表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十三章 相克の皇都編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

279/351

249 宮城突入

 皇都内乱最後の激戦地となったのは、宮城東大手門であった。

 かつての内裏を模して四角い敷地を持つ宮城は、南側と東側にそれぞれ大手門を持つ(北側と西側にもそれぞれ別の門が存在する)。東大手門は櫓門様式の門で、将家の城にも劣らぬ重厚な造りとなっている。

 その、入母屋造りの瓦屋根、石垣と漆喰の見事な調和がなされている東大手門が、実質的に蹶起部隊最後の防衛線となっていた。東大手門の櫓に上った蹶起部隊将兵たちが、この門から宮城突入を図ろうとする結城家領軍を迎撃していたのである。

 しかし、宮城へ兵を引き入れることを最後まで躊躇していた蹶起部隊側は、この短時間の間に十分な防御陣地を構築することが出来ていなかった。宮城外堀と東大手門を繋ぐ橋は石橋であり、爆薬を設置して破壊してしまうことも出来ていなかったし、石橋の上に鉄条網などの障害物を設置する時間もなかった。

 とにかく分厚い木造の扉を固く閉じ、櫓の上から銃撃を加えることしか出来なかったのである。

 それに対し、秋津橋と皇都中央駅を突破し、宮城突入を目指す結城家領軍側の攻撃は苛烈であった。

 三十七ミリの歩兵砲と多銃身砲で、櫓を一気に掃射したのである。櫓上からの防御射撃で砲に取り付いていた何名からの兵士が撃ち倒されたが、それでも即座に別の兵士が代わりを務め砲撃と射撃を続けた。

 砲弾と銃弾が飛び込んだ櫓の中は、たちまち阿鼻叫喚の巷と化した。飛び込んだ銃弾に頭部を貫かれて血と脳漿をまき散らす者、砲弾の断片に腹を切り裂かれて断末魔の絶叫を上げる者、もはや落城寸前を思わせる凄惨な光景が櫓の中に広がっていたのである。

 さらに結城家領軍は、皇都中央駅の駅前広場に十一年式七糎野砲の陣地を構築しつつあった。

 皇都中央駅から宮城東大手門まで、直線距離で五〇〇メートルもない。有効射程三五〇〇メートルの七十五ミリ野砲にとってみれば、かなりの至近距離であった。

 七十五ミリ砲弾の直撃を受ければ、所詮は近世城郭に過ぎない宮城東大手門は倒壊するだろう。

 櫓内に籠る者たちが次々と倒れていき、そして櫓上から駅前広場の野砲を見るに至って、なおも上官の命に従い続けていた下士卒たちの戦意は完全に挫けてしまった。

 下士卒たちも、追い詰められた者としての心理から、このまま結城家領軍に投降しても逆賊として処刑されるだけだろうと恐怖し、攘夷派将校に従ってきたのであるが、最早そうしたことが意味をなさないほどに蹶起部隊側の劣勢は明らかであった。


「貴様ら、しゃきっとせんか! 結城景紀さえ討ち取れば、我らの勝利だ!」


 櫓の中でなおも攘夷派将校の一人が声を張り上げるが、応ずる兵士はいなかった。


「くそっ!」


 その将校はなおも格子の隙間から拳銃を撃っていたが、直後に結城家領軍の放った銃弾が櫓内に飛び込み、彼の体を貫いた。

 そうなると、もう櫓内に抵抗を続けようとする者はいなくなってしまった。


  ◇◇◇


「突撃ぃ!」


 東大手門からの射撃が緩慢になった隙を逃さず、景紀は領軍に突撃を命じた。

 軍刀を振りかざし、自らも突撃の先頭に立つ。喊声を上げながら銃剣を構える兵士たちが、それに続く。

 爆薬を抱えた工兵が真っ先に城門に取り付き、その扉を破壊する。戦場の興奮状態故か、領軍将兵には宮城の施設を破壊してしまうことへの戸惑いはないようであった。

 轟音と共に木造の城門が吹き飛ばされ、そこから景紀を始めとする領軍将兵が宮城二の丸の敷地へと雪崩れ込む。


「陛下の御所を汚す逆賊どもめ!」


 もちろん、宮城内部に将兵を引き入れていた蹶起部隊側も、決死の応戦を行う。ここまで来てしまった以上、蹶起部隊将兵としても結城景紀を討ち取るか、反乱軍として処断されるかの二択しかないのだ。

