170:始まりの彼女
ことの発端は、時間的にもわずかに過去へとさかのぼる。
最初にそれが起きたのは、やはりというべきなのか理香により静の取り調べが行われていた場でのことだった。
とは言え、実のところこちらで行われていた取り調べの結果は、正直に言ってあまり得るものがあったとは言い難いものだった。
これは、なにも取り調べを受ける側である静の方に限った話ではない。取り調べを行う理香の方にしてみても、あまり得るものの多い取り調べにはならなかったのである。
なにしろ、彼女が問いかけてくるのは、問題のメールの内容についてや、すでに話したことの真偽を問うものがほとんどなのである。
例外として、【決戦二十七士】についての質問や、一部静自身がどこでどのように暮らしていたかなど、プライベートな質問もいくつか受けたものの、前者については静が知る由もなく、後者についても静自身が得られた情報ははっきり言ってないに等しかった。
対して、それらを尋ねた理香の側に収穫があったかと言えば、こちらに関しても正直得るものがあったとは言い難い。
こちらについては、単純に静が口にする情報がすでに理香の方でも把握しているものであったり、逆にこのビルの中での出来事についてまるで関係してこないような内容であったりしたことがその理由となる。
一応、静の個人情報を問うような質問に関しても、静が本当にプレイヤーの側の人間であるのか、静がどこでどのような生活をしていたのかを問うことで確かめる意味合いがあったのだろうが、肝心のその答えについて静が嘘を交えても、理香の方が気付くことができないとなれば正直に言ってあまり問う意味があったとは言い難い。
そう、実をいうと、静はこの取り調べの中で何度か試してみたのだ。
自分という人間が本気で嘘を会話の中に織り交ぜると、本当に【観察スキル】を持つ理香でも見破ることができないのかという、その点を。
(まさか本当に見破ってもらえないとは……。ここまで来るとさすがにショックですね……)
会話の端のどうでもいいところで適度に嘘を織り交ぜて、直後にその嘘を告白してそれに対する理香の反応を観察するという、傍から見ればなかなかに意地の悪い行いをした際の理香の反応を思い出して、静は思わず内心で密かに嘆息する。
理香も理香で、静が『いえ、すいません、今のは嘘です』と告白するたびに『そうですか』と何でもないような返答こそ返していたものの、逆に言えばそれだけの反応しか返ってこなかったというその事実が、むしろ理香が静の嘘を見破れていなかった証左のように感じられた。
(まあ、取り調べの最中に嘘をついているのがわかったら、普通はそれを指摘して本当のことを言わせようとするでしょうからねぇ……。やはり【観察スキル】とやらをもってしても、こちらの嘘を見破ることはできていないのだと、そう考えるのが適切でしょう……。やれやれ……。どうやら私は立派な詐欺師になれそうです……)
なんと言うか、自分の犯罪者適性の高さに嫌気がさしてくる。
確かに静自身、必要と感じれば迷わず嘘が付けてしまうし、嘘を吐くことに特段の罪悪感も愉悦感も覚えることがないままここまで生きてきてしまったわけだが、どうやらそうした静の精神性は表情筋の方にもばっちりと影響を与えてしまっていたらしい。
否、問題の性質を考えるなら、ここは現れていないと考えるべきなのか。
何はともあれ、ここまでの話し合いの中で静が得られたのは、自分が本気で嘘をついてしまうと【観察スキル】を持つ理香でもその嘘を見破れないらしいという、そんなどうしようもない事実だけだった。
これでもし、一対一で話し合ったことで理香が静の言葉の真偽を見抜けるようになってくれていたならば、今度は逆に静が真実を話した際に一定の信憑性が生まれてくれたはずだったのだが、こうも見破ることができないとなると、『発言が真実であることを見破ってもらう』という静のプランはもはやあきらめた方がよさそうだった。
こうなって来ると、あとはもう静が知るビルの秘密を理香に対してできうる限り伝えて、彼女たちが自力で真相にたどり着くよう誘導することしかできないのだが、しかし迷いどころなのは、果たしてこの事実を自分の口から伝えてもいいのかという点である。
(どうやら私という人間はほとほと信用されていないようですし、でしたらまだ竜昇さんや、竜昇さんから話を聞き出しているだろう中崎さんの口からきいた方が、先口さんも耳にする事実を信用できるでしょうか……?)
