174 家を継ぐ者、継げぬ者
結城家領軍の査閲官として軍の再編業務をこなしつつ、貴通は一方で皇都の政情に関する情報も集めていた。
特に彼女が注意を払っていたのは、実父・穂積通敏ら五摂家を中心とする公家華族の動向であった。最近、彼らが攘夷派に接近しつつあるという情報は、貴通の元にももたらされていた。それを、彼女は懸念していたのである。
今では政治的実権をほとんど失い権威的な存在となっている五摂家であるが、一方で彼らも含めた公家は、そうであるが故に宮中との繋がりが深かった。侍従や内舎人などとして宮中で働く男性の他、典侍や掌侍といった女官として皇主の側に侍る女性たちも、公家出身者が多い。
もちろん、皇主を盟主とする盟約を結んでいる六家の側も、公家が政治的復権を目指して宮中工作を行う可能性については警戒しており、六家出身者も多数、宮中で各種の職に就いている。
例えば、国璽玉璽の管理や詔勅その他宮中文書の管理を行う内大臣の地位などは、六家による宮中支配の象徴的な役職であった。
内大臣は宮内大臣と共に宮中に置かれた大臣職であるが、宮中の事務を統括し華族を管理する宮内大臣と比べ、内大臣は皇主に常侍補弼することが定められていることから、六家が宮中へと政治工作を行うための地位であると認識されている。
六家間でたびたび内大臣の地位を巡った政争が繰り広げられることがあるが、現在の内大臣は有馬閥の人物が就いていた。
そのため貴通は忍の青年・朝比奈新八に父を始めとする五摂家の普段の動向について調査させると共に、有馬頼朋翁から宮中の動向について情報を集めることにしたのである。
「五摂家どもは、陛下に諮問のための宸翰(皇主直筆の書翰)を発してもらうことを目論んでおるようだ」
皇都郊外の有馬家別邸にて、貴通は頼朋翁からそう聞かされた。
「つまり、六家ではなく五摂家に皇主陛下の諮問が向かうようにしたいというわけですね」
戦国時代末期に結ばれた六家の盟約によって、これまで政治・軍事についての皇主の諮問は、六家に対して行うことが慣習となっていた。六家が政治的実権を握っている以上は当然のことであったが、それは制度的に明文化されたものではない。
皇国は依然として封建的側面を残している国家であることもあり、内閣制度を整えつつも成文化された憲法典を持っていない。そうした制度的な弱点を、五摂家は突こうとしているといえた。
「ふん、貴様は五摂家の男児であるのに、だいぶ六家に染まっているようだな」
頼朋翁の口調には、多少なりとも貴通を嘲る響きがあった。
そもそも、貴通自身も五摂家の一員である。女性であることを隠しているために頼朋翁の貴通に対する認識に多少の錯誤があるとはいえ、それでも五摂家としての立場を活かしての情報収集が出来ないことをこの六家長老は皮肉っているのだ。
「まあ、僕と父とはもうほとんど決別してしまったようなものですから」
貴通は、有馬家大御所に曖昧な笑みを見せる。
内地に帰還してから、貴通は一度も父・通敏の元に帰国の挨拶をしていない。彼女が父と直に対面したのは、冬花たちに自身の性別が露見してしまった一昨年の冬が最後である。
もちろん、景紀が宵に対して戦地から何度か手紙を送ったのに対し、貴通は実家に対して一通の手紙も出していない。
単純に、怖かったのだ。
父にとって、自分はあくまでも六家に五摂家の後継者問題に介入させないようにするための道具でしかない。それは、幼少期から続く経験で骨身に染みている。
景紀と今のような関係を築けているのも、元はといえば兵学寮で首席を取れば、あるいは六家次期当主と仲良くしておけば父も自分を簡単には始末できないだろうと子供なりの保身に走ったことが切っ掛けである。
結城家領軍の一員となり、結城家次期当主への接近を強め、対斉戦役で戦功を挙げた自分は、父にとってこれまで以上に目障りな存在であるはずだ。父が穂積家の後継者と定めた貴通の異母弟の立場を守るために、何をしてくるか判らない。
