14 学費
後期の学費は払い込み済みだった。それでも用意しておかないとお金は日々減っていく一方だ。時間に余裕は無い。
母に頼るのは嫌だったが、
(この際仕方ないのかなぁ…)
と何度も携帯電話を握りしめ、かけようか、かけてなんて言おうか悩んだ。
学校を辞めることと天秤に掛ければ、母親に頼ることの方がマシには思えるが、
(…本当にその二択しかないのか?捻り出せば何とか良い案が思い浮かばないか…)
と考え始めるとだんだん現実的でないお金の作り出し方を妄想し始めてしまう。もっと楽なのは、何もしないで現実を頭から締め出す事だった。
マイマイと飲み明かした。
好きなだけ本や漫画をドッサリ借りて来た。
でもやりたかったことをこの際せっかくやっている最中にも、どこか頭の片隅に忘れ切れないお金の事がチクチク引っ掛かっていて、
(こんな事ずっとやっていると授業料滞納でいずれ退学になってしまうよ…)
と囁く声が聞こえる。
母に掛けようかどうしようか迷って手に持っている携帯電話が、時々、宮家さんからの着信を受けて震えた。でも、その頻度も徐々に減ってきていた。
母に頼むのは屈辱もあるし、可哀想でもあった。母から申し出てくれて、手に職を付けろと言ってきてくれたのではあったものの、1回目の入学金諸々の諸費用を入れた封筒をカフェのテーブルで受け取った時、自分が子どもに、惨めな幼い子どもに戻ったような気がした。
何の自由もなかった母の独裁統治下での子供時代、何か意見の食い違いがあると、たとえそれが私の履くパンツ一枚の色の事であっても、自分の気に入らなければ
「あんた誰の金で生きてんの?」
と言い始める母だった。
そうなるとこちらだって、絶対にお金の事でだけは金輪際世話になりたく無い、と思う。
これからの費用がズラズラ、何々に幾ら幾らかかる、…等と記された学校からの案内書を手渡した際は、私達は母の家にいた。
畳の床にペタリと座り込み、これからの必要経費が記された紙に目を落とす母の肩は小さくすぼまって、頼りなげに見えた。少しだけ見える横顔は眉毛が下がり、しんどそうだった。
唇を尖らせ、これから我慢しなければいけなくなる自分の楽しみな、行きたかった旅行や欲しかったものの事を、あれこれ思い浮かべては消していってるような悲しげな顔をしていた。
私も二十歳を過ぎていた。母にいいところを見せたかった。本来なら、こちらがお金を渡したり、旅行に連れて行ってあげたり、欲しがる物を買ってあげて子どもの頃悔しかった分も、迷惑をかけてきた分も、巻き返さなければいけない歳なのだ。
とにかく母に頼むのは嫌だった。それは最終手段だ。
彼氏に援助を頼めるかどうか探るため、仕事を辞めた事、面接に受からない事、親にも頼りたくないことなどを言い募り、言いたいことを察してくれないかなぁと上目遣いをしてみたら、
「奨学金は?」
と聞かれた。
その選択肢は私には無かった。今払えないものは不確定な後で支払えるかどう分からない…借金してまでは学校へは行けない…
「それなら辞める」
「つまらないところで意地張るなよ…貸そうか?」
と言ってくれたが、彼氏に借りるのもやっぱり嫌だ、と気が付いた。
チョウさんが働いている派遣のお弁当工場で、単調だけれど誰にでもできそうなライン作業の空きが出たよ、と教えて貰い、即応募した。
真面目で勤務態度の良いチョウさんのお友達ということで、面接も何だかチョウさんの横に座っているだけで済んだらしく、
「じゃあ早速」
と作業場へ連れて行って貰えた。
そこまでは良かったのだが、こちらはまだ採用されたんだか何だかわけが分かっていないうちにあれよあれよという間にもう流れるお弁当箱がどんどん目の前を通り過ぎていき、
「ちょっとちょっとちょっとちょっと!!」
「やってよやってよ!早く!今言ったことやって!」
「手を動かして!」
「ご飯を詰めてよ!」
と向かいや隣の人達に叱られてしまった。
「えっ…」
自分はまだ工場見学をさせてもらっているつもりだった。
慌ててしゃもじを掴み、ご飯を詰めだしたが、コツを教えてもらっている時にボーッと聞いていたので、なかなか上手くいかない。あっちこっち付いてはいけないところにお米の粒が付き、それを取ろうとしているとまたどんどん空のお弁当箱が通り過ぎて行く。
もう何でも良いからとにかく詰めよう、と速さ重視でやっていると、
「ご飯多過ぎ」
「おかずが入らない」
「ご飯少なっ」
「隙間が空く~」
と悲鳴が聞こえてきた。泣きそうになって鼻をすすり上げながら死に物狂いでヤケクソに手を動かし続けた。
帰りのバスの中でチョウさんは
「いきなり難しい所に配属されたね、でも投げ出さなくて偉いよ、よく投げ出して帰るんだ…あそこにつかされた人は…」
と慰めてくれた。
もともと短期の募集だったから、工場側もこちら側も助かった。
考えてみれば、時給900円で3時間、週6日働いても、ヘトヘトにはなるのに半年後の学費の支払いには足りない。薄々は無理があると気が付いていた。でも何もしないよりはマシだしと、誘いに乗ってみたのだ。お弁当工場が慣れてくれば、掛け持ちをしたら何とかなるかもしれないという微かな望みもあった。けれど、契約の更新のお知らせが届いたのはチョウさんだけだった。
私には音沙汰無しだった。
チョウさんが何故だか一生懸命、
