Code.6 On the run
巨大なボウルの中で青白い閃光が飛び跳ね中心に収束していく。プラズマを纏って肥大した球体は、発射を告げるように瞬時楕円に細まり、勢いよくボウルを飛び出した――エマヌエルとディルクのいる方向へ向かって容赦なく。
覚えず舌打ちを漏らしたエマヌエルの身体はすでに自然落下を始めていた。
「――ディルク! 絶対にそこを動くなよ!」
自分より上空にいるディルクに向かって叫ぶと、意識を集中する。
『あの時』のように――あの時、初めに暴走した日、暴走が治まる直前、薄ぼんやりとした意識の中でやってのけたことが、思い返すともなく脳裏をよぎる。一度できたことなら、もう一度できるはずだ。
イメージする。あの日のそれよりも広く大きい、自分とディルクを覆う規模の壁を――纏い付いていたオーラが意図した通り瞬時に広がる。薄青い盾が展開した瞬間、ボウルから発射されたフォトン・シェルがそこへ思い切り衝突した。
身体の中心に響くような衝撃と共にフォトン・シェルが破裂し、フォトン・ウォールに蜘蛛の巣状のヒビが入る。
ガラスが砕けるような音がした刹那、急降下してきたディルクが、すでに地上に膝を突いていたエマヌエルに覆い被さるように地に伏せた。
破裂した閃光弾が衝撃波となって荒れ狂い、土煙が吹き上がる。
「きゃあぁああ!!」
不意に上がった悲鳴に、エマヌエルはディルクの被さった翼を掻き分け、叫びのした方角を見た。
眇めた目の先で、紅い髪の少女が同様に地に伏しているのが分かる。
(ヴァルカ!?)
なぜ彼女がここに、と思うも、まだ風が激しく身動きが取れない。それは、エマヌエルたちだけではなく、新型のフォトン・シェル発射装置を使った者たちも同じだろう。
彼らが何者かも気になるが、まずはここを離れるのが先決だ。
「……エマヌエル、もう大丈夫か」
「え……あ」
いつしか、フォトン・エネルギーの暴走は治まっていた。
せっかく治り掛けていた傷が裂け、新たにできた傷もある。けれども、今は優先される事項がある所為なのか、痛みを感じはするのだが、何か一つ壁を置いた向こう側にあるような気がした。
「……まだ、自力で動けそうだ」
とは言え、傷が消えたわけではないし、息は上がっている。意思とは関係なく動けなくなるのは時間の問題だろう。
「今の内に行くぞ。ディルクは空飛ぶなよ」
「分かっている」
今のフォトン・シェルの爆発で、飛んでいたディルクもエマヌエルも巻き込まれて死んだと、この近所では結論づけられるだろう。
この場で、近隣住民に姿を見られさえしなければ――何とか立ち上がって、その場をあとにしようとした、その時。
「待って!」
風がやや収まった為か、四つん這いのまま顔を上げたヴァルカの声が、エマヌエルたちの足を止める。
「九時の方向、五百メートル先の地点にドクターが迎えに来てる。そこまで行けそう?」
なぜか片耳に手を当てた彼女が、そろそろと立ち上がりながら問うた。
エマヌエルとディルクは互いに目を見交わす。思っていることは同じだ。
ヴァルカを信用するか否か――だが、彼女の言葉の真偽を吟味する時間はない。
(騙されたらその時はその時だ)
エマヌエルは彼女のほうへ視線を戻して頷いた。
***
ディルクは、どうにか背によじ登ったエマヌエルを負ぶって、森の木を器用に縫って走った。地上戦も想定した改造がされているらしい。
ヴァルカの案内で森を駆け抜けたディルクは、整備された崖の上の道路までエマヌエルを運ぶと、自分は広野に戻るから、何かあったら呼んでくれと口早に言って素早く飛び去った。
一見冷たいようだが、人の目がある場所でこれ以上のトラブルを避ける為の最善の策だ。
まだ爆煙が晴れ切らない状態の今は、煙が上手く彼の姿を隠してくれたようで、人間側からの追撃もなかった。
他方、またしても血塗れで戻ってきたエマヌエルを、ヴァルカが言った通り車で迎えに来てくれていたウィルヘルムは、予想に違わぬ渋面で迎えてくれた。
「……ったく有り得ねぇ。もう今後絶対マグネタイン弾食らうなっつーたろーが!」
「……一応怪我人なんだから耳元でがなんねーでくれよ、傷に響く」
「自業自得って言葉知ってるか?」
