善人たち
田村が死んだ。それを一番悲しんだのは上原だった。彼はその報せを受けたあと、一同の前に立って言った。
「田村くんが死んだ。僕たちは彼の更生を望んだが、なにも死んで欲しかったわけじゃない」
みんなが痛ましそうに顔をうつむけて、頷いた。
「最初に言っておきたいのは、彼の死は君たちの責任じゃないってことだ」
少し、一同の顔に明かりが宿る。
「僕は犯人を知ってる。彼に『死ね』と言った人間を、僕は知ってるんだよ」
いま、彼らの目には100%の光があった。それは、自分はまだ正義側の人間であることを確認できた喜びゆえだった。それは、自分はまた誰かを裁く快楽に酔いしれることができるという喜びゆえだった。
上原はもったいぶって、それから薄い唇を一瞬歪めてから、小野口を指差した。
「小野口くん。君はおとなしぶってるが、とんだ殺人者だ」
「ちがう、僕じゃない、僕は!」
周囲の視線が痛い。しかし、まだ懐疑的な者たちもいた。集団の力をもってなお疑念が生ずるほどに、小野口は普段おとなしく、まさに人畜無害の青年だったのだ。
『しね、人殺し…!』
上原のスマホから、小野口の声が響く。
思わず彼は立ち上がる。自分に向いた視線が、ことごとく敵意に満ちていくのに気付いたからだ。そして、これから何が起こるのか、自分がどうなるのかをようやく悟り、逃げ出した。
「何をしてるんだよ。あいつを追いかけて」
数人がさっと動き出す。もはや彼の罪を疑う者などいない。あの音声だけでも十分な証拠だったが、本人がそれを聞いて逃げ出したとなれば、これ以上はなかった。
「はぁ、はぁ」
走り出してから、自分の脚が遅かったことを思い出す。トロいのは脚だけではないらしいと自虐しつつ、小野口はそれでも懸命に走った。このクラスで今まで何が起こってきたか、誰よりも知っているつもりだったから。あそこは、まさにいじめによって成り立っていたクラスだった。暗黙の了解のうちに生け贄が選ばれ、田村たちの苛酷かつ凄惨ないじめを受ける。その責め苦は文字通り死ぬまで続くから、一度選ばれた哀れな贄は、学校をやめるか生きるのをやめるか、いずれかの選択を取るよりない。実際、比山の前にいじめられていたあの子は死を選んだ。
いじめられる彼らを見て、僕には耐えられないという情けない感想が浮かんだ。ああなれば、僕はきっと死んでしまうだろうと思った。だからこそ、目立たぬよう頑張ってきた、目をつけられぬよう耐えてきたつもりだった。それなのに。背後から足音が迫る。たとえここで逃げ切ったとしても、自分が生け贄に選ばれてしまったことには変わりなかったが、それでも今は逃げ切ることだけがすべてだった。後のことまで考える余裕などまるでなく、とにかく今を耐えしのぐことだけで精一杯だった。しかし、どんなに“今”に力と意識を注いでも、僕は無力だった。
襟元を掴まれて、床に叩きつけられる。盛大に転び、 鼻を強く打ち付けた。訳のわからぬまま、背中を思い切り蹴られる。何が起きているのか分からないが、とにかくあちこちが痛かった。普段の生活では感じようもない痛みが全身に走った。もがこうと無駄だった。両手両足を誰かに掴まれる。何人いるのかさえ分からない。とにかくたくさんの罵声が響く。僕は何もしていない!やめろ!叫ぼうとしても、口から飛び出るのはむなしいうめき声だけ。僕は生まれてはじめて死を悟った。
結果として、僕は死ななかった。気が付くと、目の前には上原だけがいた。全身が痛い。痛みに気付き、目からは涙が溢れてくる。それを見て上原は言った。
「痛い?」
僕は何も答えなかった。すると上原は僕の鼻を強く殴った。思わず呼吸ができなくなってむせる。
「ねえ、痛いか?」
不規則に呼吸しながら、必死に頷く。
「だろうね。よく味わうといい。普通に過ごしてたら味わえない痛みだよ、それは」
「明確な悪意をもって、みんなから攻撃される。それがこれからは毎日続くんだ」
「…なんで、こんな…、こんなこと、するんだよ」
「目的なんてない。強いて言うなら暇つぶしだ」
「暇つぶしで…!こんな、こんなの、許されるはず、ない」
上原は軽薄に笑った。
「誰に許される必要があるの?」
「この世に神様はいないし、善悪に意味なんてない」
「僕が悪人だったら何だ?君が善人なら何だ?」
「なにも変わらないだろ」
「それに、みんなからすれば」
「君が悪だ」
彼は僕の髪を掴む。
「悪意を抱く者に災いあれ、だ」
「めいっぱい苦しんで、死ぬといいよ」




