154 戦場と呪術
「……そっか、宵は皇都で頑張ってやっているのか」
伊季から聞かされた皇都での宵の様子に、景紀はそう呟きを漏らした。
あの怨念に囚われた空間で宵とは再会したものの、その後どうしているのかは手紙が届いていないので判らなかった。弾薬の輸送など兵站が優先された結果、内地からの軍事郵便がほとんど届かなくなってしまっていたからである。
自分は呪詛による後遺症は残らなかったが、巻き込まれた宵がどうなったのか、心配していたのだ。
だが、伊季から宵の近況を聞いて、景紀は安堵の息をつくことが出来た。
「しかしまあ、俺への手紙よりも嶺州軍への慰問品を運んでもらうことの方を伊季殿に頼むとは、宵らしいっちゃ宵らしいが、もう少し地位を濫用したって構わんだろうに」
少なくとも、宵は将家の姫としての責務を十分に果たそうとしている。その地位に見合った働きをしているのならば、その地位に見合った報酬があって然るべきだろう。
「そこが、宵姫様らしいところではありますが」
冬花も苦笑しつつ、伊季の話を聞いていた。
「ああ、冬花殿。鉄之介殿も元気にやっているから安心して欲しい。それに、貴殿らが戦地に行っているこの半年の間に、少し身長も伸びたようだ」
「ふふっ、内地に帰ったら鉄之介の成長を見るのが楽しみです」
冬花にとっても、伊季の話は有り難いものであった。
「それで伊季殿、瘴気被害の調査ということだが、俺の名前で結城家領軍の管轄地域での通行手形を発行しておこう」
「かたじけない」
「それと、冬花」
「はっ」
景紀の言葉を受けて、冬花が壁際の書棚に収められている書類綴の内の一つを取り出す。
「軍の方でも、瘴気の被害については戦訓として色々とまとめている」景紀は冬花から書類綴を受け取る。「これは結城家領軍および嶺州軍の被害状況などをまとめて、第三軍司令部に提出したものの写しだ。後で目を通しておくといい」
「有り難く使わせてもらおう。ところで、景紀殿」
これまでどこか雑談に興じるような調子であった伊季の声が、探るようなものに変る。
「今回、戦場で呪術が大量に使用されたことについて、父上を始め御霊部の者たちは深刻に受け止めている。この意味、冬花殿という存在を側に置いている景紀殿なら判るな?」
その言葉に、景紀は小さく嘆息した。そして、一瞬だけ冬花と目線を合わせてから、口を開く。
「判っている。呪術師という存在を、常人が脅威と感じるような風潮が生まれないかという心配のことだろう?」
「ああ、その通りだ」
伊季は重々しく頷いた。
生まれつき霊力・魔力を持つ呪術師・魔術師を始めとする異能者と、常人は違う。そして、いつの時代も異能者は常人に比べて圧倒的に少数派であった。
人間、あるいは人間社会は、異質な存在を容易に排除しようとする方向に向かってしまう。
西洋社会において魔術師を始めとする異能者を徹底的に迫害・弾圧・処刑する、いわゆる「魔女狩り」が発生したのも、常人の異能者に対する漠然とした恐怖があったからだろう。
東洋社会においても、律令の時代から呪詛など人を明確に害する呪術は禁術として扱われてきた。呪詛を行ったという嫌疑をかけられて失脚、粛清された者も多い。
しかし一方で、特に皇国では呪詛や天災、疫病などの災厄から国家や要人を守るために陰陽師が朝廷において重用されてきたという歴史も存在している。陰陽師はこれまで、主君や雇い主を呪詛や怪異から守護したり、疫病などを加持祈祷で退散させたり、占術によって天災を事前に察知するなど、人々を災厄から守ってきたものである。
皇室と皇都を霊的に守護する役割を追っている宮内省御霊部などは、そうした一例であろう。
長い歴史を通じて皇国では呪術師と常人との間に信頼関係が構築されていったため、西洋社会のような大規模な呪術師弾圧は発生していない。
