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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第九章 混迷の戦後編

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170 帰国と新たな任務

 その日は宵が嶺州から戻ってきたこともあり、景紀の無事の帰還を祝って当主・景忠主催の下、主要な家臣たちが集められてささやかな宴が開かれた。

 今次戦役中、景紀を支えてくれたとのことで、結城家家臣ではないものの澄之浦から貴通も宴に招かれていた。

 とはいえ、病に倒れて以来、景忠は典医から酒を禁じられているので、出席した家臣たちも主君に配慮せざるを得なかった。

 そのため宴の後、景紀の方で家臣たちに酒代を渡している。表向きは、自身の不在中に父や母、宵を支えてくれたことへの(ねぎら)いという形であった。






「それで、景くんはこれから新海諸島に向かうことになるわけですか?」


 宴後、自室に引き上げた景紀は、冬花、宵、貴通、新八、鉄之介を集めた。


「いや、正確には新南嶺島で会談は行うらしい」


「とはいえ、景くんはまた内地を留守にせざるを得ないわけですね」


 貴通は、腕を組んで小さく唸った。


「確かに結城家が南泰平洋に進出するなら、次期当主である俺が出張るのも当然と言えば当然かもしれないが、いささか急な話ではある」


「申し訳ございません、私が余計な提言をした所為で」


 宵が肩を縮めながら言う。

 南泰平洋への進出を景忠に最初に進言したのは宵であったため、景紀に休む間もなく次の役目が言い渡されたことに、彼女としても責任を感じざるを得なかったのだ。


「いや、宵の所為じゃないさ。どうせ、お前が言い出さなくても、そのうち誰かが言い出していただろうよ。うちの家臣には南進論者も多いからな」


 しかし景紀は、これは宵の責任ではないと思っている。皇国が対外進出を続けていけば、いずれ南泰平洋へも手を伸していただろう。

 それでも宵は、どこか納得していないようであった。かすかに、俯き加減に視線が下を向いている。


「問題は、これからどうするかってことじゃないのか?」


 そう言ったのは、鉄之介であった。彼は以前、景紀たちと共に陽鮮に渡った経験がある。だからこそ、景紀がどういう方針を打ち出すのか問うているのだ。

 この陰陽師の少年も、随分と葛葉家次期当主としての自覚が出てきたようだ。景紀は、冬花の弟の成長に嬉しくなる。

 恐らく、八重の存在やこの四月から宮内省御霊部で働き始めたことで、鉄之介の中に葛葉家次期当主として、景紀のことを姉と共に支えなければという思いが強くなり始めたのだろう。


「父上は、この機会に宵も南洋を視察しておくと良い、と言っていてな」


「私も、ですか?」


 宵自身は、景忠から何も聞かされていなかったようだ。


「ああ」景紀は頷く。「お前も次期当主正室だ。結城家の統治する南洋植民地の実際を、この機会に見ておくのも良いだろうと、俺も思う」


「確かに、必要なことかとは思いますが……」


 宵はどこか不安そうに、言葉を続ける。


「現状で、私と景紀様、二人共が内地を不在にしていて大丈夫なのでしょうか?」


 これから内地では、戦後利権を巡る政争や、賠償金の用途、今後の外交政策に関する激論が交わされることになる。

 景忠公の政治的指導力に陰りが見え、家臣団の内部でも重臣と側近勢力の間で確執が生じている状況で、対斉戦役中、ほとんど唯一の調停役ともいえた宵までが南洋植民地に渡ってしまうことに、彼女自身、漠然とした不安を覚えていたのだ。

 そしてその不安は、実際に彼女が皇都を不在にしている間に景紀の旅団長解任などの事態が発生していたために、景忠公への不信感にもなりつつあった。

 しかし、景紀の前で彼の実父を批判することは、流石に憚られた。


「不安っちゃあ、不安だが、結城家はともかく六家自体は、何とかなるだろう。うちの親父と違って、頼朋翁はまだかくしゃくとしているからな」


 有馬頼朋翁の政治的影響力、そして指導力が健在な限り、六家間で対立があったとしても、最終的には頼朋翁の望む形での妥協に持ち込むことが出来るだろう。

 もっとも、結城家自体の政治的影響力はこのままでは低下していくだろうが、そこは自分が当主になってからどうにかするしかないと景紀は考えていた。


「鉄之介くんは御霊部の方の仕事があるでしょうし、八重さんも流石に学校がありますからから今回は連れて行けないとして、僕、景くん、冬花さん、宵さんの四人で新南嶺島に向かいますか?」


「いや、貴通にはすまんが、お前は内地に留まっていてくれると助かる」


 同期生の言葉に、景紀はそう返した。


「やっぱり、俺も宵もこの情勢下で内地を留守にすることには不安がある。五摂家当主の“息子”たる貴通には、内地に留まって情勢の推移を注視しておいて欲しい。とりあえず、以前と同じ査閲官の地位が与えられるよう、父上を説得しておく。あと、頼朋翁への手紙だな」


