05 ハーンストラ家の幽霊騒動:後編
埃っぽい空気の中、作業は続いた。
普段は滅多に人が訪れない上に、こうしてすっぽりと厚手のシートなどを被せられてしまえばわざわざめくって確認などしない。次々現れる絵画や彫刻・調度品類などは、もう数十年と勤めている執事でさえも初見の物だった。
「このサイン……確かこの画家の作品は、もう数点しか残されていない貴重なものだと」
時折、こういうとんでもないお宝も飛び出してくる。一応虫除けや湿気対策などはされているが、やはり少し傷んでしまっているのが惜しむところか。
ミリアは慎重に絵画を運ぶと、これもリストに書き入れた。失われたヘーレネン王国の至宝たちがこんなところで眠っていたとは誰も思うまい。
今回の件が無ければ見つかるのはいつになっていただろうと、ミリアは思わずため息を漏らした。
しかし、貴重なものはそれなりの対処をしなければならないわけで。作業効率が悪くなることに多少イラついていた。ミリアの最大優先事項は飽くまでフローチェであり、許される限り傍に居たいのである。
「今頃ヴィレム様とよろしくしているのかしら……」
周りの者に聞こえないほどの小さな声で呟く。
ちなみによろしくしている度に邪魔するのは主にミリアである。そして、そのせいでフローチェがいつまで経ってもそういったやり取りに慣れず、自ら甘い雰囲気の破壊者になっていることも知っている。
馬に蹴られて死んでしまいそうな所業ばかり繰り返しているが、最早一種の病気なので大目に見てほしいとヴィレムに言ってのけるほどには、ミリアは己の欲求に正直である。
「……あら?」
早く作業を終わらせようと残る絵画を持ち上げた途端、何かが転がり出た。
「これは……お嬢様の……」
正体は、フローチェが幼い頃に気に入っていた小さなぬいぐるみだった。コロコロとした丸いフォルムでよく転がり、その度に中に仕込まれた鈴が鳴った。
ブタのような犬のような、よく分からない動物がモチーフになっており、少なくともミリアにはその可愛さが理解できない。
いつからか見なくなっていたが、こんなところに紛れ込んでいたとは。
「どうしてここに……」
拾い上げると、酷く汚れていた。それにところどころ解れたり破れたりしている。最初は布が寿命だったのかと何も思わなかったが、観察するうちにあることに気がついた。
(……針山?)
裁縫道具の針山に似ている。ただ破れたのではなく、鋭い針で何度も刺されたように布が傷んでいるのだ。自然になったというより誰かが手を加えたようにも見える。
しかし、わざわざそんなことをする意味が分からない。ストレス解消か何かのためだろうか。
だとしても、わざわざフローチェの玩具を使う理由はないだろう。あるとすればそれは、
(まるで呪術、ですわ)
心の中で呟いて、ミリアは眉をしかめた。
もしもそのような不届きな輩がいるとすれば、見つけ次第ハーンストラ公爵の弓矢の的になっていただこう。
(どちらにせよ、お嬢様には言えませんわね……)
こちらで調べを進めていこうと、ミリアは埃っぽい空気の中で決意した。
────────────
────────
────
半分開けられたドアと、膝の上にあるフローチェの寝顔とを交互に見やる。
自分はもう婚約者という身分なのだから遠慮する必要はないと思うのだが、どうにも。
(妙なことをした瞬間に侍女かハーンストラ公爵が飛んできそうだ)
馬鹿げた発送と言えるが今まで実際そうだったのだからどうしようもない。親馬鹿とお嬢様狂相手に常識は通用しないだということは、嫌というほど学習済みである。
同じ轍は何度も踏むまいと、ヴィレムはただゆっくりと頭を撫でる程度に留めていたのだが、突然寝ているはずの相手に手を掴まれた。
「フローチェ?」
声をかけてみるも反応はない。目を覚ましたわけでは無さそうである。
「……ぅ、……ん……」
何か小声で言っている。
耳を近づけてみると、不明瞭だがなんとか聞き取れた。
「ヴィ……レ、ム……」
「!」
「ヴィレム……おね、が……わ、たくし……」
自分の夢を見ているのだろうか。
フローチェはヴィレムの手をぎゅっと握りしめ、懸命に何かを訴えている。
「私……もう……」
「フローチェ……?」
一片の言葉も聞き漏らさぬよう、息を詰めてフローチェの声に耳を澄ます。
「…………」
顔を近づけたせいで、長い睫毛と滑らかな頬がすぐ間近に見えた。薄く色づいた唇が恐ろしく柔らかそうに見え、ヴィレムは吸い込まれそうになった視線を無理やり引き剥がす。
「ヴィ、レム……私……っ」
だというのに、どこか苦しそうでいて甘えるようなフローチェの声音が追い打ちをかけてきた。
じわりじわりとヴィレムの中の何かが溶けだしていく。
「……フローチェ」
低い声が僅かに掠れ、抑えきれない熱を帯びた。
無意識のうちに伸びた指先が頬のラインをなぞり、やがて顎を捉える。
