75話 鉢合わせ
昼食の感想。
麻婆豆腐が滅茶苦茶辛かった。それはもうマジで辛かった。ギャグ漫画なら間違いなく火を噴いていたと思う。
「はぁ……はぁ……お前……一体何入れたんだ……」
「はっはは……いやー……思ったよか辛かったなぁ……」
暴力的なまでの辛味のせいでさっきまでの焼き鮭やら味噌汁やらの味が飛んでいった。……というか、ひと口で結構ガッツリ入れたからまだ舌がヒリヒリする……辛いにしても限度があるだろ。
コレ、全部なくなるのかな……?
(取り敢えず、お椀に入れた分は食べなきゃな……)
量は多くないとはいえ、ひと口ふた口じゃ終わらないのだから気が遠くなりそうだ。
「ふぃーー……それで? 今日はまたどうしたんだ?」
水を大量に飲んでお互い口内を落ち着かせてから、瀬良に俺が今日来た理由を訊かれる。
「んー? ちょっとお前のことを思い出す機会があって、それでそーいやここ1年来てもらってばっかだったなーって思って。引っ越してまた遠くなったし、こう何度も来てもらってばっかりってのも気が引けたからな」
そんな感じに、口直しに俺はいきさつを端的に話す。「思い出す機会」については別にわざわざ話すことでもないので省いたが。
「別にンなこと気にしなくてもいいのによぉ。変なトコ律義だよな、お前って」
「前来てくれた時に母さんに言われたんだよ、お前も行けって。それも理由のひとつ」
熱いものは舌に障るので漬け物を摘まむ。
「後はまぁ、先送りにしたらズルズル伸びそうだったし。そうだ、母さんがよろしく言っといてくれだってさ」
「あぁ。俺も、ふたりにはお世話になったしな」
瀬良とうちの両親の初対面は越してきて何週かたった頃だ。俺が「友達できた」って紹介した時は随分と驚かれたと同時に喜ばれたものだ。余程心配してくれていたんだと、その時改めて実感したのは今でも覚えている。
……あ、両親と言えばそうだ。
「あと、忘れてたけどうちの親から手土産預かってるぞ」
「そういうのは忘れるもんじゃねぇぞ」
「忘れさせた張本人が何言ってやがる」
初手エプロンからの和朝食次いで麻婆豆腐と、思い出す暇を与えてくれなかったお前が言うなと暗に伝える。
「まぁいいじゃねぇか。後で渡してくれよ」
「そうする。その前に……まずはこれを片付けないとな……」
「あぁ……そうだな……」
ふたりして見据えるのは、テーブルの上に聳え立つさっきからまったく減っていない麻婆豆腐。両者とも手元のお椀にはさっきよそった分がまだ残っている。さっきのひと口の余韻が想起され、蓮華を持とうとすると手が躊躇する。
「「……」」
これから立ち向かう試練を思い、緊張の糸がピンと張る。
「瀬良、水、ボトルで」
「承知」
そんなよくわからないテンションになりつつある空気の中――
――ピーンポーン
突如響いた音によって、糸はプツンと切れた。
「んあ、誰だ? すまん悠灯、水入れといてくれ」
「あ、あぁ。わかった」
ふたり同時に立ち上がり、俺は水を入れに台所へ、瀬良は玄関へ来客の応対に向かう。
居間の扉が閉まっているため、玄関扉を開く音は聞こえたが話し声はあまり届いてこない。わかるのは相手の声が女性のものということくらいだ。まぁ他人の家の来客事情など耳を傾けてまで知るようなことでもないので、自分のことを済ませる。
他人の家とはいえこの家には何度か来ているので、勝手知ったる手つきでふたり分の浄水を500ミリリットルのペットボトルに注ぐ。それをテーブルに置いたところで、瀬良が来客応対から戻ってきた。……って……
「……ん?」
が、戻ってきたのは……居間に入ってきたのは、瀬良だけではなかった。
「お邪魔します……、へ?」
瀬良の後から続いて姿を見せたのは、俺の知らない同い年くらいの少女だった。
「おまたせー」