冷ややかに言いながら、ウィルヘルムが巻いている包帯をわざと締め上げたので、エマヌエルは思わず小さく悲鳴を上げる。
「痛! 断っとくけど半分はこの女の責任だぞ!」
運転席に座るヴァルカを空いた手で指さすと、彼女は「今回だけは否定しないでおいてあげるわ」と恩着せがましくボソリと呟いた。
〈それより、これからどうする〉
走り出した車の中で、耳慣れない重低音が言ったので、エマヌエルは目を瞬いた。ウィルヘルムも同じだ。
一体どこから誰が、と思う間に「どういうこと?」とヴァルカがナチュラルにその声に応じる。
〈彼らの身の安全を考えたら、すぐにこの街を離れるのが得策だと思うが〉
注意して聞いていると、音源は車内オーディオ部分だと分かる。
「……どういう意味だよ。誰がどこで喋ってんのかは今は追及しねぇけど、あんた、もしかしてさっきの巨大フォトン・シェル発射装置の遣い手が誰か知ってんのか」
〈本当のところはおれにも分からん。恐らくだが、民間の対フィアスティック・レジスタンス団体の一つだと推測はできる〉
相手も自己紹介を省いて答えた。
「ヴァルカも民間のレジスタンスじゃねぇの? それも一匹狼の」
〈彼女はある対スィンセティック組織の一員だ。実力を認められて、単独行動も許可されている〉
その組織というのも話せば長くなるのだろう。エマヌエルも話の脱線は望まないので、「ふぅん」と軽く往なした。
「で? 何で民間の一レジスタンス団体があんな物騒なもん持ってるわけ?」
〈これも推測だが、団体の中に、かつて裏研究班にいた研究員でもいれば可能だろう。とは言え、フォトン・シェルは本来なら人体を含めた生体に埋め込むことで本来の力を発揮する。通常なら発射装置だけ作っても意味がないが、研究者なら改造して発射装置だけで攻撃する兵器を作れる者もいるかも知れん。仮にそうなれば、生体に埋め込むより簡単に大きな力を手にできる。もっとも、接近戦になったら、肉体そのものが兵器のスィンセティックには勝てないだろうから、先ほどのように不意打ちによる一撃必殺狙いの策だろう〉
「なるほどな……だから深追いして来なかったってことか」
〈そういうことだ。だが、ああいう武器を手にしている団体がいる以上、少なくともお前の怪我が全快するまでは元の自宅へ戻るのは危険だ。そう判断して、ドクターにも最低限の荷物は持って来てもらった〉
「最低限っつっても、もう戻らなくてもいいくらいの荷物は持って来たけどな」
水を向けられて、ウィルヘルムが会話に入ってくる。
「お前の分ももちろん持ち出して、トランクに一緒に積んである。元々そーゆー生活してたから荷物は多くなかったけど」
細かい備品はまた現地調達になるだろうが、と思いながらエマヌエルは目を伏せる。
〈ではこのまま街を離れても構わないか〉
「構わないっちゃ構わないけど……」
そういうことは普通運転しているヴァルカが訊いてくるものではないか。そう思いつつ彼女のほうへ視線を向けると、彼女はあろうことか立てた片膝に両手を重ねて、そこに顎を乗せている。
つまり、運転していない。にも拘わらず車は普通に走っている。
ここで先刻、疾走する車の天窓から身体を突き出し、小銃で鷲型フィアスティックを狙い撃っていたヴァルカの姿が頭をよぎった。
「……まさか、車動かしてんのはあんた……」
オーディオ部分に改めて目を向ける。
「もしかしてサイバネティックか?」
〈察しがいいな〉
「ヴィンツェンツよ」
不意にヴァルカが口を開いて一言告げる。が、その意図が分からず、エマヌエルは眉根を寄せた。
「ヴィンツェンツ?」
「彼の名前!」
〈正確にはサイバネティック・ナンバー0846だ。そう言ったら、彼女が人間のような名を付けてくれてな〉
「へー……」
「何よ、その『へー』は」
「いや……自分以外のスィンセティックには軒並み冷たいのかと思ってたから」
「自分以外って、まるであたしもスィンセティックみたいじゃない」
「違うのか?」
容赦なく問いを重ねると、ヴァルカは一瞬息を詰めるように口を噤んだ。そして、視線を逸らすようにプイと窓のほうを向いてしまった。
