13、とりあえず君は天才か
遡ること半日前。
ミアは義父の部屋を訪れていた。
義父は具合が悪いと言っても早朝に微熱があった程度で、ミアが訪れた頃にはもう起き上がれるくらいに回復していた。
今はディルクも交えて3人で茶を飲みながら談笑している。
話題はもっぱらカルベスのことだ。
義父はミアにもう何度目になるかわからない謝罪を繰り返していた。
「すまないね、ミア。愚息のせいで嫌な思いをしていないだろうか?」
「いいえ、まったく。私は今までの人生で一番楽しい日々を過ごしておりますから。伯爵家にいた頃よりもずっと快適ですわ」
「そうか。はははっ……どうやらマーサに相当厳しい教育をされたようだね」
「伯母様はとっても細かいんです。特に勉強に関しては与えられた書物を暗記するまで外出禁止でしたから」
「そんなにか?」
「はい。でもそれさえできれば自由にしていいとおっしゃったので、書物をまるごと暗記してから庭で土いじりをして遊びましたわ」
あっけらかんと言い放つミアに、義父だけでなくディルクも驚いた顔をした。
ディルクが質問をする。
「君はもしかして貴族名鑑も暗記してる?」
するとミアはぱっと明るい表情で「はい」と返事をすると、怒涛のごとく語り出した。
「例えばアランドール侯爵家のご先祖バラート様は、昔まだ不安定だった交易網を開拓して、新しい交易ルートを作ったお方ですよね。そのおかげで、天候不良で飢饉や物資不足になっても人々は救われましたし、交易路を開拓する途中で食糧が不足したときには、自分の財産でたくさんの穀物を買い付けて、貧しい人々に配ったことも有名です。ただ、この交易路開拓には内部分裂もあって、マデリーン様のご家門であるスミス子爵家は敵対側にいたんですよね。そのせいで、今でもスミス子爵様はアランドール家に敵意をお持ちなんです。だから200年経った今でも、カルベス様とマデリーン様は家の事情で結ばれることができない、ちょっとお可哀想な境遇なのですわ」
義父とディルクがぽかんと口を開けたまま固まっているあいだに、ミアは続けた。
「ディルク様のローレンス家は、今では羽毛の事業で大成功を収めていますけど、その歴史を紐解くとかなり大変な苦労があったようですね。当初は高級羽毛を安く手に入れようと別の鳥の羽毛を使おうとしたんですが、その鳥は民にとって食用だったので大反発にあってしまいました。そこで当時の伯爵は民にちゃんと説明して協力をお願いし、さらに事業で得た収益で食糧をたっぷり供給して民の生活も潤すようにしたんです。そのおかげで民も協力的になって、羽毛事業は見事に成功しました。しかも、この事業を6年で軌道に乗せられたのですよね。ご先祖様、商才が本当にすごいんですね。元は商人だったようですし!」
ミアはさらに続ける。
「それから、ユリエラ公爵家は農地の改良や災害時の救済で周囲の人々を助けられましたし、ナグラダ伯爵家は水路の整備に尽力され、疫病の発生を減らした功績がございますわ」
ミアの話がようやく落ち着くと、ディルクが呆気にとられた顔で呟いた。
「君は記憶力がいいんだな」
「私は言われたことをしただけですわ。けれど、それぞれの家門の成り立ちには深い歴史があってとても興味深いので面白く暗記できましたの」
ミアはにこっと笑ってさらりと言った。
それに対し、義父が苦笑しながらぽつりとこぼす。
「よほどマーサが厳しかったんだろうな。大変だっただろう?」
「んー、特に気にしたことはありません。命令通りにやれば美味しい食事をいただけるので、その通りにしただけです」
義父が呆気にとられると、今度はディルクが問いかけた。
「伯爵が怖くなかったのか? 社交界では“最恐”と評される人物だが」
「伯母様はやるべきことをしっかりやれば何も言いませんわ。むしろ褒めてくださいます」
「え……あの伯爵が、褒める?」
ディルクが目を見開いたまま固まると、義父がにこにこしながら言った。
「マーサは周囲が噂するほど悪い人物じゃない。こちらが誠意を見せればあちらも誠実に応えてくれる」
「僕の知っている噂とはずいぶん違いますね」
「噂なんてそんなものさ。みんな好き勝手に広めてしまうものだ」
「まあ、そうですね」
ディルクは改めてミアに問う。
「君はご両親を早くに亡くしているんだよね。それまでとはずいぶん生活が変わったんじゃないか?」
「そうですね。何せ平民から貴族ですもの。変わりすぎですわ」
「えっ!?」
ディルクが驚いて目を見開くと、ミアは「あっ」と口もとを手で押さえた。
「またうっかり口走ってしまいましたわ。伯母様に口止めされていたのに」
「君は平民として育ったのか」
「はい。母は平民の父のところへ嫁ぎましたので。両親の死後に祖母に引き取られて、令嬢教育は8歳から始めました。なので10年ほどしか学んでいないのです」
「いやいや、充分すぎるほどよく身についているよ。食事のマナーもなっているし、ダンスもできるんだろう?」
「はい。食事のマナーを完璧に習得すれば厨房でお菓子を作っていいと言われましたし、ダンスを完璧に習得すれば川で釣りをしていいと言われましたので、すべて伯母様の基準点をクリアしましたわ」
「いろいろ言いたいが、とりあえず君は天才か」
ミアが笑顔のまま固まったので、ディルクは「褒め言葉だよ」と補足した。
するとミアはにこっと笑って続けた。
「でも、私は自分の発言をよく伯母様に叱られます。つい心の声がそのまま出てしまうのです。こればかりは直せなくて」
「いやー、そのままでいいと思うけどね。面白いから」
「まあ、そうですか? ではこのままでいようと思います」
「素直だなー。飾り気がまったくないな、君は」
ミアが笑顔のまま無言になるので、ディルクはまたもや「褒め言葉だよ」と言った。
「ありがとうございます。では、私はそろそろ庭の様子を見てこようと思います。ディルク様はごゆっくりなさってくださいね」
ミアが出ていったあと、まるで嵐が過ぎ去ったかのように部屋の中がしんと静まった。
ディルクは義父に向かって声をかける。
「彼女は不思議な子ですね。喜怒哀楽の“怒”の感情が欠落しているように見える」
すると彼も小さく頷き、同意した。
「ああ、君も気づいたか。マーサ……伯爵から聞いた話だと、ミアは一部の感情を失っているらしい。おそらく両親の死によるものだと。ミアは両親と旅行中に崖下で馬車事故に遭い、目の前で両親の悲惨な死を目にしたようなのだ。伯爵家に引き取られたときには人形のように何の反応もなかったらしいが、マーサがあえて厳しい教育をおこなって彼女は人間らしさを取り戻したと」
ディルクは「なるほど」と呟いた。




