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221 男装少女の選んだ道

 後世、「皇都内乱」と呼ばれる皇暦八三六年十月十七日より始まった一連の出来事は、長尾憲隆公爆殺事件発生当日の内に蹶起部隊が皇都を占拠して、翌十八日未明に結城家領軍が自領と皇都との境界となっている伊奈川の渡河を果たしたことで、戦国時代以来の六家同士の軍事衝突へと発展しつつあった。

 しかし、そうした見方は当時においては最初から軍事的決着を目指していた結城景紀や穂積貴通など一部の人間の考えであり、伊丹正信、一色公直、結城景忠、そして五摂家の各当主たちは皇主の詔勅による政治的決着が付くのではないかと考えていた。

 蹶起部隊の占拠する地域に結城家領軍が迫っていたとはいえ、一歩間違えれば結城家領軍、そしてそれを直接指揮する結城景紀が逆賊として討伐されかねない状況でもあったのである。

しかし、結城景紀はその危険性をあえて冒し、軍を率いて結城家領と皇都とを隔てる川を渡った。

 政治的決着を急ごうとする伊丹正信と一色公直、そして軍事的決着を目指して皇都中心部へと進撃する結城景紀は、そもそもからしてこの「皇都内乱」に対する認識を異にしていたと言えるのであった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 景紀以上に「皇都内乱」の軍事的決着を望んでいたのは、あるいは貴通の方であったかもしれない。

 彼女は景紀をこの内乱の勝者として歴史に名を残させることを目指していたと同時に、結城家による皇都、そして権力の掌握が行われれば父の呪縛からようやく解放されるのではないかと期待していたのである。

 女である自分に、男であることを強要した父・穂積通敏。

 その存在は、常に彼女の上に重くのし掛かっていた。

 物心ついた時から男として振る舞わせられた貴通だったが、自分が女であることは幼い頃から理解していた。むしろ、理解するように仕向けられていたとも言える。

 実父・穂積通敏は表向き貴通を男児として扱いつつも、彼女を穂積公爵家の後継者とするつもりは毛頭なかったからである。下手に貴通が後継者としての自覚に目覚めないよう、男児として振る舞わせつつも女児であることを忘れさせないようにしていたのだ。

 それは、ようやく正室の時子が新たな男児を産んで以降、より顕著となっていた。

 貴通を兵学寮に入学させたのも、匪賊討伐などの軍務であれば彼女を死に追いやることが容易になると考えていたからだろう。

 そして貴通自身も、その異母弟が成長すれば父は自分を放逐するか、密かに始末しようとするだろうと幼心に理解していた。女子を男子として振る舞わせ六家を欺いていたとなれば、穂積家にとって醜聞になりかねない。

 だから貴通は、兵学寮で首席入学を果たせれば父の手を逃れて何か新しい道が開けるのではないかと幼い知恵を回して、試験勉強に打ち込んだ。

 穂積通敏も、それを妨害しなかった。むしろ、公家の人間が将家の人間を見返す機会だとして、貴通の勉学を積極的に支援してもいたほどであった。

 それほどまでに、父の六家への敵意と対抗心、そして五摂家として矜持は歪んでいた。

 結果として、自身の本当の名すら知らず、“貴通”という偽りの名と男装で正体を隠していた五摂家の少女は、兵学寮に次席での入学を果たしたのである。

 そこで、席次が並んでいたことから同室になった首席の少年・結城景紀と出逢うことになった。

 出逢った当初の彼に対する感情は、最悪の一言に尽きるだろう。

 正室の子で、結城公爵家の次期当主、そして兵学寮の首席。

 自分が絶対に得ることが出来ないものをすべて持っているこの少年が、貴通にはどうしようもなく妬ましかった。

 それでも、そんな相手でも取り入っておけば父に軽々しく放逐されたり、密かに殺されたりすることはないだろうと、幼いながらに保身のために友好的に振る舞おうとした。

 結局、そうした偽りの友好関係は入学して十日程度で終わりを迎えてしまった。貴通も景紀も、まだまだ自分の感情を十分に制御出来ない程度には子供だったのだ。

 しかし、感情任せに景紀を殴りつけてしまったあの事件は、貴通の人生にとって転機とも言える出来事だった。

 景紀は、実力で自分に取り入ってみせろと言ってきたのだ。

 他のすべてが偽りである中で、兵学寮を次席で入学した自分の能力だけは、貴通がたった一つだけ持つ“本物”であった。

 もちろん、だからといって殴りつけた事件の直後から景紀との仲が急に良くなったというようなことはない。景紀に取り入ろうという貴通の目的は相変わらずであったから、二人の間に奇妙な緊張関係は残った。

