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暴君白澤帝の愛し妃  作者: 春日あざみ
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後宮入り

「今夜、お前ともう一人、新しい妃の面通しがあるそうだ」


 後宮に続く翡翠門に併設された茶室、背もたれのある椅子にふんぞり返ってそう言うのはバートル。護衛兼大風の大使として旅に同行してきた彼は、ツェツェグの幼馴染でもある。

 後宮へ皇帝以外の男は入ることを許されない。彼がついてこられるのはここまでだ。


『こいつが妃だなんて、長老も無茶なことを。美人なら他にいくらでもいただろ』


 ささやかな手荷物が検閲されているのを横目に、バートルがそう呟くのが聞こえ、ツェツェグは唇を噛み締める。彼は子どもの頃から、率先して自分をいびってきた男だ。そのため道中は苦痛以外の何者でもなく、ようやく離れられると思うとせいせいした。


「もう役目は終わったんでしょ。早く帰って」


「馬鹿が。俺は使者だぞ? きちんと妃を皇帝の御前に連れてくまでが仕事なんだよ」


 バートルは太い両眉を寄せる。


『牛の脳みそほどの頭もない女め、そんなこともわからないのか』


 眉間に皺が寄りそうになるのを必死に堪えた。せっかくした化粧がよれては困る。


『お前、自分の役割はわかっているな』


 ツェツェグは俯き、こくりと頷く。


『皇帝の子を産むなんてことは、誰もお前に期待しちゃいない。無茶をしてうっかり殺されるな。お前の役目は、宮廷内の人物や皇帝の心声から、大風(ダーフェン)にとって有益になる情報を得ることだ。俺が定期的に陽にやってくる手筈になっている。この部屋に呼んだときは、必ず来て報告しろ』


 あんたの言うことなんか聞いてたまるかと言ってやりたかったが、ここは後宮。曲がりなりにも妃が悪態をつくわけにもいかず、小さくうなずいて「是」の意を伝えた。


『ま、いい子にして務めを果たした暁にゃ、俺がお前を嫁に貰ってやろう。ありがたく思え』


 いい子、という言葉も、口にする人間によってこんなにも印象が変わるものなのか。腹立たしさに黙って見つめ返したツェツェグを、バートルは満足そうな顔で眺めていた。



 長期間の馬車移動の疲れもあり、与えられた部屋について早々、寝台に体を横たえた。まぶたは重くなり、少しでも油断すれば眠りに落ちてしまいそうになる。だが。


 あの皇帝の前で顔を晒さねばならないと考えた途端、疲労とは裏腹に、頭は冴えていった。

 首を落とされ絶命した屍が、脳裏に蘇る。


「波風立てず、つかず離れずの関係を保たないと……粗相は許されないな」


 情報を得ろなどと、ずいぶん簡単に言ってくれる。嫌味な幼馴染の顔を思い出し、またも眉間に皺がよった。すると。


『……妃』


 ぼわん、と骨を直接震わせるような音が、耳に届いた。


「勘弁してよ、私の異能。もうこれ以上私を疲れさせないで」


 鳥のさえずりのような若い女たちの心声が、ぼわんぼわんと頭の中で響き渡る。


『また新しい妃嬪が来たのね。どんな女なのかしら』


『ひとりは十八、もう一人は十七か。年齢的にすぐに御渡りがあってもおかしくないわね。良い盾になってくれそうでありがたいわ』


『ああ、また皇太后様からのお誘いだわ……新しい妃に標的が移ってくれないかしら。妃教育なんて、建前以外の何者でもない。あんなの嫁いびりだわ』


 現王朝の歴史の中で、現帝の後宮は最も規模が小さいのだという。妃嬪の数は二十で、一様に皆個別の宮を持たぬ下級妃。つまりこの宮に妃全員が住んでいる。部屋にいるだけで情報が入ってくるのだから、効率はいいのかもしれない。だが、休む間もないというのは辛いものがある。


 目を閉じて心を沈める。こうすると遠い心声でも、より鮮明に聞くことができた。


『十七の子は田舎の姫らしいわね。牛の角みたいな変な髪型をしていたらしいし。朱雀宮が牛の糞臭くなったらどうしようかしら』


 思わず自分の袖を嗅ぐ。風呂には入ったし、匂い袋も身につけたが、つい先日まで牛の世話はしていた。


『もうひとりは商家の娘……。こちらの方が御渡りのある可能性が高いかしら』


『ああ、私のことも早く、陛下が手放してくれないかしら。あんな恐ろしい男の妃なんて嫌。うっかり寵愛を受けたりなんてすれば、今度は皇太后が怖いし。でも、自分から下賜をねだりなんかしたら、それこそ命がないし……』


「妃が、下賜を望んでる……?」


 パチリ、と瞼を開け、体を起こす。


 ——妃としての喜びは、皇帝の子を宿すことだと思っていたのだけど。ここにいる妃は皆、それを望んでない。


 聞こえてくる言葉の中には、皇帝を貶めるような言葉も多かった。怪物、人の心を持たない鬼、殺人狂。

 血も涙もない暴君であるのは、妃に対しても同じらしい。


 くるりと寝返りを打って起き上がり、鏡の前に座ったツェツェグは櫛を手に取った。今晩の目通りに向けてひとりで準備するなら、そろそろ準備をしないと間に合わない。


「誰か雇わなきゃ。暴君の目に止まる必要はないけど、あまりにも見窄らしいからって処分されたらたまらないもの」


 大風の花嫁衣装に合わせた髪型は、この国では「奇妙な牛の角」と評されてしまった。ツェツェグにできる他の髪型で豪華に見えるのは、組紐を編み込んだおさげくらいである。


 今度は獣に見えなければいいなと思いながら、自分の下ろし髪に手を添えた。


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