下手に自分の口から伝えてしまうと、疑わしい人物から伝えられた情報というフィルターがかかって、かえって信じてもらえないのではないか。
そんなことを考えて、いよいよ静は自分がどうしようもなく行き詰っていると、そう思わざるを得なくなる。
――否。厳密に言えばまだまだ打てる手はないわけではないのだが、ここから先はもう、破れかぶれの最終手段と言った方が近いような領域だ。
不用意に選択するにはリスクが高いうえ、それを選択してしまったら、もはや話が自分だけでは済まなくなってしまう。
とは言え、次があるかもわからないこの機会を、手をこまねいたまま終わらせてしまうわけにはさすがにいかない。
果たしてこの先に踏み込んでみるべきなのか、それとも今はまだ焦らず機会をうかがって、まだ会話が続けられているこの状態を維持するべきなのか。
そんな迷いを、静が胸の内で密かに持て余していた、そんな時――。
「貴方は……、いったい何がしたいのですか……?」
不意に、理香からそんな、あまりにも漠然とした問いが投げかけられてきた。
「――」
視線を向けて、それによって見えてくるのは、先ほどまでと変わらない無表情でありながら、どこか不気味なものを見るかのようなそんな眼差し。
そしてそれに続くのは、まるで痺れを切らしたかのような、理解できない静という相手に耐え兼ねたかのような、そんな感情がのぞく言葉だった。
「……先ほどから話していても、私には貴方が何を考えているのかがさっぱりわかりません。感情が読めないというのもありますが、あなたのことを敵とみなしている私達に対して、わざわざ自らの身を差し出すようなまねまでしている、その理由がわからない」
それはあるいは、ここに来て初めて理香が表に出した、限りなく彼女の本音に近い言葉だったのかもしれない。
一見すると冷淡で無感情にも見える理香という少女だが、しかし実際の彼女は周りが思っているよりもはるかに感情的だ。
周りに見せている通り、本当に精神構造が根本からずれている静に対して、理香のそれは周りに自身の弱みを悟られぬようにと作っているだけの、言うなれば本人の自制と努力の結果に他ならない。
少なくともここに来るにあたって、静は理香のことをそういう人間なのだろうと予想していたし、実際これまでの会話の中でもその予想が覆ることもなく進んでいた。
そんな理香が、今初めて会話の中で、限りなく本音に近い、ずっと隠し続けていた感情の端を垣間見せている。
ならば今、そんな相手に対して静は、どう応じるべきなのか。
そんな思考に頭を悩ませていた時間は、しかし実のところほんの一瞬のことだった。
「――いえ、それほど難しいことは考えていませんよ」
考えた末にそう応じて、静は理香からのその問いかけに、本音で応じることにする。
「ただ単純に――、私が話を付けるべきなのは貴方なのではないかと、そう思いまして」
一度踏み込んでしまったらもう戻れない、相手の逆鱗に触れることにもなりかねない、そんな分水嶺の向こう側へと踏み出すつもりで。
「……昨晩詩織さんから大体の経緯を覗いました。あなた方が私たちから何を隠そうとしていたのか、あなた方のパーティーの関係性についても」
「――ッ!! ……やはり、そうでしたか。あなたはともかく、あの互情さんという方の反応からもしやとは思っていましたが」
静の指摘に一瞬言葉に詰まって、しかし理香はすぐさま冷静な口調を取り戻して、そんな言葉を返して見せる。
『もしやと思っていた』というその言葉が虚勢だったのか、それとも【観察スキル】の力によって本当に読み取っていたのかまではさすがにわからない。
ただでさえ静は、他人の心を読み取るのが得意とは言えないのだ。ましてやこうも表情を徹底して隠されていては、静の観察力では到底その内心を読み取ることなどできはしない。
けれど、読み取ることや同調することはできなくとも、知識や想像力にをもって推測することはできる。
例えば今、静がこの理香を、自分が相対するべき存在であると推測してここにいるように。
「――それで、その話を聞いたからどうだというのです? 渡瀬さんに対する私たちの仕打ちを糾弾でもするおつもりですか? それとも私たちの関係性を爛れているとでも?」
「ああ、いえ。別にそういうのはありません」
言った傍から予想外の切り口でそう問いかけられて、静は即座にその問いに対してあっさりとそう否定の言葉を返す。
