20話 転勤族少年
その日の夜。我が家の自室。
ベッドの上に身を放り、スマホの画面を眺めていた。そこに表示されているのは、ふたつのハイフンで繋がれた数字列。実はあの後、沖田さんと別れる前に連絡手段の確保のため、お互いの家の電話番号(俺はスマホも)を交換したのだ。
電話帳には「沖田耀弥」の文字。ほとんど多機能カメラと化していたコレに登録された5つめの連絡先だ。ちなみにあとの4つは古い順に母、父、自宅、瀬良である。
「実に寂しいもんだな」
なんとなく、純粋な感想をを口にしてみる。成田たちなら、誰がどこにあるのかわからないほどにズラリと並んでいるのだろうか。
なんにせよ、家の番号とは言えこうして連絡先を交換出来たことは嬉しいものだ。ひょっとしたら瀬良の時よりずっと嬉しいかもしれない。
そうやってゴロゴロと右へ左へ寝返りを打っていると、夕方の時間帯にしては珍しい、下階から玄関の扉の開閉音とただいまのひと言が耳に入った。声の主である父は、普段は基本的に夜9時前後くらいに帰ってくる。今日はえらく早いご帰宅だ。
やがて再び画面に目を移した時。
「悠灯ー、ご飯できるよー!」
母の声が飛んできた。
それに短く返し、スマホの電話帳を閉じる。ホーム画面に切り替わると、そこにはサクラモールで沖田さんに見せた写真の一枚──塔屋の上から撮ったこの町の風景が映される。この写真はどうやら俺の中で思い入れの強いものになったらしい。これまでデフォルトの壁紙だったが、初めて変えた。
重い上体を起こそうと力を入れると、腹の虫がやたらと長く鳴いた。
◆◇◆◇
居間の扉を引いて入ると、食卓には父、織宮真誠が着いていた。
「おお、悠灯。ただいま」
顔はどちらかというと整った方で、髭は綺麗に剃っていて目を凝らさないと視認できないほどだ。容姿のまま、性格も基本的に穏やかで、俺はこの人が怒った姿を見たことがない。
父も母ももう40だが、どちらも年齢より若く見える。
「おかえり」
いつも通り応答して自分の席──俺は父の正面で、母は父の左隣に座る──に腰を下ろす。
夕食が出来るまでのこの短い時間。普段は何を話す訳でもないのだが、今日の俺はそうではなかった。
「父さんは、転勤が嫌だって思ったことある?」
気づけば、正面の父にそう尋ねていた。
「どうした、藪から棒に」
「俺が小学の頃から20回も転勤してるわけだけど、それも西も東もあちこち引っ越してるわけだけど、何度も何度も大変だろ? だから、本当はどう思ってるのかな、って」
顔を上げて父の顔を覗き込むと、穏やかな顔を崩すことなく、ふーん、と考える素振りを見せ、次に口を開いた。
「そんなに転勤してたのは正直憶えてなかったが……父さんが会社の上司に転勤を言い渡される理由、分かるか?」
「……いや」
少し考えてみるが答えは出そうにない。だが間もなく、その答えは返ってきた。
「父さんが転勤を言い渡される時、そのほとんどで『向こうの支店を助けてやってくれ』『他の支店で学んでこい』って言われるんだ。どの支店の人も、そうやって父さんを送りだしてくれる」
互いに目を逸らさず、父は思い起こすように言葉を紡ぐ。
「つまり、頼りにされてるってこと?」
「そうだ。転勤が多いのは、父さんがそれだけ会社の力になれてるってことなんだ。もう20年今の会社に勤めているが、いまだに昇進できずにこういう生活を続けているのにも、ちゃんと意味があるんだ」
父の表情は終始穏やかだが、俺はイマイチしっくりこない。
「体のいい方便だとは思わないの?」
都合よく使われているだけなんじゃないか……なんて。子供の身分ながらひねくれた考えを伝えると、父はおかしそうに笑った。
「さすがにそこまで間抜けじゃないよ。少しでもそういうのを感じてたら、20回も転勤なんてしないさ」
どうやら父は父で、今の職場に納得がいっているようだ。
お前は嫌か、と父は加える。
「いろんな高校をタライ回しにされて、仲良くなった子とも碌に交流できないだろう。友達も、作りづらいんじゃないのか?」
父の言葉は正しいのだろう。何度もあっちへこっちへ引っ越し、その場で作った友達とはすぐにお別れ。多分誰もが嫌になる生活だろう。
ただ俺は、少なくとも今の俺は、そんな考えを持っていない。
「俺は、そんなに嫌だとは思ってないよ。確かに億劫に感じることもあるけど、もう慣れたから。それに友達なら瀬良と……もうひとりいるから。今はそれで十分」
「……そうか」
ただ、今一番気がかりなのはその「もうひとり」、沖田さんだ。
彼女にとって俺は唯一の友達。だが彼女は「友達」に関して過去に傷を負っている。深い、心の傷を。
そんな彼女が、俺が転勤族であると──俺がいずれいなくなる可能性があると理解した上で友達になってくれた。勿論、父が無事に昇進して転勤・転校を続けなくてもよくなれば彼女の前から消えなくて済む。
だけど未来のことなど分からない。だから不安だ。もしその日が来たら、俺は、彼女は、大丈夫なのだろうか。結果的に、彼女を傷つけることをしているのではないか。そんな不安を感じることは、これまでも少なくなかった。
黙考の間に、テーブルに食事が並んでいった。母は全ての皿を並べ終えて去る際、俺だけに聞こえる声量で言った。
「耀弥ちゃんのこと、考えてたでしょ」
思わずドキリとした。
咄嗟に顔をそちらに向ける。口は開いていて、多分思ったより驚嘆を見せていたと思う。
そして目が訴えるは即ち──
(何故分かった?)
母は、やっぱりといった表情で薄く笑っていた。……さすが母親、恐るべし。
その後、この件に関して誰も口にせず、いつも通りの夕食が続いた。