激昂した父に斬り付けられた経験を持つ貴通は、穂積通敏という人間の理性にそれほど期待していない。そもそも、まともな理性の持ち主であれば貴通を男として振る舞わせることなどしないはずだ。
妾腹の子とはいえ自身の娘にそのようなことを強要している時点で、父は五摂家の血の純潔という妄執に取り付かれた亡者の如き存在であるのかもしれない。
だから貴通は、たとえ情報収集のためとはいえ父に接触するだけの決意が生まれてこなかった。
「まあよい」
嘲りの口調を引っ込めて、有馬頼朋は続けた。
「五摂家はどうやら、我ら六家が戦後の利権争いのかまけている隙を突いて政治的な復権を目指そうとしておるようだ。あるいは、調停者としての役割を担うことで六家に対して政治的影響力を及ぼせる存在になろうとしているのか」
「いずれにせよ、頼朋翁はそれを許すおつもりはないのですよね?」
「当然であろう」
あまりに当たり前のことであったからか、六家長老の男は軽く鼻を鳴らした。
「いざとなれば、儂の方で皇主陛下より和衷協同の詔勅を引き出せば良いだけのことだ。今さら五摂家が政治的復権を果たしたところで、かえって国政は混乱するだけであろうよ」
「六つの大将家がいる時点で、すでに国政は混乱していますからね」意趣返しとばかりに、貴通は皮肉を言う。「これが十一家に増えたらどうなることやら」
「そういうことだ」
頼朋翁は、貴通の皮肉を無視した。
「中央集権国家を目指すにあたって、公家の復権など百害あって一利無し。貴様も、妙な野心を持たぬようにすることだな」
最後にこの老翁は、貴通に対しても釘を刺してきた。
客観的に見れば、五摂家に連なる者で最も政治的な復権を果たせる位置に存在しているのが貴通であると言えた。六家次期当主に上手く取り入り、戦功を挙げ、六家の後ろ盾を得て自身が穂積家当主となることも可能。周囲からそう見られてもおかしくはない立場にあるのだ。
だがもちろん、貴通の答えは一つしかない。
「ご心配なく。僕は、結城景紀の軍師ですから」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
騎兵第二旅団に配属されている小山朝康が父親から呼び出しを受けたのは、穂積貴通の元に怒鳴り込んでから数日後のことだった。
何のために父が自分を呼び出したのか、その理由は明らかだった。朝康は上官に休暇の申請を出し、不承不承、父である小山朝綱子爵が知事を務める下鞍国首府に列車で向かう。
そして列車から降り、駅前に回されていた小山家の家紋が入った馬車を目にしたとき、朝康は馬車の脇に立っていた人物に気付いて思わず呻き声を上げてしまった。
「げっ、嘉弥……!」
そこで彼を待ち構えていたのは、朝康の婚約者でもある男爵家令嬢―――嘉弥だった。今年で十九になる二歳年下の婚約者は、朝康の言葉を耳にして半眼になった。
「『げっ』って何よ、『げっ』って」
自身の婚約者の失礼な態度に、嘉弥は抗議の声を上げた。そのまま威嚇するような足取りで朝康に近付き、手首を引っ掴むとそのまま二人して馬車に乗り込んだ。
嘉弥の合図と共に御者が馬車を走らせ始める。彼女は対面に座る自身の婚約者を軽く睨み付けた。
「あんたがまたやらかしたって聞いて、朝綱のおじ様が嘆いてらしたのよ。今度は五摂家のご令息に暴言を吐いたそうじゃない」
「ったく、親父もいちいち細けぇことに気にしすぎなんだよ」
婚約者たる少女の追及にばつが悪くなって顔を背けつつも、朝康は反抗的な口調で言う。
「あんたは気にしなさ過ぎなのよ」嘉弥は溜息を交えつつ、続けた。「いい? あんたが無礼な態度をとったって言う穂積貴通殿は、五摂家のご令息。家格ではあんたより上だし、何より朝康は少佐で、相手は大佐。無礼な態度をとっていい相手じゃないわ」
「あいつは、俺の兵学寮後輩で……」
「もう兵学寮はとっくに卒業しているのに、いつまでその気分でいるのよ。いい? もう私たちは子供じゃないの。宗家の若様に無礼な態度をとるなんてもっての外だし、そのご正室様に対してもそう。そんなだから、朝綱のおじ様があんたのことを心配になるのよ」