しかし、呪術通信など常人とは違う情報伝達手段を持つが故に、戦国時代には密かに謀反を企てているという疑いをかけられて一族ごと滅ぼされた呪術師も存在しており、皇国においても、必ずしも呪術師と常人との関係が良好であったわけではない。
景紀は、冬花という妖狐の血を引く存在を側に侍らせているため、より強く呪術師と常人との間にある隔意を感じている。常人が妖と人との間に生まれた存在を忌避するような感情がなければ、冬花は幼少期にあれほど嫌悪されることはなかっただろう。
「正直、冬花に爆裂術式を何度も使わせている俺が言えることじゃあないとは思うが、呪術師の戦場への投入は、ほどほどにしておいた方が良いだろうよ」
将家やその家臣団出身の将校から、呪術師に戦功を奪われると反発を受ける程度ならばまだ良いだろう。
しかし、そうした反発も過ぎれば讒言を生むことになる。戦国時代、呪術通信という特殊な情報伝達手段を持つが故に謀反を疑われて族滅された呪術師がいるように。
「爆裂術式は、まあ、まだ火砲や弾薬不足の代用って言い訳がつく。しかし、瘴気とか呪詛とかは、呪術師特有のものだ。確かに一時的には効果があるかもしれないが、長い目で見ると弊害の方が大きいだろうな」
「やはり、貴殿もそう思うか」
「ああ、呪術師というのが常人にとって脅威となる存在だという認識が広まりかねない。特に瘴気は、人体だけでなく土地にまで影響を及ぼすからな。後ほど伊季殿ら調査団は野戦病院で瘴気に冒された兵士たちの調査と治療も行うと思うが、実のところ斉軍捕虜の方が症状は深刻だったりする」
「斉軍捕虜? 連中は瘴気を流した側ではなかったのか?」
伊季は怪訝そうに首を傾げた。
「まあ、簡単に言ってしまうと、瘴気で穢れた土地を上手く浄化出来なかったようだ」
そう言って、景紀は皮肉そうに唇を歪めてみせる。
「連中は俺たちから遼河西岸を奪還出来たと喜んでいたんだろうが、目に見えないところで確実に土地に残留した瘴気に体を蝕まれていたらしい。瘴気が流し込まれた地域の井戸水を冬花に調査してもらったが、瘴気による穢れが残っていた」
「それはまた……」
伊季は、何とも言い難い表情になった。瘴気に冒された斉兵に同情すべきなのか、浄化のことまで考えずに瘴気を流し込んだ呪術師に怒りを覚えるべきなのか、判断がつかないのだろう。
御霊部の一員である以上、彼もまた皇都の霊的守護を担う陰陽師なのである。
それとまったく逆の、瘴気によって土地を穢すという行為は、彼の中では言語道断の所業だろう。
「現在、全軍に注意報が発令されている。遼河の河岸周辺、具体的に言うと牛荘―営口間の街道の東側の地域には、未だ残留瘴気による穢れが残っている状態だ」
浄化を試みようにも、田庄台を始めとする遼河西岸は未だ斉の支配地域である。遼河の結氷によって河の東西の往来が容易になってしまったため、あえて不意の会敵があり得る地域に貴重な呪術師を派遣しようとする部隊は存在していなかった。
現在、第三軍は海城―蓋平間の街道周辺地域を抑えているだけで、それより西側の遼河沿いの地域は両軍の空白地帯となっている。
だからこそ、瘴気に穢された地域を皇国軍はそのまま放置しているともいえた。
「伊季殿は、俺が以前、兵部省に呪術の軍事利用についての上申書を出したのは知っているか?」
「ああ、御霊部にも呪術に関係のある部署ということで、写しが回覧されてきたからな」
「そこで俺は、呪術の浄化という側面に注目した。戦場での疫病の発生、あるいは風土病の罹患などは、それこそ戦国時代やその後の海外進出時代を通して問題視されてきたことだからな。俺としては今後とも、この意見を堅持していきたいと思っている」
「それは、冬花殿のような存在が人々から恐れられ、忌避されるのを防ぎたいからか?」
「いや、当初はそこまで深く考えていたわけじゃない」
自嘲混じりの苦笑を浮かべつつ、景紀は答えた。