「景くんがそうおっしゃるのであれば、僕はそれに従いますよ」


 離れていても景紀を支える務めを与えられたことに、貴通は笑みを以て応じた。彼に信頼されているからこそ任されているのだと思えば、寂しさよりも嬉しさの方が上回る。


「鉄之介、そういうわけだから何かあったら貴通の指示に従ってくれ」


「あんたがそう言うんだったら、俺は従うまでだからな」


 どこか反抗期が抜け切っていない口調で、鉄之介は頷いた。弟の不遜な態度に冬花が一瞬だけ睨み付けるが、鉄之介はそれを無視した。


「八重にも、そう言っておいてくれ」


「了解」


「んで、新八さんだが……」


「僕が向こうに行っても、護衛くらいしか役に立たんへんよ」


 いつも通りの西方弁を懐かしく思いながら、景紀は続けた。


「それに、南洋の太陽で真っ黒に日焼けして帰ってきたら、内地じゃ当分、動けへんやろうからなぁ」


「確かに、内地じゃ目立ってしょうがないだろうな。まあ、日焼けに関しては冬花の術式をかけてもらえばだいぶ緩和することは出来るんだが?」


「んー、若も国内の情勢が気になっとるようやし、僕は内地で情報収集に専念させてもらうわ」


「じゃあ、新八さんはとりあえず、俺や宵が不在の間、貴通の下についてくれ」


「了解」


「んで、宵についている菖蒲の方は、連れて行くべきか?」


 景紀は宵と冬花を窺うように視線を向ける。

 結城家直属の忍の家系の出である風間菖蒲は現在、宵の警護役を任されている。しかし一方で、冬花との間には幼少期から続く確執がある。


「私の護衛に就いて以来、菖蒲殿は隠密としての任務はほとんどやっていないようです」


「連れて行く分には問題ないか」


 宵からの答えを受けて、景紀は冬花を見遣る。白髪の少女は、ちょっとだけ迷うような素振りを見せてから、苦笑と共に答えた。


「……私としても、宵姫様専属の護衛がいると安心出来るわ。流石に、私たちが最初に新南嶺島に行った時みたいに牢人たちが反乱を起こすなんてことには出くわさないとは思うけど、陽鮮の時みたいに何があるか判らないから」


「……よくよく考えたら、俺らが内地の外に出ると碌なことに巻き込まれないな」


 景紀も、かつての南洋植民地視察時の苦い記憶、そして昨年の陽鮮倭館での軍乱を思い出して、渋い声を出す。


「まあ、今回は何事もないことを祈るか」


 どこか投げやりに言って、景紀は言葉を続けた。


「とりあえず、そういうわけで貴通には内地のことを頼む。新八さんも、鉄之介たちと上手くやってくれよ?」


「まあ、その辺は任しとき。若の留守中も、菖蒲の嬢ちゃんやそこの鉄坊なんかと一緒にやっとったんや」


 軽く煙管を持ち上げて、新八は雇い主の言葉に応じた。相変わらず“鉄坊”呼ばわりされた鉄之介は、少しだけむっとした表情を浮かべていたが。


「とりあえず、こんなところか」


「ところで景くん」


「何だ、貴通?」


「景くんたちの出発は、いつになる予定ですか?」


「六月八日だそうだ」


 その言葉を聞いて、貴通の柔和な表情が固まった。


「……五日後、ですか」


 一瞬絶句したあと、彼女は呻くように言った。内地に帰還して、十日と経たずにまた発たねばならないとは。


「これは、以前、景くんから聞いていた景忠公側用人・里見善光殿も関わっていると考えるべきでしょうか?」


 里見が、冬花の存在を将来的な政敵として疎ましく思っていることは貴通も知っていた。

 そして景紀が内地に帰還した以上、彼は自身が次期当主とその補佐官によって失脚させられてしまうことを警戒するはずだ。

 特に講和条約が締結され、三国干渉があった今、皇国の政治は大きく揺れ動くだろう。講和条約で得た利権の分配問題、賠償金の使い方問題、そして外交方針を巡る問題。

 当主を補佐すべき側用人にとって、これは自身の政治的地位を向上させ、逆に重臣勢力の地位を相対的に低下させる好機であろう。

 結城家内の意思決定を景忠公と里見善光ら少数の側近勢力の間だけで完結させ、それによって重臣を意思決定過程から排除することが出来るからだ。

 景忠公側近勢力が結城家内で影響力を拡大すれば、代替わりしたとしても景紀が父の側近を政治から遠ざけるのは難しくなる。

 だからこそ重要な政治課題が山積している今、景紀の存在は里見善光にとってこれまで以上に厄介なはずであった。

 景紀は景忠の嫡男であり、次期当主。意思決定過程から排除することは、難しいのだ。そのために景紀を南洋植民地に追いやろうとしていると受け取ることも出来た。


「まあ、その可能性はあるし、一方で三国干渉もあって併合を急いでいるということもあるだろうな。出来れば貴通には父上と上手くやってもらって、父上と重臣たちとの間を取り持てるくらいは頼みたい」