「ごめんね…」
と謝ってくれた。
「んーん、んーん…なんでチョウさんが謝るの…」
気マズイから今度から仕事の紹介も友達からしてもらうのはやめようかなと思った。
私はやっぱり戦力外でクビになってしまったのだ。もう後が断たれた。絶望的な気分だった。
(やっぱりお母さんに頼るしかないのかなぁ…)
と思った。
頼むなら頼むで、その日のお金はその日のうちに使い切ってしまうような、貯金のできない母の事だ、早めに言っておかないといけない。突然
「貸して~」
と泣きついたって、向こうもお金を貯めるのに時間がかかるだろう。
フリーターの頃、無いとは言っても私の財布にいつも一枚は入っているお札を見て、
「モカちゃんは凄いね、私は次の給料日までまだ後1週間あるのに、500円しかない…ちょっと貸して~」
などと言っていた事があった。たまげて、
「口座にはあるんでしょ?」
と聞いたら、
「口座にも無い」
という。
「嘘でしょ…」
祖母はお金のしつけに厳しい人だった。祖父母に育てられ、その点では母とは歳の離れた姉妹みたいに育った私は、同じ人から鍛えられたのになんでそんな事になるんだろうとビックリした。
祖母の教えにもまた、なかなかな無理な点はあった。収入の4分の1で暮らし、残りの4分の3は貯金しろと言うのだ。
だったら全部でいくら稼いでないといけないのだ?そもそもに無理がある。
子どもの頃にはふんふん、
「そうするそうする」
と軽く頷いて心得たと思っていたが、現実はそんなわけにはいかない。家を出てすぐに分かった。死なないように生きていくのになんとかかんとか収入の全部でギリギリいっぱいいっぱいなのだ。貯金なんてできるわけがない。
祖母は節約に節約を重ねて、上手にコツコツ貯める人だったけれど、いつも人にお金を貸してしまってスッカラカンに何もかも失うお人好しすぎるお爺ちゃんと暮らしていたから、自分ではあんまり贅沢をした事が無い。孫には赤ちゃんのうちから、
「他人の保証人にはなるなよ」
「ハンコを押すなよ」
とずーっと言い続けていた。
そんなお婆ちゃん自身も、少額なら、貧乏を共にした昔馴染みの、長屋でお隣に住んでいた友人には、泣きつかれるとお金を貸してあげていた。
まるで人にお金を貸すために働き、貯めている夫婦みたいなお爺ちゃんとお婆ちゃんだ。
ちょうど派遣の契約が切れたと知った、また完全な無職になった日の夜、そのお婆ちゃんからヒョッコリ電話がかかってきた。
「もしもし」
と出ると、
「あー、モカちゃんか~」
と明るい長閑なお婆ちゃんの元気そうな声がした。
「あんたのお母さんと連絡が付かんが。死んじょらせんか?(死んでたりして?)」
と九州弁で聞いてきた。
「さあ、知らん」
と私は答えた。母とは喧嘩して、まだ向こうから謝ってもらってもいないし、何か言ってくるなりするなりしてくるのをジッとお互いが待っている時期だった。
「なんで?何かお母さんに用事があったん?」
「いやぁ、昨日もかけたっちゃけど、出んとて(昨日もかけたが、出ない)」
(知らんがな)
と思ったが、もし孤独に死んでいたらどうしよう…
「職場には?かけた?」
「それがさ、職場にかけて前に怒られたんよ。モカちゃんなら大丈夫やろて、あんたがかけてくんない?」
「ええー…」
「いいかー、番号言うき。メモしないよー」
「あ…待って待って…うん…良いよ」
お婆ちゃんは番号を読み上げ、
「じゃあ、お母さんが出たらうちに電話するよう言うちゃってなー。またなー」
と言って、電話を切った。
私も
「んー」
と何だかのせられて機嫌良く相槌を打ってしまったが、職場に電話をかけるほどの用件って何か、聞くのを忘れた事に電話を切ってから思い当たった。
(まぁ良いや、生存確認は立派な用件だ。)
お婆ちゃんから頼み事をされるのは珍しく、嬉しかったし、母ともそろそろ喧嘩を風化させたくて、電話をかけてみることにした。
まず事務所に繋がった。
「巻多春妃の娘ですが、母は…いますか?」
「はい、…呼んで参りますね」
受話器をそのまま机に置き、呼びに行ってくれたみたいだった。
この時点でもう母が生きて職場に出て元気に働いている事は保証されてしまったが、だからって、切るわけにもいかない。
「はい、もしもし?」
母の声が耳に流れ込んできた。
「あ…お母さん?…婆ちゃんが、電話に出ろって」
「は?何よ?用件それだけ?もー!何事かと思ったら…!この前も職場に電話して来ないでって言ったのに!もー…こっちは仕事中なのに…切るよー」
「お婆ちゃんに電話かけてあげて…」
「もぉー」
ガチャッと通話が切れた。
何故かこのやり取りの後、私は閃いた。
父の職場の電話番号を母から教えてもらっていた事を急に思い出したのだ。
お婆ちゃんに電話をかけ、
「お母さん生きて働いてたよ」
と教えてあげてからすぐに、財布の中にしまったはずのその父の電話番号のメモを取り出して見た。
それは専門学校への入学が決まってから、入学金やこれからの学費の支払いの事を話していた時のことだった。
「お父さんにもお金を出して貰えるか、聞いてみる?」
と母が、どこからか分厚い手帳を出してきて、私に父の職場につながる電話番号を教えてくれていたのだ。
「あんたが学生の間は養育費を支払ってくれる約束だったから…頼んでみる?