恐らくそうした非難を受けた際にそれに反論するべく、一定の理論武装をしていたのだろうが、少なくとも今この時、彼女らのやり方に対して意見するつもりは静の中には欠片も存在していなかった。
もちろん、詩織への仕打ちについてはなあなあにするつもりはなかったが、それを今この場で非難したところで意味などないと思っていたし、理香たちの関係性の問題に至っては、本人たちがいいのならそれでいいだろうと、そんな風に割り切った思いすら抱いていた。
このあたり、静という少女は理香が想定していただろう感情的な反発については、彼女が思っているよりもはるかに無頓着だったと言っていい。
「先ほども言いましたが、私があなたとこうして二人きりになる場を設けた理由は簡単です。詩織さんの話を聞いて、もしもあなたたち四人の中で私自身が話を付けなければならない相手がいるとしたら、恐らくは貴方だろうと思ったから……。
まあですが、その話をする前に一つ確認させていただきましょう」
「確認……?」
「はい。
――ねぇ、先口さん。ひょっとして、中崎さんの最初の相手というのは、あなただったのではありませんか?」
「……!!」
平然とした態度で投げかけられたその言葉に、しかし今度こそ理香はその表情に、かすかながらも明確な動揺の色を走らせる。
そんな理香の反応に、『どうやらこんな自分でも女の勘という奴はちゃんと機能しているらしい』と少しだけ気をよくしながら、静はさらにもう一歩、相手の胸の内へと容赦なく踏み入ることにした。
その始まりに語るのは、そもそも静が最初に抱いた些細な疑問。
「詩織さんの話を聞いたことで、私は今のあなたの立場に少しだけ違和感を覚えました。
あなたと他の方々は、このビルで初めて出会った赤の他人であるはずなのに、何というか、貴方はあまりにもあのパーティーの中で受け入れられすぎている」
向こう側のパーティーを構成しているメンバーは、このビルに入って偶然出会った理香以外、このビルに入る前からのクラスメイト同士という関係性だった。
その点理香の置かれた立場は、元からあったコミュニティの中に後から入り込んだ、いわば部外者とでもいうべき立場にあるとも言えてしまうことになる。
「特に違和感があったのは、貴方がリーダーである中崎さんに一番近い位置にいたことです。もちろん、そうなった要因にはあなた自身の振る舞いや能力の関係もあったのでしょうが、部外者であるあなたがそんな位置に入り込んでいて、パーティー内に特に不満のようなものが見られないというのは少々おかしい。
詩織さんの話では、貴方は最初の段階から中崎さんと共に戦っていたという話でしたが、特別パーティー全体に影響するような活躍をしていたという話は出てきませんでしたしね。
それで思ったのですよ。そんなあなたが今の地位にいる理由は、貴方が詩織さんに気付かれない形で、見えない裏側とでもいうべき場所で、何らかの行動を起こしていたからなのではないかと」
「……なるほど。その行動の形として、貴方は私が誠司さんに媚を売って、今の地位を得たのではと疑ったわけですか」
「なにしろ、悪い手ではありませんからね。当時の貴方が置かれていただろう状況を思えば、いっそ誰かと深い仲になってしまうというのは」
崩れた表情を鉄皮面で覆い隠しながら、しかしどこか軽蔑するような口調で話す理香に対して、静はむしろその判断を称賛するかのようにそんな言葉を口にする。
実際、この件に関して静は、その判断を称賛こそすれど、軽蔑や嫌悪のような感情は一切覚えていなかった。
それは静ならではの、いつもの無頓着さが理由の一つではあったが、しかしそれとは別にもう一つ、彼女がその時置かれていただろう状況が想像できてしまったこともその要因として挙げられる。
「貴方の置かれていた立場は、思えば相当に不安定なものだったはずです。
ただでさえ命の危機が付きまとうこのビルの環境下で自分一人。周りにいる人たちは元からの知り合い同士で、あなた一人がそのコミュニティから外れた、言ってしまえばアウェイとでも呼ぶべき位置にいる。
はっきり言ってそれは、いつ他のメンバーの生存のために見捨てられ、斬り捨てられてもおかしくない状況です。
もちろん、あの方々とて簡単に人を見捨てるようなことはしないでしょうが、このビルの中の命がけの状況を思えば、いつまでそんなことを言っていられるかわからない所があります。