「うぐっ……、この説教魔め……」
「私に説教されたくなければ、もう少し自分と相手の立場を考えて行動することね」
恨めしげに嘉弥を見る朝康に対して、嘉弥の方は涼しい顔であった。
「……お前は、不満には思わないのかよ」
朝康が、相変わらずふて腐れた口調で同意を求めるように嘉弥に問いかける。
「景紀の奴は俺よりも年下で、その正室の宵って奴もお前よりも年下だ。なのに親父は、いい年してそんな奴らのご機嫌ばかり窺っていやがる」
「年上として宗家の若様を見返してやりたいって気持ちになるのは判るけど、だからといって暴言は駄目でしょう、暴言は」
聞き分けのない弟を諭す姉のような口調で、嘉弥は朝康を宥めようとする。嘉弥の方が年下であるのだが、これではどちらが年長であるのか判らなかった。
「嘉弥、お前は見返してやりたい、って思わないのかよ?」
「……」
朝康の発言に、一瞬だけ嘉弥の言葉が詰まった。
朝康の生まれた小山子爵家は、結城家の分家筆頭ともいえる家柄である。代々の当主は結城家領下鞍国を任されており、朝康の父・朝綱も下鞍国知事となっている。
そして、嘉弥の実家は下鞍国の北に位置する岩背県にあった。もともとは岩背県が中央政府直轄県となる以前、その地域の西部地方を治めていた領主が、嘉弥の実家である保科男爵家であった。
しかし、保科家は男爵家として存続してはいるものの、領地を運営する財政上の負担に耐えられず領地を皇主に返上し、所領を持たない家禄・賞典禄のみで生活を営む一華族となっていた。
とはいえ、今でも保科家は地元の名士として、地域の振興に貢献している。
そして、結城家が東北の諸侯を監視・統制するための東北鎮台を管轄していることもあり、岩背県への影響力強化を狙って朝康と嘉弥との婚約は決定された。
岩背県への六家の影響力強化は当時、東北の有力諸侯であった嶺州の佐薙家を牽制するという意味合いもあったから、なおさら朝康と嘉弥の婚約は政治的に重要であった。
ただ、広大な所領を有する結城家に対して、保科家は所領を失っている。領地を失った無能な将家の娘として嘉弥を蔑む声も、結城家内になくはないのだ。
「……別に。そもそも、見返してやりたいって言う具体的な相手も私にはいないしね」
だが、嘉弥にはあえて見返したいという思いは湧いてこなかった。
「俺は、いる」
その一方で、朝康は固い激情を込めた声で言った。
「景紀の野郎だ」
「朝康」
あまりにも迂闊すぎる発言に、嘉弥は咎めるようにその名を呼んだ。だが、朝康は聞いていなかった。
「俺より年下の癖して、餓鬼の頃から賢しらに振る舞いやがって。しかもあんな妙ちくりんな髪と目の色をした女に入れ込んでいる癖して。しかも最近じゃ騎兵無用論なんてもんを唱え出しやがった。貴通の野郎も、それに同調していやがる。あの二人は、武士の伝統を何だと思っていやがる……!」
「競争心を燃やすのは自分を向上させるためにも良いことだけど、過ぎた競争心はかえって身を滅ぼすことになりかねないわよ」
冷静に、嘉弥はそう指摘する。
「朝康は朝康で優れているところがあるんだから、何でもかんでも宗家の若様に対抗心を抱かなくてもいいじゃない。少なくとも、私はあんたの頑張りを認めているわよ?」
「うっ……、だけどよぉ……」
朝康は収まりどころのない感情を持て余すかのように、視線を彷徨わせた。
「何よ、私が認めるんじゃ不満ってわけ?」
「んなわけあるか!」
咄嗟に強い口調で朝康が否定した。思わず立ち上がった所為で、馬車の天井に頭をぶつけてしまう。
「……だけどな、俺にだって小山家次期当主としての意地があるんだよ」
それで少しは冷静になったのか、声の調子を落としてばつが悪そうに朝康は言う。
「宗家次期当主に劣る分家次期当主と、そこに嫁いだ領地を失った将家の姫君、なんて言われるようになったら、嘉弥だって嫌だろう?」
流石に面と向かって告げるのは恥ずかしかったらしく、朝康はそっぽを向いてぶっきらぼうに言う。