…自分で頼んでみなさい…」
財布の中にしまったその父につながる電話番号は、今もまだそこにあった。
私が中学生だったある日の事だ。当時は祖父母の家で暮らしていた私は時々母の家に泊まりに行ったりしていた。仲良くやれている時は親子のつながりを一応はちゃんとしようと、周りからの働きかけや圧力もあり、心がけていた。そんな時、母がどこだかかへ電話をかけて、
「まだ今月分が入金されていませんけど。また!一体何度目ですか?」
と言いたい事だけ言い、ガチャン、と電話を切るのを見た。
「どこにかけたの?」
と聞くと、
「あんたのお父さんよ」
と怒りの口調で教えてくれた。
私は衝撃を受け、ポカンとなって、受話器をかけた固定電話を見つめた。
父には物心ついてから会った事はなく、とっくに過去の遺伝子的つながりだけしかない遠い存在だと思い込んでいた。それなのに、たった今、目の前でその父親とこの電話は一瞬繋がっていたのだ。それも、こんな事は滅多にないというわけでもなさそうに、母はよくそうやって父に入金の遅れを指摘する電話をかけているみたいだった。
私は祖父母の家で生活していて日頃母とは一緒に暮らしていなかったため、全くその時まではそんな事とは知らなかったのだ。
とにかく、思いがけない父の身近さが、私にはビックリ仰天だった。
(そうだ…お父さんは死んだわけではなかったんだ…どこかで生きてコツコツ毎月私に養育費を支払い続けてくれているんだ…)
と鮮烈に目の前に実感を帯びて考えたのはその時だった。しかし、その瞬間の母はブツブツ怒りの呟きを続けていた。
「月2万で何が養育よ…」
「犬猫とは違う、人間の子どもが月2万で育てられると思う…?」
その時すぐに父のことをあれこれ聞いてみたかったけれど、到底そんな事が可能な空気感ではなかった。
(母の怒りが鎮まるのを待ってからにしよう…)
と自分の知りたい欲求を抑え込んでいるうちに、その時間があまりにも長すぎて、自分の父親に対する質問の数々も興奮も徐々に収まっていき、
(まぁ…良いや、今は…また今度にしよう…)
と胸にしまった。それが中学生の時のことだった。
今、半年ほど前に母から教えてもらってメモした紙を財布の奥の他に何も入っていないポケットから取り出してみて、番号をてのひらに乗せ、父について思いを馳せ、母に思いを馳せた。
「この番号にかけて自分の旧姓を名乗れば、取り次いでもらえるんだ…お父さんに…」
と思うとドキドキ心臓が高鳴った。
でもなぜ電話をかけようとしているのか、その動機について考えると、
「まだ振り込まれていませんけど」
と言っていた時の母の強い顔が思い浮かんだ。
(お母さんは強いなぁ、お母さんには平気でお金の催促ができるんだ、生まれつき心が丈夫な人なんだ…)
と思い込んでいたが、やっぱり母も子どものためにと気を張って頑張って強くいようとしていただけで、もう疲れてしまったんだろう。
「あんたが自分で頼んで…」
と言っていたのだから。
私自身も、長年会っていなかった父親にいきなりお金をせびる電話をかけるのが心苦しくて、嫌だなぁ嫌だなぁと踏ん切りをつけるまでに長い時間を要した。
それでも、深呼吸をして、ついにかけた。
呼び出し音が鳴る。
「はい、ナンタラカンタラ営業所ですが?」
(早口でよく聞き取れなかった)
「あ…もしもし…向井雄輔さんいらっしゃいますでしょうか?」
「あー…あいにく今は席を外しておりますが…掛け直させましょうか?」
「あっ、はい…ありがとうございます」
「失礼ですが、お名前は?」
「あっ、えっと、あのー、娘です。巻多モカと言う者です」
「お電話番号は?」
私は手に持っている携帯電話の番号を告げた。
「では折り返し掛け直させますのでね」
「はい、ありがとうございます」
電話が切れ、はぁ、と緊張を解く。でもまたすぐに緊張してきた。
(いつかかってくるんだろう…)
手に携帯電話を持ち、立ち上がってはちょっとウロウロし、座ってはソワソワした。他にやるべき事をしようとしてみても、何も手につかない。すぐ携帯を触ってしまう。目に付かないところにしまっておこうと、鞄の中に入れた瞬間、鳴り出した。
「はい、もしもし」
「あっ、久しぶり…モカちゃん?」
高い男の人の声だ。
「はい…」
「久しぶりー…元気してる?」
「あ、はい…」
「そおー?本当に?良かったー…」
「はい…」
「モカちゃんだよね?」
「はい、お父さんですか?」
「うん。」
「お父さんも元気ですか?」
「僕はねぇ…まぁ…うん。元気だよ」
「…」
「モカちゃんは…なんで電話してきてくれたの?」
「あー…えっとー…なんとなく…」
