43話 パシリの居ぬ間に
織宮好恵は、息子の悠灯のことが少し……というかかなり心配だった。家の事情で定住することが出来ず、いくつもの学校を転々とし、小学の頃から安定した交友関係を築けず、小学の高学年になる頃には悠灯の口から「友達」という言葉を聞かなくなった。
学校のことを訊くと決まって「クラスメイト」とか「クラスの奴」と称し、まるで自分と他人ではっきりと線引きをしているように思えた。それでも、別段話の中に嘘が入っているようではなかったので、少なくとも表向きは友達として……友達のように接しているのだろうと、そう感じていた。
悠灯の様子は中学に上がっても変わらなかった。
そろそろ本当に心を閉ざしかねないと危惧し始めた頃、悠灯が中学最後の転校をした学校で、瀬良尊という少年と出会った。
尊は悠灯にとってだけでなく、親である好恵や真誠にとっても救いだった。初めて尊が織宮家に来た時、ほんの短い時間話しただけで、悠灯に対して真剣に向き合ってくれていることが分かった。
ふたりは同じ高校に進学するも、結局1年の1学期でまた転勤・転校してしまったが、危うかった息子が「友達」という存在を失わずに済んだのは瀬良尊という存在が隣に在ったゆえだ。
しかし、悠灯にとっての「友達」は尊の後にひとりとしていなかった。人付き合いそのものはやめなかったものの、壁を作ることは変わらなかった。
それゆえに、あの日悠灯が耀弥を……人を家に連れてきたのには驚きを隠せなかった。しかも聞けば自分から誘ったという。
どうにもならない境遇が作り上げてしまった閉塞的な価値観。それに囚われ、しかも本人は囚われているとさえ感じていない。そんな中で見つけた特別になり得る存在。
好恵から見た耀弥は、静かで、不思議で、面白い少女だった。
そして──この少女ならば、尊とはまた違う、悠灯にとって何物にも代えられない、唯一無二の存在になってくれるのではないかと、勝手ながらにも思った。
◆◇◆◇
好恵の命令で悠灯がいなくなると、残った好恵と耀弥は並んで腰を下ろす。
「ごめんね。付き合ってもらっちゃって。ちょっとふたりで話がしたかったんだ」
「……話?」
「ホントは前に会った時に話せばよかったんだけどね」
夏休みに会った時に話さなかったのは、悠灯に遠慮したためだ。
あの日、耀弥と3人で昼食を食べた後で悠灯に予定を訊いた時、どうやらふたりは事前に一緒にモールを回る約束をしていたようだった。もしかしたら自分の電話のタイミングが悪かったのかもしれないとも思った。
「幾つか訊きたいことがあるの。答えたくなかったら無理に答えなくてもいいからね」
今まで見た好恵とは違う、耀弥の知らない優しさで満たされた柔らかい声。
耀弥は悠灯にするように頷いて肯定を示し、それをしっかりと捉えてから、好恵は言葉を続ける。
「耀弥ちゃんって、あんまり積極的に人付き合いしないでしょ」
悠灯が直接そうだと言ったことはなかったが、これまで会った2回──耀弥が夕食に来た日とサクラモール──でその辺りは察していた。初めて会った日に悠灯が耀弥のことを「無口で無表情」と言った。実際に会話をしても必要最低限な応答のみで、好恵から訊かなければ話が具体性を持つことはなかった。普段からそうなのだとしたら、対人に慣れていないか意図的にしていないか……耀弥の場合は後者であろうことを理解するのは難しくなかった。
実際、好恵の「あんまり積極的に」という言葉が優しいと言えるほど、耀弥は人との関わりを断ってきた。
「どうしてあの日、悠灯の誘いを受けて家に来てくれたの?」
あの時はまだ引っ越して間もない頃だった。クラスメイトとはいえ出会って間もない相手の、それも異性の家にはそう行かないだろう。耀弥のような自ら孤立を歩む人ならばそれはより顕著だ。
だが好恵にとって、そんな一般論的な理由より、耀弥がなぜ他の誰でもない悠灯の言葉を受け取ってくれたのかというほうが大きかった。
「耀弥ちゃんが、どんな人かもまだわからない転校生の提案に乗って、晩ご飯を食べに来てくれたのはどうして?」
さっきと変わらぬ声音で、耀弥の心を問う。対する耀弥の答えは、
「……私は、わからない」
そう、わからないのだ。あの日の帰り道、帰った後、日が過ぎ、夏休みを経ても、遂にその理由はわからなかった。
「わからない。でも、初めて見た時、少しだけ、気になったのは……確か。でも、それがどうしてかが、わからない。だから……あの日、どうして行ったのかも……わからない」
ひと目から他の人とは明らかに違う何かを抱えているのはわかったのだ。だが、悠灯に対する自分の感情の根源が何なのかがわからない。そもそも、何かを感じることなんてもうない思っていた。だから、何かしらの感情が蠢いたこと自体、耀弥にとっては理解し得ないことだった。
ただ、ひとつだけ言うなら……悠灯の言動には下心や他意といったものが感じられなかったことは事実としてあった。
「じゃあ、悠灯の弁当を作ることを請けてくれたのは、どうして? 自分で言うのもなんだけど、結構冗談入ってたんだよ?」
結構というか9割方冗談だったりする。いくら好恵でもそこまで図々しい性格はしていない。……それでも、1割ほど「作ってくれたら楽できるな~」なんて考えがあったのは間違いないのだが。
「それも、一緒」
「どうしてかわからない?」
「……ん」
そっか、と小さく呟く好恵。目に映る耀弥はどこか自信のなさ気な雰囲気を纏っているように思える。
「でも、おいしいって言われたときは、嬉しかった……と思う」
「それはきっと、ホントに嬉しかったんだよ。自分の作ったものを褒められて嫌な人は、いないと思うから」
好恵は内心、弁当の件では耀弥には悪いと思っていた。人様に、それも子供に自分の息子の弁当を作ってもらっているのだから当然といえば当然だろう。しかも、自分は専業主婦という立場だ。本来なら自分がして然るべきなのだが……尊と離れて以来一度も見せなかった悠灯の目を見てしまうと、どうしてももういいとは言い出せなかった。他人の子より自分の子を優先して考えてしまうあたり、母親らしいということだろうか。
「それじゃあ最後」
今日最も訊きたかったこと。それは即ち──
「悠灯と『友達』になってくれたのは、どうして?」
転勤族という境遇によって、悠灯から失われた存在。
至る所を転々とする中で──真誠の言葉を借りるなら、タライ回しにされる中で悠灯が自ら遠ざけた存在。
悠灯にとって特別な意味を持つ存在。
好恵が、今の悠灯に最も必要だと感じた存在。
悠灯はそれを耀弥に求めた。しかも、悠灯は耀弥に対してはらしくないと言えるほど積極的だった。それほどまでにその関係を望める何らかの要因を耀弥は持っていて、悠灯はそれに興味を引かれたのだろう。
ならば耀弥は。
耀弥は一体、友達という関係性を受け入れられるほどの何を、悠灯に見たのか。