そして、誰か一人を斬り捨てなければならないとなれば、その候補として真っ先に挙げられてしまうのは、一人だけ元からの知り合いではないあなたということになるでしょう」
自分で言っていて、静自身これはこれで酷い邪推だと思わないでもなかったが、残念ながらこれに関してはある種実例のようなものが存在してしまっている。
なにしろ詩織がパーティーの中で迫害された経緯というのが、ただ一人メンバーの中で誠司になびかなかった、集団の中の異分子となってしまった彼女を、他のメンバーが排斥した結果とも言えなくはないのだ。
彼女がその時置かれていた状況を考えれば、その邪推が決して的外れなものだったとは、静には思えない。
「こういったことは人によるところもあるのでしょうが、やはり肉体関係というものが持つ意味合いは特別です。この手の思い入れは、なにかと男性よりも女性の方が強いように言われがちですが、男性にしたところでやはりそういう関係になった相手には特別な感情を抱くものでしょう。
そして、貴方は中崎さんとその特別な関係になることで、関係性の薄さゆえに斬り捨てられる危険性を減らそうとしたのではありませんか?」
静から投げかけるそんな問いかけに、もはや理香はなんの言葉も返さない。
ただ感情を隠すための鉄皮面をその顔に張り付けて、同じく感情の消えた目でこちらを見つめている。
とは言え、ここで話を中断するような神経など、小原静という少女は良くも悪くも持ち合わせてなどいなかった。
むしろその沈黙を肯定と受け取って、そのうえで感情を交えず淡々と、自身の中にあるその予想の続きを言葉へと変えて語りかけていく。
「――さて、そうして中崎さんとの関係を持つことで、とりあえず真っ先に斬り捨てられる危険からは脱したあなたでしたが、しかしそれで問題がすべて解決したかと言えばそんなことはなかったでしょう。
なにしろ、私の推測が正しければ、貴方が中崎さんと関係を持ったその当時、まだあなた方のパーティーはてんでバラバラの状態で戦っていたはずなのですから」
詩織の話に聞く当時の彼女らのパーティーの状態は、実際にそれを目の当たりにしている訳ではない静達から見ても酷い状態だった。
無謀な独断専行で連携を乱しがちな馬車道瞳。
沖田大吾という思い人の死にふさぎ込んで、とても戦える精神状態ではなくなってしまった及川愛菜。
かく言う詩織自身も戦いにはあまり積極的ではなかったようだし、当時の彼女らはパーティーとしては空中分解寸前で、本当にいつ全滅してもおかしくない状態だった。
「貴方がこのビルの中で生き残るためには、ほかのメンバーとの協力関係が必要不可欠だった。
けれどそのためには、どうしてもバラバラの他のパーティーメンバーを、一つにまとめあげる必要があった。
けれど貴方は、パーティーの中ではまだ出会ったばかりの新参者です。これでよっぽどのカリスマ性でもあったならば別でしょうが、貴方のその立場で他のメンバーをまとめ上げるというのは、常識的に考えていくらなんでも無理があった。
――だから貴方は、自分の代わりに中崎さんをリーダーに立てることで、そちらのパーティーをひとつにまとめあげようと考えたのではありませんか?
そしてそのための方法として、貴方が中崎さんとそうしたように、他の方々にも中崎さんと肉体関係を持たせることを考えた」
先ほど静自身も語ったように、肉体関係を持った相手への心理的な影響力というのは絶大だ。
もちろん、人によってその価値観にも個人差のようなものはあるのだろうが、それでもよほど経験豊富でもない限り、そうした関係を持った相手というのはやはり特別視してしまうことだろう。
そしてこの場合、その『特別視してしまう』という状況が他のなにより重要だった。
なにしろこの時の理香は、なによりもまず真っ先に、他のメンバーに誠司のことを特別視して欲しかったのだから。
あるいはこれが竜昇であったなら、その行為を『中崎誠司に他の女子メンバーを“攻略”させた』などと評したかもしれない。
なにはともあれ、理香は自身を誠司にとっての特別な存在にしたように、他の女子メンバーにとっても、誠司の存在を特別なものにすることでパーティー全体をまとめ上げようと考えた。
「もちろん、世間一般の価値観から考えれば、一人の男性に複数人の女性というのはどう考えても褒められた関係性ではありませんが、貴方はむしろそうした背徳感を、他の方々との共犯関係を築くのに利用したのではありませんか……?