だというのに、瀬良はそれが当たり前とでも言うようにそのまま席に着こうとしている。
「えと……尊、くん?」
「……おい瀬良、戻る前に説明しろ」
そう言いながらも、俺はある程度のことを予想していた。例えば、この少女と瀬良の関係性……とか。
「じゃあ手短に。ユウ、この子はオレが今付き合ってる奥海津々璃。津々璃、こいつはオレの親友の織宮悠灯だ。今は久しぶりに遊びに来てるんだ」
……うん。なんかそんな感じはしてた。と言うか、普通に予想通りだった。
「あの、えと、奥海津々璃……です」
「あ、織宮悠灯です。よろしくね、奥海さん」
「はい、よろしくお願いします」
初対面だが、話し方や、わざわざ深々とお辞儀をするその佇まい、それだけでわかる。彼女――奥海さんが物凄く丁寧な人だということが。
そういえば前に言っていたな、彼女は敬語がデフォルトだと。確か、その時に見せてもらったチャットのユーザーネームは「綴」だったな。なるほど、名前が津々璃だから漢字一文字に変えてってことか。
「……で、瀬良。俺帰った方がいいか?」
俺は視線を移し、瀬良に半ばジト目で言う。
「いえっ。そんな、せっかくの再会なんですしわたしが帰りますっ。今日はもともと忘れ物を届けに来ただけですから」
なので織宮さんはいてください、と奥海さんが逆にこちらを気遣ってくれた。
「ふたりとも遠慮しなくてもいいんだぞ?」
瀬良はそんなことを言うが……いやするに決まってるだろ! 方や久しぶりの友人、方や恋人。お互い遠慮するなという方が無理な話だ。
「それに、ユウがいるの知ってて津々璃を中に入れたんだ。お前には……ちゃんと紹介しておきたかったからな」
「……、はぁ……そうかよ」
こいつの急に真面目になるところ、いつになっても慣れないな。
「奥海さん、俺のことは気にしなくてもいいよ。こいつもこう言ってることだし」
そもそも、この家の人間でもない俺に決定権はないわけだし。どっちにしろ「帰ってくれ」なんて図々しいことを言うつもりなど毛頭なかったが。
「わかりました。ではお言葉に甘えさせて頂きますね」
「じゃあ、決まったトコで昼飯に戻ろうぜ」
なんと言うか……性格や仕草が対照的なカップルだな、このふたり。
そして俺たちは食事に戻る――
「って、瀬良お前……」
――その前に重要なことがひとつ。目の前のこの鍋だ。
まさか彼女にこの激辛麻婆食わせるつもりなのかと目で確認すると、ただニッっと笑うだけだった。どうやら食わせるらしい。……マジで?
「津々璃も座っててくれ」
「はい……あ」
瀬良の隣の椅子を選び背もたれに手をかけようとした奥海さんは、卓上の食器たちを見て止まった。角度的に鍋の中は見えないから十中八九、この和朝食のごとき昼食たちを見て「どうして朝食?」と唖然としているのだろう……と思ったが、どうやら少し違うらしい。
この表情は、驚いているというより……何かを察したような「あぁーー……」というような顔だ。ということはつまり――
「もしかして、奥海さんもやられた? これ」
俺はほぼ確信しながら当人に確認をとる。
「……はい。初めて手料理を振舞ってもらった時に……昼食で。わたしの時は、きんぴらごぼうとだし巻き卵がありました」
どうやらそういうことらしい。まさか前科アリとはな。
「なっはは。実はユウはふたり目でした~ってな」
実に楽し気に、呑気にそんなことを言いながら台所から戻ってくる瀬良。右手には味噌汁の入ったお椀を、左手には小盛の白ご飯が入ったお茶碗を持っている。
「ごめんな津々璃。鮭はもう残ってないんだ」
「いえ。頂けるだけでも嬉しいです」
コトと、両手に持った器をテーブルに置く。それに次いで奥海さんは椅子を引いて座ろうとする。
「和食なのに鉄鍋……ですか?」