「多分俺も、無意識的に呪詛なんかの禁術を忌避していたんだろうな」
皇国では律令体制が崩壊した後も、慣習法として呪詛は禁術として扱われ続けてきた。武家法などでも、呪詛の禁止を謳ったものが存在する。
そうやって時代を経る内に、呪術師に戦功を奪われたくないという武士の意識も相俟って、軍事的手段として呪詛を考える者がいなくなってしまったのだろう。
暗殺の手段としての呪詛は未だ存在しているが、それを軍事的規模で用いるという発想はすでに皇国の中では消えてしまっていたのだ。
だからこそ、斉軍による瘴気作戦が初期の段階では成功を収めていたといえる。
「司令官会合の時も、どの六家関係者も呪詛を軍事的に利用しようなんて言い出した奴はいなかった。だから、その点では安心していいと思うぞ」
「そうか」
六家次期当主という地位にある者からの言葉に、伊季は薄く安堵の表情を浮かべた。
そんな龍王の血を引く青年の表情を見遣りつつ、景紀は同時に別のことを考えていた。瘴気や呪詛などは、戦術としてあまりに不安定過ぎる。呪術師の霊力量や技量に左右されるようでは、均質化された近代的軍隊にあまりにもそぐわないのだ。
もちろんそれは、冬花の爆裂術式も同じである。弾薬ある限り撃ち続けられる火砲と違い、爆裂術式を使用すればするほど冬花の霊力は消耗していく(砲身も摩耗するが、これも弾薬と同じで補給が続けば交換出来る)。これも、長期戦になればなるほど戦術としては不安定な要素が増大することになる。
むしろこれらの時代、自分たちが警戒すべきは大量の火砲と弾薬による弾幕だろう。
景紀の脳裏には、未だ多銃身砲の前に撃ち倒される人馬の光景が残っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
二月十六日、前線視察と称して第三軍司令官の有馬貞朋大将とその参謀長・児島誠太郎中将が海城を訪れた。
海城は最前線ではなくなっているので、鞍山の視察に向かう途中という体である。
「貴殿の提案した紫禁城降下作戦だがな、決まったよ」
至極あっさりとした調子で、貞朋はそう告げた。
思わず、景紀と貴通は顔を見合わせた。
「……児島閣下が上京されて二週間程度ですよね? 軍監本部も随分と思い切りがいいと言うか……」
満洲と皇都との間を往復する時間を考えれば、児島参謀長が皇都にいられた時間は二、三日程度だろう。それなのに、このような重大な作戦にあっさりと許可が下りたことが、景紀には意外であった。
状況次第では自分も上京するか、再び征斉派遣軍の司令官会合を行った上で決定されるものと思っていたからだ。
「景紀殿、忘れているようだが私の父上は元帥だぞ?」
微苦笑を浮かべながら、貞朋は言った。
彼の父で六家長老の有馬頼朋は、元帥陸軍大将である。元帥は皇主の最高軍事顧問という立場であり、六家当主を中心に構成される軍事参議官の中で最も発言力、影響力の大きい存在であった。
「……それは、また六家が軍監本部を無視していると言われませんか?」
奉天・遼陽攻略を目指した冬季攻勢も、元はといえば軍監本部の立案した対斉作戦計画を無視した六家によって強引に実施が決定されたものである。
「実際のところ、川上本部長も対斉作戦計画の立て直しに苦慮しておられる様子でした」
児島参謀長が、六家次期当主としての景紀の立場を慮った口調でそう言った。
「ああ、徴傭船の件で種々の問題が生じていると、先日、こちらを訪れた浦部伊季殿から聞いています」
「つまりは、そういうことなのです」児島は言う。「春季の直隷決戦に代わって、斉朝宮廷、究極的には咸寧帝の継戦意志を打ち砕き戦争を早期に終わらせられる作戦がないものかと、色々と検討されていたようです。それと、海軍の方でも陸戦隊を用いた天津上陸作戦を計画していたようです。ただ、海軍内部でも色々と派閥抗争があって、天津上陸作戦は検討段階で止まっていたようですが」
