不審者⑤
「おかえりなさいませ」
「只今戻りました。ただ、これから宿を探して来ようと思っています」
宿に戻って来たので、早速出て行く事を伝えます。
「ふむ。もしよろしければ、このままここにお住みになられませんか?」
「ありがたい申し出ですが、これ以上お世話になる訳には……」
冒険者になれたとはいえ、給金は一月後です。マリスタザリアを既に一体討伐しましたが、手持ちは八十万を切っています。この宿では一泊が限度でしょう。
「お二方がここにお住みになっている、それだけで当宿の知名度も上がります故。無料とまでは行きませんが、一泊五十万のところを月五十万ということでいかがでしょう」
一泊ではなく、月で五十万……? それは確かに破格ですが、良いのでしょうか。確かに初日に比べて、休憩所に来ている方や宿泊客は増えているように思えます。なので多少は、知名度が上がっているのかもしれませんが……。
「そこまでしていただくわけには」
この宿、一泊五十万だったのですか? それを二泊……。完全に、手持ちのお金では足りません。陛下……私達にそこまでしていただかなくても……。
「心苦しいというのであれば、お暇な時に休憩スペースがありますので、そちらで働くというのもありますが」
私達が働くことで生まれた利益分を差し引く、という事でしょうか。そんなに稼げるとは思えないのですが……。建前が主のようです、ね。
『私達が居る事で知名度が、というのなら、住むだけよりウェイトレスのほうが良いよね。この流れにしたかったのかな。策士だなぁ。それに私、バイトした事ないから少しだけ気になってたり』
リッカさまは結構乗り気のようです。
『あ。アリスさんに見られてた……』
「アリスさんを、客寄せに使うのは……ちょっと」
リッカさまは結構乗り気みたいですが、私を客寄せに使いたくないから断ろうとしているようです。
「私も、リッカさまを客寄せにはしたくありません」
私のこれも本音です。ただ、もう一つの本音があります。
「ですけど」
『なんとかなりそ……ですけど?』
「……リッカさまの、制服姿見てみたいです」
休憩所では今まさに、従業員の方が給仕をしていました。その制服姿は、リッカさまの世界の服のようなのです。少しひらひらしたフリルが目立ちますが、足の出方と言いますか、露出の多さが似ています。
(こちらの世界では、極力を肌を隠しますから)
しかしあの給仕服は……靴下と思われる物を履いていますが、膝上まで丈があるのです。なのにスカートとの間に隙間があって、肌がチラッと見えています。あれを着たリッカさまを見てみたいと、思ってしまいました。想像するだけで、リッカさまの愛らしさが前面に。しかし――。
(あんなに短いスカートを履かせるのは……ですが、見てみたかったり、します)
この世界では珍しい服です。王都はもしかしたら、ファッションに目覚めたのかもしれませんね。噂を楽しむよりは健全ですし、推奨していきたいです。
「えっと、私のあれが見たいの?」
『足は隠れてるけど、ああいった服が見たいなら向こうの世界の服でも……』
「はい、可愛らしくて」
リッカさまが着ていた、ニット服と短いズボン? の組み合わせですが、あちらの方がその……露出や見た目の衝撃は上でしたよ、リッカさま。よく見ないと、ニット服だけしか着ていないと思える服装だったのです。肩は完全に見えていましたし、足も……。
それに対しこちらの給仕服は、フリルや短いスカート、長い靴下やハイヒール、カチューシャにもフリルがあしらってあり、白と黒の色合いが丁寧で、見た目こそ派出ですが、露出は少し抑えられ、可愛らしい服となっています。
(リッカさま着ていたあの服も、可愛らしいと感じましたが……人に見せたくありません。刺激が強すぎます)
でも家の中であれば、もう一度着て欲しい……です。
「……私も、アリスさんの見たいけど」
『アリスさんがあの服を……人に見せたく、ないなぁ。でも、うん。想像するだけでも……可愛すぎっ』
「リッカさま、何事も経験。です」
アルバイトというのは、労働の一種と思います。それをしてみたいというのであれば、これは良い機会です。冒険者が本業ですが、息抜きとして給仕もやってみましょう。
「スカートの長さが気になるのでしたら長いものもありますよ」
ダメ押しといわんばかりに、スカートの長さは選べるという事を告げられました。リッカさまの心が揺れ動いている時にこの情報は、決め手となりますね。
「はぁ……わかりました。実際、こういったカフェでのバイトはしてみたかったですし」