彼女の斜め後ろに座っているエマヌエルからは、正面へ回らなければ顔が見えなくなる。
「……妙だとは思ってたんだ。通常の人間装備で俺らと互角に戦り合えるわけないもんな」
「うるさいわね、好きでなったわけじゃないわよ!」
「だったら俺らにも多少配慮はあってもいいんじゃねぇ? くどいようだけど、俺だって同じだ。好きでこんなカラダになったわけじゃねぇ。ディルクなんて尚更だ。あいつの場合、動物園に連れてかれるほうがまだ待遇よかったかも知れねぇぞ」
「うるさい! ここで放り出されたくなかったらもう黙ってて!」
「何だと?」
気色ばんだタイミングで、ウィルヘルムが止血帯を締め上げたので、エマヌエルは反射で口を閉じざるを得なかった。
***
エマヌエルたちと、どこぞのレジスタンス組織が戦り合った森は、ザカライア・シティの住所からさして離れてはいなかった。
ヴィンツェンツの運転でそのままリヴァーモア州を北上した一行は、途中の寂れた街にあった車屋でキャンピングカーを購入して乗り換え、アトラス湖を北西方向へ迂回して進んだ。
ウィルヘルムが、リヴァーモア州の首都にある病院に知人の医師がいるから、そこへ行ってくれるようにと言っていたのは聞いたが、エマヌエルのその後の記憶は細切れ状態になってしまっている。
いくら改造体でも、重傷を負えば、快復のために休養を必要とするのだ。
せっかく治り掛けてたのに一からやり直しだよ、とウィルヘルムが誰にともなく愚痴る声を子守歌代わりに、車の揺れも手伝ってついウトウトと眠り込んでしまった。
ふと、意識が浮上したのがどの辺りだったのか。
目を覚ました時、エマヌエルはベッドの上にいた。と言っても、普通の家や病院のそれではない。
旅途中なのか、そこはまだキャンピングカーの中のようだった。
スィンセティックの視界は、周囲の明るさには左右されないが、今暗いのか明るいのかくらいは分かる。車の中も、外も薄暗い。
時刻は分からないが、まだ夜は明けていないらしい。
視線を動かすと、エマヌエルは車後方の下のベッドにいるのが分かった。
向かいのベッドには、ウィルヘルムが腰掛けるようにしてうたた寝をしている。エマヌエルの看病の為だろう。
とは言え、エマヌエルは普通の人間とは違う。人間の患者ほど気を遣わなくていいはずだ、と以前にもウィルヘルムには伝えたが、彼の考えは違うらしかった。
『普通の人間と違うからこそ気を遣うんだ』と。
遺伝子配列をいじって改造しているから、こういう言い方は失礼かも知れないが、ヒューマノティックは人間の形はしていてもいわゆる人間ではなく、まったく違う生き物だ。だから、通常の人間相手にしてきた医療対処経験は、あまり当てにならないと。
『人間相手の経験が、却って仇になることもあり得るんだ。ヒトを相手にしてた時に、“大丈夫”と思った症状でも油断できない。俺の場合、研究に携わってたわけじゃなく、資料の盗み見しただけで、実際にスィンセティックを診るのはお前が初めてだから、余計な』
いつもの自信満々で、飄々とした様子が嘘のように、真剣な顔で言っていたのが思い出される。
ああ見えて、案外責任感は強いタイプなのだ。
だが、そうは言っても、エマヌエルには自分の身体だ。病気ならともかく、怪我をしただけの今の状態はよく分かっている。
現状は恐らく問題ない。ただ、傷が治る途上のことで、普段通りの動きができないだけだ。
(……ま、マグネタインの影響とかまではちょっと分かんねぇけど……)
とにかく、起こしたほうがいいだろうか。ウィル、と声を掛けようとして口を開いたが、吐息に声を乗せる前に、〈どうするんだ〉という電子音声が前方から聞こえて息を呑んだ。
「……何の話?」
抑えた声量で答えたのは、ヴァルカの声だ。
〈あの二人のことだ〉
(……二人? 俺とウィルのことか?)
眉根を寄せていると、ヴァルカが「だから、どうするってどういう意味?」とまた小さな声で問い返す。
〈あの二体のフィアスティックについては、EXSY本部に連絡しておいた〉
二体のフィアスティック、というのは恐らく、ヴァルカが先刻森で仕留めた、あの二体の鷲型フィアスティックたちのことだろう。
(……じゃ、イグズィーって何だ?)