「ヴィレ、ム────」
それに応えるように開いた薄桃色の口から零れたのは、
「私、もう、タベラレナイィィ……」
出どころを疑うほど、間の抜けた台詞であった。
しかし残念なことに、この部屋にいるのは二人きりで、今のがフローチェの言葉であることは明確。
何故かカタコトになっているところが絶妙に阿呆っぽく、またも盛大な肩透かしを食らったヴィレムの神経を逆撫でした。
「……随分と……愉快な夢を、見ているな……」
先程の甘さを孕んだ声は何処へやら、地獄の底から響いてくるような低音で唸る。
しかしそんなことはどこ吹く風で、フローチェはその後も、むにゃむにゃと空気の読めない寝言を続けた。
それからどれほど経った頃だったか。外は幾分風が強くなってきたようだった。細く開けられた窓からそれが入り込み、机の上にあった書類を飛ばす。
(机に置いたままにするような書類だ。重要なものでは無いだろうが……)
しかし放置するのもどうかと思い、回収することにした。
ヴィレムはそっとフローチェの頭を持ち上げ、慎重に膝からソファーへ降ろす。起こしてしまわないかと緊張したが、本人は全く気づく様子もなく幸せそうにしていた。
ほっとしたような、なんか腹立つような。
(……まあいい)
ヴィレムは仏頂面でまず窓を閉め、それから書類を拾い上げた。立てかけてあった扉に引っかかったお陰で、幸い外へ出ていくことは無かった。
(それにしても、改めて見ると随分厚いな……)
ミリアはこんなものを蹴破ったのか。火事場の馬鹿力というが、限度があるだろう。蹴りで人間の背骨を折るくらいなら簡単にしてのけそうだ。彼女のことはあまり怒らせないようにしておこうと思う。
(この凹んでいる部分が靴底の跡か? ならこれは……なんだ?)
低い位置に、浅い引っかき傷のようなものが無数に残されていた。ヴィレムはミリアの話を思い出す。
フローチェは、相手が扉に爪を立てたところで悲鳴をあげた。それは勘違いなどではなかったということか。
(だが人にしては位置が低すぎる……これではまるで)
真夜中、ずるずると廊下を這いずってきた人間が扉へ爪を立てる図を想像し、ヴィレムはぞっとした。
「……いや、待てよ」
しかし、あることに気がつく。
爪を立てられる前に足音がしたと言っていた。ならば相手は這うのではなく“歩いて”いなくてはならない。
(それに、奇妙で不気味な声……)
ヴィレムは一つの可能性に思い至り、呼び出し用の鈴を鳴らした。
────────────
────────
────
目を覚ましたら、よく分からない作業が進められていた。
「……ねえ、ヴィレム」
「なんだ?」
「さっきから、何をしていますの?」
ヴィレムとミリアがなにやら話し込んでいたと思ったら、薄汚い玩具と魚を持ち出し始めた。他の使用人たちも集まり、網や大きめのカゴのようなものを準備している。虫取りにでも行くつもりなのだろうか。少年心か。
「捕まえる」
「何を」
「昨日お前の部屋に訪れたものを」
ガタッ、とフローチェが後ずさった。
落ち着けるようにヴィレムが両肩に手を置く。
「大丈夫だ。みんな居るし、怖いことは何もない」
暫く迷ったあと、フローチェは小さく頷いた。代わりと言うようにヴィレムの服の裾をつかむ。
「でも、どうやって?」
「そうだな……まず、捕獲係の数人以外には中庭へ出てもらって、部屋周辺から人気をなくす」
「人が居ると来ないんですの?」
「多分な。それから、廊下に点々とこれを置いておく」
ミリアが何かを手にしていた。
小さな皿へごく少量ずつ盛られたそれは、どこからどう見ても魚の切り身である。それから、なにやら小汚いぬいぐるみ。さきほどミリアが拾ったものだ。
「お嬢様、これに見覚えはありまして?」
「汚っ……いえ、知りませんけれど」
「あら、昔はお好きでしたのよ」
「今回はこれに長い紐を取り付けて、遠くから動かして音を鳴らす」
「えええ……」
フローチェは聞いていてどんどん不安になってきた。どうしてこの捕獲計画が組まれたのかまるで分からない。
「まあ見ていろ」
ヴィレムはそれだけ言って、移動するように促した。フローチェはわけも分からないまま中庭へ出る。ヴィレムとミリアの二人がそばに居てくれることには安心した。
暫くして、中にいる使用人から合図が出た。
ミリアがくいくいと紐を動かす。ここからでは分からないが、フローチェの部屋の中ではあの可愛くないぬいぐるみがコロコロ転がっているのだろう。
「……出たぞ!!」
「!?」
程なく屋敷から忙しない物音が聞こえてきた。
何かが暴れているらしい。ヴィレムとミリアは予定通りというように落ち着いているが、フローチェは混乱した。
(も、もっとこう、幽霊的なものを想像していたのですけれど……え、まさかの妖怪寄りですの!? この屋敷何が住んでますの!?)
