46話 文化祭前夜
文化祭を3日後に控えた今日は、みんな遅くまで残って作業にとりかかっている。この学校では文化祭の時期になると「夜間作業届」と呼ばれる書類を担任に提出すれば最長8時まで学校に残って準備をすることができる。我が2年5組も、文化委員の柿ノ江さんが書類を提出してくれたおかげで、こうして作業ができている。
現時刻は6時過ぎ。もうそろそろ部活が終わった運動部の人たちが来る頃だ。つまり、3バカが来るということだ。……つまり、うるさくなるということだ。
「おッッ疲れェー!」
とても部活終わりとは思えないテンションの成田がワザとらしくガラガラガタンと音を立てて教室の引き戸を開け放つ。その後ろには、同じく疲労の色など微塵も浮かべない五十谷と芽野の姿もある。
今一度言おう。この3人はそれぞれ、成田は陸上部、五十谷は体操部、芽野は卓球部と、バリバリの運動部だ。それが練習終わりでコレだ。
これだけ見ると部活に所属しながらも全く真面目に取り組まない奴の典型に見えるが、その実しっかり成績は残しているのだからちゃんと参加しているのが窺える。
それはそれとして。最近は秋も真っただ中。日の暮れも早くなり、今の時間は暗いといってもいい空色だ。何が言いたいかというと、この時間帯にそのテンションはウザい。
「成田うっさいッ!」
俺と同じことを思ったのか、柿ノ江さんから怒号が飛ぶ。
「いいだろー? 文化祭の準備なんだからよー」
「もっとテンション上げてこーぜぇー」
「時間を考えろ時間を!」
ぎゃーすぎゃーすと不満と文句を垂れる3人。相変わらず無駄に元気な奴らである。
「成田くん、五十谷くん、芽野くん」
言い合う4人の隣から、決して大きくない、されど強かな声が凛と鳴る。声の主はちょうど作業をしていたところで、体ごと振り返る邦依田さんだ。そして笑顔のまま人差し指を唇に添え、3人に向かってただひと言。
「静かに、ね?」
「「「……ッ!?」」」
「ね?」
「「「……ハ、ハイ!」」」
これはアレだ。「笑ってるのに笑ってない」ってやつだ。聴く者に否応なしに怖気をもたらす優しいひと言だ。威力は絶大、効果は抜群。それだけで3人は元気な返事を以て一瞬にして鳴りを潜めた。……正直俺に向けられてるんじゃないってわかっていても怖い。絶対このクラスで一番強いのって邦依田さんだよな。
「ちぇー。せっかく盛り上げてやろうと思ったのによぉ」
「でも、アレに逆らえる気がしねえ……」
「ああ。寿命縮むぜホント……」
「どうしたの? 3人とも」
「「「なんでもありませんッ!!」」」
背筋のピンと伸びたいい敬礼だ。……やっぱりバカだな。あいつら。
「やっぱりバカね。あいつら」
……なんだろう。何故か今日は柿ノ江さんと意見が被るな。
聞こえてしまった言葉に、そう思わずにはいられなかった。
その後の3人はそこそこ大人しく、作業も順調に進められた。
ちなみに沖田さんは大体気づいたらいなくなってた。屋上に行ったのかそれとも帰ったのかはわからないが、邦依田さんと文化祭をまわる約束している手前少しは協力するが特別やる気というわけでもないようだ。そこが沖田さんらしいのだが。
「でも去年は参加すらしてなかったんだし、それに比べたらずっといいよな」
結局沖田さんが邦依田さんの誘いを受けた理由はわからないけど、これも沖田さんが変わり始めている証ということだろう。
この調子だと、桜木先輩とうまくいくようになる日もそう遠くはないのではないだろうか。
◆◇◆◇
『お前、彼女のこと好きか?』
そんな短文を瀬良に送ったのは、いよいよ文化祭を目前にした夜のこと。
風呂上がりの髪は乾かし残しがあり若干濡れている。それでも躊躇なく枕に頭を付けられるのは、俺の髪が寝ぐせの付きにくい髪質だということと、単純に気にしないから。
なぜ俺がそんなメッセージを送ったかというと、沖田さんへの気持ちの整理をしたかったのと、人生の先輩から何か得られないかと思ったからだ。
ふたりの関係性がどうなっているかは知らないが、瀬良のことだ、少なくとも別れていることはないだろうということは確信できた。
『好きでもないのに付き合うってのは、好きって感情を知るために付き合う奴かクズのどっちかだろうな』
『お互い同意の上ってのもあるけど』
メッセージを送ってからものの2分で、なんとも予想の斜め上な返事が返ってきた。
『オレは前者だったんだけどな』
『つまり、最初は別に好きってわけじゃなかったってことか?』
『そりゃ、初めて会った相手を好きになれなんて、一目惚れでもしなきゃ無理な話だぜ』
『まぁ、だから断ろうって思わないくらいには好印象だったけどな』
『オレのタイプにも結構合致してたし』