 貴通自身も、景紀と仲良くするよりも兵学寮生徒としての実力で彼に自分の能力を認めさせようとしたから、入学直後の意図的な友好的態度を捨て去っていた。

 しばらくは、兵学寮同期で同室の相手という以上の連帯感、親近感にはならなかった。

 ただ、景紀は何度となく、公家出身ということで何かと将家華族や士族出身の生徒たちから侮られやすい貴通を庇ってはくれていた。とはいえ、それも貴通のことを思ってというよりも、景紀が容姿の所為で周囲から嫌悪の視線を向けられていた冬花の姿に貴通を重ねていただけであったと思う。

 本当の意味での転機となったのは、兵学寮に入学して一年か二年ほど経った頃だろう。少なくとも、兵学寮第二学年の頃のことだった。

 貴通も景紀も第二学年の進級試験でそれぞれ次席と首席を取り、この年もやはり席次が並んでいたことで同室となった。

 二年目も同室ということで、二人の連帯感や親近感はそれなりに高まっていた。景紀は六家嫡男ということで幼少期から対等な立場の友人がおらず、貴通もまたその特殊な事情から友人など出来なかったから、少なくとも同期生という意識以上に“友人”という意識は強くなっていたと思う。

 一年目の時にあった緊張関係も徐々に薄まって、それなりに距離は縮まっていた。

 ただ、貴通には入学当初とは別の悩みを抱えるようになった。いくら父が懇意の術者に作らせた認識阻害のお守りで女であることを隠しているとはいえ、体が女として成長していくことは止められない。

 衣服と胸がこすれてずきずきとした痛みを発することも、それなりの頻度に上っていた。

 自分はこれからどうなるのだろうと、漠然とした不安に悩まされる日々が続く中、“その日”はやって来てしまった。

 あるいは、自分の女であることを景紀に知られてしまうことになった“その日”こそが、自分と彼との本当の意味での関係の始まりだったのかもしれない。

 そう、貴通は思っていた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 皇都と総野国との国境(くにざかい)となっている伊奈川を越えようとする貴通の脳裏に去来したのは、そのような過去の回想であった。

 川を渡り、皇都へと領軍を進撃させた今、自分と景紀は最早引き返すことは出来ないところまで来ている。

 偽りだらけの自分の運命を変えてしまった“あの日”と同じく、皇都への進軍もまた、己と、そして景紀の運命を大きく変えてしまうことになるだろう。そんな感慨が、貴通を一瞬の過去の回想に導いたのかもしれない。

 景紀の馬も貴通の馬も、物理的には何の障害もなく伊奈川を渡河してしまった。

 拍子抜けするほど、呆気ないものであった。

 渡河の前、一瞬の葛藤を覚えてしまったことは何だったのか、と貴通は思わなくもない。しかし、己の運命を変えてしまった“あの日”の記憶に少しでも引きずり込まれてしまったということは、それだけの心理的な何かがこの国境の川にはあったのだろう。


「景くん、川を、越えました」


 だから思わず、貴通は声に出してそう言ってしまった。言わずにはいられなかったのだ。その言葉には、心にのし掛かっていた重石が外れたような、かすかな解放感と安堵が滲んでいた。


「ああ、越えた」


 景紀は、後続して渡河を続ける騎兵たちの姿を見守りつつ貴通の言葉に応じた。


「もうここは、皇都だ」


 時刻は、日の出前の〇五三〇時過ぎ。まだ頭上の空は暗い。

 そのまま総野往還を進めば、次の渡河地点である荒川までは約四キロ。何の妨害もなく進撃出来れば、一時間以内に到達出来る距離であった。

 その妨害とは、景紀たちが“反乱軍”と呼称する蹶起部隊だけでなく、皇都から逃れようとする避難民の存在も含まれていた。大八車に家財を乗せた人々の集団と鉢合わせすれば、たちまち進撃は停頓してしまうだろう。

 しかし、志野原を進発する当初、景紀が危惧していた皇都から逃れようとする避難民とすれ違うことはまれであった。


「もしかしたら、反乱軍の占拠している地域は響谷川よりも西側の地域に留まっているのかもしれません」


 過去の回想から軍師としての頭に切り替えた貴通は、そう推測する。

 実際、昨日の段階で反乱軍の目標となっていたのは官庁街と宮城、そして有馬家と結城家の皇都屋敷であったようだから、皇都での騒擾は響谷川以西の地区に留まっている可能性が高かった。

