25話 目に見える変化
結局、夏休みの残り半月程、沖田さんから連絡が来ることはなかった。俺も、電話をかけずに終わった。
夏休みゼロ日目に大量消化された課題は危なげなく終え、残り日数も課題考査なるものの軽い勉強以外特にすることもなく順調に消費され、遂には8月31日の夜を迎えていた。
多分ここで世の大多数の学生たちは鬱屈とした気分に苛まれるだろう。なんせ明日から学校が再開されるのだから。しかし俺は憂いの念以外に別のものを持ち合わせていた。
(明日、やっと沖田さんに話聞けるな)
意外にも彼女との交友関係に慎重になっている俺は、自分から無闇にコンタクトを取らないようにしていた。だから明日彼女と会って話すのが楽しみであり、緊張するのだ。
俺は逸る思いをどうにか抑え、早々に明日の準備を済ませ、就寝した。
楽しみで眠れないなんてほど、俺はガキじゃないのだ。
◆◇◆◇
朝、目が覚めて時間を確認すると、まだ目覚ましが鳴っていなかった。どうやら1ヶ月以上のブランクがあったにもかかわらず、いつもより早く目が覚めたらしい。
「……楽しみでいつもより早起きって、ガキかよ俺……」
どうやら昨日の前言は撤回だそうだ。
撤回ついでにいつもより早く登校すると、意外にももう10人ほどが教室にいた。さては皆も同じクチか?
久しぶりの挨拶もそこそこに済ませ、最後列の自席に着く。成田、芽野、五十谷のトリオは新学期早々騒がしく、学級委員の邦依田さんも既に来ていて談笑に花を咲かせていた。
ここに来て日の浅い俺には教室のムードについて行けない。止むを得ずと本の栞を挟んだページを開いたのと、それは同時だった。
(……なんだ?)
妙に教室がざわつき出したのだ。何事かと思ったのも束の間、意識の隅で響いていた足音がこちらに近づき、俺の目の前で止まった。
「…………おはよう」
へ?
顔を上げる。その先にいたのは、黒く艶のあるショートカットの……ではなく、ミディアムヘアーに近い髪の長さと、左側を小さく所謂サイドテールにした女子生徒──最後の記憶とは明らかに違う、でも間違いない。沖田さんだった。
「お、おはよう」
鎖骨の上ほどまで伸びた髪。サイドテールを括る髪ゴムは質素な青単色のもの。人は……女の子は髪型ひとつでガラリと印象が変わるものなのだと、初めて実感した。
(あの時の違和感……)
そこでやっと気づいた。あの日サクラモールで会った時に覚えた謎の違和感の正体。それは沖田さんの伸びかけの髪だったのだ。
「お、沖田耀弥が……」
「お、織宮に……」
「お、おはようって言った……」
上から順に成田、五十谷、芽野だ。なんか綺麗に全部「お」から始まってるのは狙ってるのか?