なにより、この方法ならば貴方は他の方々と同じように、中崎さんを中心としたグループの中に組み込まれることになります。
そしてその関係性は、集団の中で異物になってしまう危険性に付きまとわれていた貴方にとって、ある種理想的な状況だった」
既存のグループの中に自分が入れず、それゆえに仲間外れになってしまうというのなら、新たに別の理由からなるグループを作ったうえで、その中に自分と他のメンバーを組み込んでしまえばいい。
果たして理香が、いつの段階からそこまでをもくろんで動いていたのかは定かではないが、彼女らのパーティーが行きついたその形は、考えようによっては先口理香という少女にとって都合のいい条件がそろった、絶好の人間関係であったと言える。
「加えてそうした経緯であなた方のパーティーが今の形になったというのであれば、パーティー内でのあなた自身の発言力も、間に中崎さんを入れる形で確保できることになります。
なにしろ、中崎さんに他の方々を口説き落とさせるにあたって、貴方は様々な場面であの方に助言や根回しを行っていたでしょうから。中崎さんが他の方々を口説き落とすころには、貴方のことも随分と信頼し、意見を求めるようになっていたことでしょう」
中崎誠司と特別な関係を持つことで絆を結び、そのうえで彼に他の女子メンバーを『攻略』させることで、彼をパーティーの中心のリーダーの位置へと据えていく。
他のメンバーに対しては『誠司が理香を信用している』という姿を見せることによって、誠司を通すことで自身のことを信用させて、当の誠司に対しては『攻略』にあたって様々な助言を行うことでうまく信頼を獲得していく。
静などにはとても真似できない、恐るべき対人バランス感覚を要求される集団の中への同化戦略。
「今回私が、あなたと話を付ける必要があると感じたのもそれが理由です。
あなたというひとは、恐らく直接的ではないにしろ、パーティーの意思決定に強く関与できる立場にいる。
下手をすると中崎さん以上に、恐らく私はまずあなたという一人を納得させる必要がある。
いわば貴方の立ち位置は、リーダーである中崎さんを補佐するだけの立場に見えて、その実パーティーの方針を裏で左右できるだけの力を持った、影の――」
――と、そこまで言いかけた時だった。
反射的に静が首を傾けて、直後に頭の横を勢いよく何かが通り過ぎ、背後から床が爆ぜるような爆発音がはっきりと耳へと響いてくる。
「……おや」
小首をかしげたような姿勢のまま、しかし静は背後を振り返るような愚は冒さない。
そもそも何が起きたかなど、今目の前で静に対して剣を引き抜き、その切っ先を突きつけている理香の姿を見ている時点で、ある程度察しがついている。
「やれやれ……。どうやら虎の尾を踏んでしまったようですね……。はてさて、一体私の何がいけなかったのでしょう……?」
「この期に及んでまだそんなとぼけたようなことが言えるというのは驚きですね……。いえ、驚きというのなら、貴方が今の攻撃を回避できたこともでしょうか」
言葉とは裏腹に、表情をピクリとも動かさず、冷たい瞳でこちらを見つめる理香が剣を向けたままそう発言する。
背後から流れて来る焦げた匂い、その理由はあまりにも簡単だ。
静が話しているその最中、突如として理香が腰から彼女の武器であるレイピアと呼ばれる細身の剣を抜き放って、その切っ先から極小の炎弾を静の顔面目がけて撃ち放ったのだ。
眼にも止まらぬ速さで行われた抜剣から照準、発射までの一連の流れと、小規模な魔法とは言え顔に等当たっていたらただでは済まなかっただろう極小炎弾。
そんな一撃に晒されて、それでもなお静がそれに対応できた理由は、実のところ酷く単純で簡単なものだった。
「今の攻撃、確か中崎さんがそのレイピアに刻んだという【飛び火花】の魔法でしたでしょうか? それから【抜刀スキル】と、【銃撃スキル】の【早撃ち】による合わせ技……。確かに、事前に聞いていなければ危ないところでした」
必要最低限の威力の炎弾を極小サイズにまで圧縮し、弾丸のような速度で放って着弾と同時に炸裂させる魔法、【飛び火花】。
本来ならば誠司の習得する【魔法スキル・火花】の知識に収録されていたというその魔法を、理香は自身の武器であるレイピアを誠司に改造してもらうことにより、その剣の切っ先から放つ形で使用が可能になっていた。
