8 新しい仲間
夜は肌寒く上着がいる季節になってきた。この頃寒いなぁ寒いなぁと思いながら夏仕様の薄い掛け布団一枚の中で縮こまって震えて寝ていて、押入れの中の段ボールのどれかに入っているはずの冬の毛布や布団を出す手間を惜しみ、私は風邪をひいた。それでも根性で学校だけ1日だけ休み、午後からはシフトを入れているアルバイトには出勤しようと思った。
学校にはお金を払って行っているのだからこちらがお客様なのだ。風邪をひいたり多少自分の都合に合わせたりして、お客様ならある程度は我儘に休んでも良い。けれどシフトを出している職場は一応雇ってもらっている身分なのだから、極力休んだり、行くと言っていたのに行かなかったりという不誠実な事をしない方が良い。収入あっての学業なのだ、職を失ってはご飯も食べられない。学校へなど行っている場合ではなくなってしまう。大人になってからの勉強とは趣味のようなものなのだ。収入の範囲内に支出を収めなくてはいけないのだ。
マイマイに今日は休むと伝えるため電話をかけて、
「お前、こっちを休むなら仕事も休むんだろうな」
と凄まれ、私は上記したようなことをカタコトと言い訳した。するとマイマイは、
「それは違うぞ…」
と真面目な本気の時の静かな口調になって、
「2年間通うと決めたならこっちが本分だぞ、お前…
一度入学金や初期費用やなんやかや大金を払ってせっかく入ったんだから…」
と、言いかけていた。その時、急に彼女の声を取り巻いていた雑音がフッと静まった。
一限目を受け持つ講師の先生が教室に入ってきたらしかった。私は十分学校へ遅刻しないで行ける時間から起きていたのに、休むという連絡一つを親友のマイマイに一報するのにもウダウダ考えてしまって時間をかけていたので、もうそんな時刻になっていたのだ。
「まぁ、とりあえず分かった。こっちは授業始まるから、またな。寝とけよ。起きてウロウロするなよ」
と続きはヒソヒソ声になり、通話が切れた。
当時は何とも思わなかった会話だった。日々の忙しさにかまけ、その日その日泡のように際限なく次から次へと湧き現れてくる課題や、目の前に立ちはだかられると巨大で越えなければならない一つ一つの日常の障害物に阻まれて、足の下に基礎となって埋まっている、心の重きの置き所などという基本的なことは、意外に蔑ろにされ、忘れ置かれてしまう。
あの時もっとマイマイの言わんとしていたことに耳を傾けられていれば…話はもっと変わってきていたのかも知れなかったけれど…
私は学校へ行くのは諦めたのだからせいぜい一生懸命に寝て、アルバイトまでには風邪を治すのだと、厚着をして、ベットに戻り、固く目を閉じた。
けれど学校を休んでしまったことで興奮し始めてしまっていて目が冴え、眠れず、普段我慢している餡子や栗や芋やチョコレートやホットケーキ、ホカホカのご飯、オバケの形の秋の新作ミスタードーナツ、ソフトクリーム、などなど、食べたかったもののことが頭に渦巻き、思考が占拠されだした。本能だと思う。こういった死ぬほど食べたいものがある時は体がそれを欲している時だから、食べた方が良いのだ、ということを学校でも根拠がある事として習っているところだった。食べずして死ねば後悔しか残らない。風邪を早く治すためと思えば多少太ることになっても納得がいく気がする。体を健康に戻してからまた太り過ぎた分を痩せてとりもどせば良いのだ。
私は更に厚着をして、1番近い、自分が働いたことのない外国の人がレジを担当しているすごく狭いコンビニまで季節を早送りしたような格好で首にマフラーまで巻き、この際他人にどう見られようと知ったことかという心境で買い出しに出かけた。リンゴやバナナやミカンまで売っていたので、それに納豆やヨーグルトなど体に良さそうないつも心がけて買うような物をいつも以上に盛大に買い込み、帰宅してすぐに剥いて食べた。
モグモグしている間、久しぶりにテレビをつけてみた。玄関がガチャーン!!と物凄い音を立て、飛び上がるほど驚いた。
彼氏が帰って来たのだ。私がチェーンを掛けていたので、鍵は開けたけれどドアが開かなかったのだ。短い廊下を走って行って出迎え、細く開けたドアの隙間から片目だけ覗かせて待っている彼氏に謝った。
