220 投げられた賽
景紀率いる部隊が志野原の衛戍地を出撃するにあたって、彼らはちょっとした騒動に見舞われた。
結城家有力分家・小山子爵家の嫡男・朝康が自分も先遣部隊に加えてくれと騎兵第二旅団司令部に直訴した挙げ句、景紀の元に乗り込んできたのである。
「領軍を皇都に入れるのなら、俺も連れて行け」
「……その重みを、お前は判っているのか?」
自分も先遣部隊に加えるよう迫る朝康に、景紀は胡乱げな視線を向ける。皇都に領軍を入れるということは、下手をすれば逆賊とされかねない行動なのだ。
景紀はそれを覚悟の上で、行動を起こそうとしている。しかし、朝康はどこまでそれを理解しているのか。威勢の良い青年ではあるが、土壇場になってその重みを理解して動揺するようなことがあれば、かえって兵卒の士気に悪影響を及ぼす。
朝康は良くも悪くも単純な性格の青年なのだ。
「てめぇ、俺を馬鹿にしてるだろ?」
だが、この分家の跡取りの青年は景紀を鋭く睨み付けた。
「俺だって、結城家の一族だ。領軍を皇都に入れるってんなら、陣頭に立つ責務がある」
朝康は朝康なりに、結城家の人間としての義務を果たそうとしているようだった。それでも、景紀は朝康を連れて行くことに一抹の不安があった。
途中で皇都を占拠する伊丹・一色派に寝返ることを警戒しているわけではない。直情径行の強い、武家に生まれた者として戦功を挙げることを幼少期から夢見ているこの青年は、まず裏切る心配はないだろう。
しかし、景紀の指揮に素直に従ってくれるのかという点で、不安が残るのだ。独自の行動をとるようなことがあれば、それこそ結城家領軍の統制は乱れ、皇都の奪還どころではなくなるだろう。
結城家有力分家の嫡男というのは、それだけの影響力を持っている。そのあたりの自覚に乏しいところが、朝康の欠点でもあった。
景紀が悩んでいると、廊下を駆ける音が聞こえてきた。心なしか、軍人らしくない軽い足音である。
直後、扉が蹴破られるような勢いで開かれた。
「朝康、あんた、また宗家の若様にご迷惑かけているんですってっ!?」
柳眉を逆立てるようにして怒鳴り込んできたのは、袴姿の少女だった。
「か、嘉弥!?」
突然の婚約者の闖入に、朝康も動揺しているようであった。そのまま、嘉弥はずんずんと乱暴な足取りで、景紀に身を乗り出して迫っている朝康に近付いた。
「こんな状況だからあんたがまた何か無茶やらかすんじゃないかと思って心配して見に来てみれば、思った通りだわ」
彼女は朝康の襟首をぐいと掴んで、景紀から引き離した。
「景紀様、この馬鹿が大変失礼いたしました」
そして、淑女然とした態度で一礼する。
この朝康の婚約者が、彼の父親から息子のお目付役として志野原衛戍地の近くに住まいを与えられていたことは、景紀も知っていた。
衛戍地の営門を守る衛兵に申請すれば、部外者でも部隊の将兵に面会することが出来る。この様子を見るに、朝康の行動に困った誰かがこれ幸いとあっさり営門を通したのだろう。
「景紀様、事情は朝康の隊の先任下士官という方からお聞きしました」
どうやら、朝康の大隊の先任下士官の手引きらしい。だが、続く嘉弥の言葉は景紀にとっても朝康にとっても意外なものであった。
「そこで私からも申し上げたいのですが、私を朝康と共に部隊に加えていただけませんか? 私の前でならこいつも多少は自重するでしょうし、無茶をするようならば私が止めます」
「おい、嘉弥!」
朝康は、婚約者を危険な目に遭わせまいと思いとどまらせようとしているようだった。一方、景紀の結論は違った。
「……まあ、いいだろう。朝康の手綱、しっかりと握っておけ」
景紀は、軍人でも軍属でもない冬花を従軍させている。あえて嘉弥姫を思いとどまらせる必要性を感じていなかった。
「はい、承知いたしました」
「なあ嘉弥、俺たちはこれから皇都に乗り込むんだぞ。それを、判ってんのか?」
何の因果か、先ほど景紀が朝康に問いかけた内容を、今度は朝康が嘉弥に問いかけていた。
「ええ、判っているわ」
そして、嘉弥の答えはきっぱりとしていた。
「これは結城家にとって生き残りをかけた戦い。どうせ負ければそれまでなんだから、せめてあんたの隣にはいてあげようって思ってるのよ。でないとあんた、簡単に敵陣に突っ込んで討ち死にしそうだし」
「……そんなに俺って信用ねぇのかよ」
不服そうに文句を言いながら、朝康は肩を落とした。
「穂積大佐」
「はっ」
今まで成り行きを見守っているだけだった貴通に、景紀が言う。
「小山少佐とその大隊の一部も先遣隊に加えるように、言ってきてくれ」