『アリスさんのスカートは長くしてもらって、私は……んー。アリスさんは、短いスカートの方を見たいんだっけ。学校の制服みたいな物って思えば、問題ないかな』
リッカさまは渋々といった様子で頷きました。でも、私以外にはバレないように、その表情は緩んでいるのでした。
(私の服はリッカさまに選らんで貰いましょう。リッカさまの服は、やはり――短い方、ですね)
ところで学校の制服で慣れている、というのはどういう事なのでしょう。少し……いえ、かなり気になります。
『しまった。私のドジを忘れてた。アリスさんの声でドキドキしちゃうから、多分バイト中もやっちゃう……』
部屋に戻り、少し紅茶で小休止を入れます。この部屋に住める事になったので、予定が空きましたから。
「アリスさんは、給仕と調理どっちがいい?」
「そうですね。私は調理がいいです。料理の練習にもなりますし」
「じゃあ私が給仕かな」
「はいっ! 楽しみですね」
色々な料理を作る機会を頂けるのは嬉しいです。リッカさまの……可愛らしいドジがなくても、調理を選んでいたと思います。
「がんばろうね。アリスさん」
「はいっ。リッカさま」
私達は”巫女”を辞めるまで、普通の仕事は出来ません。それに、私は多分”巫女”を辞めないでしょう。
(この身全てはアルツィアさま――いえ、今や……ですから)
ですので、旅の間に楽しめる物は全て楽しみましょう。リッカさまのやりたい事を知りたいです。そしてそれを、貴女さまと一緒にやれる事が、私の楽しみなのですから。我慢しなくて良いのです、リッカさまっ。
(しかし、何故支配人はあのような提案を……)
私達が宿を手伝う事で、知名度が上がるという事でした。ですが、コルメンス陛下すらも紹介するこの宿に、今更知名度が必要なのでしょうか。
(コルメンス陛下、ですか)
この三日目の滞在も、陛下のご厚意でした。という事は、この提案も陛下のものなのではないでしょうか。私達が王都で過ごしやすいように、と。
(とはいえ、想像の域を出ませんね)
どんな思惑があろうとも、リッカさまが楽しめる空間となるのは間違いないのです。ありがたく、この宿に滞在させて貰いましょう。私達が考える理想の部屋にぴったりなのは、この宿くらいでしょうから。
「それではリッカさま。私は夕飯を作りますね」
「うん」
『んー。ちょっと、外歩こうかな。アリスさんと一緒に王都を回ろうってなった時、私がリードしてみたかったり。花屋とかあればそこを見つけたいし』
「アリスさん、私ちょっと出てくるね」
どうしましょう。リッカさま一人でも、自衛上は問題ありませんが……。リッカさまが私の為に下見をしたいという想いは嬉しく思うのです。ですがまだ、王都での印象は固まっていません。
(…………リッカさまの想いを最優先にしたいです、ね)
「分かりました。気をつけて、下さいね?」
「うん、大丈夫だよ。いってきます、アリスさん」
「いってらっしゃいませ、リッカさま」
リッカさまを玄関で見送り、私は手早く料理を作り出しました。出来るだけ探索の時間を取れるようにしたいとは思っているのですが、私の想いとは正反対に……手はいつもよりずっと、淀みなく動いていきます。
本日の料理は、先日までお魚が続いていたのでお肉料理にしようと思います。
(ステーキに、しますか。先代が居た頃は良く食卓に並んでいたと、アルツィアさまが言っていました、ね)
料理は別として考えましょう。リッカさまの体調を考えるのなら、お肉で精をつけたいところです。
(ホルスターンのステーキに、ロールキャベツ……は、ミンチに人参と牛蒡を多目に入れて、貝類のスープに、根菜を少々。サラダは海草系にして)
では、作りましょう。今回は全て調理をしてから呼びに行けば良さそうですね。ステーキは、焼いた後の寝かせる時間を活用しましょう。
では、調理を開始します。
「……」
作っている最中であっても、リッカさまの気配は感じています。やはりというべきか、遠巻きから見られているだけのようです。会話までは分かりませんが、リッカさまが嘆いているのが伝わってくるのです。
気にしていないと言いつつも、リッカさまは……人から疑われたり、遠ざけられたり、疎まれたり、嫌われたりなんてされた事がありません。他者の平和と幸福を祈れるリッカさまを嫌う人なんて、居ないのです。
なのにこちらの世界では、違います。リッカさまは今、人生で二度目の……居心地の悪さを感じているはずです。
