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難攻不落の不問ビル ~チートな彼女とダンジョン攻略~  作者: 数札霜月
第五層 安寧強授のウォーターパーク
176/327

175:身勝手な戦い

 大変長らくお待たせいたしました。

 全身に巨大な重圧がのしかかる。

 空中へと駆け上がり、今まさに瞳を攻撃圏内に捕らえようとしていた詩織の両脚が、唐突な加重を受けて展開していた足場を踏み外し、その下の地上を目がけて真っ逆さまに落下する。


(――ッ、ヒト、ミ――)


 落下の途中、同じように重力に囚われて地上へと向かっていく瞳の姿をその視界に捕らえながら、しかし詩織はすぐに今は他人の心配をしているどころではないと思いなおした。


「【天舞足】――!!」


 ひとまずこの窮地を脱するべく、詩織は落下しながら足を折り曲げ、足裏に展開した足場を蹴りつけ真横に向かって跳躍する。


 向かう先は、この場において唯一安全に落下できる場所。


すなわち付近を流れる、海岸プールに向かって流れ込む、流れるプールのその水面だ。


「――ッ!!」


 迫る水面に詩織が体を丸め、直後に二人の人間が落下する音があたりに響く。


 一つは、どうにかプールの真上へと飛び退いた詩織が、そのまま水面へと派手なダイブを決めた音。


 そしてもう一つは、その全身に筋肉の鎧をまとった瞳が、その圧倒的なパワーにものを言わせて、重力をものともせずに着地した音だった。


「――ッ、詩織ぃィッ――!!」


 着地と同時に一度右手の籠手で発動させた魔法を解除して、即座に瞳は詩織が飛び込んだ水面を目がけて右手を突き出し、再び【加重域】の魔法を発動させる。

 相手の身を捕らえていれば、そのまま水に沈めた状態で押さえつけられるだろう魔法の発動。

 ただしその対象とされた詩織の方も、その危険性を知るがゆえにいつまでも一所に留まるような迂闊な真似はしてくれない。


 自ら飛び込んだ水流の中、流れるプールのその流れに乗るようにして、さらに水中にて【天舞足】を用いることで足場を形成し、空中でやっていたのとまったく同じように水流の中を高速で駆け抜ける。


「そコかぁッ――!!」


 水面がひしゃげて波打つ中、水中を動く影を目ざとくとらえて、瞳はすぐさま右手の魔法を解除して、今度は左足の魔法で自身の体重を消して水上目がけて勢いよく飛び上がる。


 手にする【如意金剛】の先端に斧の刀身を展開し、怪力と重力、そして【滅砕スキル】の魔力を乗せて力任せに振り下ろす。


「どッせぇぇぇぇいヤぁぁぁッッッ――!!」


 叩きつけられた暴力に、もはや水面であろうとも粉砕されることを免れなかった。

 模造の海面に叩き込まれたのは、流体物など容赦なく吹き飛ばし、水面を叩き割る力すら持つ技、【水面爆破】。

 巨大な水しぶきと共に着弾した地点の水がまとめてふっ飛ばされ、水底のプールの床にまでクレーターを作りながら、瞳の一撃がプールの一画を叩き割る。


 流石にプールの水全てをふっ飛ばしたわけではないため、次の瞬間には水が流れ込んで来て元の水面へと戻り始めるが、瞳の目的の前にはその程度はどうでもいいことだった。


 案の定、隠そうともしなかった魔力の気配に危険を察知して攻撃から逃れていた詩織が、しかし水流にまでは抗えずにたまらず水上へと飛び出している。


「みぃっケたぁぁあっ――!!」


 即座に体重を消し、流れ込む流水の上をかっ飛ぶようにして瞳が迫る。

 先ほどの一撃によって水面にできた傾斜の、その斜め下から襲い掛かるような攻撃。

 先ほどの一撃で砕けてしまったものの代わりに新たな戦斧の刀身を展開し、さらに詩織の得物では防御しにくい足元を狙う形で、瞳は容赦なく己の武装を詩織に向かって一閃させる。