音にしていないエマヌエルの疑問に答える者はなく、ヴィンツェンツが言葉を継いだ。
〈もう回収されているだろう〉
「なら、それでいいじゃない」
エマヌエルは、まだ寝ている振りを装うように目を伏せ、ひたすら聞き耳を立てた。
〈問題はお前だぞ。あの二体を支部に持って行ければまだよかったが、こうなった今はもう残りの二体を支部に持って行くしかない。ここからならガーティンの支部も近い〉
(二体……)
話の筋から推測すると、恐らくウィルヘルムは関係ない。
スィンセティックに詳しいとは言え、ただの人間だ。
(だとしたら)
ディルクか、と思い当たる。
あそこで別れたあと、彼がどうしたかは知らないが、もしかしたら空からここまでついて来ているのかも知れない。
「あんた、余計なこと言ってないよね?」
ヴァルカが、淡々とした口調のまま、ヴィンツェンツに質す。
瞬時、ヴィンツェンツは沈黙したが、〈ああ、まだな〉と答えた。
「何よ、今の間は。本当にEXSYに何も言ってないでしょうね」
〈お前の同意がないのに喋ってはいない。お前が直接持っていけないのには事情があると説明した〉
「何それ。結局あとで説明しなきゃなんないのはあたしなのよ? ちゃんと理由、考えてくれてる?」
〈手持ちの二体を持って行けば、自ずと言い訳を考える必要もなくなる。『この二体を仕留めるのに少し手間取ったから』で済むだろう〉
ヴァルカは沈黙した。
そうね、とも、そうはしない、とも言わない。何を考えているのだろう。
すると、ヴィンツェンツがまったく同じ疑問を呈した。
〈何を考えている?〉
「……分からない」
〈分からない?〉
「だって、彼はあたしと同じなのよ」
エマヌエルが眉根を寄せるのと、ヴィンツェンツが〈はあ?〉とまるで人間のように間抜けな声を出すのとは、ほぼ同時だった。
〈どういう意味だ。何が言いたい?〉
「だから、あたしにも分かんないんだってば」
ヴァルカは、やや苛立ったような声で続ける。
「でも、彼は……望んでヒューマノティックになったわけじゃないって言った。あんただって聞いてたでしょ。ディルクって名前の鷹型だってそうよ。元は普通の鷹だったのに、無理矢理改造されたんでしょ。あの二人だけじゃない。あたしが今日撃ち落とした二羽だって、きっと元はただの鷲だったのに、人間の勝手で捕まって改造されたの。そんなこと、分かってるのに……!」
尻窄んだ語尾は、涙が掛かっているような声で、エマヌエルはまたも息を呑んだ。
〈だったらどうする。お前が代わりに死ぬのか?〉
「そんなこと言ってない!」
思わず、といった様子で叫んだヴァルカは、ヒュッと空気を呑むように押し黙る。そして、一つ吐いた息に乗せるようにして、「そんなこと」と繰り返した。
〈だが、あの二人を見逃すということはそういうことだぞ〉
今度はヴィンツェンツが苛立ったように言った。そこにいるのは、電脳空間上に造られたAIではなく、本当は人間なのではないかと錯覚する。
〈分かってるのか。リミットまであと半月だ〉
「……分かってる。でも、スィンセティックはあの二人だけじゃない。ほかを仕留めればそれで済むわ」
〈ほいほい見つかると思うのか〉
「あの三人を、ドクターの知り合いの病院へ放り込んだら、すぐハンティング・エリアに移動すればいい。イージドール・シティは……ガーティン州の首都は、目と鼻の先よ。大した距離じゃない。それに、獲物はヒューマン・エリアよりは容易に見つかるはず」
ハンティング・エリアとは、スィンセティック・ハンター用語で、未だフィアスティックに支配されている地域を指す。
対してヒューマン・エリアは、取り敢えず人が主導権を取り戻したか、リベル中に侵略されなかった地域だ。まったくフィアスティックの襲撃や騒ぎがないわけではないが、ひとまず通常の暮らしを送ることが可能とされている。
〈それにしたって、ハンティング・エリアまでの時間に狩りの時間、更に引き返して一番近い支部はギールグッド州のアトラス湖畔まで行かないとないんだぞ。往復だけで何日も掛かるし、狩りが可能なエリアに入るのに、今は密入国よりマトモな審査を受けるほうが手っ取り早い有様だ。その手っ取り早いはずの審査だって三日は掛かる〉
「だから?」
〈その間にリミットが来るぞ〉
(リミット?)
エマヌエルは、またも眉を顰める。リミット、という言葉は一度ヴィンツェンツが口にしている。
一体、何のリミットだろう。
〈元はと言えば、あのガキに原因があるんだ。今回、リミットはアンブローズ=ウェルズに更新してもらうはずだったんだからな〉
©️神蔵 眞吹2022.