』――でしょう?」
空のコメント欄に、★1が降り始めた。
『★1』『★1』『★1』
健の指先が、黒い文字の羅列に解けていく。
「いやだ! 消さないでくれ! 俺はまだ、本気を……!」
「ええ、存じています。『書かないだけ』なのですよね」
サイフォンは、原稿の表紙に大きくバツ印を入れた。
「ですが、書かれなかった傑作を評価する方法を、私は存じ上げません」
健の身体が、意識が、テキストデータに分解されていく。
薄れゆく視界の端で、空の評価欄が確定した。
『総合評価:★1.0(低品質なコンテンツ)』
それが、評道健という作品への、世界の最終評価だった。
誰もいなくなった空に、サイフォンの声だけが響く。
「ああ、ご安心を。作品ページは削除いたしますが、レビュー欄は残しておきましょう。貴方はこれから永遠に、そこで批評を浴び続けてください」
彼は白手袋の指先で、宙のウィンドウをそっと撫でた。
「ちなみに――返信ボタンは実装しておりません。一方的に投げつける快感は、貴方が一番よくご存じでしょう?」
そしてサイフォンは、画面の向こう側の「あなた」へ向き直り、恭しく一礼した。
「これにて第01話:『ゴッド・アイ』は完結です。
……お気に召しましたら、★5評価をお願いしますね。
ええ、正直な評価で構いませんよ。
ただ――星を選ぶその指が、誰かの人生を書き換える力を持っていることだけは、お忘れなく……くっくっく」
プツン、と映像が切れるように世界が暗転し、後には無機質なエラーメッセージだけが残された。
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