 ただしそんな瞳の攻撃に対して、詩織が取った対応はいっそ劇的なものだった。


「――うェッ!?」


 ガラスにヒビが入るようなビシリッという音と共に、詩織目がけて振り抜こうとした瞳の斧がその動きを阻まれる。

 振り向きざまに足を蹴り出し、その足裏に展開した足場によって斧の刃を受け止めるという驚きの対応。

 武器を振るう速度を出すために、そして何より瞳自身が空中に跳び出すために斧の重量が消えていた故にどうにか成立したような防御手段だったが、一歩間違えればシールド代わりにした足場ごと詩織の足が切断されていてもおかしくなかった。

 実際、足裏に展開した足場がヒビの入った破壊される寸前のところまで行っていることを考えれば、実際にそうなっていた可能性も決してバカにできないレベルのモノであったと言える。


(危なかった――、けど――!!)


とは言え、どんな手段であれ一度攻撃を防いだ直後というこの瞬間は、詩織にとって反撃するにはもってこいの隙だ。

 足場を展開したまま、詩織は右足で受け止めた斧を踏みつけて抑え込み、瞳のこめかみを目がけて左足で蹴りを叩き込む。


「なん、ノぉッ――!!」


 とは言え、対する瞳の方もおとなしく攻撃を受けてくれるほど甘くはない。

 斧での攻撃が不可能になったと見るや、即座に瞳は自身の左手を斧から放し、迫る蹴り足と自身の頭の間に割り込ませるようにして詩織の蹴りを受け止める。


 直後にあたりに響く、蹴りと腕がぶつかる破裂するような激突音。

 【音剣スキル】と銘打たれているだけあって、本来金属がぶつかる音を利用することで最も効果を発揮する詩織の技だが、しかしだからと言って生身の体術の音が利用できないかと言えばそんなことは決してない。


 あわゆくば、瞳の脳天に直接“音”を叩き込んでしまおうと考えていたその目論見こそ外れたものの、それでも耳元で大音量を炸裂させたことには変わりないのだ。

 ならば、音によって瞳がひるんだ隙をついて、空中で身動きの取れないその間に次なる攻撃を仕掛けていこうとそんなことを考えて――。


「――!?」


 その瞬間、まるで怯んだ様子の無い瞳の手によって、詩織は自身の方へと引き戻そうとした左足の足首をガッシリと力強い力で掴まれた。


「――ハハッ、捕マえたぁッ――!!」


 直後、瞳の左手のガントレットから手にしたものの重量を軽減する【羽軽化】の魔力が流れ込み、詩織の全身を包んでその体重を瞬く間に奪い去る。

 同時に詩織の体に強烈なGが襲い掛かって、瞳が自ら空中で回転することで詩織の体を力任せに振り回す。


「――っ、ぁ――!!」


「さぁッ、陸に帰ロうかァッ、シオリィっ――!!」


 跳躍の勢いのままにプール上空へと飛び出して、そのまま瞳は言葉の通りに、詩織の体を模造の浜辺へと目がけて投げ放つ。


 投げられたことで瞳の左手が足から離れ、それによって軽量化の魔力が途絶えて詩織の体に本来の体重が回帰する。


 当然、そんな勢いと本来の体重でプールサイドに着弾でもしようものなら、詩織の肉体などただで済むはずもない。

 そもそも外観こそ砂浜を模してはいるものの、プールサイドは基本的にコンクリートでできた偽物なのだ。

 そんな場所にこのままの速度で叩きつけられれば、華奢な詩織の体など走行中の車から落下したような悲惨な状態になるだろうことはなど想像に難くないだろう。


「――っ、ぅ――【天舞足】!!」


 強烈な風圧に歯を食いしばりながら、詩織はどうにかこの窮地から脱するべく空中で身を翻し、自身が飛ばされるその方向へと向けて蹴りつけるような動きで足場を展開する。

注ぐ魔力の量に応じて空中に留まる力が強まるというその特性をうまく使って、あえてその場に止まろうとする力を弱く発動させることで飛ばされる自身の勢いに強引にブレーキをかけていく。