「そおー?もう何年ぶりかなぁ?大きくなってるんだろうねぇ…えっと、もう、今…22歳?」
「はい」
「そおー…仕事は?何やってるの?」
「まだ…今は…」
「…一度会いたいねぇ…そのうちで良いから」
「はい」
「会える?」
「はい、会いたいです」
「よし。いつが良い?会いに行くよ」
「お父さんは…
(初めて口にした時、ヒヤッと気恥ずかしいこそばゆさが肌を駆け抜けた。〝お父さん″という単語で初めて人を呼んだ)いつが良いですか?」
「モカちゃんに合わせるよ」
「私は…いつでも大丈夫です」
「そう?じゃあ…早い方が良いかな?」
「はい」
「じゃあ…モカちゃん今どこに住んでるの?」
「神戸です」
「神戸!なんだぁ、すぐ近くだったんだぁ、僕今大阪なんだよ!そっかぁー、神戸…もっと早く会えてても良かったんだねぇ…」
電話の向こうで急に声がフワフワ華やいだ。テンションが上がってきたみたいだった。
「…じゃあ、今夜は?」
と言われ、私は慌ててちょっと時刻を見たが、予定は何も無いのだ。心の準備が整うのに一瞬遅れただけだ。
「はい、大丈夫です」
「じゃあー…今から1時間半位で着くよ。車で行くから。」
「はい」
私はもう一度時計を見た。今は18時だった。
「どこで待ち合わせよう?どこか車止められるところ知ってる?」
「うーん…駅かなぁ…」
「分かった、神戸駅ね?」
「あっ、三宮駅でも良いですか?その方が知ってるので…」
「分かった、じゃあね、すぐ行くからね」
「はい」
「じゃあ」
「はい」
電話が切れた。
(ふぅ…)
座りかけ、飛び上がった。また携帯が鳴り出したのだ。
「はい、もしもし」
「あ、モカちゃん、やっぱり電車で行くから。1時間か、もっと早く着くかもしれない」
「はい、分かりました」
「じゃあ待っててね、三宮駅だね」
「はい」
「顔分かるかなぁ、分かるよね、それじゃあね、すぐ、後で」
最後はなんだかウキウキした嬉しそうな声だった。こちらもワクワクして嬉しくなってきた。
なぜだか、鏡に向かいできるだけバッチリメイクをした。服も着替えようかと迷った。スカートを出してきたり、それに合う上をああでもないこうでもない、と迷っていると、時間があっという間に過ぎた。もう着替えずにそのまま行くしかなくなっていた。
三宮駅の中央口で連絡を取り合い、恐る恐る、
(あの人かなぁ…?こっちをジッと見てる…携帯も耳に当ててる…)
とお互いに探り合い、
「黒の帽子ですか?」
「白い鞄?」
などと電話で確認し、手を振ってみて、歩み寄り、合流した。
父は小柄な人だった。
子どもの頃から怖い母親を下から見上げて育ってきたからか、母には大きな人というイメージがついている。母のことも毎回会うたびに
(あれっ?こんなに小さかったっけ…)
と意外には思うけれど、大人になってから初めて会った父は、母より小さいのではと思えてしまうくらい小柄だった。
想像上の父の存在があまりにも大きすぎたのだ。ひもじい子どもだった頃、想像の世界でだけは何でも願いが叶えられたから、顔も見たことがない父親のことはペガサスみたいに実在しない完璧な人間として思い描いてきた。007の諜報員みたいな、カッコ良くて強くて背が高く、逞しく、賢くて、誰にでも自慢できる姿で。
イジメっ子達に口に砂を押し込まれていた幼少期などには、特に、
(今に見ていろ、お父さんがいつの日かお前たちを懲らしめに来るからな)
と妄想する事で耐え忍んでいた。サイレンサー付きの銃で、イジメっ子達を1人、また1人と闇に葬り去り、最後に鮮やかに私を抱っこして、
「もう大丈夫、お父さんだよ」
とか言って幸せな国に連れて帰ってくれる。そんなストーリーを夢想していた。
辛い現実には目を閉じて、夢ばかりを一生懸命見るようにしてきたから、こんなにボンヤリな性格に育ってしまったのかもしれない。
でも現実の父は小柄で、何だかヘラヘラしていて、背中を丸め、痩せて弱々しそうで、颯爽と肩で風をきって歩く母に比べると歳をとって見えた。病気なのかもしれない。とにかく全然想像とは異なっていた。
だけど現実とはこんなものだし、私の勝手な妄想が出来過ぎだったのだ。私の落胆は私だけの責任だった。
「どうしよう?何か食べに行きたい?どこかゆっくり座って話せるところが良いね?」
と父が提案してくれ、私達は適当に歩き出した。
ちょっと坂を上がってすぐのところで個室の居酒屋の看板を見つけ、
「ここはどうですか?」
と聞いてみたら、
「個室だよ?良いの?」
と父は言ってから、
「その方が人に見られないもんね、恥ずかしくないもんね?そうかそうか…」