「ごめん」
「ビックリした~」と廊下で彼が言った。
本当にまだドキドキしているような震える囁き声だった。
「学校は?」
「風邪で休んだ」
「風邪?大丈夫?何か薬とか買ってこようか?」
「ううん、さっき行って来た」
「栄養ビスケットみたいなのならあるよ」
彼はコンビニの白い袋をカサカサさせた。
時々、ビタミンや食物繊維が摂れるクリームビスケット等ちょっとした私の好きそうなものを、家で自分が食べるパンやコーヒーを買うついでに彼はコンビニで買って来てくれる。仕事から早く帰って来れる日は、お店でお寿司を握って持って帰って来てくれることもあった。凄く嬉しかった。
「起き抜けでよくそんな生臭いもの食べれるよなぁ」
とか言いながらも、自分が握ってきてくれたお寿司だ。私が食べるのをニコニコして見ている彼は頭でも撫でてくれそうな優しい目になっていて、私も自分が拾われて来た猫みたいだった時の心境を取り戻した。
けれど少し前に、夜中に帰宅してみると、ゴミ箱に捨てられた棒寿司を見つけた事があった。もったいなくて、しばらくじっと見ていた。魚やお米だけがもったいないのではなくて、彼が私のためにそれを握ってくれたのに食べられなかった事がもったいなかった。
朝に帰って来る彼が、私に朝のうちに渡すことができなければ、昼の間に生モノのお寿司は腐ってしまう。その日の夜中に帰って来る食いしん坊の私が間違って傷んだ物を食べてしまわないようにと、気遣って、変な所に置いておかないで、朝のうちにゴミ箱に捨てたのだ。
もう食べられないそれを手に取り、重みを確かめ、心の中でごめん、と言って、また元通り、そっと元あったところに戻した。ゴミ箱の中に。
「うわぁ、ありがとう」
「うん…とりあえず開けて?」
彼が一旦ドアを閉めて来たので、私はチェーンを急いで外した。
なんとなく二人ともいそいそと嬉しかった。同じ家に住んでいるのに、交代で部屋を使っているようになってしまっていて、なんだか久しぶりに会う人みたいだった。ドキドキした。
「寝ときなよ」
と何度も言われ、ベットの方へ押してくるので、
「そっちは?どこで寝るん?」
と聞くと、
「俺はここでいい」
と座り込んだ床を掌でトントンと叩いた。脚のないベッドだから、彼が凭れて床に座ると肘置きみたいな高さだった。寝な寝なと言われるので、とにかくベッドに入り横たわった。
彼はしばらくテレビを見、体に悪そうな菓子パンをかじり、CMになると振り返って、私と目が合うと
「まだ起きてる」
と呆れて笑った。手を伸ばしてきて額の熱を測ってくれた。
「風呂入るわ」
と言って立ち、私は水の音を聞いていた。目を閉じていると眠れそうな気もしてきた。彼がシャワーから出てきて体を拭き、歩き回り、ちょっと立ち止まってこちらを見下ろすのも、目を閉じているままで感じとっていた。やがて隣の床にゴソゴソ横たわるのが気配で分かった。
堅いところでどんな風にして眠るのか見てみたいし、申し訳ないなとも思ったけれど、今目を開けて上から見下ろすのもなんだか悪いなと思い、彼が先に眠ったら見てみよう、と寝たふりを続けていた。
ふっと、目を覚したら、彼がいきなり目の前で頭を下げていた。
「ごめん」
と言い、八の字のような眉毛をして、情けないような笑顔で「していい?」
と言ってきた。私は笑い出した。チェーンを開けて入ってきた彼の顔を見た時から、なんとなくそう言うのが分かっていたのだ。
私はその当時まだエッチは痛いだけのものだと思っていた。それ以外になんにも意味が無い、とにかく苦痛なものだった。
彼氏との相性が悪かったのかもしれないが、自分も経験不足から、もっとどうして欲しいこうして欲しいとか、要望を口に出して言ったりしてはいけないものだと思っていたせいもあると思う。
ただ、求められるのは愛されている証だと思って、嬉しかった。私は痛いことが終わった後の優しさが大好きだった。
物凄い我慢をした後にやっとご褒美がもらえるような。抱き締められて、自分はこの人の役に立ったんだと思え、寛大になれた自分も愛情を証明できたような気持ちになれて、それで一応満足できていた。