「――く、――ッ!!」


 両足にかかる負担に、詩織は両膝をたたんで体全体でその勢いを受け止めて足への負担を緩和する。


 衝撃を殺しきれずにプールサイドに叩きつけられて怪我をするのもまずいが、足を負傷して走れなくなるのも同じくらいに最悪だ。

 この状況下で逃げ足を奪われるということは、それはもうそのまま死に直結していると言ってしまっても過言ではない。

 そんな思考の元、詩織はギリギリまでその両足で衝撃を受け止めて、いよいよ耐え切れないとなったその瞬間に衝撃の方向を下へと逸らして、自身は真上へと飛び出すことによって見事に勢いを弱めてそのまま砂浜の上へと着地した。


 ビルに足を踏み入れる前では絶対できなかったような、【功夫スキル】を高いレベルで習得しているからこそできる達人の動き。

 その術理をどうにか自身の体で再現した詩織に対して、しかし称賛の言葉を投げかけるような人間はこの場には一人もいない。

 今この場にいるのはかつての友人にして、今は詩織のことを叩き潰さんと襲ってくる少女が一人のみ。


「チェストォォォオッ――!!」


 体重を消して水上を走り抜け、上空へと飛び上がった瞳が斧を振りかぶって襲来する。


 どうにかその場を飛びのき逃れた詩織の背後へと、隕石となった瞳の一撃が着弾し、砕けて爆ぜたコンクリート片が周囲一帯に弾丸のごとく降り注ぐ。


「う――、ぁ――!!」


 音を頼りに破片の直撃だけは免れた詩織だったが、しかし無差別に襲ってくる破片の全てを回避しきるのはさすがに困難だった。


 詩織の頭ほどもある破片が詩織の肩口をかすめて衣服を割き、その下の皮膚を傷つけたことで着ているパーカーに血がにじむ。


(まだ――、行ける――!!)


 痛みに挫けそうになる心を強引にそう叱咤して、詩織は聞こえる音を頼りにひたすら二本の足を動かし続ける。


 飛んできた破片がかすめただけで済んだのは幸運だ。

 あと数センチずれていたら、詩織は肩を脱臼していたか、あるいは腕そのものがもぎ取られてしまっていたかもしれない。


 当たったのが足でなかったのも幸運だ。

 もしも今走る足を奪われていたら、今度こそ詩織は瞳の攻撃から逃れられなくなるところだった。


 動きに支障がないのを感覚によって確かめて、即座に詩織は【音剣スキル】の収録技能である【静音駆動】によって足音を消し、こちらに背を向ける瞳に察知されぬように走り寄る。


 途中で瞳がこちらに気付いて構えをとるが、そのときには既に彼我の距離は詩織の間合いだ。


 金属同士がぶつかる再びの轟音。

 拡大された激突の音が周囲へと響いて、受け止めた瞳の腕をその振動でビリビリと震わせるが、しかしそれだけの暴力的な音を間近で受けてもなお、瞳は本来見せるべき怯んだような様子を一切見せなかった。


(なんで――、ッ――!!)