 景紀は一部の兵士に東大手門の櫓に上らせてそこを確保させ、自らは貴通や残りの将兵たちと共に二の丸要所の確保に向かう。


「宮崎大佐、貴官は兵を率いて二の丸北側に向かってくれ。蜂起に加わった近衛の連中に増援として駆け付けられると厄介だ」


「了解です」


 独立混成第一旅団独立歩兵第一連隊を率いる宮崎茂治郎大佐は、主家次期当主からの命を受け、一隊を率いて離れていく。

 景紀と共に宮城に突入したのは、独立混成第一旅団を基幹とする部隊であった。

 秋津橋を突破した島田富造少将率いる騎兵第一旅団を中核とする部隊は、宮城の封鎖および官庁街と学士院・女子学士院の解放、そして司令部に軟禁されているという皇都鎮台司令官・刑部宮熙融王の救出に向かっている。

 蹶起部隊によって人質とされている者たち、そして皇族軍人の救出を行うことで、景紀は領軍が反乱鎮定のために戦っているのだと皇都市民や皇都に滞在している中小諸侯たちに印象付けようとしたのである。


「俺は兵相が身を寄せている書陵部庁舎に向かう。朝康と嘉弥姫は付いてきてくれ。貴通は細見大佐に付いて宮内省本庁舎と宮殿の方を頼む」


「了解です」


「おうよ」


 貴通と朝康がそれぞれに返事をする。

 貴通は結城家家臣団出身ではなかったが、それでもこれまで景紀の側で幕僚として支えてきた人間である。独立混成第一旅団長と騎兵第十八連隊長を兼任している細見為雄大佐も、他の領軍将兵たちも、特に異論を唱えることなくこの五摂家出身の将校を受け入れていた。

 一方の朝康は、どこか獰猛にも見える表情で部下の将兵たちをまとめている。

 この結城家分家の嫡男は、皇都中央駅を巡る攻防において舟艇機動で反乱軍防衛線を迂回突破、景紀たちの部隊に合流する手筈であったのが、予想以上に駅舎の陥落が早かったために、この日の総攻撃でまったく出番が回ってきていなかったのだ。

 その所為か、手柄を立てる機会は今しかないと張り切っているようだった。そうした青年指揮官の意気込みが部下たちにも伝わっているのだろう。朝康率いる領軍将兵の士気は軒昂であった。


「行くぞ、ここが最後の正念場だ」


 景紀の言葉に、男装の少女、分家の青年、戦装束の姫君は力強く頷くのだった。


  ◇◇◇


 皇暦八三六年十月十九日〇八三〇時過ぎ。

 宮城二の丸の各所で、結城家領軍と蹶起部隊による最後の白兵戦が展開された。

 蹶起部隊側の兵力は、将校の数に比べて下士卒の数が明らかに少なかった。宮城に兵力を引き入れようとする過程で、少なくない数の兵卒たちが離反していたのだろう。

 あるいは、宵が作成した伝単(ビラ)の効果かもしれないと景紀は思う。

 景紀は三十年式歩兵銃による一斉射撃でまず敵を撃ち倒すと、そのまま再装填はさせずに突撃に移った。

 景紀と朝康は軍刀で相手を斬り捨て、嘉弥が薙刀を振るって鮮やかに敵の喉笛を切り裂いていく。武術を修めた将家の姫らしい洗練された動作であった。

 そして、小銃の先に銃剣を煌めかせた結城家領軍の兵士たちが、反乱軍将校の腹部に銃剣を突き刺し、銃床でその頭部を叩き割っていく。兵力差から、攘夷派将校たちを結城家領軍の兵卒たちは数人がかりで仕留めていくことが可能だった。腹部と両脇を無数の銃剣で串刺しにされる将校すら現れる有り様である。

 石畳や砂利の敷かれた宮城の敷地が、流れ出る血で汚されていく。

 綺麗に整えられた芝生も両軍の将兵たちによって踏みにじられ、地面を露出させていた。

 景紀たちと白兵戦を繰り広げている蹶起部隊が最後に立て籠ろうとしたのは、東大手門から書陵部庁舎に通ずる道の途中に存在する御府(ぎょふ)(皇主に献上された戦利品や戦没者名簿を収めた蔵)であった。

 ここまで攘夷派将校たちに付き従ってきた兵卒たちはついに武器を捨てて結城家領軍に投降してきたので、立て籠っているのは攘夷派将校だけのようである。


「最早大勢は決した! 速やかに投降せよ!」


 御府を兵士たちに包囲させてから、景紀は呼びかけた。だが、攘夷派将校たちは頑なであった。


「奸賊になど降るものか!」


 皇主への献上品を盾に取って抗戦する構えの攘夷派将校に、景紀は面倒そうな溜息を漏らした。

 立て籠ったところで救援が来るわけでもないだろうに。いや、あるいは宮城が戦場になったことで、皇主自ら停戦命令を下すことを期待しているのかもしれない。

 そのための時間稼ぎということか。


「……いっそ銃撃で御府ごと蜂の巣にしちまうか」


「おめぇ、それは流石にやり過ぎじゃねぇのか?」


 景紀の物騒な呟きに、朝康が思わず顔を引き攣らせていた。

 普段は朝康の無茶を諫める立場にある嘉弥も、この青年が今は諫める側に立っていることに何とも言えない表情をしていた。彼女もまた、皇主への献上品が収められた蔵を銃撃することに戸惑いがあったのだ。