映画やドラマで観たり、本や漫画で読んだりしてきたような、女性にも性的な気持ち良さがあるというようなことは、まだ実体験としては知らなかった。それはサンタさんのように、子どもが淡く夢見て信じている、大人になって現実を知ったらやっぱりこんな物なのか…と分かってしまうようなお伽話なのかなと思い始めていた。
私達は夕方まで狭いベッドで一緒に眠った。二人とも仕事に出かけるときに起き出し、
「じゃあまたね」
と言ってバイバイと手を振り合った。
彼は私のアルバイトが嫌いだった。すごく当たり前のことだけれど。でも学校に通うため働くしかないという事情は察してくれていた。
次の日、帰宅してみると、風邪に効くという謳い文句の栄養ドリンクを目につきやすいところに置いてくれていた。
お店は最近すごく暇だった。お客さんが1日に1人2人と、あまり来ず、タイムカードを押してグダグダお喋りしているだけ、みたいになってきていた。
更衣室メンバー達は暇を持て余しすぎてトランプやウノや麻雀や将棋や手品の練習やゲーム機を持ち込んでの本格的な対戦など暇潰しのはずだったものを本腰を入れてやり出していた。
私もパラパラと読みかけていた昔一度読んだ本をもう一度手にとって読み始め、
「帰るよー」
と声をかけに来られてハッと我にかえると、外はもう真っ暗で、一日中誰もお客さんが付かなかった、という日すらあった。
こんなことで経営は大丈夫なのかなとこちらが薄っすら心配になるくらいだった。
そんな状況が続いていたのでちょっと風邪をひいていても大丈夫だろうと油断していたのだが、そんな日に限って私の指名のお客さんから予約が入っていた。受付で予約表を見ていたミリマイに
「予約入ってるよー」
と出勤するなり教えてもらい、
「えー」
といきなり本気で嫌な顔をしてしまって、笑われた。
「じゃあ休んじゃえば」
「でもタイムカード押しちゃったし」
「かわってあげようか?」
「ううん、いい」
「どんな人?」
私は予約表の名前を覗き込んだ。福住さんと記されていた。
「えーっと、誰だったかなぁ…思い出せないなぁ…こんな人いたっけなぁ…」
名前を覚えるのが苦手な私は宙を睨んで考え込んだ。
丸山姉妹が笑い出し、横で聞いていた佐藤さんが椅子を滑らせて来て予約表に目を通した。
「あの人じゃない?ほら、おじいちゃん。
一度コケてからはモコちゃんが支えのつもりで手を繋いでエレベーターまで付き添ってくれるから、それからずっとわざとヨロヨロしてる、あの髪が真っ白い…」
「ああ、そうだった!あの人か…
あの人は本当に足が悪いみたいですよ、」
「それよりも、あんた自分の客の名前覚えなさいよ。もう何回目かに来てくれてるでしょ、私の方が覚えてるわ」
「いやー、顔を見たら分かるんですよ」
「顔を見たらそら誰でも分かるわ」
ミリマイがまたゲラゲラ笑い、あの人の事もあの人の事も名前を覚えていなかった、と私の物覚えの悪さをからかいだした。
「みんな自分のお客さんの名前どうやって覚えてますか?逆に」
と聞くと、口々に
「別に…」
「自然と勝手に…」
「だってどうしたって覚えるもんでしょ」
「むしろどうやって覚えずにおれる?」
とみんな努力も何もしていないかのように言い、
「あんたがちょっとボーッとし過ぎなんだよ」
とまた叱られた。
このお爺ちゃんは背面のマッサージをしている間はすやすや眠ってしまうので可愛らしく、楽だった。
私はこれまでに一度だけ、スースー寝息を立て始めた相手に対して完全に手を止めて、何もしないでいてみた事があった。それは、
『寝てる人相手に真面にマッサージする馬鹿なんていないでしょ』
と誰かが言いみんなが一様に同意しているのを見聞きした一番その記憶が鮮明なうちに付いたお客さんで、まんまと寝落ちしてしまったので、自分も実践してみたのだが、起きたそのお客さんに
「ありがとう、寝てる間にすっかり疲れがとれたよ」