などと言い、結局はその店に入ることになった。
メニューが来ても父は料理にはあまり関心がなさそうに、私の顔から目を逸らさず、
「好きなの選んで」
と言ったので、何を頼んで良いかに迷った。私は居酒屋で料理の注文をした経験がまだあまりなく、料理名から実物の想像が付かなかった。
「こんなのは?」
「これ美味しそうかな?」
といくつかメニューを指差して父に意見を求めるのだが、父は頷くばかりで、
「なんでも良いよ」
とひたすらニコニコしていた。
なんだか奇妙なこの場の雰囲気だった。父の視線があまりにも自分に集中しているので、こちらはなんだか落ち着かず、視線を彷徨わせ、
(でも私もお父さんの顔がもっとよく見てみたい…)
と思い切って時々顔を上げるのだが、目が合うと長時間見つめ合ってもおれず、また俯いた。
(母の彼氏達の誰かと、お食事に来たみたいだ…)
と嫌でも思わずにいられなかった。
生意気な口答えばかりする小学生頃までは、母の彼氏達には私は毛嫌いされてきたが、体に変調をきたす成長期を迎えた頃から、母の隣で男の人達の目の色に何か変なものが入り混じり始めた。こちらが
(まだ自分は子どもだ!)
としか思えていなくても、その目を見ると、青空いっぱいに広がっていたスッポンポンでも平気な子ども時代の端から、急速な分厚い陰りがこちらへ向かって広がってくるように見え、これから先はもう今までとは同じようにしてちゃいけないんだ、体も隠し注意深く女として見られることに慣れて生きなければならないんだ…と、窮屈な絶望的な感じがして、気持ちが塞がり暗くなった、あの子ども時代の終わりの感覚が蘇った。
「やっぱり若い時のお母さんに似てるねぇ」
とお父さんは深々と感心したように私を見て、言った。
母は華やかな目鼻立ちで、化粧をするともっと派手になり、ハッキリとした誰がどこから見ても分かる美人だった。幼い頃から、母を取り巻く色んな人々から
「お母さん綺麗ねぇ」
と言われてきた。…最近では言われなくなったが。
でも私は、全然母親に似なかった。目の前に座る父はジャガイモのような顔をしていた。私は父に似たんだ…と思った。
(あまりジロジロ見ないで欲しいな…)
私は俯いて首を横に振った。
自分なりにバランス良くなるよう注文した、サラダや肉料理やご飯物などが来だすと、父に薦められ、私は食べ始めたが、父は食べるよりもお酒ばかり飲んでいた。まるで自分一人だけで食べているみたいな感じがした。
「呑みだすと食べられないんだ」
と父は言ったが、そう言われても、慣れるまでは変な気分だった。
「好き嫌いが多くて偏食で酒飲みで、不健康」
と母がボロカスに言っていた父の片鱗を見た。飲むお酒もアルコール度数の高そうな本気のやつばかり。ペースも早い。
最初は楽しそうにこちらを質問攻めにしてきて、私は父の果てしのない質問に答えてばかりだった。
「今は何してるの?」
「この辺のどこに住んでるの?」
「お母さんは元気?」
「お婆ちゃんもお爺ちゃんも元気?」
「叔母さんも?」
「彼氏は?いる?」
だんだんその答えてばかりな感じが苦しくなってきて、お喋りの模様を変えたくて、私も父に尋ねてみた。
「私、異母兄弟がいるんですよね?お兄ちゃんがいるって、聞きました。祖母から」
父は頷き、
「妹がいるよ」
と教えてくれた。
カバンをゴソゴソ探り、財布から一枚の写真を出して見せてくれた。日に焼けた健康的な、口を開けて笑う女の子が一人で幅いっぱいに写っている写真だった。
「やっぱり半分でも血が繋がってるから、姉妹でよく似てる。そっくりだなぁ」
と父は言うが、私はそうは思わなかった。仮にも自分の半分は美人な母だった。私はその子よりはもう少し綺麗だと、なぜかその時は思った。
ジロジロ写真の女の子を見てしまうのはどこかに難癖をつけてやりたくなっているからだと、自分の悪い癖が出そうになっていることにハッと気付き、
「ちょっとジャイ子に似ていますね」
などと言ってしまわないうちに、写真は返した。
他の時にいつでも見られるだろうに、愛おしそうに返された写真に目を落とす父の下がった目尻から目を逸らし、サラダの皿からキュウリをとって、ポリポリ音が立つのも構わず噛んだ。
父の手の中のその女の子の話を今はする時ではない、と思い出した。学費の援助をお願いしに父親に会っているのだ…
しかし、なかなか言い出し辛い。
「妹さん…と言うか、その妹ちゃんの方では、私の事は知ってるんですか?」
「いや、知らないよ」
聞かなければ良かったと後悔した。