「了解です」
貴通は言い終わると同時に駆け出していた。
「それと朝康」
「おう」
「人の目がないところなら俺や貴通に対する多少の無礼は許すが、下士官兵卒の前は軍人として、あるいは宗家次期当主と分家次期当主としての礼節を弁えるようにしろ。冬花や貴通だって、その程度はしている」
「ったく、わぁったよ」
これまで朝康の無礼を咎めてこなかった景紀は、今回ばかりは厳しい口調でそう釘を刺した。朝康も、鬱陶しそうな口調ではあったが、応諾の声を返す。
「それで、嘉弥姫。朝康の側につくとして、武器はどうする?」
「ああ、それでしたらご心配には及びません」
景紀の問いに、嘉弥はいっそ朗らかな口調で応じた。
「どうせこうなるだろうと思い、薙刀とスタイナー銃を持ってきています。今は営門のところの兵隊さんに預けてありますので、直ちに取りに行ってきます」
「なら朝康、お前の隊から馬を一頭、嘉弥姫に都合してやれ。それと、お前自身も出撃準備を整えろ」
「了解だ。おい、嘉弥。とっとと行くぞ」
ようやく念願ともいえる武功を挙げる機会が巡ってきたからか、朝康の声には溌剌とした響きがあった。そのまま、嘉弥姫を引っ張るようにして退出していった。
「ふぅー……」
ひとまず、皇都へ向けて進発する直前に発生した騒動は何とか収まったようである。景紀は溜息じみた長い息をつく。
そして、脇腹をそっとさすった。冬花に埋め込むために失われた肋骨の部分が、かすかに疼いている。
その部分を通して、未だ景紀と冬花の呪術的な主従関係は継続していることが判った。
だから、冬花はまだ生きてはいるだろう。
しかし、楽観はしていなかった。そのまま無事に殿を務め、今は景紀たちと入れ違いで河越に辿り着いただろうとは、思っていない。
すでに冬花の身は、伊丹・一色両公ら蹶起側の手に落ちているだろう。
そして、冬花は呪術師で、妖狐の血も引いている。殺すならば、呪詛や祟りを警戒して慎重に殺す。
かつて景紀が丞鎮という怪僧と対峙した時、かの怪僧は己の命を代価として相手を殺す呪詛を仕込んでいた。相手に対する牽制として、呪術師が自らを殺した相手に発動する呪詛を自身の体に仕込んでおくのは、それなりに腕の立つ術者ならば普通にやっていることだと、景紀は聞いたことがある(未熟な術者だと、己に呪詛を仕込もうとしてかえってその呪詛で死んでしまう場合もあるとも聞いた)。
当然、伊丹家や一色家の術者たちも、そのことは知っているだろう。
特に高位術者の場合、その呪詛はより強力で解呪し難いものとなるという。冬花は術者として確かな力量を持つ陰陽師であったし、妖狐の血を色濃く発現させた体質でもある。
だから呪詛や妖狐の祟りが発動しないよう直接的に殺すのではなく、幼少期に冬花が妖狐の血を暴走させて景紀に重傷を負わせてしまった時と同じように、封印の施された場所に閉じ込め、術者としての力を封じた上で、徐々に衰弱させて死に追いやる。
そして、相手が徹底している術者ならば万が一にも封印が破られないように、呪文を唱えられぬよう捕えた術者の舌を切るか喉を焼き、呪印も結べぬように手足の指も折るか切り落としてしまうのだという。
いずれにせよ、冬花に待ち受けているのは過酷で残酷な運命だけなのだ。
だから彼女を犠牲にしてしまった景紀は、もう逡巡し弱音を吐くことは許されない。
必ず皇都を奪取し、結城家としての、そして自分と宵、そして生まれてくるだろう我が子の生き残りを図らねばならないのだ。
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皇都と志野原のある総野国を結ぶ主要街道は、「総野往還」と呼ばれている。
これは皇都にある一里塚の起点とされた秋津橋を出発して、総野国首府に至る街道であった。秋津橋は皇都中央駅北東に存在する橋であり、鉄道網が張り巡らされる以前は東海道や中山道など主要な街道の起点となっている橋であった。
皇都が築かれた戦国時代終結直後は木造の橋であったが、数度の大火や震災に見舞われた今では近代的な石橋として造り直されている。
皇都と総野国を結ぶ官営鉄道の京総線も、基本的にはこの総野往還に並行するようにして敷設されていた。
皇暦八三六年十月十八日〇四三〇時、景紀率いる先遣部隊が志野原を進発して、この総野往還を西へと進み始めた。将兵たちは反乱軍将兵との識別のため、白襷をかけている。
臨時編成のため「結城支隊」と名付けられたこの先遣部隊は、実戦経験豊富な騎兵第一旅団の将兵を中心として、騎兵一個大隊規模の兵力からなっていた。兵力は五〇〇弱で騎兵砲部隊は伴わず、代わりに多銃身砲十六門を随伴させている。