私が隣に居る事で緩和されていたそれが今、リッカさまを襲っているのです。
(告知が浸透し、リッカさまという天使の本質を知って貰えるきっかけさえ、あれば……)
ロールキャベツとスープを煮込み、暫し待ちます。お肉を常温に戻さないといけませんし、早々に焼いてもリッカさまが帰って来てすぐ食べられるとはなりませんから。
「リッカさまは今――――市場から大通りに戻った所、みたいですね」
商業通りには行かなかったのでしょうか。花屋があるとしたらそちらです。
広場からいくつかの道が別れており、東西南へと続く大通りがあります。ただし、北部へは職人通りか小道からでないといけません。王宮があるので、北への大通りはないのです。
細かい道として、西に私達の宿もある住宅地。北西に、職人達が職場と居を構えている職人通り。東に商人達が雑貨や日用品を売っている商業通りがあります。南の大通りにギルドや市場へ続く小道があるのですがー―。
(リッカさまが広場に戻ってくる頃に、煮込みは終わりそうですね)
もう暫く、リッカさまの気配を追いかけましょう。
煮込み終え、ステーキをじっくり焼き、香草で包んで保温させます。これでほんのりとした撫子色の断面になるはずです。帰ってきてから、焼き目をつけていきましょう。
(さて、リッカさま。今迎えに参ります)
宿から出ると、私に会釈をしていく人が何人か居ました。返礼し、広場に向かいます。
(ですが……)
リッカさまが、返礼した気配がなかった事から……リッカさまにはしなかったのでしょう。警戒、しすぎではないでしょうか。初日、二日目と、呆れや怒りがありましたが……今では少し、悲しいです。
人を信じる難しさを、私は知っています。私が無条件で信じたのはリッカさまだけ、と力強く言えますし、今後もそうだと思えます。ですが、歩み寄る重要さも私は知っているのです。
怪しい、嫌い、怖い。色々あると思いますが、相手がどういった人なのかくらい、分かるはずです。せめて、何かしら行動して欲しいのです。挨拶だけでも良いですし、それこそ会釈だけでも良いのです。
遠ざけ、無視するのではなく、せめて……『”巫女”六花立花さま』を見て欲しいのです。
(私が居たら、この事に気付かなかったかもしれません。ある意味、良かったのでしょうか……)
複雑な心境ではありますが、具体的な方針が決まりました。せめてリッカさまが、この王都で挨拶出来るくらいには……っ。
「ん……」
リッカさまが、誰かと話しています、ね。エルケちゃんと同じか、少し上くらいの女の子、です。リッカさまは膝をつき、女の子の視線に合わせるように屈んでいます。
子供というのは多感です。リッカさまが遠ざけられているというのを、子供は良く感じ取っているはずなのです。集落で、エルケちゃんとエカルトくんが居なければ誰も話しかけなかったのは、そういった……大人達の反応が原因です。
そんな、遠ざけられているリッカさまに話しかけるというのは、勇気が必要だったはずです。
(見たところ、大人しい女の子です。率先して人に話しかけるようには、見えません)
そんな子がリッカさまに話しかける理由……ご家族関係? でしょうか。
「――ありがとうございました。血まみれの巫女さま」
「えっと、血まみれは、ちょっと、ね?」
血塗れの、巫女さま……? それは牧場が関係しているのでしょうけど……。あの子がそう呼んでいるとは、思えません。あの子の周りの方が、そう呼んでいるのでしょうか。
呼び方はこの際、仕方ありません。刹那的な呼称であれば、もっと印象深い事が起きれば払拭できます。
(お礼を言っているという事は、リッカさまに助けられた方のご家族でしょう)
牧場か、集落から出てすぐの時ですね。何にしても……ありがとうございます。お礼を言わなければいけないのは、私です。
リッカさまが助けた命。その命は当然ながら、一人の物ではございません。ご家族や想い人が居るでしょうから。
この王都で、初めてリッカさまに声をかけてくれた、救われた命……。あなたのお陰で少しでも、リッカさまの心が晴れればと、思います。
「じゃあ、なんて……」
「んー、私の名前。リツカって言うの。だからそう呼んで?」
「――リツカ、様?」
「ありがとう」
リッカさまが、女の子の頭を撫でています。普段であれば落ち着かない私の心も、あの子に関してはそれがないようです。私はあの子に、敬意を表したいと思っています。
ただちょっと、羨ましいと感じていますよ? 当然です。撫でられている女の子、目を細めて気持ち良さそうにしていますから。私もリッカさまに撫でられたいです。