もともと父親からの愛情をたっぷりに受けて育てられた女の子を見ると捻くれた感情が湧いてきて、羨ましくて嫉妬で目が眩み心が狭くなるのは、子供の頃からの私の克服しなければならない嫌な闇だった。
(妹の方では私の存在など知らないのだ…)
としばらくそればかりウジウジ考えた。
きっと、この子の未来になんの陰りもないように…と気遣われ、産まれてからこれまで大事にされてきたことだろう。父は性格の出来た優しい人だったと、祖父母や叔母からは聞かされてきた。私の母の方と血が繋がっていても、
「悪いのはあんたのお母さん」
とみんなが口を揃えて言っていた。
再婚した新しい家庭を大事にするため、前の結婚の事は父は子ども達には話していないらしい。
結局最後まで学費の援助をお願いする言葉が頭の中で組み立てられず、
「またすぐ会おうね」
「明日にでも会おう、近いし」
と父に熱心に誘ってももらえていたので、
(じゃあその時に言おう…今度…)
と思い、学費のことは先に伸ばした。
父は次の日にも会いに来てくれた。今度は父の乗ってきた車の中で少し話をした。
私は気になっていた兄のことを聞いてみた。
「再婚した相手の子だよ。1番上の子が5歳だった…5歳の時の記憶なんて有る?」
と逆に父は私に聞いて来た。
「せっかく記憶も朧げな時期に結婚して、それからずっとお父さんとしてやっていけてるんだから、わざわざ血が繋がってないなんて言わないよ…」
私は自分の記憶を辿り、
「少しなら覚えてると思いますよ」
と答えた。
祖母の家に引き取られて来たばかりの幼少期、私は捕まえて来た野生の生き物みたいに荒れ狂っていて、すぐに勝手に
(殴られる!)
と思い込んで怯え頭を覆い隠したり、やられる前にやってろうと度を超えた戦い方をして、近所の子達やその親を震撼させていた。子供には攻撃的で、大人には過剰に怯えていた。
人の手に噛み付いて流血騒ぎを立て続けに起こし、友好的に遊びにきた従兄弟の友達を泣き叫びながら逃げ帰らせた。ちょっと意地悪な気持ちで近寄ってきたその子らのお兄ちゃん達にも負けん気で売られる前から喧嘩を挑み、その当時ちびっこ番長だった体格の大きな男の子を負かし、道の真ん中で泣き喚かせて座らせて、高笑いしながら太鼓のように靴で頭やら顔やらを叩き、近所一帯に名を轟かせた。
5歳で獰猛な猛獣みたいな危なくて手が付けられない子だった。
叔母がお父さんに電話をかけて、裁判で激しく親権を取り合った母がその後育児放棄したのだから、父がきっと引き取って大切に育ててくれるだろう、今は手のつけられない姪を実の親の愛で包み込み何とか落ち着かせ、人間らしく育てて幸せにしてやってくれるはずだと期待して、聞いてみてくれたそうだ。でもその時には父は再婚して、子どももできた後だった。
「うちでは預かれない」
と言われたそうだ。
二度目の結婚に、父も懸けていたのだ。
切り離さなければいけないものは切り離し、守れるものだけを守る、と決めた父の決断は立派だし、間違っていないと思う。
父は母と別れてから、寂しくてすぐに再婚したそうだと、私は叔母から聞いて知っていた。
「モカちゃんには兄弟が3人もいるんだよ」
と子どもの頃に聞かされた事があった。父の再婚相手の連れ子の男の子達の数まで数えると、そうなるのだ。その子達とは全く血も何も繋がっていないけれど。
自分がもう少し大きくなり、よくよく考えてみると、母と別れた後に付き合った人と父との間に自分よりも大きな子どもがいるのは妙な話だ、と思い、
「お父さんは浮気してたの?」と聞いたことがあった。
「違う違う、相手の連れ子」
お婆ちゃんは大きな鍋で巻多一家の味噌汁を煮ながら適当に返事した。
「連れ子って何?」
「あんたはまだ分からんでよろしい」
「私お兄ちゃんがいるの?」
「うん、そうそう」
そんな話をしたからか、ある夜こんな夢を見た。
誰もいない公園のベンチに一人で座っていると、向こうから少し年上の男の子が近付いて来る。オレンジ色の上着が印象的で、暖かそうでよく似合っている。その子は私の隣に座り、
「もう少しの辛抱だよ」と言ってくれる。
「もう少ししたら、迎えにくるからね」と。
だから私は待ち侘びていた。一度しか見たことがない夢だったが、なんだか希望の光が胸に灯ったようで、忘れられずにずっと信じて、オレンジ色の上着を着た私のお兄ちゃんがきっとこの世のどこかにいて、いつか迎えにくるから、それまではしんどくても死なないで待っていようと思えた。
子どもの頃にすがりついていた幻だった。
母と祖母は私を預かるお金のことで顔を合わせれば喧嘩し、電話でも怒鳴り合い、最後は必ず決裂していた。ドアは叩きつけられ、電話も叩きつけて断ち切られた。