とにかく先遣部隊は機動力重視で、橋を確保することを優先したのである。
そして皇都への進発に当たり、景紀は将兵たちに己の所信を表明するような長々しい演説を行うことはなかった。ただ、今回の行動が反乱軍を討滅し、皇都に安寧を取り戻すためのものであると説明しただけであった。それは、これから匪賊討伐にでも赴くかのような簡潔さであったという。
しかし、対斉戦役を共にした騎兵第一旅団の将兵にとっては、それで十分であった。
彼らは自らの住まう領国の若君の下で戦い、そしてその若君が戦功を挙げたにもかかわらず一切の栄誉を与えられなかったことを知っていた。それはひいては、結城家領軍の戦功を否定することにもなっていると、帰還した将兵たちは思っていた。
いや、そう思い込むように、領軍の再編を通して貴通が仕向けていた。景紀の領軍内部における立場を確固たるものにしておこうという貴通の策動は、この非常時にあって十分な心理的効果を発揮することに成功したのだ。
しかしながら、騎兵部隊である騎兵第一、第二旅団は固有の野砲兵部隊を持たない。対斉戦役では騎兵第一旅団に第二師団の野砲兵第二連隊の一部を臨時で編成していたが、内地ヘの復員と同時に野砲兵第二連隊は第二師団に復帰している。
両旅団に編成されているのは、口径三十七ミリの十三年式三十七粍騎兵砲を有する騎兵砲部隊でしかない。
だから景紀は、澄之浦の独立混成第一旅団の有する独立野砲第一大隊を鉄道輸送にて急ぎ志野原まで移動するようにも指令を下していた。
橋を確保出来てしまえば、野砲部隊も輜重段列も円滑な輸送が行える。
だからこそ、景紀は兵力が完全に整うのを待たず、迅速に行動を起こすことを決意していたのである。
総野国から皇都中心部に入るには、総野国との国境となっている伊奈川、ついで皇都北方で彩城国との国境となっている荒川、そして一番西側の響谷川を越えなければならない。
まず渡河すべき伊奈川の東岸に支隊が辿り着いたのは、志野原を進発して一時間ほどが経った〇五三〇時であった。
この時期の日の出時刻は〇五五〇時前後であり、まだ頭上の空は暗かった。東の空の果てが、ようやく白み始めている程度である。
総野往還の橋は、まだ完全な形で存在していた。
河越からの通信を受け取った直後に島田少将が国境に警備兼斥候部隊を派遣していたというのもあるが、反乱軍側がこの地域にまで進出していなかったことが原因であった。
蹶起部隊に占拠された皇都中心部の状況については不明な点が多かったが、少なくとも彼らに皇都と他領との国境を完全に遮断するだけの余力はないようであった。あるいは、皇都の第一師団、近衛師団の完全掌握に手間取っているのかもしれない。
いずれにせよ、蹶起側の態勢が整う前に、あるいは彼らが新政権を樹立する前に、決着を付ける必要があった。
「……ここから先が、皇都ですね」
景紀の隣で馬を進めていた貴通が、呻くように言った。志野原を進発する前は景紀を元気づけようとしていた彼女が、今度は逆に臆するような面持ちになっている。やはり彼女にとっても、結城家領軍を結城家の、正確に言えば景紀の独断で皇都に入れることには、相応の重みを感じざるを得ないのだろう。
それが、六家も含めたこの国に住まう者たちの心の奥底に根を張っている皇主の権威というものなのだ。
「ああ、ここから先が皇都だ」
景紀の声も、また硬い。だがそれでも、その声には静かな決意が宿っていた。
「これを越えれば、皇国の歴史は根底から変わっちまうだろうな。どうだ、お前にとって待ち望んだような瞬間じゃないのか?」
「……ええ、そうですね」
景紀が挑発するように言えば、貴通は自らを奮い立たせるように不敵に笑って見せた。彼女は、自らの軍師としての立場を思い出したのだろう。
「これで、僕らの名前は歴史に残るでしょう。もちろん、勝者として」
「じゃあ、行くか?」
「ええ、行きましょう、景くん」
にやりと二人で笑い合って、そして景紀は後方を振り向いた。そこには、数多の結城家領軍の将兵が続いている。
景紀は、彼らに向かって声を張り上げた。
「我らは今より皇都に入る! そして我らの手で皇主陛下をお救いし、皇都に再び安寧をもたらすのだ! 皇国武士団の末裔たるの精華を発揮せよ! 全軍、前へ! 逆賊どもを殲滅せよ!」
そうして彼らは一斉に川を渡り始めた。
景紀にとっても、貴通にとっても、そして結城家にとっても、最後の一線を越えたのである。
賽は、投げられたのだった。