そろそろ、声を掛けましょう。この敬意が、嫉妬にならないように。
「リッカさま?」
「あれ、アリスさんどうしたの?」
「夕飯を作り終えたので、お呼びに」
「ありがとう。今いくね」
私が迎えに来たのが嬉しいのか、リッカさまは先程までのお姉さんとしての笑みではなく、私にいつも見せてくれる笑みで応えてくれました。
私が声を掛けるまでは本当に、女神の如き優しい笑みでした。今私に向けられているのは、少女のような可憐な笑みです。そのどちらも本当のリッカさまであり、皆がどんな噂を流そうとも揺るがない、リッカさまの想いです。
声をかけてくれた少女にだけ向けられる、助ける事が出来て良かったという――偽りのない、慈愛なのです。
「私、帰るね?」
「はい、リツカさま。ありがとうございました」
少女はぺこりと頭を下げると、足早に駆けて行きました。その頬と耳が赤く染まっていたようですが、注目を浴びた事による羞恥というよりも……リッカさまに微笑みかけられ、撫でられ、照れているようです。
「リッカさま、あの子は」
「うん。集落を出てすぐの時に助ける事が出来た人の、娘さん。お父さんを助けてくれてありがとうって、言ってくれたんだ。血まみれのお姉さんって呼ばれちゃったけど」
あはは、と、ちょっと困ったように笑っていますが、リッカさまはそこまで嫌とは思っていない様です。むしろ、女の子の笑顔を守れて良かったといった笑みです。
「それにしても、血まみれの……ですか」
「たくさんの人に見られちゃってたからね。おかしな名前つけられなくてよかったよ」
おかしな、ですか。剣士娘も結構……。ですが、血まみれというのは何も、おかしいというだけではありません。
「……リッカさまが、頑張った証です。おかしくなんて、ないですよ」
「……うん、ありがと」
リッカさまが、傷つきながらも戦った証です。畏れられるのも、避けられるのも、私には違うと思えるのです。流した血には意味があり、そこでは守られた人々が居るのですから。
「それにしても、私があそこにいるってよく分かったね」
「ふふふ、私はリッカさまのことはお見通しです」
「アリスさんなら、本当にそうだって思っちゃうよ」
本当に、何でもお見通しです。リッカさま。
「えぇ、ですから。ちゃんと……私を頼ってくださいね?」
「うん、いつも頼らせてもらってるよ」
『まさか、気づいて――』
「ふふふ、約束ですよ?」
それには、気付かない振りをさせてください。リッカさまに表情を見られないように、リッカさまの前を跳ねるように歩きます。気分が良いと、見せるように、です。
『アリスさんは今、どんな表情なんだろう。もしかしたら……悲しんでる、のかな。私が黙ってる事……。でも、これだけは、アリスさんにだけは……』
はい。貴女さまが教えてくれるまで……私は、知らない振りを続けます。それは貴女さまにとって、本当に秘密にしたい……物、なのですから。
「クランナ? 何処に行ってたの?」
母親と思われる女性が、大人しい少女の名前を呼んでいる。
「リツカさまの、所にお礼を」
「リツカさま?」
「血……赤い、巫女様」
クランナの言葉に、母親はぱちぱちと目を瞬かせた。
「そう、だったの。私も行けば良かったわ、ね」
母親はまだ、リツカの事を噂でしか知らない。夫を救ってくれたそうだが、良く分からないという事で声を掛けられずに居る。感謝を伝えたいと思っているのに、動けずにいるのだ。
「……」
「クランナ? どうしたの? 顔が赤いわ」
「何でも、ない」
クランナはぷいっと顔を背け、一人で家に入って行った。感謝を中々伝えられずに居る母親を叱責するような態度に、母親は一人取り残される形となってしまう。
「……」
「クランナー? 何処行ってたんだい?」
「……」
家の中で、夕飯の準備を手伝っていた父親がクランナを呼ぶが、クランナは反応せずに自室に入って行った。
「……」
自室に入ったクランナは、ぼーっと空を見ている。ある女性の髪のような、赤い空を。クランナは自分の頭を触って、何かを確かめているように撫ぜている。
「……綺麗な、人だったなぁ」
思い出すのは、赤い女性。いきなり話しかけた自分に対し、目線を合わせて話をしてくれた。頭を撫で、微笑みかけてくれた。
「アルレスィア様も、近くで見ると凄く……」
クランナは自室で一人、頭に残った熱を撫でる。リツカとアルレスィアを思い出し、心が温まっていく。その暖かさはクランナの――憧れとなっていったようだった。