 不審に思いながらも、鉄棍越しに力任せに押し返されて詩織はたまらず瞳の元から距離をとる。

 度重なる命の危機に、いつの間にか息が上がっていたことを距離が離れたことでようやく自覚して、慌てて息を整えたあたりでようやく詩織は瞳の顔の両側、ちょうど耳のあたりから、微かな魔力の音が聞こえていることに気が付いた。


「――ッ!! 瞳、まさか、その耳――」


「んん? あア、ごめんねぇ……? なんか言っテんのは分かるんだケどさぁ、もうあたしニはあんたが何言ってんのか、正直もう全然聞こエてないんだよ」


「――なっ、聞こえないって――!!」


「あんタには話したことなかったかなぁ? あたしガ習得してる【潜水スキル】にハさあ、水の中で耳に水が入らないようにするためのぉ、【耳栓(イヤープラグ)】ッテ言う名前そのまんマの効果の魔法が収録さレてんだよぉ……!!」


「――!!」


 言われて、遅れて詩織は先ほど瞳の耳元から感じた微かな魔力の正体を理解する。

 規模としては初級術にも劣る、ただ耳の小さな穴を塞ぐだけのそんな魔法が、今詩織の攻撃から瞳を守るための強力な防具としてその機能を果たしていたのだということを。


 ただし、実のところこの時詩織が衝撃を受けていたのは、なにも【音剣スキル】を封じられたことだけが理由ではない。


「アあ、ホント……。こんな方法があルんだったらもっと早く思いついておけば良カったよ。本来水が耳に入らないようニするためのものだから音マデは防げないかと思ったけど、こうシてちゃんと聞こえなくなってるわけだしねぇ――」


「なによ、それ……!!」


 瞳の物言いに、詩織の胸の内に初めて、これまで抱くことのできなかった激しい感情が湧き上がる。

 それはかつて、愛菜に命を脅かされた時でさえ湧き上がってくることのなかった激烈な感情。


「これでもうっ、あんたの音剣はあたしには効かない――!!」


 宣告と同時に槍の穂先を展開し、左足のグリーブで自身の体重を軽減した瞳が一直線に詩織の元へと突っ込んで来る。


「――ッ!!」


 【槍術スキル】、その初期技である【烈刺】の突撃。

 シンプルな技でありながら、【怪力スキル】と【玄武の四足】を合わせることで馬鹿にできない脅威となったその技を、しかし詩織はあっさりとサイドステップによって回避して、下から跳ね上げるような動きで真横にある槍の穂先へと音剣の一撃を叩き込む。

 周囲に響く、金属と金属がぶつかり合う轟音と振動。


「アハッ、聞こエなイィ――!! ああ、そうダよ。やっぱリこうでなくっチゃ――!!」


 鳴り響く轟音に、しかし瞳は一切怯まない。

 それどころか、撥ねあげられた槍を左手で掴んでその重量を消すと、重さよりも早さを意識した動きで槍を斜めに切り下ろし、間髪入れずに次の斬撃を見舞ってくる。


「――ッ、ぅヤァッ――!!」


 落ちてくる槍の斬撃にギリギリ剣による迎撃を間に合わせ、金属同士がぶつかる轟音を響かせながら詩織が瞳の槍を撃ち払う。

同時に自身は反対側へと跳躍し、逸れた斬撃から逃れるようにして瞳との間の距離を稼ぐ。


「ハハッ――、これデもう、あんたの立てる耳障りな音は聞カなくて済む――!! 耳をツンざくようなうるさい音も、あンたの余計な言い訳ダって、コれで――!!」


「――ッ、ヒトミ――!!」


「もうなにも、聞こえなくなったァッ――!!」


 両手で持っていた鉄棍を左手一本に持ち変えて、代わりとばかりに突き出した右手から重力の魔法が発動する。

 寸前で走り出した詩織の背後で空気が押しつぶされて拡散し、逃げ場を求める空気に背中を押されながら、詩織が魔法の効果範囲から離脱する。


「――逃がすカぁッ――!!」


 ただし、今回ばかりは瞳の方も、それで詩織を逃がすつもりは毛頭ない。


 真横に走ることで攻撃から逃れた詩織に対し、瞳が構えた右腕を動かすことで、展開した重力場そのものを移動させ、扇形に展開された【加重域】そのものを振り回すようにして詩織の後を追ってくる。


(――!! ヒトミ、その使い方は――)