と力強く感謝されてしまい、それはもしかして嫌味なのか、それとも本気なのかといつまでもいつまでもモヤモヤ考えたりして、良心がこんなにもグジグジ痛んだりするくらいなら自分のためにもこれからは私は手は抜かないでおこう、と決めたのだった。それに、手を止めたところで、何をするでもなくその場にジッと佇んでいるのはもっと退屈でしんどいのだ。私にはそれが(サボれて楽だ~)とは思えなかった。自分には向かないのだ。携帯をいじったりする度胸もないのなら、ただ突っ立ってその場で何もしないでいるよりもマッサージしている方がむしろ自分には時間が有意義なように思えた。
もっと後で、お客さん達ともっと仲良くなってから、本人達に聞いてみたが、みんな答えはバラバラだった。あんまりまだ仲良くない人たちには
「寝てしまってもサボられたら嫌だな」
と言われるのだけれど、何年かの付き合いになる人達は、
「どうせ客がグーグー眠ってしまったなら、サボってしまえ」
とか
「僕が眠ってしまったら休んでていいよ」
などと言ってくれたりする人もいる。
「片手だけ添えてくれていたら、もう片方の空いた手で携帯弄られてても自分は構わないかな。君ならね。よく知ってる子だから。他の人にはちょっと、そんな事されたら嫌だよ」
と言ってくれた人もいる。
「添い寝してくれるのが1番いい」
などと言う人もいる。
でもなんとなく気持ちは分からないでもないかなぁ…とも思う。私だって飼い犬や猫の可愛がっているやつが、起きた時側に来て寝ていたら、
(可愛い奴め)と感じるからだ。それと同じ気持ちなら、優しい想いからそう言ってくれているのだから、ありがたい事だった。
風邪をひいたりしている時に限っていつもは暇な店が急に繁盛したりする。けれど、気が張ったのか2人目のお客さんが帰る頃にはなんとなく本来の調子を取り戻せたような気がし始めた。
それよりも、お店は暇すぎ、このままでは経営難らしかった。
確かに、入店した当初よりも客足は目に見えて明らかに減り、はっきり暇を持て余すようになってきていた。私にも自分の顔馴染みのお客さんが1人2人、3人…4人…とジワジワとは付いてきてくれていたので、その人達が時々来てくれるのを待ち、あとは1日に1人くらい新規のお客さんが来てくれても良いかなぁというくらいの気持ちだった。時給制度だったので、誰も積極的に働きたがる子がいなかった。
店長が急にちょくちょく店に顔を出すようになりだし、
「全員、技術不足すぎるんじゃないか」
とか
「更衣室での私語がうるさすぎ。客の悪口を言っているのが本人達に丸聞こえだ」
などと、何かと口喧しく注意してくるようになった。
言っている事は割とその通り、ごもっともですと言える、まともな事なのだけれど、これまでの経緯が経緯なので、古くからのメンバーは
「今更…」
「勝手に言ってろ…」
などと全く聞く耳を持たず、不満たらたらだった。
フライドポテトを指揮棒みたいに振りかざし、更衣室の番長みたいにミサさんが、
「そもそもよ、」
と講釈を垂れた。
「そもそも店の立ち上げから何から全部人任せで、初めから女の子に丸投げにして、研修も面接もなんにも無しで、ここまで野放しで、放置してきといて、ルールやマニュアルや下の子達の面倒もお店の管理も全部私達が自分達で分からないながらなんとかやるしかなかったの、それをよ。後からノコノコ出てきて頭ごなしに命令し始めても、誰が付いて行けるかっての。
やりたい放題やらせてきたのは自分なのよ。今後もやりたいようにやらせてもらうわ。この店が潰れようと私達には関係ないんだから」
「そうだそうだ!」
店長がいない間はみんな威勢が良かった。
ふにゃふにゃのフライドポテトを振り振り、何でも自由気儘な事が言える。店長が来るとシン、と静まり目だけギラギラさせていた。
ミリマイのミリと私だけが季節限定の月見バーガーを食べたことが無いと言うので、
「信じられない」
「日本人としてなってない」
「それではいけない」
と言う話になり、絶対今度みんなで月見バーガーを食べよう、ということになった。おさつドキッにみんなでハマり、更衣室メンバーそれぞれがこの期間限定の大好きなおやつの話で盛り上がった。
「かぼちゃのプリンだなぁ」
「焼芋モナカだなぁ」