 大手門を吹き飛ばしておいて今さらではあったが、それだけ皇主の持ち物が収められた蔵というのは秋津人たちにとって精神的に重要な意味を持っていたのである。


「……兵を残して、包囲しておけ。投降するのも、自決するのも、そのまま籠もり続けて餓死するでも、好きにさせろ」


 結局、朝康と嘉弥の表情を見て景紀はそう命令にするに留めた。

 そのまま、三人は兵を従えて書陵部庁舎へと向かう。庁舎では、職員たちが玄関や窓を調度品で塞いで立て籠っているようであった。

 恐らく、術者でないから景紀が感じ取れないだけで、結界も張られていることだろう。

 景紀が庁舎に近付くと、中から疑いの籠った無数の視線が向けられた。それを特に気にすることなく、次期当主たる少年は名乗りを上げた。


「結城景忠公が嫡男・結城景紀である! こちらに兵部大臣閣下が身を寄せられると聞き、救出に参った次第!」


 しばらく待っていると、玄関を塞いでいた調度品がどけられ、そこから三人の人物が庁舎から出てきた。


「大臣閣下、ご無事でなによりです」


 一人は、兵相・坂東友三郎海軍大将であった。景紀は少将の立場として敬礼する。朝康もそれに倣い、嘉弥も将家の姫としての態度で一礼した。

 ただし、残りの将兵たちは周囲を警戒しているため、坂東兵相に対して捧げ(つつ)などの礼は行っていない。


「景紀殿か。よくここまで辿り着いてくれた」


 坂東兵相は、そう言って景紀を労った。


「浦部伊任殿も、これまでの情報提供、結城家を代表して感謝いたします」


 次いで景紀は、宮内省御霊部長たる陰陽師に視線を向けた。浦部伊任はいつもと変わらぬ厳めしい表情のまま、口を開いた。


「六家が皇室第一の藩屏を名乗るのならば、陛下の御宸襟を安んじ奉ることは義務であろう。伊丹・一色両公はそれを果たそうとしなかった。それだけのことだ」


 つまりは、それが今回の事態における伊任の真意であったようだ。攘夷派の凶行を皇主が憂えていたというのは景紀も有馬貞朋公から聞かされていたから、皇主・皇室への忠誠心篤いこの御霊部長があえて特定の六家に肩入れするような行動を取っていたことにも頷ける。

 要するに、浦部伊任は最初から結城家領軍を使って蹶起部隊を鎮定することを狙っていたのだろう。そのために、宵の元に呪術通信で情報を送り続けたのだ。

 権威として世俗の権力に対して超然としていなければならない皇室に仕える人間が、そこまで特定の六家に肩入れすることは政治的には危険な行為でもあった。だからこそ、伊任の行為は鉄之介を景紀に合流させ、結城家への情報提供を続けるに留まっていたのだろう。

 そうでなければ、この龍王の血を引くこの陰陽師は、景紀に宮城への龍兵降下作戦を促していたかもしれない。


「もっとも、娘の嫁ぎ先を泥船にしてしまうわけにもいかんという理由もあるがな」


 とはいえ、この龍王の血を引く陰陽師も娘のことを相応に心配する父親でもあったらしい。結城家を支援していた理由には、そうした父親としての心理も働いていたのかもしれない。


「いやはや、これでようやく表を出歩けるようになりましたな」


 そして、最後の一人は六家当主の一人、斯波兼経公爵であった。


「これは……、斯波公。ご無事で何よりです」


 景紀は意外に思いながらも、一応は斯波兼経に対しても一礼する。


「ええ、景紀殿もよくここまで辿り着かれました。で、貴殿はこの後、どうされるおつもりかな?」


 にこやかというにはどこか面白がるような態度の兼経を景紀は怪訝に思いつつも、口を開く。


「皇宮を不当に占拠する賊軍どもを排除、陛下に拝謁し、詔勅を得てこの争乱に決着をつけます」


「では、私と坂東兵相も参内に同席するとしよう。次なる政権を樹立するためにも、そして軍の統制回復のためにも、その方が良いと思うが?」


 これまでの六家会議で政治的に積極的な態度を見せてこなかった斯波兼経であるが、一応は六家当主としての自覚はあるらしい。景紀は内心で皮肉な思いを抱いていた。

 いずれにせよ、この六家当主の言葉は正しい。長尾・有馬両公はすでに亡く、伊丹・一色両公が反乱軍側に付いている以上、皇主を盟主とする盟約を結んだ者としての立場で謁見に臨めるのは、現状では景紀と斯波兼経だけだろう。