「今度こソ潰れろぉぉぉっ――!!」


 瞠目する詩織をよそに、重力の魔力を放出し続けながら瞳が叫ぶ。

 重力の効果範囲を設定するにあたって一瞬のタイムラグが生じる関係上、【加重域】の効果を維持するために腕を動かす動きはそれほど速いものではなかったが、それでも足で走るだけの詩織と比べれば移動速度の差は歴然だ。

 パラソルやデッキチェアなど、浜辺に並ぶあらゆるものを軒並み押しつぶし、自身の円周上を走ることで魔法から逃れようとした詩織を、扇形の魔法で円を描くようにして力づくで潰しにかかる。


「もういい加減、こんナこと終わらせて誠司ノところに行きたいんだ……!!」


 腕を支えるというよりも、左手で右手を捕らえるかのように掴んで前へと構えながら、負と瞳が漏らすのは、さっきほどまでとはうって変わった、まるで何かを抑圧するかのような、そんな独白。


「――いイ加減観念して、手ぇ掛けサせナいで潰れてよォ――、ねぇシオリぃ――!!」


 声をあげた瞳の腕の動きに連動して、いよいよ重圧の領域が詩織との距離を一気に食いつぶして迫り来る。

 範囲内にいる者すべてをねじ伏せ、押しつぶす重力の魔法が、いよいよ走る詩織の足元にまでたどり着き、彼女の身を何の躊躇もなくその領域の内へと飲み込んで――。


 その瞬間、全てを押しつぶすはずのその魔力は、しかしその効果を表すより先にぱったりと途絶えて、その力を失った。


「ん、ぇ……、アれ――?」


 唐突な事態に、呆けたような瞳の声が微かに漏れる。

同時に、そんな瞳の全身にどこか覚えのある強烈な倦怠感が襲ってきて、唐突なその脱力感に唖然とした様子の瞳が微かによろめいて――。


(――来たッ!!)


 そんな状況で、この場で唯一この事態を予想していた詩織だけは即座に反応し、迅速に動き出すことができていた。

 背後から迫る魔力の音が途絶えたと見た瞬間、詩織はすぐさま自身の進行方向を九十度変えるように踵を返し、異変に戸惑う瞳の元へと向けて一心不乱に疾走を開始する。


 もはや大地に足がつくのを待つのももどかしいとばかりに空を蹴り、両足が最も強く前へと踏み出せるその瞬間に足場を展開することで、地形に囚われない理想的な走りで彼我のその距離を走破する。


 瞳に起きた異変、その原因は非常に単純だ。

 要するに彼女は、勢いに任せて魔力を使いすぎたことによって魔力切れを起こしてしまったのである。

 だからこそ、彼女は【加重域】の魔法を発動させ続けることができなくなって、さらには自身に掛けていた三重強化の維持すら困難な状況へと陥ってしまっている。


(やっぱり、今の瞳はいつも以上に冷静じゃない――)


 そもそもの話、瞳の戦闘スタイルはその性質上、消費する魔力の量があまりにも甚大だ。

 【怪力スキル】による三重強化に使用する武器の刀身展開、【玄武の四足】による重力系魔法と、彼女の戦い方はとにかく常に多大な魔力を消費する。


 特に【怪力スキル】の【着装筋繊】の消費魔力は甚大で、召喚スキルに近い性質を持つこの魔法は維持するだけでも瞳の魔力容量を一定の割合で食いつぶしているのだ。

そうした事情故に、普段の瞳は魔力使用のペース配分に常に気を使って戦っていた訳だが、先ほどからの瞳の戦い方はそうしたペース配分を明らかに逸した、力任せなものとなってしまっていた。