と、どうやら鍋自体にはそこで気づいたようだ。さっきの反応との違いから、前回の和朝食の昼食には鉄鍋はなかったらしい。……中身がアレだと知ったらどんな顔をするのだろうか。
「これ、麻婆豆腐ですかっ?」
「えっ? あぁ……うん」
おっと……予想と違う反応だ。今思えば色からして結構ヤバそうなんだけど、引くどころか目を輝かせているようにさえ見える。
「マジか……思ってた反応と違うッ」
まるで下手な演技をするように大げさに、俺の心そのままのことを言う瀬良の声が飛んでくる。ジト目で視線をやると今日何度目かのしたり顔を見せてきた。
「その顔、図星だろ?」
「……いちいち思ってることを当てるな」
一層顔を顰める俺と、それによってまた笑う瀬良。
奥海さんはそんな俺たちをよそにお椀に激辛麻婆豆腐をよそい、なんの躊躇もなく蓮華いっぱいにひと口パクリ。
「ん~~……おいしいですっ、尊くん!」
「おっ、それはよかった」
「えぇ……」
辛さを感じているのかさえ疑うほどの満面の笑みだ。
「奥海さん、辛くないの?」
「辛いですよ。でもわたし、辛いもの好きなんです。わたしは覚えていませんが、小さい頃に誤ってチューブの山葵をそのまま飲んで大喜びしていたそうです」
「それはまた……凄いね……」
いやホントに。小さい頃にチューブ山葵を直飲み……とんでもないパワーワードだな。想像しただけで寒気がする。
「はははっ。さすがに彼女騙して激辛食わせるほどオレは鬼畜じゃねえよ」
瀬良が席に着きながらネタバラシをする。
「親友は騙してたけどな」
「いやぁそこはまぁ……共倒れってことで。俺もあそこまでとは思ってなかったし」
「……ったく、調子のいいやつよ」
まぁこれがマジで自分の彼女(しかもこんないい子)が激辛を食べて涙目になるところを見ようとしてのことだったら軽く人間性を疑っていたが、そうでなくてよかったよかった。
「まぁ、本気でコレの扱いに困ってたからよかったけどな」
「おう。終わりよければ全てよし、ってな」
「ホントに調子のいいやつ……」
と、俺たちがやいのやいのとそんなやり取りを繰り返していたら、
「ふふふっ。おふたりは、本当に仲がいいんですね」
その光景を一歩引いて見ていた奥海さんが、面白かったのか口元に手を当てて笑う。
「まぁ確かに、ここまで気兼ねなく付き合ってられるのは瀬良くらいかもな」
「そうなんですか?」
「ユウは俺以外に友達いないからなぁ」
「おい……俺がぼっちみたいな言い方はやめてくれないか」
他者との「友達」の認識の相違と言ってほしい。それにぼっちではない。今もこれまでも、クラスメイトを始めある程度は人付き合い出来ているし。
「はははっ。スマンスマン」
自分で言うのもなんだけど、俺ほど他人と友達の定義がかけ離れた人もそういないだろう。自虐ではないが、悪く言えば歪んでいる。
「あの……どういう意味でしょう?」
当たり前だが、奥海さんは俺たちの会話の内容を理解できない様子。かと言って、いくら瀬良の彼女とはいえ初対面相手に話す内容でもなし。
「あぁ、悪いな置いてけぼりで。そんな人に教えて聞かせるような大層な話じゃないんだ」
「うん。ただ俺にとって、瀬良は親友ってだけ」
「そうなんですね」
結構無理矢理濁した自覚はあるが、奥海さんは嫌な顔ひとつせず納得してくれた。
その後、食事に戻った俺たちだが、奥海さんの辛いもの好きが更に炸裂し瀬良もろとも驚かされた。
麻婆豆腐を口に運ぶ蓮華は止まることなく、遂には鍋が空っぽになるまでに至った。一時は激辛地獄という絶望的な状況寸前だったが、奥海さんの来訪はまさに地獄に仏というべきものだった。
俺たちがお椀一杯食べ終わるのと同じと言えば、その速さ凄さを理解してもらえるだろうか。
チューブ山葵云々は筆者の旧友のエピソードが元ネタです。事実確認はしてないのでマジ話かホラかは知りませんが。