事前情報通り、【飛び火花】の威力自体はたいしたことがないようだったが、それでも人体に当たればその被害は甚大だ。ましてや眼球をはじめとする重要器官が集中する顔面にそれを受けようものなら、それだけで回復不能な重大なダメージや、あるいは命に係わる大けがを負うはめになりかねない。
しかもそんな武器を、【抜刀スキル】の技術と、本来ならば拳銃などで行うはずの【早撃ち】の技術を組み合わせて使ってくるのだ。
神速の抜き打ちで急所を狙って放たれるその一撃は、確かに知らされていなければ対処できない、竜昇が言うところの『初見殺し』として十分に機能しうるものだった。
「……なるほど。昨日の一件で、詩織さんがどちらの側につくのか、そのことだけが気がかりだったのですが……。どうやら彼女は本格的に私たちの側から、あなた方へと乗り換えることに決めたようですね」
もはや感情を隠しきれなくなったのか、声の端にわずかながらも落胆の色をにじませながら、理香は剣を構えたままの状態でそう独り言ちる。
否、あるいはそれは、彼女の中からあふれ出る感情そのものだったのかもしれない。
「まったく……、つくづくあなた方は、こちらの思惑をいちいち引っ掻き回してくれるものです……。
本当は、あなた方とはもっと穏便にお別れするつもりだったのに……。不要な殺し合いなんてできる限り避けて、できるだけ血を見ない形でこの階層を乗り切るつもりだったのに――」
「それは今からでも遅くないと思いますよ。今剣を収めれば、不要な争いなどせずにことを解決できるかも」
ある種理想的ともいえる静の発言だが、しかし実のところ静自身はその可能性を捨てたつもりは毛頭なかった。
もしも彼女がそう望むならば、静は自身に向けられ、結局当たらなかった攻撃のことなどわざわざ問題視するまでもないとすら思っていた。
ただしそれは、あくまでも静が理香の内面を推し量れていないからこそ言えた話だ。
「いいえ、もう遅いですよ。もう事態は既に、それで済ませられるような状態を過ぎている……。
それにね、小原さん……。なにより私はもう、これ以上あなた方にこちらの関係性を引っ掻き回されるのが我慢ならないんですよ――!!」
瞬間、静の方へと突きつけられたレイピアの切っ先に魔力が収束し、先ほど撃ち出されたのと同じ火花のような極小の炎弾が、今度は連続で次々と静目がけて発射される。
手すりに拘束された状態では回避しようのない、先ほど静が見せたような方法では決して避けきれない、火花の魔法による連続射撃。
一斉に押し寄せるそれらに対して、静は――。
「――ッ!?」
それらが着弾するより一瞬早く、自身を戒める手錠をあっさりと外して、手すりの傍から素早く飛び退くことで苦も無く回避をして見せた。
「――なッ――!?」
予想外の静の離脱に、慌てて静の逃げた方へと視線を向ける理香だったが、そんな動揺の隙を見逃してくれるほど静という少女は甘くない。
最小限のステップで極小炎弾による射撃を回避したその直後には、すでに静は理香の元へと向けて突撃する体制を整えている。
「――ッ」
「【爆道】――!!」
剣を突き出す理香に対して、静が躊躇なく【歩法スキル】の技を使用して彼女の元へと突貫する。
両者が交錯するのにかかった時間はほんの一瞬。
たったそれだけの時間で、小原静は自身の定めた最初の目的をあっさりと成し遂げ済ませていた。
「一つ、シンプルな失敗を指摘しておきましょう。私が預けた装備品ですが、私に奪い取られることを警戒していたのなら、自分で持つのではなくこの場を離れる中崎さんにでも預けておいた方がよかった。
あなたにしてみれば、取り上げた装備を自分で持っていれば容易に奪い返せないと考えていたのでしょうが、実際にはこれこの通り、目の前にあるからこそ奪い返せる余地が残ってしまっている」
そう言いながら、静は手にした自身のウェストポーチの中を探って、見つけ出した鍵を使って未だかけられたままとなっていた左手の手錠を外して見せる。
振り返り、その様子に一瞬驚きで目を見張っていた理香が、我に返って真相に気付くのにかかった時間もまた一瞬。
「【盗人スキル】の【スリ取り】……!!」
静が装備を奪い返せた理由は簡単だ。