「その派閥抗争とは、艦隊派と陸戦隊派のものですか?」
「ええ、そうです」
景紀の問いに、児島が頷く。
海軍陸戦隊は、海軍の保有する陸戦兵力である。かつて接舷移乗戦闘が行われていた帆船時代に設立された組織であり、現在は有事の際の海外の居留民保護などの任務も負う存在であった。
しかし、時代が下るにつれて陸戦隊は組織として大きくなっていき、かつては艦隊の補助的な部隊であったはずの陸戦隊は、それ単体で一つの軍隊を組織しているような様相に変化しつつあった。
しかし当然ながら、海軍という組織上、艦隊の存在こそが自らの存在意義となっている。陸戦隊派の者たちが海軍内部で組織、派閥を拡大してくことは、艦隊派にとって望ましいことではなかったのだ。
そのような陸戦隊派に戦功を立てさせることになる天津上陸作戦は、海軍内部でも否定的であったのである。
六家に限らずどこの世界にも派閥抗争はあるものだなと、景紀は内心で皮肉な思いを抱いていた。
「まあ、派閥抗争以外にも冬の渤海湾の波浪、燕京付近の兵力に対抗出来るだけの兵力が陸戦隊には存在しないこと、なども検討止まりの要因であるようですが」
開戦前、都・燕京を中心とする直隷平野にはおよそ十万の兵力が存在すると考えられていた。さらに、天津の大沽砲台の存在もある。
無血上陸に等しかった遼東半島上陸ですら、一個師団の兵力を上陸させるのに数日かかったのである。
兵力差や兵員・物資の揚陸にかかる時間、そして砲台の存在を考えれば、開戦当初の段階で天津上陸作戦は無謀といえた。
だからこそ軍監本部も天津上陸作戦ではなく、遼東半島や遼河平原に拠点を確保した上で直隷平野での決戦を行う戦争計画を立てていたのである。
しかし、捕虜情報などから、斉軍は直隷平野の兵力を引き抜いて冬季反攻を行ったことがすでに判明している。
彼我の兵力差からくる問題は、解決されたと考えていい。
むしろ、斉軍が各地から兵力を再集結させて、再び直隷平野の兵力が充実する前に作戦を敢行する必要性すら生まれていた。
そうした軍監本部の事情を、児島中将は語る。
「幸い、海軍が斉沿岸部を封鎖し、さらに龍母部隊が空襲によって内陸水運網に打撃を与えています。南部の広州に連合王国軍が上陸したこともあり、消耗した直隷平野の兵力を早期に回復することは難しいでしょう。天津上陸作戦を敢行するならば、今しかないというのが軍監本部の判断でした」
「そして、天津上陸作戦とそれに呼応した紫禁城降下作戦は我々と軍監本部、そして大本営政府連絡会議に出席するのごく一部の者しか知らない。徹底的に、極秘裏に作戦準備を進めるつもりだ」
自らの参謀長の言葉を、有馬貞朋は引き継いだ。
「征斉派遣軍司令部や大総督である長尾公、それに第二軍の一色公もですか?」
「ああ、そうだ」
「まあ、余計な横槍が入らなそうなのは、俺としては有り難い限りですが、後で彼らは面子を潰されたと言い出しませんかね?」
「私も政治的な面倒事は嫌いな性質でな、その辺りは父上と軍監本部に不満が向かうようにしておいた」
「と、言いますと?」
このあたりの容赦のなさは父親譲りなのだろうな、と景紀は思いつつ尋ねる。
「独混第一旅団は、二月二十日を以て軍監本部直属部隊に配置換えとなる」
貞朋は、そう答えた。
つまり、軍監本部自らが作戦指導を行うという意思表示である。現地軍の独走に煮え湯を飲まされた軍監本部の報復措置ということにすれば、政治的には不自然ではない。
そして、軍監本部長の川上荘吉少将は結城家家臣団出身の将官である。あえて独混第一旅団を引き抜いた理由付けにもなる。
師団の多くが六家の領軍で占められている以上、中央である軍監本部が直属と出来る部隊は少ない。その点、結城家領軍ならば川上本部長の出自と合せて、軍監本部直属とする政治的な難易度が低いのだ。