「マスカットオブアレキサンドリアでしょう」
「言いたいだけじゃないの」
「桃でしょう」
「3段重ねの桃パフェ食べに行きたいなぁ」
「どこにあるの?東京?」
「大阪!」
「行けるじゃん!」
「行くお金頂戴」
「いくらだよ?」
「3567円」
「体で払いなさい」
「ひゃー」
「うへぇ、安ぅ~」
「逆に払うわ」
ギャアギャア言って楽しく伸び伸びダラけていられたのもこの頃までだった。
退屈すぎて靴下と車輪付き回転椅子のどっちが滑れるかなど、1番長い廊下の床に線を引き、助走をつけて順番に滑って距離を競い合った。小学生の頃に渡り廊下とかでやったみたいなアホな事を大人になってから本気を出してやってみたり、
「この動画もそう言えば撮られてるんだ、今も見てるかもよ」
とカメラの存在を突然意識し出し、1番の滑りを見せたココちゃんから順番にキメ顔を監視カメラに向かってポージングした。次第に変顔や卑猥なゼスチャーになっていったりして、面白おかしく時給を貰いながらワイワイ遊んでいた。
考えてみれば雇い主に対してそんな事をみんなでやっていて、それでお金を貰っていたなんて変な話だ。そんなナメた事が長く続くはずが無いのは当たり前だった。
店長が色っぽい女の子達の肩を抱いて店に1人、また1人、と連れて来て、置いて帰り、働かせるようになったのはその頃からだった。何人かはすぐに辞めてしまい、何人かは自分の予約が入っている時にだけ来て用が済んだらすぐ帰ってしまう仕事人タイプだった。
名前を覚えられたのは二人だけだ。セクシーなその二人の片方はマミちゃん、もう片方は宮家さんで、この2人は絶対同じ日にシフトに入らず、以前からのメンバーにはコッソリ、
「あの子達は店長の愛人でバチバチのライバル同士だから相当仲が悪くて、それで共演NGなんだ」
とまことしやかに語られた。
マミちゃんはマイマイと同じくらいバストが大きく、マイマイと同じで、
(どうせ重たくて肩が凝る荷物なら、武器として活躍させなければ損だ、見せつけてやれ)
という発想をしているみたいな大胆な着こなしだった。
それとも、ただ暑がりで胸の谷間にも通気性が良いような服装を心がけて選んでいるのか。こちらは思わず惹きつけられて目が離せなくなるようなたっぷり胸元が開いた魅力的なシャツや長い脚の出る短パンや臍が出る短いTシャツ、脇腹が見える穴の開いたワンピース、背中が紐でしかないような何と呼べば良いのかさえ分からないような服などを着てきて常夏の満開の花みたいな人だった。特にお喋りというわけでもないのに、みんなが
「おはよ~」とか
「お疲れ~」と言って出勤してくるところを、
「は~、お腹減った~」
と言いながら更衣室に入ってきて、彼女が来るとパーッと場が華やいでなんだか賑やかな雰囲気が漂った。
手にはいつも大きなマクドナルドや吉牛やコンビニの食べ物が入った膨らんだ袋を持っていて、それが絶対にいつも1人では食べ切れない量なのだ。
「だってこれが朝から初めてのご飯なんだもん」
と言っていた。
「買う時はお腹ペコペコでいっぱい買っちゃうんだ。
食べ始めると…あ…アレ?…ってだんだんなってくるんだけど、いつも。でも足りないよりはマシでしょ」
と言って、食べきれなくなったハンバーガーだったりお弁当だったりを屑籠にポイッとすぐに捨てようとするので、
「うわぁ、もったいない」
「あーあ、またやっちゃった」
などと言っていると、私にくれるようになり、いつしかこちらもいつもいつも貰ってばかりではまるで食べ残すのを待ち侘びている犬のようで、普通にお喋りがしにくくなってきて、おやつを持参して行くようになり、プリンや杏仁豆腐やヨーグルトを渡して、交換するみたいな形の友情が芽生えてきた。
もう一方の宮家さんは、そんなに露出度の高い服装では無いのに、どこからかそこはかとなく妖艶な色香が漂ってくる大人の女性だった。その魅惑の気配の出所は、メイクの仕方なのか話し方の絶妙な間合いとかなのか、いつも美しく完璧にセットされた長い艶のある髪やそれを触る手つきのせいなのか、手入れの行き届いた髪や指先の使い方なのか、どこがどうと特定はできない。多分、全部が異常に女性らしいのだ。ホルモンのバランスが女子に偏っているとかなのかもしれない。でも観察していると、マメにお化粧直しをしている。そのせいかいつも唇はプックリと濡れていてアイラインに囲われた目もいつもウルウル潤んでいた。