たぶん言葉に詰まったのは純粋に驚いたからだと思う。だってされた本人も驚いてるもん。
相変わらず全てが静かな、髪の一点を除けばいつも通りの彼女だ。
すぐに沖田さんは自席へと行ってしまった。俺の記憶が正しければ、彼女から挨拶されたことは時や場所関係なく一度もない。前にも言ったが彼女は基本、主体的ではないのだ。自ら他者に対して行動を起こすことは限りなく少ない。
それ故に、驚きを隠すことは不可能だった。
まるで信じられないものでも見たかのように絶句しピタリと動きを止める生徒達は、十数秒の沈黙を置いてやっと我を取り戻したようにいつもの日常に戻っていった。
◆◇◆◇
予定では、今日は始業式とホームルームだけで終わりだ。課題考査は現国・数学・英語の3教科で、明日の午前3限を使って行うらしい。
終礼を終えると、沖田さんと屋上へ向かった。約1ヶ月振りに鉄扉を開き、外に出る。9月とはいえ、残暑の影響でいまだ暑い。
ふたり揃って壁際の影に腰を下ろす。と、沖田さんが鞄から何やら取り出した。
「今日も、作ってきてくれたんだ……」
手作り弁当だった。
「ん。いるかどうか、分からなかった、から……一応」
家に母はいる。が、多分寝てると思う。無論、昼食にも期待していない。
「貰ってもいいかな?」
何より、いらないなんて選択肢はあるはずもなかった。
コクリと、いつもの小さな首肯。
俺はお礼とともに弁当箱を受け取り、揃って少し早い昼食をとった。
久しぶりだ、終業式のあの日以来。もしかしたらもう口にすることがかなわなかったかもしれない、沖田さんの手作り弁当。ジ~ンと、心の底から沁みるものが込み上げてくる。
おいしい。ほんと、転校してなくて良かった。
◆◇◆◇
弁当を片し終えると、再び静寂が満ちる。前よりは緊張感の少ない静けさだ。
だが、それとは別に俺をソワソワさせるものがあった。今朝も移動中も会話中も食事中もずっと気になって仕方なかったそれ──沖田さんの大きな変化。
俺は意を決して尋ねることにした。
「沖田さん。その……その髪って、どうかしたの?」
訊き方に失敗したかもしれない。変に感じてるみたいに取られないだろうか。
「……言ったから」
杞憂だったのか否か、沖田さんは答えた。
言った? 誰かが? ここで主語がないってことはまさか……
「言ったって……俺が?」
頷く沖田さん。そして呟くように、
「似合う……って」
似合う? って、俺が言ったのか? いや、確かにそれはもう似合っているし、雰囲気も少し大人っぽくなって整った顔立ちが引き立って見える。
にしても、そんな恥ずかしいことを俺が言ったのか? いつだ? 夏休み前か? いや、記憶にない。なら夏休みに入ってから?
…………
『沖田さん、長い髪も似合うと思うんだけどなぁ……』
ふと、そんな言葉がフラッシュバックした。
……言ってた。いや、正確には知らずの内に口に出していた。
夏休み初日。沖田さんの家で夕食を共にした日の翌日。偶然にもここで沖田さんと会った時に零してしまった言葉だ。いや……
(恥ずい恥ずい恥ずい恥ずい恥ずい恥ずい恥ずい恥ずい……今更ながら恥ずかしすぎる……ッ)
思わず左手で両目を覆う。
自覚した途端、まさにカァ~~ッという勢いで顔が紅潮するのが分かった。
「言ったね……うん、確かに言ったよ」
あの時反応がなかったけど、しっかりと聞かれてたのね……
「やっぱり……変……?」
「それは無い! ……あ」
即答。思わず即答。羞恥に羞恥を重ねてしまった。
「えと……いや。その……凄く、似合ってる。今の方が、俺は好きだな……」
自爆した。自爆に誘爆を重ね羞恥心が有頂天だ。……もうヤダぁ……
こんな時でも沖田さんは表情を変えてくれない。こっちがどれだけ恥ずかしくても、いたたまれない、もどかしい気持ちになっても無表情が崩れてくれない。
(ただ、引っかかるのが……)
何故沖田さんは、そんなことで髪を伸ばしたのだろうか。気になって、訊かずにはいられない。
「でも、どうして?」
「?」
顔をこちらに向け、キョトンと首を僅かに傾げる。
「どうして、俺が、その……似合うって言ったから、髪を伸ばしたの?」
俺はもう一度、言葉を噛み締めるように……いや、言葉を詰まらせながら尋ねた。
沖田さんは顔の向きを戻し、俯きがちになり黙り込む。その沈黙は何秒だったか、多分ほんの数秒だっただろう。
「……わからない」
返ってきたのは、予想もしなかった言葉だった。正直、「なんとなく」とか「気まぐれ」とか果ては「別に」とか、そんなつっけんどんな答えが返ってくると思っていた。
「どうして……? 私は……わからない……」
それが沖田さん自身に向けられた呟きだと言うのはすぐにわかった。彼女の目が、虚ろに、迷っているように見えた。
「私には……わからない。私が、わからない」
先程より僅かに大きな、まだ小さい声。
「そっか……」
俺は、そう返すことしかできなかった。