昨晩のうちに、静は今日に備えて【盗人スキル】を新たに習得。その中に収録されていた【スリ取り】の技術でもってして、交錯の瞬間に理香の腰から彼女に取り上げられていた装備一式をスリ盗っていたのだ。
もとより、奪い返すときのことを想定してそれとなく装備をまとめておいてくれるよう、理香の行動を誘導していたのが功を奏した。
おかげでウェストポーチの中の装備だけでなく、【磁引の十手】や【武者の結界籠手】のような、ウェストポーチに入りきらない装備までもが、ポーチに括りつけられた形で一緒に奪い返せてしまっている。
「ああ、ついでに言えば。私がこうして手錠を外して自由になれた理由も、その【盗人スキル】に収録されていた【錠開け】という技のおかげです。こうなることも考えて、事前に修得しておきました。ふふ……、先ほどからあなた方は、手錠から抜けるには破壊するしかないと思われていたようですが、そこまで派手なことをしなくとも、気づかれないように拘束を抜ける方法はちゃんとあるのですよ」
「……【錠開け】なんてそんな技、少なくとも初期スキルの中にはなかったはずですが……?」
「ああ、そこはなにしろ【盗人スキル】でしたから。そういう技術もあるのではないかと考えて、昨晩のうちに適当な針金で鍵穴を探りながら思い出す努力をしていたら自然と習得できました」
あっさりと言ってのける静だったが、実のところこれができるかどうかは少々賭けに近かった。
これまでのスキルのレベル上昇の経緯から、スキルのレベル上昇や技の習得が発生するメカニズムが、人が自身の記憶を思い出すのと似通ったものであることはなんとなく察知していた訳だが、そもそも【盗人スキル】の中に【錠開け】の技術が収録されている保証などどこにもないのである。
そもそも、もっと前に習得できたはずの【盗人スキル】を、なぜ昨晩になるまで習得しなかったかと言えば、それはすなわち静がスキルシステムの裏に仕込まれていた、敵意の移植というリスクの存在を警戒していたからだ。
そういう意味では、静のやったことは役に立たないスキルを習得するために敵意の移植を受け入れることになっていたかもしれないという、分が悪いとまではいわないものの、少々不確定な要素が多い賭けの要素の強い賭けだったともいえる。
「あとは、そうですね……。この場に針金を持ち込む方法だけは別に考える必要がありましたが、そこはまあ何とかなりました。なにしろこの通り、持ち込めなくても針金に関しては作れる手段がもとからあったものですから」
そう言いながら、静は自身の髪の毛を一本つまんで理香へと提示し、直後にその髪の毛に【鋼纏】を発動させて、金属の魔力で髪の毛をコーティングして一本の針金へと仕立てて見せる。
太さと強度を出すために、込める魔力の量は多少調整する必要があったが、それでも手錠をこじ開けるための針金に変えるのには数秒もかからなかった。
ついでに言えば、この程度の魔力操作では察知するのも難しい。【隠纏】の併用も考えれば、詩織のような特殊な感覚でも持っていなければ、眼の前で行われたとしても察知するのは相当に困難なことだろう。
「……なるほど、よく分かりましたよ。結局私たちは、最初からあなたに謀られていたのだということが……!!」
どこか自嘲気味にそう言って、直後に理香は右手に構えたレイピアに加えて、腰の後ろからも一本、まるで髪をすく櫛のような、ギザギザとした背を持つ短剣抜き放つ。
それはソードブレイカーなどと呼ばれる、相手の剣を捕らえて、場合によってはそのまま圧し折ることすら想定された西洋の短剣。
レイピアと合わせて、攻撃用の片手剣と防御用の短剣の二剣を操る構えを見せる理香に対して、静の方も右手に握る石刃を小太刀へと変え、話す隙に籠手を装着し終えた左手で十手を抜いて、同じく二刀を操る構えを見せる。
二剣と二刀。似通った武装を携えた二人がまるで鏡映しのように向かい合い、互いに相手を下すべくその戦意をたぎらせる。
「手荒な真似をしなくてはならなくなったのは残念ですが、もはやこちらもこれ以上あなた方に付き合ってはいられません。これ以上自体をややこしくされる前に、この場で後腐れなく消えていただきます」
「消えろと言われましても、私達もそう簡単に消えて差し上げることはできません。不本意なのだとは思いますが、あなた方にはもうしばらく私達に付き合っていください」