どちらにせよ自身の部屋で起こっている捕獲劇なので気が気でない。どうせなら別の場所でやって欲しかったとも思う。何かフローチェの部屋でなければならない理由があったのだろうか。
「物音が止んだな」
行くか、とヴィレムが呟いた。
ドッタンバッタンというような音がしていたのはほんの数秒のうちで、すぐにいつも通りの静けさが訪れている。
「あっ、終わりましたー」
捕獲役のひとりだった使用人も出てきた。報告は驚きの軽さである。
その理由を、フローチェはすぐ理解することとなる。
「……え、なんですのこれ」
ミリアの手にぷらんとぶら下がっている白い物体に、思わずそんな台詞が口から出た。
「猫です、お嬢様」
「猫ですわね」
それは見れば分かる。
目付きは悪いが毛艶は良く、いいものを食べていることが予想される。首輪の類はつけていないので野良だろう。どこでご相伴に預かっていたのだか。
大人しくミリアにつままれているそれに視線を合わせ、フローチェはじっと見つめあった。
後ろからヴィレムが声をかける。
「良かったな、フローチェ」
「何がですの」
「猫だ」
「何がですの」
「昨日お前を脅かした犯人」
「……え?」
思わず振り返った。
ヴィレムとミリアへ交互に視線をやるが、二人とも言葉通り「よかったね」という顔をしている。
「ね、猫?」
「ええ、いつの間にか住み着いてしまっていたようです。残飯等を食べていたのでしょうね……それから、例のぬいぐるみがお気に入りらしいですわ」
あれは以前にフローチェが使っていたもの。恐らく僅かに残っていたその匂いに惹かれて部屋へ向かったのだと思われる。
「お前が聞いたドアを引っ掻く音は、まあ、普通に引っ掻いたんだろう」
だって猫だからな。
衝撃で、ヴィレムへ何も返すことが出来ない。
猫。あんなに恐怖した真夜中の訪問者の正体が、この不躾な面構えをした毛玉。
「そ、そんな……」
少しの安心感と、脱力及び屈辱。
丸一日ただの猫に怯えまくっていたという事実はなかなかに受け入れ難く「でも!」とフローチェは反論した。
「私、声を聞きましたわ! 嗄れた老婆のような、甲高い悲鳴のような……少なくとも猫の鳴き声ではありませんでしたわ!」
自分の知っている猫はあんな声は出さない。もっと「にゃあ」とか「みゃあ」とか、どちらかといえば不気味というより可愛らしい。
ほれ鳴いてみろというようにフローチェが喉の下を軽く突っ付けば、猫は迷惑そうにしつつも口を開いた。
「ンなァァアああァ~」
可っ愛くねぇ。
びっくりするほど可愛くなかった。目の前で聞いている昨夜なように恐怖はしなかったが、それでも衝撃が走った。
「これが夜中に聞こえてきたのか……」
「これはまた……個性的な声をした子ですね……」
もう何を言う気力もなく、フローチェはかくりと膝を付く。
昨夜から今にかけての心労はなんだったのだろう。
十七にもなって変な声の猫に怯え続けた自分って何なんだろう。
「ところでお嬢様……この猫、どう致しましょう」
「どうって……どうもしませんわ。その辺に放してあげて」
いいでしょう、と問うようにヴィレムを見上げた。
「それがいいだろうな」
弱っていたフローチェを見ていた時は犯人をどうしてやろうかと考えていたヴィレムだったが、流石にもうそんな気は起きない。
「あ、あの……お嬢様」
猫を野に帰して事態は解決するかに思えたが、ミリアが非常に言い辛そうに挙手をした。こそこそとフローチェへ耳打ちをする。
「首は動かさず、視線だけを入口の方へ向けていただけますか?」
「? え、ええ……」
不思議に思いつつ従い、後悔した。
見えてしまったのだ。顔を半分だけ出し、猫をじっと見つめる人影。
見紛うはずもない、あれは。
(お父様……猫、飼いたいのね……)
じっとこちらを見つめるハーンストラ公爵。
ためしにミリアに猫を野に放すフリをしたところ、一人ではわはわしていた。おっさんがやっても可愛くないので潔く出てきて欲しいところである。
(仕方ありませんわね……)
フローチェはため息をつき、猫の頭をひとつ撫でる。
いつでも何だかんだと騒がしいハーンストラ家に、奇妙な鳴き声が加わった瞬間だった。