子供のころから、いつも二人はこうだった。やんちゃで活発な子供であった朝康(当時は幼名を名乗っていたが)が周りの子供たちを引っ張り回し、そんな朝康が無茶をしないようにしっかり者の嘉弥が歯止めを掛けるというのが、幼少期から続く二人の関係だった。
「……ほんと、男って見栄っ張りな面倒臭い生き物よね」
一瞬だけ窓の外に目を遣りつつ、嘉弥はぽつりとそう呟くのだった。
◇◇◇
小山子爵家当主・朝綱は、昨年に引き続きまたしても嫡男が暴言を吐いたという報せを受けて胃の痛い日々を送っていた。
今回の相手は次期当主正室の宵姫ではなく、次期当主の腹心とも言える五摂家の令息だという。
結城家に連なる者ではないとはいえ、家格や軍の階級を考えれば、決して暴言を吐いて良い相手ではない。
ただでさえ、宗家当主の景忠公は後継者問題で神経質になっているというこの時期に、宗家を不用意に刺激することだけは避けたかった。
歴史上、君主が自身の後継者と定めた者の立場を脅かしそうな者たちを次々と粛清していったという事例は存在する。分家筆頭ともいえる小山家とはいえ、迂闊な言動は慎むべきであった。
「朝康よ、いったいお前は昨年のことから何を学んでおるのだ」
下鞍国首府にある小山家の居館に息子を呼びつけて、朝綱は心労の滲んだ声で朝康に言った。息子の隣には、その婚約者である嘉弥姫の姿もある。
息子・朝康は父親である自分よりも嘉弥姫の言うことの方を聞き入れる傾向があったから、朝綱は彼女に同席を求めたのだ。
「だが親父、俺たちは六家分家で、武士なんだ。公家のボンボンなんかにへりくだったら、それこそ家臣たちに対して示しがつかないだろうが」
朝康は父親の叱責に、むしろ反抗的に反論した。その態度には、悪びれる様子は一切ない。
息子の武士としての妙な矜持に、朝綱はますます頭の痛くなる思いであった。幼い頃から軍記物の主人公に憧れ、直情径行にある息子の性格を心配していたが、ここ最近の出来事はその心配が杞憂ではなかったことを証明するようなことばかりである。
思わず拳骨なり張り手なりが飛び出しそうになる気持ちを堪えて、朝綱は息子を諭す言葉を続けた。
「公家とはいえ、相手は皇室の血も引いておられる五摂家の令息だぞ。穂積貴通殿は確かに穂積公爵家を継ぐ立場にはないが、いずれは宗家次期当主である景紀様の側近となられるだろうお立場にある。そのことを、お前は理解しているのか?」
「親父こそ、そんなに宗家の顔色ばっかり窺って楽しいのかよ」
「私は結城家分家の立場を弁えているだけだ。お前も我が小山家を継ぐ立場であるのならば、少しは自分を抑える術を身に付けよ」
「そうよ。もう二十歳を過ぎたんだから、あんたもいい加減、落ち着きってものを覚えた方がいいわ」
まったく息子に言葉が届かない朝綱を見かねたのか、嘉弥姫が口を挟む。
「その思ったことがすぐに行動や言葉に出る性格を直さないと、あんた早死にするわよ」
婚約者からも厳しい指摘を受けて、流石に反抗的だった朝康も口を閉ざす。基本的に、子供の頃から朝康は嘉弥に口で勝ったことはないのだ。幼少期は単に嘉弥に捨て台詞を吐いてその場を逃げることで誤魔化してはいたが、流石にこの年になってそうしたことはしないらしい。
そのことに、朝綱は多少なりとも息子の成長を見て取った。もっとも、まだまだ次期当主としては未熟過ぎて、親としての心配は絶えなかったが。
とはいえ、宗家の次期当主が朝康よりも年下であるにもかかわらず優秀であることが、この息子の成長に良くない影響を及ぼしているのかもしれないとも、朝綱は考えている。
宗家次期当主が優秀であることは分家としても心強いことではあるのだが、同じく次期当主という立場の息子にとってはそうではないのかもしれない。
結城景紀は今、新海諸島の部族長たちとの交渉に赴いている。そこで結城家次期当主としての成果を挙げ、その立場をより強固なものとすれば、息子の景紀に対する感情はより複雑で歪なものとなってしまう可能性はあった。
「嘉弥姫殿」
自身の後を継ぐべき息子に溜息をつきたくなる気持ちを抑えて、朝綱は息子の婚約者の名を呼んだ。