母と会った後や母との通話を終えた後の祖母には、自分一人では抑えきれない鬱憤や激怒が溜まっていた。その捌け口が母の娘の私に向いた。母の下でも殴られたり蹴られたりは日常だったが、そこから救い出したつもりの人の家でも殴られ、蹴られた。
怖いのはお婆ちゃんだけではない。特に大した理由もなくいきなり叩いたり蹴ったり八つ当たりする祖母の従姉への態度を目の当たりに見ていて、
(こいつは蹴ったり殴ったりして良い奴なんだぁ)と思い込むピュアな子どもの心理も圧倒的に怖かった。
二人がかりで、大人が見ていない隙にかかってくる従兄弟達も、力は弱くても、脅威だった。自分には守ってくれる味方がいない、相手は二人いる、という孤独をより生々しく突き付けられる。子どもの喧嘩なんて大人から見ると遊びの領域でも、本人達には死に物狂いの命がけの人生の全てなのだ。
祖父は書斎に篭り外の世界にあまり目を向けていなかった。助けてはくれなかったが、祖父の部屋に居れば何とか祖母の暴力や従兄弟達からの執拗な追跡からは免れられた。
叔母が家に居合わせれば、
「モカちゃんに当たってはダメ…」
と祖母を宥めて止めようとしてくれたが、叔母は働きにも出ているしいつも家にいるわけではない。
それに私は叔母の愛息子の手を噛み、流血沙汰を起こしていた。従兄弟の手には歯形が一年近く消えないほど深く残っていた。
叔母は自分の子ども達のためにも、この凶暴な予測のつかない恐ろしい子どもを他所へやりたいと言う気持ちもちょっとはあったと思う。そうすれば人の感情に悪影響しか及ぼさない彼女の姉も、祖父母の家に寄り付く理由がなくなり、巻多家には元通りの平穏が訪れる。
もし私が子どもの頃に何処かに消え去るか、父と暮らす事が可能だったなら、きっともっと早く誰にとっても平和な日常が戻っていたと思う。
3度目に父と会った時は、また居酒屋で話した。
お酒を飲むと泣き上戸になる父が、しんみりと
「単身赴任で全然家族に会えてない…これじゃあ、何のために結婚したんだか…」
というのを聞いて、また狭い心になっていた私は知らない人みたいな情けない父を哀れに思った。
(分かってないなぁ…相手はお金の為に結婚したんだと思うよ…)
と、世知辛い嫌な意地悪な発想をして、自分で胸が悪くなった。
母も、私が小さい頃に、
(この子にもちゃんとお父さんがいてくれた方が良い…自分にも頼れる人が欲しい…)
と思い立った事があったらしく、相手探しのお見合いの会に入会していた一時期があったらしい。でも母はまだ若く繊細で、デートの相手に
「子供がいる女性はもっと積極的だと思っていた、前にデートした女性なんか、向こうからカラオケの個室に誘ってきて抱きついてチュウチュウしてくれたのに…」
と言われてショックを受けたそうだ。
そういう相手を探しているなら、入会する場所が違う。
結婚相談所に入会している人の中にも、当初の真面目な目的から少しずつズレて来てしまう人がいるのかもしれない。
その男の人の言う、母の前にデートした積極的な女性も、父と再婚した相手も、子どもを養っていくために必死になっている女性のように私には思われた。
悪感情ばかりでそう考えるのではない。子どものために死に物狂いになる母親の気持ちは美しいし、健気で力強くて、尊敬すべきだと思う。子どもを生む事に怖気付いている自分には到底敵わない、自分ではなく子どものために持てる全てのものを捧げられる献身的で立派な人達だ。綺麗事だけでは女一人で子どもを育てられない冷たい世界も悪い。
それに、そもそも子どものための計略だろうというのは私の勝手な邪推に過ぎないのだ。
積極的なその女性は、相手の男の人のことを本気で魅力的だと思ったのかもしれないし、父の再婚相手の女性も父のことを好きになってから、その好きな人に自分の子供達も好きになってもらいたいと思ったのかもしれない。
「自分の子どもを好きになってくれる人のことを嫌いになれるわけがないでしょ」
と母がいつか言っていたのを思い出す。
自分が好きになった人に自分の子どもも好きになって欲しいと思うのと、自分の愛する子どもを大事にしてくれそうな男の人を好きになるのと、結局は順序なんてどっちでも良いのだ。結婚してしまえばみんな家族だ。家族は大事にしなければいけないし、そうしないと幸せにできない。自分も幸せになれない…
「モカちゃんを引き取ってもらえないですか」
と叔母がお父さんに聞いてくれた時には、お父さんはもう次の段階に進んでいた。新しい家族でやっていくと腹をくくった後だった。
