11、今のはトドメの一言だったよ
翌朝、ミアは夜明け前に起きた。
いつも通りだ。
リリーが来る前に着替えを済ませてそっと部屋を出る。
だいたいエントラスでハンスとすれ違って挨拶を交わす。
「おはようございます、奥様。今日もお早いですね」
「ハンスさんも! おはようございます!」
「お散歩ですか。お気をつけていってらっしゃいませ」
「ええ、いってまいりますわ」
散歩の途中で早くから畑仕事をしている人たちと軽くおしゃべりし、丘の上で朝陽を浴びたら帰る。
帰宅した際、ちょうど新聞配達のおじさんが届けにきた新聞を受けとり、ざっと目を通して情報を取り入れる。
「あら、町で上演中の観劇が大人気なのね。観てみたいわ」
そのあと厨房に向かい、朝食の準備をしている料理長と挨拶を交わし、リリーと一緒に自分の朝食を簡単に済ませてしまう。
ミアの行動には、料理人たちも慣れていた。
この一連の習慣を、ミアは侯爵家に来てから毎日おこなっている。
「本日、カルベス様はマデリーン様とお出かけをされるそうですよ」
部屋でリリーがミアの髪を梳かしながら、そのことを告げた。
ミアはぱっと明るい笑顔で両手を叩く。
「まあ、だったら今日は堂々とお屋敷を歩けるわね。実はマデリーン様がお帰りになるまで部屋に引きこもろうと思っていたの」
「奥様なのですから、そんなことされなくても……」
「せっかく旦那様とマデリーン様が絆を深めようとされているのに、私が邪魔をするわけにはいかないわ」
「絆、深まってますかね?」
「それは私も気になっていたの。もしかしたら私のせいで、おふたりのあいだに溝ができてしまったのではないかと」
「奥様のせいではないと思いますけどね」
「今からでも修復して、仲を深めていただきたいわ」
「そうですか。まあ、私はディルク様でもありかなって思いますが」
「え? 何がかしら?」
「いいえ、なんでもないですわ。さあ、整いましたよ」
「ありがとう」
リリーが結い上げてくれた髪型を鏡で見たミアは満足げに笑った。
ミアの日課のひとつとして午前中に、義父の部屋へ見舞いに訪れる。
だいたい1時間ほどおしゃべりする。
ところが、この日は義父の部屋の近くでカルベスとマデリーンが何やら言い合っていた。
ミアはリリーの腕を掴んですぐさま柱の陰に隠れる。
「何かあったのかしらね」
「訊いてみます?」
「だめよ。話しかけたらマデリーン様のご機嫌を損ねてしまうわ」
「気をつかいすぎです。用事があるときくらい、いいと思います」
「それもそうね。じゃあ、話しかけちゃおう」
ミアはすんなり彼らの前に出ていって、何事かと訊ねた。
するとカルベスが答える。
「父の具合が悪いそうだ。だから、今日は外出を控えようと思って」
「ひどいわよ、カルベス! あたしとの時間は限られているでしょ? 今日はあなたとのデートをずーっと楽しみにしていたのよ! このあたしの気持ちを理解してくれないの?」
「わかってるよ。だから、明日に延期できないかと……」
「明日になってお父様の具合がもっと悪くなったら、また出かけられないじゃないの!」
「マデリーン……」
「明後日にはもっと具合が悪くなって、もうずっとお出かけできないわ」
「そんなこと言わないでくれ」
「だってそうでしょ? あなたのお父様の具合がこの先ずーっと悪化していったら、あなたはあたしとのデートは一生できないわ」
「話を飛躍しないでくれ。どうしてそうなるんだ?」
ミアは目を丸くしてふたりの話を聞いていた。
そして、ふたりの会話が途切れた瞬間に、すかさず口を挟んだ。
「大丈夫です。お義父様には私がついていますので、旦那様はマデリーン様とお出かけしてきてください」
「え? しかし……」
「せっかくのデートですし、おふたりの時間は限られています。今日という日は二度と戻りませんわ。マデリーン様にとって、とても大切なデートの日でしょう?」
すると、それを聞いたマデリーンがカルベスの腕にぎゅっとしがみついた。