「了解です。僕は結城家家臣ではないので、どこまで内部の事情に喰い込めるかは判りませんが、鉄之介くんたちからの情報も得つつ、やっていきたいと思います」


「ああ、頼んだ」


「お任せ下さい」


 そうして、この日はそれで解散となった。


  ◇◇◇


「……貴通たちの前ではああ言ったが、内地に帰ってきて早々にこれとは、やってられんな」


 風呂に入って寝巻に着替えた景紀は、寝室に敷かれた布団の上にうつ伏せに倒れ込んだ。全身を弛緩させて、倦怠感を体全体で表わしている。


「ご心中、お察しします。景紀様」


 彼と同じく白い寝巻姿の宵が、寝転がる景紀の横に膝をつく。そして、頭を撫でるようにそっとその黒髪を梳いていく。

 どこか幼子を甘やかすような仕草の少女に、しばらく景紀はされるままになっていた。


「……でもまあ、お前に南洋の海を見せてやれるって考えれば、それほど悪くはないのかもな」


 むくりと起き上がって布団の上で胡座をかきながら、今度は景紀が宵の長く艶やかな髪に手を伸した。

 景紀は以前、有馬貞朋に内地に帰還したら宵に南洋の海を見せてやりたいと語ったことがある。望んだ形とは少し違うが、良い機会だと思った。


「私は雪国の出身ですから、常夏の島々というのがあまり想像出来ません」


 景紀の手付きをどこかくすぐったく感じながら、宵は言う。


「それを景紀様と一緒に見られるのなら、嬉しいです」


「ったく、お前のその台詞の方がずるいだろうに」


 行燈の光の下で淡く笑みを浮かべた宵に、思わず景紀は手を伸していた。昼間とは逆に、今度は景紀の方から宵を抱きしめる。


「ふふっ、お互い様ですよ」


 少年の胸に、宵は甘えるように自らの額を押し付ける。

 景紀は少し腕の力を緩めて、腕の中から見上げてきた宵と目を合わせた。


「ああ、宵がそう言うなら、一緒に見てみような」


「はいっ!」


 景紀の腕の中で、宵は嬉しそうに顔をほころばせる。もう一度、景紀は少女の華奢な体をぎゅっと抱きしめた。


「やっぱり、お前の方がずりぃわ」


 そしてその柔らかな唇をそっと奪った。

 すると、宵の方も応ずるように景紀の背に強く腕を回して、己の方から強く唇を押し付ける。


「んんっ……!」


 互いに小さく呻き声を漏らして、口吸いを続ける。互いに直に感じる相手の感触に、体の芯が熱くなってくる。

 息が苦しくなってきたあたりで互いに唇を離すと、景紀は宵を抱きしめる力を緩め、腕の中から彼女を解放した。


「……ここまでにしておこう」


 少し熱に浮かされたようになっている宵に、景紀は区切りを付けるようにそう言った。


「これからずっと船旅になるんだ。流石にこれ以上は拙いだろう?」


「……私は、いつでも覚悟は出来ておりますが?」


 景紀の欲望をすべて受け入れようとするような、健気な声音だった。

 どこか誘惑にも似たその言葉に、少年の中からもう一度強く抱きしめてその肢体を思うままにしたいという衝動が湧き上がってくるが、景紀は何とか理性の力でそれを押し止めた。


「まあ、嬉しい言葉じゃあるんだが、お前を途中で一人、帰国させるかもしれないとなると、な」


 ちょっと気まずい口調で、景紀はそう説明した。


「判りました」


 景紀の熱から離れることに少しだけ名残惜しげな表情を見せながら、それで宵も引き下がる。


「ただ、私は景紀様の正室です。やはり、そちらの方面でも務めを果たさねばなりません」


「判っているよ。南洋から帰ってきたら、俺もその問題にケリを付けようと思う。お前が、不名誉な陰口を叩かれるわけにはいかんからな」


 宵が景紀に嫁いでから、すでに二年目である。三年経っても子を授かれないとなると、やはり悪く言う者は家臣団の中にも現れるだろう。それが側室や愛妾の地位を巡る、新たな争いを引き起こさないとも限らない。

 景紀も次期当主として、家臣やその家族たちの将来に責任を持つ立場である。結城家の直系を、ここで絶やすわけにはいかないのだ。

 そしてその後継者は、自分と宵の子であって欲しいと思う。


「では帰国後に、また改めてよろしくお願いいたします」


「ああ」


 宵は少し乱れてしまった寝巻の合わせ目を直しながら、自らの布団の上に座り直した。


「その代わりと言っては何ですが、景紀様が以前、冬花様と行かれた南洋視察のお話を聞かせて頂けませんか?」


 対斉戦役が始まる前、景紀と宵はお互いが見聞きしたこと、思ったことをその日の夜に伝え合うというのが日課のようになっていた。

 今、この場で互いの体を直に感じることは出来ずとも、かつてあった日常を宵は取り戻したいのだろう。

 それに、自分の知らない南洋の知識を資料ではなく景紀の口から直接聞きたいという思いもあるに違いない。

 景紀も、久しぶりに宵との会話を楽しみたいという気持ちもあった。


「ああ、いいぜ。じゃあ、今日から出発までの間、少しずつ話してやるよ」

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