 他ならぬ誠司から、厳重に注意されていたにもかかわらず。


普段の瞳ならば、どれだけ理性を飛ばしていても誠司からの言葉にだけは従っていたというのに。


 今回瞳は、そうした誠司からの言葉すら忘れて、詩織を叩き潰そうと躍起になって魔力による力技へと訴えてしまった。


 けれどそうなった理由が、今の詩織には少しだけわかるような気がする。


「ヒトミ――!!」


 魔力切れの影響にあえぐ瞳の元へと距離を詰め、詩織はすぐさま手にした青龍刀を振るって、そこに込められた【音剣】の魔力諸共瞳の元へと叩き付ける。

 とっさに瞳が鉄棍を構えて防御して、金属のぶつかる音が周囲に響く。

 鉄棍を通じて強烈な振動が瞳の腕へと伝わって、耳を塞いだ彼女の体に、まるで訴えかけるように音響の波が伝播する。


「――く、馬鹿の一つ覚えみたいに【絶叫】ばっかり使って――!!」


 攻撃を弾き返す瞳の声に、先ほどまでの違和感と力のようなものはない。

 恐らく魔力が枯渇しかけたことで、自身に掛けていた三重強化の維持が難しくなったのだろう。

 かろうじて最大の力を発揮する【着装筋繊(ドレッシングサルコレマ)】だけは維持しているようだったが、他の二つの強化は瞳の体からきれいさっぱり消え去って、こうして至近距離にまで近づいても魔力の音が聞こえなくなっている。