「そうよね! 奥様はよくわかっているわ。さあ、カルベス、行きましょう。あたしたちの大切な時間を過ごすために」
戸惑うカルベスに、ミアは軽く手を振って促す。
ついでにさらりと一言。
「旦那様がいらっしゃらなくても、侯爵家はまわっていますからご心配なく」
カルベスは驚愕の表情で岩のように固まった。
そして、マデリーンに腕を引かれながら、無言のまま、ずるずると廊下の隅に消えていった。
カルベスとマデリーンがいなくなると、ミアの背後から唐突に笑い声が響いた。
「あはははっ、やっぱり君は面白いなあ」
「まあ、ディルク様。おはようございます」
「今のはトドメの一言だったよ」
「少し言いすぎてしまいましたか?」
「いいんじゃない? 面白いから」
ディルクの傍らでリリーも笑いを堪えている。
きょとんとするミアに、ディルクが訊ねる。
「ねえ、それわざとやってるの? それとも素でやってるの?」
「何がですか?」
「君の言動はカルベスに結構なダメージを与えているよ」
「……そうでしたか。旦那様を傷つけてしまったのでしょうか?」
ミアは頬に手を添えて、本気で困惑の表情をしている。
ディルクはふたたび笑いを洩らした。
「いや、それくらい強いほうが彼にとっては効果的だ」
「やはり私の言動に問題があるのですね。たまに知人から言われるのです。あなたは他人の気持ちがわからないと」
「え?」
「今回もマデリーン様に楽しく過ごしてほしいと思っていろいろしましたが、かえってご機嫌を損ねてしまったようです。私は本当に他人の気持ちがわかっていないのですね」
「いやー……」
「ディルク様、どうすれば他人の気持ちを理解できるようになるのでしょうか?」
「えー……うーん……」
ディルクは少し困った顔で口ごもったあと、笑みを浮かべてミアに言った。
「強いて言うなら、君は今のままでいいと思うよ。他人なんて打算的で欲深くて自分のことしか考えられない生き物だ。でも君はまっさらで素直だ。それに、一応気遣いもできる。たとえそれが空回りになってもね」
「それは褒められているのか貶されているのか、正直よくわからない反応です」
「褒めているんだよ!」
「まあ、ありがとうございます!」
少々落ち込みぎみだったミアは、ぱっと明るい表情に一変した。
するとディルクはふっとやわらかく微笑み、ミアの肩に手を添えた。
「もったいないなあ、カルベスは。僕なら絶対に君を離さないんだけど」
「ん? どういうことですか?」
「女性は……特に令嬢はね、一度機嫌を損ねると修復するのにすごく時間がかかるんだ。しかし君はすぐに気持ちの切り替えができる。一緒にいると心地いい」
「あまり気にしませんので」
「それがいいんだよなあ。カルベスと離婚して僕と再婚する?」
ミアは一瞬だけ目を丸くしたあと、真面目な顔でディルクを見つめて言った。
「だめです。アランドール家とユーベルト家が決めた家同士の結婚なので」
「……君はそれでいいのか?」
「私は貴族の令嬢ですから、貴族の家のルールに従うのです。そのように伯母様に教育されましたから」
「君はそれが嫌だと感じたことはないの?」
「ございませんわ。それが貴族だということですから」
ディルクはミアの言葉に引っかかるものを感じたのか、わずかに首を傾げた。
しかしミアはすかさず笑顔で続ける。
「ディルク様とは一生、仲の良い友人でいたいと思います」
ディルクは表情が固まって数秒沈黙したあと、ふっと吹き出した。
「こんな振られ方したの初めてだよ」
ミアがきょとんとしていると、ディルクはそっとミアの手を取り、その手の甲に軽くキスをした。
「わかった。君とはずっと友人でいよう」
「まあ、ありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね」
「ああ」
ディルクは小さく嘆息し、微笑んだ。
その傍らでリリーも少し残念そうな表情を浮かべつつ、どこか穏やかな笑みをたたえていた。