 響谷川以東は下町と呼ばれる地域であり、響谷川を挟んでいるため、下町の住民たちにとっては文字通り騒擾事件を対岸の火事のように思っているのかもしれない。

 また、反乱軍側も結城家の本拠地である河越方面から結城家領軍は進撃してくると考え、皇都北西側の防衛を強化しようとしているとも考えられた。

 そのため、この下町地区は両陣営にとっての空白地帯となっているのだろう。

 だからこそ、景紀たちはいかなる妨害も受けずに国境となっている伊奈川に架かる橋を確保し、渡河することが出来たと言える。


「なあ、貴通」


「はい、何でしょうか?」


 次なる渡河目標である荒川の橋を目指して馬を進めながら、景紀が問うてきた。


「五摂家は、どう出てくると思う?」


 これまで、貴通も景紀も、伊丹・一色両公と反乱軍の動向にばかり気を取られていたといえる。しかし、長尾憲隆公爆殺事件が起こる直前まで、伊丹・一色両公と五摂家は内閣を倒閣させるべく手を組もうとしている節があった。

 だからこそ、この状況下で五摂家がどう出てくるのか、景紀は気にしていたのだ。

 伊丹・一色両公陣営に近い新政権を成立させようと思うのならば、宮中への影響力を持つ五摂家との政治的連帯は、両公にとって現実的な選択肢となり得るだろう。


「お(もう)様たちの選択肢は、恐らく二つでしょう。伊丹・一色両公の影響力の強い攘夷派政権の成立を支持するか、あるいはあえて僕たちと両公との仲介役となって、皇都を戦禍から守ったという政治的成果を得ようとするか。少なくとも、僕の存在の所為で五摂家が結城家寄りの態度を取ることはないでしょう。むしろお父様あたりは、積極的に伊丹・一色両公と手を結び、結城家諸共に僕を逆賊として始末してしまおうと考えるかもしれません」


「やっぱり、そうなるか」


 五摂家は六家と違い軍閥勢力ではないので、動かせる軍事力はほぼ存在しない。わずかに、近衛師団所属の公家出身将校がいる程度である。もっとも、その彼らにしても軍閥勢力というほどのまとまりがあるわけではない。

 その代わり、五摂家には宮中および他の公家に対する影響力は相応に存在している。

 とはいえ、その五摂家がどのような政治的策動を行おうとも、この騒乱の軍事的決着を目指す景紀は彼らを大きな脅威とは認識していなかった。最終的に軍事力で皇都を奪還してしまえば、五摂家の策動もすべて無為となると考えていたからである。

 問題は、別のところにあった。

 貴通も当然、景紀が何故あえて五摂家の話題を持ち出してきたのかを理解していた。


「お父様たちが伊丹・一色両公の陣営に付くというのなら、僕としてはむしろ有り難いくらいです」


 男装の少女は、平然とした声でそう言った。


「これで景くんが皇都を奪還して陛下をお救い申し上げれば、父の失脚は確実でしょう。五摂家も、破滅です」


 その声には、どこか歌うような響きすら混じっていた。それほどまでに、彼女は穂積家というしがらみから逃れたいと思っていたのか。

 冷酷というには、貴通の瞳の奥には暗い熱情の輝きがあった。


「……」


 そんな同期生の心情が理解出来たから、景紀はそれ以上、何も言わなかった。彼自身もすでに、宵の父親である佐薙成親を失脚、日高州への流刑に追いやっている。今さら、兵学寮の同期である貴通の父・通敏を気遣う必要性を感じていなかった。

 だが一方で、貴通自身が穂積通敏のことをどう思っていようとも、娘である自らの手で父親を討たせてしまっていいのかという躊躇いは存在していた。

 だからその時には、宵の父・佐薙成親に対するのと同じように、自分が穂積通敏に引導を渡さなければならないだろう。景紀は、そう思っていた。


「僕にとって、あの人や穂積家というのは最早その程度の存在なのです。それに今の僕は、景くんの軍師です」


 そして男装の少女は、実の父親や実家よりも景紀の側が自分の居場所なのだと言う。


「ですから、僕に遠慮する必要はまったくありませんよ」


 そう景紀に語りかける貴通の顔には、いつもと変わらぬ柔和な笑みが浮かんでいた。

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