階級を見ても、少将である景紀ならば軍監本部の指揮下に置くことが出来る(川上荘吉も同じ少将であるが、景紀よりも先任)。
「表向きは、海軍陸戦隊と共同しての山東半島上陸作戦のための準備ということになる」
山東半島は、遼東半島の反対側、渤海湾の西側に突き出した半島である。この遼東半島と山東半島は、渤海湾を扼する位置に存在していた。
「山東半島の上陸は、いずれ行う直隷決戦の側面援護、そしていずれ北上してくるかもしれない連合王国軍の燕京入城を妨害するためという名目だ」
一部の者たちは、未だ連合王国軍が皇国に先んじて燕京を占領することを恐れているという。
山東半島は燕京に南側から迫れる位置に存在し、また南方から燕京に迫る軍を妨害することも出来る位置にあった。
山東半島上陸作戦は、そうした意味において連合王国軍の燕京占領を阻止したい者たちにとって受け入れやすいものだったのだ。
「作戦の実施間際まで、本来の上陸目的地は兵士たちに秘匿する。もちろん、降下地点についてもだ」
「判りました。降下作戦の目標地点は、山東省省都・済南ということにでもしておきます。まあ、俺から明確に言うことはしませんけれども、そんなふうに兵どもが誤解するようには仕向けるつもりです」
にやりと意地の悪い笑みを浮かべて、景紀は応じた。
「新たな兵力部署の発令に伴い、独混第一旅団には大連に移動してもらうこととなる。正式な発令は先ほども言った通り二十日だから、それまでに準備を整えておくように。海城の守備には、島田支隊を充てる」
「承知しました。そのように伝達します」
「うむ、頼んだぞ」貞朋はそう言って、立ち上がった。「邪魔をしたな」
景紀も、見送りのために立ち上がる。
「そうだ、景紀殿」
一歩立ち止まり、貞朋は六家次期当主たる少年を見た。
「何でしょうか?」
「貴殿の働きぶりや発想には、色々と助けられた。独混第一旅団は私の指揮下から離れてしまうが、冬花殿の存在も含めて、頼りになる部隊であった」
それは、貞朋なりの餞別の言葉なのだろう。
「部下たちに、公の言葉を伝えておきましょう。きっと、喜びますよ」
「なに、景紀殿ならば、いずれ私などよりも余程軍司令官として相応しい六家当主になれるだろう」
「ご謙遜を」
景紀は苦笑した。有馬貞朋は政治的な主体性が希薄な人物ではあるが、一方でそのために部下の能力を見極め、その者を使いこなすのが上手い人物であった。
それは、自身が政治的主導権を握りたがる景紀にはない能力だ。
「俺は正直、こんな戦争は早く終わらせて宵のところに帰りたいと思っているくらいなのです」
冗談めかして言ったが、半ば景紀の本心であった。伊季から宵の様子を聞いて、会いたくなっているのかもしれない。
「帰ったら……そうですね、こんな寒い地にいたので、宵と一緒に南洋でも回ってみたいと考えています。まだあいつには、南洋の海を見せてやれていないですから」
こんなことを臆面もなく言ってしまうなど、自分も随分とあの北国の姫に絆されたものだと思う。いや、あるいは貞朋公の政治的に無害そうな人柄がそういう言葉を引き出させているのか。
「なるほど、確かに軍司令官には向かんな」
景紀の言葉に、貞朋は苦笑を見せた。
「とはいえ、我らは将家だ。戦わねばならん時には、戦わねばならん」
「ええ、ですから俺たちはこの戦争を終わらせに行くのです。戦いを終わらせるのは、戦いを始めた者の責務でしょうから」
「貴殿はなかなか複雑な信条の持ち主のようだな」
将家の嫡男が戦を厭うような発言をしながら、戦争における自身の義務を語る。景紀の矛盾した内面を、有馬家の当主たる男は垣間見た気がした。
貞朋は姿勢を正して景紀に向き直る。
「それでは景紀殿、貴殿の武運の長久なることを祈らせてもらうとしよう」
「ありがとうございます。公のご期待にそえるよう、微力を尽くしましょう」
景紀もまた姿勢を正して敬礼し、第三軍司令官を見送ったのだった。