14、何がおかしいのですか?
庭に出たミアは庭師とともに自身の花壇スペースに柵を作った。
素朴な木材で作った小さな囲いだ。
作業を終えると、ミアはふうっとため息をついた。
「これでマデリーン様が気づかずに足を踏み入れることはないでしょう」
すると庭師が怪訝な顔でぼそりと呟く。
「む……そもそも普通の人なら気づくと思うんだが……」
「きっとマデリーン様は整った花壇しか目にしたことがないのですわ。成長途中の苗の花壇などマデリーン様にとっては雑草にしか見えませんものね」
「少し考えればわかりそうなものだが……」
「あ、そうだわ。札もつけておきましょう。私の名前を書いておけばもっとわかりやすくなるわ」
困惑の表情をしていた庭師は、ミアの様子を見てふっと笑った。
「奥様は実に寛大なお方だ」
「そうですか? 特に気にしていませんわ」
庭師は苦笑しながら肩をすくめた。
その日、カルベスはマデリーンと出かけたまま、侯爵家には帰宅しなかった。
翌日、使用人たちは小声でひそひそ話した。
「旦那様はついに愛人と一線を越えてしまったのだわ」
「奥様が不憫でならないわ」
「あら、そんなことなさそうよ」
使用人たちの視線の先にはリリーと一緒にサンドイッチを作っているミアの姿。
今日は近くの森へピクニックに行くため、ミアは早朝からパンを焼いて準備している。
「さあ、あとは食材ね」
「食材を焼く網と釣竿はディルク様が運んでくださるそうですよ」
「まあ、ありがたいわ。さあ、みんな楽しいイベントの始まりよ」
ミアが明るく声を上げると、使用人たちもつられて笑顔になった。
「ともかく、奥様がお元気だから、私たちも気にせず楽しみましょう」
こうして、ミアと使用人たちはこの日、家の仕事を休んで一緒に森へ出かけることになった。
澄んだ青空の下、森の中に木漏れ日が降り注ぐ。
きらめく川面が突如、ばしゃりと水しぶきを上げ、ミアの釣り竿がしなった。
銀色の魚が太陽の光を受けてひらりと跳ねる。
「また釣れましたわ」
「すごいな、君は。僕はぜんぜんだめだ」
「ふふふっ、コツがありますのよ。お魚さんを誘うのです」
「へえ、どんなふうに?」
「さあ、いらっしゃい♪ 美味しく食べてあげますわ♪ 私の胃袋でお休みなさい♪ 永遠に♪」
「……なかなか癖のある誘い方だ」
ばしゃんっと水しぶきが上がり、ふたたび魚が躍り上がった。
香ばしい匂いが漂う。
ぱちぱちと焚火の音とともに魚がこんがり焼けていく。
肉と野菜も少し焦げついた感じで焼き上がっている。
ミアはパンに肉を挟んで思いきりかぶりつく。
「豪快な食べ方だね」
「父がよくこうやって食べていたので」
リリーたちも同じようにパンに肉や野菜を挟んで食べた。
みんなでわいわい楽しんでいると、ちょうど木漏れ日の向こうからふたつの人影が現れた。
カルベスとマデリーンだ。
「あら、旦那様。おかえりなさいませ」
ミアが笑顔で挨拶をすると、カルベスは状況が飲み込めず眉を上げた。
「これはいったい?」
「ピクニックですわ」
ミアが笑顔で釣り針に餌をつけようとした瞬間、マデリーンが思いきり顔を歪めた。
「ひっ、気持ち悪いわ。虫を素手で触るなんて」
「マデリーン、あれは魚の餌だよ」
「令嬢のすることじゃないわ。それに、なんて魚臭いの。せっかくカルベスと森を散歩していたのに台無しだわ」
使用人たちは呆れ顔でマデリーンを見つめた。
ミアがきょとんとした顔で訊ねる。
「お魚の焼ける匂いがお嫌いですか? マデリーン様」
「生臭いじゃないの! 魚は厨房で料理されて出てくるものよ。貴族のくせに自ら魚を獲って料理するなんて信じられないわ。ねえ、カルベス?」
話を振られたカルベスは真顔で返す。
「俺も昔はよく釣りをして、その場で焼いて食べていたよ」
マデリーンの表情は固まり、代わりにミアが明るい笑顔を向けた。
「まあ、旦那様も釣りをなさるのですか?」
「ああ。異国の海で釣りをしたこともある」
「それは素晴らしいですわ」
カルベスとミアが穏やかに話す横で、マデリーンは悔しげに唇を噛む。
「男はいいのよ。だけど、女がそんな野蛮なことをするのはおかしいわ」
「何がおかしいのですか?」
ミアは本気でわからないという表情で見つめる。
「令嬢はそんなことしないもの。あなた、ちゃんと令嬢教育を受けたの?」
「ええ、受けましたよ。10歳からですけど。それまでは平民として育ったので、その癖が直らないのが原因かもしれませんね」
「え? あなた平民だったの?」
「はい。もう隠す必要もないでしょう。ねえ、ディルク様?」
ミアがディルクに問いかけると、彼はふっと笑って答えた。
「ああ。堂々としていればいいさ。君は何でもできる天才だから、誰も君を卑下したりしない」
ディルクはそう言いながら、わざとカルベスに目を向けてにやりと笑った。
カルベスはぴくりと表情を引きつらせる。
その横でマデリーンが豪快に笑った。
「あははははっ、何よ、あなた平民の分際でカルベスに嫁いだの? どうりで品がないと思ったわ」
「今は貴族ですわ、マデリーン様。元平民とおっしゃってください」
「どっちでもいいわよ!」
マデリーンがむきになって返す。
「こんなところで、フォークも使わずに食事して。魚を焼いて食べるですって? いやだわ、生肉もあるじゃない」
「ちゃんと焼くので大丈夫ですわ」
「そういうことじゃないのよ! あたしたちの優雅な散歩道でこんなことしないでって言ってるの」
「まあ、困りましたわ。マデリーン様たちがいらっしゃると知らなくてつい……」
ミアが本気で困った顔をするので、リリーがそばでこっそりささやく。
「いいえ、奥様のせいではありません。私たちが先に来ていたのですから」
「けれど、おふたりに不快な思いをさせてしまったわ」
すると今度はディルクが口を開いた。
「嫌なら別の道を通ればいいじゃないか。僕たちは朝からここで楽しんでいるんだから、君たちが邪魔だよ」
容赦ないディルクの発言に、マデリーンは表情が引きつり、カルベスは目を見開いた。
使用人たちは笑いを堪えて肩を震わせている。
「本当に野蛮な人だわ。カルベス、行きましょ。こんな臭いところにこれ以上いたら目眩を起こしてしまうわ」
「え? ちょっと、マデリーン」
マデリーンに腕を引かれ、カルベスはあっという間に連れ去られた。
そのとき一度だけ彼は振り返り、ミアを見た。
しかし、ミアはすでにディルクと楽しげに話していた。
ふたりが立ち去ったあと、使用人たちは堪えきれずどっと笑い声を上げた。
「見た? あのマデリーン様のお顔」
「ご自分の意見が通らないからって不貞腐れるなんて子供みたいね」
「そもそもあちらの言い分がおかしいのよ」
「でもディルク様の返しですっきりしたわ」
ディルクは使用人たちににっこり笑顔を向けた。
すると彼女たちはきゃあっと嬉しそうに笑った。
ミアはすでに他のことから目を背け、静かに釣りを再開していた。