 恐らく今は、瞳にとって微かな量の魔力ですら惜しいはず。


 だというのに、瞳の体からは【着装筋繊】以外にもう一つ、別の魔力の音がほんの微かに聞こえ続けていた。

 瞳の両耳から、全ての音を拒絶するための微かな魔力が。


「こんな状況なのに、【耳栓】なんて魔法、まだ使い続けるつもり――!?」


 返す刃に胸の内の激情をわずかに込めて、幾分力のこもった剣戟を瞳の鉄棍目がけて叩き付ける。


 恐らくは詩織の【絶叫斬】対策なのだろうと頭では理解していたものの、それでも詩織は瞳がその魔法を使い続けていることに憤りの念を禁じ得なかった。

 それは詩織が、瞳が耳を塞いでいると知った時から胸の内に抱えていた、かつては覚えることすらできなかった激烈なる感情。


「そんなもの使ってたら、私が何を言っても聞こえないじゃない……!!」


 声をあげても届かないとは知りながら、それでも詩織は心のままに胸の内の憤りに任せて目の前の瞳目がけて声をあげる。

 それはまるで、頑なに耳を塞ぐ相手に向かって声の限りに叫び続けるように。


「やっと言わなきゃいけないことが、言いたかったことがはっきりしたのに――!!」


 昨晩の話し合いの際、詩織が竜昇達に対して、愛菜との間であったことを言い出せなかった理由がようやくわかった。

 なんてことはない。言ってしまえば詩織は、かつて友人だった二人との問題についてだけは、ちゃんと自分の手で、自力で決着を付けたかったのだ。

 だから打ち明けた方がいいとわかっていながら彼らの力を借りる道を自ら断って、こうして秘密を抱えたまま二人と相対する道を選んでしまった。


「せっかく言えるようになったのに、今さら耳をふさがないでよ――!!」


 身勝手な話だ。

 これまでのような自罰的な思考ではなく、客観的な視点でも詩織自身そう思う。

だが、そんな身勝手な思いこそが、嘘偽りのない詩織自身の本音だったのだ。

 そしてそうとわかった以上、今の詩織にはもはや迷いや躊躇はない。


 竜昇達に対して申し訳ないと思う気持ちはある。

 次に彼らと会った時、きちんと謝らなければならないとそう思う。


 けれどもう、彼らはそういうエゴを認めてくれるのだと既に知っているから。

 なによりも、今自分は己の望んだ戦いをしているのだとそう思っているから。


 だからもう、詩織は己のこの戦いを迷わない。


「――ッゥ!!  何度も何度もしつっこいんだよォッ!!」


 繰り返し撃ち込まれる斬撃に業を煮やして、瞳が鉄棍を力任せに振るって目の前の詩織を無理やりに間合いの外へと遠ざける。

 それはまるで、頑なに彼女の声を聴くことを拒絶するように。

 まるで音剣の技ではなく、その言葉を聞いてしまうことをこそ、本当は恐れているかのように。


「……あんたがどんだけ騒音まき散らしたって、あたしにはもう何も届きやしないんだ……。いい加減無駄なことやめて、観念し、て――」


 ――言いながら、逃れた詩織の元へと瞳が追撃をかけようとして、しかし踏み出したその一歩から力が抜けてその視界がガクリと右へと大きく落ちる。


「――ん、な、ぇ――?」


 よろめく体に困惑の声を漏らしながら、しかし瞳はそのままなす術もなく膝をつく。

 先ほどから陥っていた魔力の枯渇ともまた違う、気怠さや倦怠感という以上に明確な異常がその全身に襲い掛かる。


「なん、で……。音は、聞かないように、ちゃんと耳は塞いでたはずなのに……」


「……瞳は【絶叫斬】のことを警戒してたみたいだけど、そもそも私は最初から、あの技を使う気は無かったんだよ」


 頭を押さえて動揺を見せる瞳に対して、詩織が冷静にそう語り掛けて、同時に瞳は一つの致命的な事実に気付く。

 すでに今、先ほどからの不調の影響で、自身が耳を塞ぐのに使っていた【耳栓】がその機能を失って、解除されてしまっているということに。

 それを知ってか知らずか、どこか気遣うような様子すら見せつつ詩織の語る言葉は続く。


「私は最初から、瞳たちには【絶叫斬】は使わないつもりだった。だってあの技、使うと耳の鼓膜が破れたりして、そのあとでの話し合いなんて絶対できなくなってしまうから……」


「なん、だって……!!」


言われて、ようやく瞳は思い出す。

最初に受けた音剣の技、瞳が【絶叫斬】だと思っていたそんな攻撃を受けたその直後、しかし自身に本来の【絶叫斬】が発揮するような、致命的な効果や被害が一切見られなかったというその事実を。


そしてもう一つ、遅まきながら瞳は思い出す。

詩織の習得する【音剣スキル】にはもうひとつ、派手な音がするわりに効果が回りくどく、その上【影人】に効果があるかも不透明だったために、実戦では一度も使われることのなかった死に技が存在していたということを。


「まさか……、じゃあ、あたしが食らってたあの技は……!!」


「……うん。重要なのは音じゃなくて、腕から伝わってた振動の方……。今の瞳はさ、私が撃ち込んだ振動が頭まで伝わって、脳を揺さぶられて脳震盪を起こしてるんだよ」


 大音量による衝撃波で相手にダメージを与える【絶叫斬】を警戒して耳を塞いでいた瞳だったが、しかし実際のところ重要だったのは音の方ではない。


詩織が使っていたのは、音を衝撃波のレベルにまで拡大するのではなく、振動として相手の体に伝播させることで重要器官にダメージを与えるという、そんな技なのだ。


 一応こちらの技にもその制約として、振動を脳まで届けるためには直接頭に攻撃を撃ち込むか、あるいはいくつもの振動を重ねて撃ち込むことでその振動の波を増幅し、相手を昏倒させるのに必要な威力にまで持って行かなければならないという条件があったのだが、これに関しては瞳がこの技自体の存在を忘れてくれていたためになんとかなった。


 というよりも、竜昇たち三人の中で唯一手の内の全てがバレている詩織が瞳の相手として割り当てられた理由の一つが、彼女だけは戦闘中に詩織の手の内全てに対策を打つような、そう言った頭脳的な戦い方はできないのではないかと予想されたが故なのだ。