『確かにお前は一目惚れするって柄じゃないな』
瀬良のタイプは知らないけども。
『言ってくれるじゃん。まぁ否定はしないけど』
『それに、結構傲慢で偉そうな考えだったってのは自覚してるし』
『というか藪から棒に精神に対して殺傷性の高い質問だな』
『もう瀬良に遠慮はいらないかなって』
あの件に片がついた以上、妙な遠慮は無用だ。付き合い自体は2年ちょっとと短いものの瀬良が信頼できる奴というのはわかりきっていることだ。ならばこれまで変に躊躇ってきた分図々しくなってやろうではないか。
『呼び方に遠慮があるのは気のせいか?』
『そこは心の問題だ』
『あと慣れと』
『厄介な慣れだな全く』
おっと話が逸れた。軌道修正軌道修正。
『それで、今は好きってことでいいんだよな』
脱線し始めた話を戻そうとそう送ったら、その直後に着信が入った。表示された名前は今まさにやり取りしている最中の瀬良だ。
『なんか長くなりそうだったから電話かけたんだが、時間は大丈夫だよな?』
「相変わらず察しのよろしいことで。……時間は大丈夫だ。どうせ日付が変わるまでは起きてるしな」
12時まで2時間近くある。さすがにそんなに長時間電話をし続けられる自信はない。
それに、別に12時になったら何がなんでも寝ないといけないってわけでもないしな。
『ならよかった。それでさっきの答えだけど、もちろん好きだぜ。今はなんの引け目もなく付き合えてるよ。少なくとも前にユウと会った時には既にな』
俺と前に会った時ということは、少なくとも夏休みの時点では既に完全な恋人関係になっていたということか。……何と言うか、瀬良からこんな話を聞くのは何とも奇妙な感覚だ。
今まで瀬良が特定の誰かについて語るというのは俺の知る限りではなかった。ともに過ごした1年にも満たない時間、俺が転校した後も連絡は取っていたが基本的に俺たちふたりの間で完結し、別の誰かが話題に上がることはお互いの家族を除いて他になかった。
唯一あるとすればここ数か月、名前こそ言ってないものの沖田さんがよく話題に出ている(俺が相談している)がそれも俺の話。瀬良側の「誰か」ではなかった。
「そうか。お前にそう思える相手ができたのなら、お前の友達として嬉しい限りだよ」
言った後、確か似たようなことを以前瀬良に言われたなと思った。向こうが気づいているかは知らないが。
俺と瀬良の「友達」に対する認識は違うし、瀬良には友達といえる相手は多くいるだろう。でも、その友達の話を瀬良はしない。誰が面白いだとか、誰がくだらないことを言っただとか、誰かとこんなことをしただとか、他愛もない話に瀬良の数いる友達は出てこなかった。
だから、瀬良とこういう話ができるのは存外嬉しいものだと思える。
『前に言っただろ。誕生日に手作りのプレゼントくれたって』
「ああ、言ったな。お前の誕生日的に凄いなって思ったの覚えてるよ」
あの惚気を聴かされた時だ。
『あのふたつ作ったの、どれくらい時間がかかったと思う?』
あの時も同じ思考をしたな。確かふたりが付き合い始めたのが5月と仮定して誕生日が6月6日だから……
「1ヶ月かかったかかかってないかくらいか?」
結構妥当だと思える推測を伝えると、しかし瀬良はノーを示した。
『付き合い始めたのが5月に入って大体2週間後、誕生日を訊かれたのが更に1週間後だ』
つまり……1ヶ月どころか1週間と数日で作ったということか?
『しかもひと目見ただけで相当手の込んだ代物だってのが分かった、両方ともな。俺は別に裁縫が苦手ってわけじゃないが、あの作業を1週間ちょっとでやるのはまず無理だな』
1ヶ月あっても無理かもな、と付け足される。
もらった本人が言うとリアリティが違うな。
『それに、学校で作業してる様子もなかった。そんな短い時間でここまでしてくれる、これほどまでに思ってくれている……そう思ったら、後は早かったな』
何が早かったのかは言う必要がないのだろう。俺も言われずとも理解できる。
「なんか、お前の新しい一面を見れた気がするよ。ありがとな、瀬良」
『正直釈然としない点もあるにはあるが……まぁそれならよかったよ』
そういえば、俺はなんのために瀬良に連絡を取ったんだっけか。
最初に送ったメッセージの一文。その目的を忘れてしまった。結局今回も瀬良の惚気を聴いただけに終わったが、なぜかそこまで嫌な気はしなかった。
恋人の誕生日に超ハードスケジュールで手作りの凝ったプレゼントふたつって、改めて考えてもやっぱり凄いよなぁ。
「誕生日、か………………………………………………あれ?」
そういえば────
「俺、沖田さんの誕生日知らない」
瀬良との通話を終えた後、今更ながらに俺は気づいてしまった。