 そして、景紀は十九歳と年齢が若すぎることも問題だった。六家の人間として皇主を輔弼するには、まだ不相応を見られるだろう。だからこそ、兼経が後見人的な立場で参内に同席することには意味があった。

 当初、景紀は坂東兵相にその役目を担ってもらうつもりであったが、斯波兼経公もいるのであればより効果的だろう。

 この男、最初から判っていて御霊部に身を寄せいてたな、と景紀は思った。

 この混乱の中で意外に聡い行動に出ていた斯波兼経に、景紀は何となくしてやられた気分であった。


「では、斯波公と坂東兵相には参内に同席して頂きます」


 少なくとも、これで景紀は皇主に拝謁して反乱鎮定の詔勅を得るだけの状況を整えたのである。

 彼が宮内省本庁舎ではなく御霊部に向かったのも、坂東友三郎兵相との接触を得るためであった。そして、もう一つの理由もあった。


「時に浦部部長」


「何か?」


「陛下への拝謁に際して、穂積貴通も同席させたいのですが?」


 他の者たちは、景紀が何故、浦部伊任にこの質問を投げかけたのか怪訝に思っているようであった。穂積貴通は愛妾の子とはいえ、五摂家の“男子”である。結城家側に付いた彼の存在、その血筋を景紀が利用することは、何らおかしなことではないからだ。

 この内乱で景紀が勝者となれば、貴通が穂積公爵家の次代を担うことが可能だろう。六家次期当主と、五摂家次期当主となる道が開けた者が共に反乱鎮定の奏上をすることは、政治的に強い印象を周囲に与えることが出来る。


「……」


 だが、浦部伊任はもともと厳めしい顔を、さらに険しいものに変えた。この陰陽師は、冬花が宮城の敷地内で耳と尻尾を封印する術を使っていることすら、神聖な皇宮内で己の姿を偽っていると言って不快感を示していたのである。

 貴通が女であることを隠していることは当然、八重などを通して知っているであろうし、男装のまま皇主へ拝謁することにこの男が難色を示すであろうことは、容易に予想出来ることであった。

 景紀としては、今後も宮中情報網との繋がりを維持するため、ここで浦部伊任と対立することは避けたいことであった。


「……貴殿には坂東兵相と斯波公がついている。あえてその者を連れていく必要もなかろう」


 そして、浦部伊任の答えは景紀の予想通りであった。ただ、この場で貴通の秘密を暴露しないだけ、彼女の立場を慮ってはくれているようだ。

 そしてそれが、この陰陽師としての譲歩なのだろう。しかし、景紀は納得しなかった。


「しかし、貴通が今の立場に置かれているのは、父親である穂積通敏公が原因です」


 つまり、皇主を(たばか)っているのは貴通ではなく通敏であると、景紀は主張したのだ。詭弁ではあるが、この反乱鎮定に貢献した者として貴通の存在を無視されることは、景紀には我慢ならないことであった。

 龍王の血を引く男の視線が、じっと景紀を見据えていた。それは景紀を脅すようでもあり、また景紀を見定めようとするようでもあった。


「……」


 景紀は、その視線を正面から受け止めた。


「……私は拝謁の場に同席せぬ。それで良かろう」


 結局、折れたのは伊任の方であった。彼としても、貴通が景紀と共に反乱鎮定の奏上を行うことの政治的意義は無視出来ない重みを持っていると考えたのだろう。

 そして、拝謁に同席しないことで、ひとまず見て見ぬ振りをすると言っているのだ。


「陛下をお側でお守りしている部下に、拝謁の準備を整えるよう、通信を飛ばしておく」浦部伊任は続ける。「そして速やかに、陛下の御宸襟を悩まし奉る者どもを討伐するための詔勅を得るといいだろう」


「感謝します」


 景紀は一応の謝意を告げると、貴通との合流を目指して宮内省本庁舎のある方へと踵を返した。

 作中に登場する御府は、現実世界の皇居にも現存しています。

 日清戦争の戦利品を収めた「振天府」、義和団事件の「懐遠府」、日露戦争の「建安府」、第一次世界大戦・シベリア出兵の「惇明府」、済南事件・満洲事変・上海事変・日中戦争・太平洋戦争の「顕忠府」の五つが、それに当たります。

 昭和天皇に献上された建造中の戦艦大和・武蔵を写したアルバムなどが今も御府の中で保管されているとされ、いつの日か御府全体が公開されることを願ってやみません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