 たとえ手の内すべてが割れていても、【調薬増筋】の効果によって理性を飛ばし、思考能力がそがれてしまう瞳が相手であれば。

 そこまで完璧に、詩織の手の内を封じるような真似はできないのではないかと、そんな予想が、決して勝算をまでは呼べない楽観論ではあるものの、確かに詩織たちの頭の中にあった。

 そして楽観論というのならば、詩織を含めて誰一人として語ることがなかったものの、一つ止そうとして存在していたものがもう一つ。


「私を殺すことを気が進まないって思ってくれてるのなら、無理して耳を塞いでないで私の言うこともちゃんと聞いてよッ……!! 私にだって言いたいこと、言えてないこと、ホントはたくさんあるんだから……!!」


 戦いのさなか、瞳がいつも以上に理性を失っていた理由は簡単だ。

 要するに、瞳は詩織をその手にかけなくてはならないというこの状況に強いストレスを感じていたのだ。

 だから、いつも以上に理性を飛ばして、攻撃衝動とスキルに身を任せるようにして戦っていたし、瞳自身は何度も覚悟を決めて攻撃しているのに、それを幾度となく掻い潜って、繰り返し言葉をぶつけてくる詩織に苛立ってもいた。


 なぜなら瞳は、ずっと躊躇してしまいそうな自分を圧し潰しながらがら戦っていたのだから。


 全ては愛菜を守り、誠司を助けるそのために。

 二人に害成す者を、可能性の段階から潰すと、そう決めてしまっているが故に。


「あんたの話を聞いて、それでどうしろって言うの……? もう戦いは始まっちゃってるって言うのに……」


「ヒトミ……」


「もう遅いんだよ……。土台無理な話なんだよ。あたしらの害になりそうなあんたらの存在を、もうあたしはこれ以上容認できない……。

よしんばあんたのことだけは信用できたとしても、あんたが連れて来たあいつらまで信用できる根拠ってなに……?

 あんたが信用してるらしいあいつらが、あたしらを裏切らない保証なんてどこにあるの……? 今こうしてる間にも、あいつらは誠司達を殺そうとしてるかもしれないって言うのに……」

「それは――」


 耳を塞ぐ魔法が消え、理性を飛ばす魔力すら失って、最後に残った筋肉の鎧すら維持できなくなって消えていくそんな中、それでも瞳は刃の無い鉄棍で体を支えるようにしながら詩織の前へと立ちはだかる。


「――保証、とかはしなくていいよ。あたしはもう、油断はしないって決めたんだ……。

 どうしてもあたしを止めたいって言うならさぁ――」


 瞬間、瞳が手にした鉄棍を振り上げて、その全身になけなしの魔力で生成した赤いオーラを纏って瞳の元へと突貫する。


「息の根止めるつもりでちゃんと来なよォッ、ねぇッ、シオリィ――!!」


 躊躇を押し殺したが故に躊躇なく、今度こそ詩織の命を絶つべく振るわれる瞳の鉄棍。

 もはや話して終わる段階は終わったのだと、そう突きつけるような瞳の攻勢に、詩織は――。


「【合唱斬】――」


 振り下ろされる鉄棍越しに、先ほどから撃ち込んでいたのと同じ最後の振動を、瞳の頭部へと撃ち込んでいた。


 武器と腕越しに伝わった最後の振動に脳を揺さぶられ、いよいよ耐え切れなくなったかのように瞳の体から力が抜ける。


「まだ遅くなんてない……。無理なことなんて、きっとない……!!

――今度こそ、ちゃんと聞いてもらうから……。今度こそ、ちゃんと話すから……!!」


「なんで、そんなに……」


消え行く意識のその間際、かつての友人だった少女の、聞いたこともないくらいに強いそんな言葉を耳にして、その理由を不可解に思いながら瞳の意識が闇へと落ちる。


 崩れ落ちるその体を、寸前に詩織が後ろから支えて、そうしてようやく詩織の、初めて行う己のための戦いが幕を閉じる。


 広いプールエリアのその中を、最後の音剣の音がやけに大きく木霊する。

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