「何でしょうか、小山閣下」
「この愚息がいつも貴殿に迷惑をかけて済まないと思っているが、しばらく、この粗忽者の側にいて目を光らせておいてはくれないか? 志野原の方には、私の方で住まいと仕事を手配しておこう」
「かしこまりました、朝綱のおじ様」
にこりとした笑みを浮かべて、嘉弥は朝綱に向かって一礼した。
「おい、親父……」
かすかに抗議の響きを込めた朝康の声が聞こえたが、朝綱はそれを無視した。
息子が婚約者のことを憎からず思っている一方、彼女に対して見栄っ張りな部分もあることを知っている父は、むしろ嘉弥が側にいた方が朝康も多少は自重するのではないかと思ったのだ。
もっとも、見栄っ張りな部分が暴走してしまう可能性も否定出来なかったが、少なくとも息子の手綱を握れる嘉弥姫が側にいれば、それほど深刻なことにはならないだろう。
「朝康も、あまり嘉弥姫や穂積貴通殿にご迷惑をかけぬようにせよ」
「……わぁったよ」
父親に対して不承不承といった口調で答える朝康の顔には、若干の気恥ずかしさとバツの悪さがあった。嘉弥と共にいられることへの羞恥と、その嘉弥から小言を頂戴するかもしれないことへの気まずさがあるのだろう。
ともかくも、自身の後継者のことで神経質になっているのは、何も宗家当主の結城景忠だけではないようだ。そう思い、小山朝綱は内心で密かに自嘲するのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
貴通が景紀の父・結城景忠に査閲官としての報告のために結城家皇都屋敷を訪れると、景忠公は一通の書状を貴通に渡してきた。
「小山子爵から、貴殿への詫び状だ」
渡された書状を貴通が広げてみると、そこには先日、息子である朝康が彼女に対して暴言を吐いたことを陳謝する内容が書かれていた。
「貴通殿、貴殿も何かと苦労しておるようだな」
景忠公は案ずるように、そう言った。
「まあ、僕は結城家にとっては余所者ですから。それに、この程度の苦労は覚悟の上です」
むしろ、結城家の次期当主となるべき景紀を支えているのだと思うと、充実感すらある。貴通にとって、それは自分自身の存在価値にも直結するものであるからだ。
性別と、そして本当の名前を偽っている自分は、歴史に偽りの姿しか残すことが出来ない。それでも、歴史に名を残せる人物を側で支えることが出来たならば、自分自身にも価値があったのだと納得することが出来る。
だから景紀を支えることは、たとえどれほどの苦労があっても貴通にとって充実したことなのだ。
「貴殿は、景紀にとって本当に良き友人なのだな」
しみじみと噛みしめるように、景忠公は言った。この公爵にとって、唯一成長することの出来た息子が連れてきた友人というのは、それだけで感慨深いものなのだろう。
「それで、小山子爵の謝罪についてはどうする?」
「受け入れましょう。僕としても、不必要に結城家領軍内に波風を立たせたいわけではありませんから」
というよりも、貴通の立場では受け入れざるを得ない。相手は、結城家有力分家の当主なのだ。五摂家の人間とはいえ、今の貴通の結城家内での立場は次期当主・景紀の側近の一人、という程度でしかない。
景忠公も、そうした貴通の態度に安堵しているようであった。
「それと、景紀から無事に新南嶺島に到着したとの報せが電報で届いてな」
結城家現当主は、そう言って電報の紙を貴通に差し出してきた。
「これでいよいよ、皇国は新海諸島を我が勢力圏に完全に組み込むために動き出したわけですね」
電報を受け取りつつ、貴通は言う。
皇国がその勢力を拡大するに当たり、景紀がその当事者となっている。自分が軍師として仕える相手が、そして一人の少女として思慕する殿方が功績を挙げようとしていることが、貴通には我がことのように嬉しかった。
「僕からも景くんに一言、伝えて頂いてもよろしいですか? 景くんの活躍を、遠い内地から祈っている、と」
貴通は電報の紙をそっと撫でつつ、遙かなる南洋の島々とそこにいる景紀たちに思いを馳せていた。