私は私で、置かれた場所に適応してなんとかして上手くやっていくしかないと悟り、次第に凶暴な性格はなりを潜め、やがてはそれが元々の性質だったかのように大人しい子どもに落ち着いた。その方が攻撃されない、無難で目立たず標的にされにくい、とやっと気が付いたのだ。化けの皮を被ったにすぎなくても、表面状は何とか繕えた。
従兄弟たちは、下手にあいつに手を出すとどんな目に合わされるか分からないと認識してからは、二人で棒やら武器を持ってかかってくるよりも陰口や悪口や嫌味を言ってくる事の方が多くなった。
これには、わざと大人っぽく高飛車に振る舞い、
「子どもがキーキー喚いてるわ」
と取り合わないフリをした。内心ではザクザク傷付いていても、言い返したり手を出したりしたら叔母に顔が向けられなくなるのが分かってきたからだ。
叔母は出来得る限り公平に姪を扱おうとしてくれていた。叔母との関係には極細心の注意が必要だった。この人が一家の均衡を保っていた。この人を敵に回すと、この家で私には立場が無くなるのだとジワジワ分かってきた。
祖父母の家に連れて来られた当初は、目に映る全ての人間が敵のように思えていた。
綺麗な物や、人が大事にしている物ほど片っ端から薙ぎ倒し、壊して回り、せっかく飢え死にしないように毎日三度三度ご飯を食べさせてあげようとして連れて帰ってくれた家で大人の手を焼かせていた。
祖母よりも手加減なく殴られても、実母の家に戻りたい、捨てられるよりはマシだ、手放すくらいなら殺してくれる方が良かった、などと母親を恨んだりした。
ここはどこなんだ?誰なんだこの人達は?私の味方だと言うけれど、母の味方ではない。腐っても母は私を産み出した人間だ、と、自分と切り離して母を考える事がまだできていなかった。母の敵は自分の敵なのだ、と考えていた。しかしその母親が私を
「無理」
と言ったのだ。
何日も帰って来ない母を待ち、ゴミ箱から漁って野菜の皮や板や紙を食べている身汚い野生動物みたいだったところを、合鍵を使って部屋に入ってきて目の当たりにした祖父母が、そのまま連れ帰ってくれ、引き取ってくれたのだったが、その時、私は聞かれた。
「おばあちゃんおじいちゃんの家に来る?」
「行く」
と答えたのは自分だ。その時は死ぬよりはマシだ、助かったとホッとした。これで殴られないし飢え死にする心配もない。
でもそれは応急処置の一時的なもので、母が連れ戻しに来るだろうと誰しもが思っていた。叔母も祖父母も私も。
ところが母は電話をかけてきて、
「無理」
と言った。
「いくら払ったらそっちで面倒を見てくれる?」
考えてみれば何故私は死なないで生きてきたのだろう、あの時から決定的に誰から見ても居なくなって欲しい子だったのだ。
変わったきっかけは、転入した小学校での初めての授業中、隣の席の男の子が握手しようと私に手を差し出してきてくれたのを、私がその手を握り返す代わりに、ハサミで切ったのだが、その男の子は血が流れ出る手を机の下に隠して誰にも言わないで黙って秘密にしてくれたのだった。
「怖かったんだね、ごめんね」
と何故か逆に謝ってくれた。奇跡のような優しさだ。それで気が付いたのだ。この世界は敵ばかりではない…自分も人に優しくならなければ…この子のように…と。
その子は浅野くんという名前だった。
三度目に会った時に、ようやく私は父にお金の話を切り出した。ずっと言い出せなかったのだ。
でも最初に会う約束をした時からそれが用件だったのだから、いつも今日こそ言わないと…次こそ言わないと…と思っていた。
「お父さん。実は…今、学校行ってるんですけど…学費で困ってて…」
その途端、ニコニコだった父の表情がカチッと目の前で固まった。
「ああぁ…」
と暗い深い恐ろしいため息が漏れた。父の味わっている苦い味が私にも感じ取れそうなほど苦い忌忌しげな溜息だった。
つい今さっきまでこちらに向かって身を乗り出すようにしていた父が、気が付くと背中を見せる姿勢になっていた。いつの間にか。
それから先、私の口からお金の無心はできなかった。お金の話題を持ち出した瞬間から空々しい空気が流れ続けていた。父は促してまで続きを聞いて来なかった。それどころか早く帰りたがっていた。
その日からパタリと
「会おう」
と言う電話も何も掛かって来なくなり、また父とは有象無象に数多いる人混みを行き交う顔の無い他人と同じ、全くの他人に戻ってしまった。
父も20年間毎月お金だけを支払い続け、少しでも遅れると職場に電話をかけて来られて、もうウンザリして疲れ果てていたのだ。顔も見たくない元嫁に似た娘の私にまで、まだお金の要求をされるのかと、嫌になってしまったのかもしれない。
続く