彼女はレジの鍵を持っていて、
「本当は私は受付だけしかしない約束で来たのになぁ、また騙されたわぁ…」
と嘆いていた。彼女とは仲良くなっておくべきだと早い段階からずっと言っていたミサさんがそれを目の当たりにして、
「ほら見てみなさい。あの人は本当に店長の奥さん級に違いない、だってレジの鍵を任されてるんだから」
と認定していた。
彼女はあまり出勤して来ず、マミちゃんは頻繁に来ていたので、初めは私はマミちゃんと仲良くなった。
他の更衣室メンバーもほとんどそうだったと思う。
もし二人の仲が悪いという噂が本当で、派閥ができたりしていたら、きっと嫌な思いをしただろう。けれど派閥争いとかはできる事がなかった。2人が自分達でちゃんと出勤日を分けていたからなのか、それともそんな噂は本当ではなかったのか、それとももしや派閥があったのに、その事に私が疎くて気付かなかっただけだったのか。分からないが、私はみんなと仲良しのつもりだった。
この2人は初めから指名の固定客がいるようで、別のお店から店長さんが引っ張って来たのじゃないかと、もといたメンバー達は推理していた。
同業他社のライバル店から引き抜かれてきたのか、それとも店長が他に経営している他店舗から移動させてきたのか。どちらかだ。
この世には2chという嫌らしい物が存在している。
現実の道をテクテク歩いていてそれそのものがいきなりぶつかってきたり、待ち伏せていたり、飛びかかってきたりするわけではなくても、下手すると闇のネット社会の中で本名を晒されたり、通学中の学校や家族や本物の血の通ったプライバシーを晒されたりしているかもしれない。
嘘でも、言いたい放題に自分の事が悪口ばかりある事ない事散々書き散らかされているので、絶対読むべきではないのは今では分かり切っているけれど、その当時は更衣室のみんなが、読むべき物と、何故だか思い込んでいた。
多分、自分たちのやっている事が客観的に見て正しいのかどうかに自信が無かったせいだと思う。
他の人からの評価や他の店との比較みたいなものを知りたかったのだ。
ミサさんは、
「自分の事が書いてある新聞みたいな物だから、絶対読んでおかないとダメだよ」
とまで最初はみんなに宣言していたほどだった。
断定的な物言いをする人にとりあえず付いていく私は、そう言われるとそうなのか!と思い、毎日自分のゴシップを昨日読んだところからの続きまで遡り、キチンキチンと胸糞を悪くしたりゲッソリしたり貧乏揺すりが授業中ずーっと止まらなくなったりしながら、まるで何か薬物の常用者にでもなってしまったかのように本気で情緒を掻き乱されながらも、読んでいた。
そして、そこには、店や店長への悪口も載っていたり、なんだかこれは本当そうかもしれないな、という悪口でもない事実っぽい事柄も書いてあったりした。そのうちの一つが系列店の存在だった。
何故かその筋に詳しいお客さん達もチラホラいて、彼等から仕入れてきた情報によると、店長が他に経営している複数のお店は全部グレーではないハッキリとした色の、風俗店だ、という事だった。
「エスメラルダの系列店でしょ、ここ?」
とか
「姉妹店でしょ」
「エスメラルダでも働いてるの?」
等とこれ迄にも、私達にも聞いてくるお客さんがいた。
よく聞かれたり耳にしたりするので、丸山兄弟やミサさん、佐藤さん達しっかり者の先輩達は、そっちからも既に検索済みで、知っていた。
店長は風俗店を沢山経営している急成長中の、その道に関しては結構凄い人で、もしかしたら怖い人かも知れないことも。
ともかくこの店の姉妹店にはガチの風俗のお店があるということだった。
白黒はっきりしないぼんやり濁った色をしたコップの中の液体に、ハッキリした濃い色の液を、滴滴…と垂らすとどうなるか。
店のカラーは少しずつ着実に濃い方へと染まり始めていた。
続く