Code.4 A few days later
「『紅き疾風』?」
鸚鵡返しに言った少女は、『何それ』と言わんばかりに眉根を寄せた。
「……本人は大抵、世間で付けられた通り名なんて知らねぇモンだぜ」
エマヌエルは、クッ、と喉の奥で嘲るような笑い声を立てる。
「実験動物がケージの中しか知らねぇようにな」
「お前、不要に自虐発言すんのもいー加減やめろよ」
ウィルヘルムが拳で痛みを感じない程度に軽くエマヌエルの頭を叩くと、少女に向き直った。
「紅い髪に紅い瞳、その他の情報一切なし。そんな『最強のスィンセティック・ハンター』の名前は、ちょっと裏社会の情報に気ぃ配ってればすぐ目に付く。お嬢さん、その情報にピッタリ合致するしな。女性だとは思わなかったけど」
「だから何? 世間に正体晒されたって、あたしは困ることはないわ」
彼女は太々しいとも言える態度で腕組みし、面白がるような表情でウィルヘルムを見た。
「長くなりそうだ。座りませんか、レディ」
同様の表情で少女を見つめ返したウィルヘルムは、自身が座っていたベッド脇の椅子を差し出す。そうして自分は、エマヌエルのベッドの空いた場所へ改めて腰を落とした。
だが、少女は首を傾げただけで、その場から動こうとしない。
「あたしは長居するつもりはないの。第一、話し合いっていうのは、お互いに要求がある時になされるモノだと思わない?」
「あるじゃないか。こちらにはあなたに色々と要求がある。もちろん、全部叶えろとは言わない。もう最低限でいい」
「あたしにはないわ。たとえ、あんたたちがあの大鷹を殺さないでくれって懇願したとしても、それはあんたたちの事情であって、あたしには関係ないの」
「なるほど? つまり、あなたはさっきコイツが言ったことを、毛の先ほども考える気はない、と」
ウィルヘルムは、コイツ、と言いながらエマヌエルを立てた親指で示した。
「彼が言ったこと?」
「おやおや、もうお忘れですか? スィンセティックの中にはコイツと同じように自我のある者がいるし、フィアスティックでも話し合いが通じる個体もいる。それを考慮して、スィンセティックと見れば問答無用で殺しに掛かるのを手控えて貰えないか、とそういう話なんだけどな。何事にもケースバイケースって言葉があるのはご存じかと思うんだが」
すると少女は、口を噤んだ。エマヌエルとウィルヘルム、どちらに視線を据えているか分からない表情で佇んでいる。
それから一瞬目を伏せたのち、ウィルヘルムの差し出した椅子に歩んで、腰を下ろした。
「……言っとくけど、あんたたちの要求を丸飲みするわけじゃないわ。ただ、話の通じないフィアスティックやら狂った科学者やらと同じ括りにされるのが我慢ならないだけ」
「最初はそれで結構だぜ」
ウィルヘルムは苦笑して、肩先を上下させた。
***
少女は、ヴァルカ=フェルヴェークと名乗ったが、それ以外の自分に関することは一切言わなかった。
年の頃は、明らかにエマヌエルと同年代。スィンセティックと互角に戦えることからして、肉体に何らかの改造を施されているのは間違いないと思うのに、科学者たちよりもフィアスティックへの敵愾心のほうが強いらしいのが理解できない。
「まあ、彼女の詮索より、俺らは俺らの生活をまずどうにかしなきゃな」
朝食の席でさり気なく嫌みを言われて、エマヌエルは口に含んだコーヒーを吹き出しそうになった。
ゴクリと喉を上下させてから、ウィルヘルムを上目遣いに睨む。
「……ビニルハウスがダメになったのは不可抗力だって言ったろ。原因だって俺の暴走とは無関係だし」
「ああ、それはディルクにも聞いたから分かってる」
別段そこは嫌みでもないように、ウィルヘルムは手をパタパタと上下に振った。
「そう言えばアイツどうしてる?」
あれから五日、エマヌエルは家に引き籠もっている。まともに動けるようになるのに今日まで掛かってしまったので、暴走して以来ディルクとも顔を合わせていなかった。
「傷も順調に回復してるよ。畑番がしばらく休みになって暇だから、勝手に州境の警備を買って出てるらしい」
「ふぅん」
物好きと言おうか、お人好し(鷹だから鷹好しか?)と言おうか――とは口に出すことなく、エマヌエルはトーストにかぶりつく。
「そう言うお前はどうなんだよ、体調は」
「うーん……」
トーストを咀嚼しながら唸り、口内にモノがなくなってから口を開いた。
「痛みは大分治まったけど……」
言いつつ、エマヌエルは無意識に自身の身体に目をやる。
暴走直後に比べれば、包帯の量は格段に減った。体中にできた裂傷はあらかた塞がり、顔にできたそれもうっすら痕が残っている程度だ。
「その辺は、さすがスィンセティックだよな。常人ならそんな傷負ったら、全部塞がるには確実に一ヶ月以上は掛かるのに」
しかも、ただの切り傷ではない。皮膚の下部組織も一緒に切れた傷だが、遺伝子レベルから改造されている為、治りは常人のそれとは比較にならない。
「マグネタインの体内残量とかはよく分かんねぇけどな、自分では」
「あとでもっかい血液検査してみよう。もう動くだけなら問題ねぇんだろ?」
「ああ。一般人と同じ生活するには支障ねぇと思うけど」
何せ、マグネタイン弾を四発も食らったらしいのだ。自分で覚えている分は二発だったのだが、意識のない間に更に二発、足に命中させてくれたらしい。
「……ったく、碌なことやんねぇよな、あの女」
「あら、ご挨拶様ね」
それまでそこにいなかった声が飛んできて、反射でそちらへ目を向ける。
今日は深紅の髪を下ろし、サイドの髪だけを捻って後ろへ結い上げた少女がそこに立っていた。黒いパーカーに灰色のインナー、カーキ色のショートパンツにロングブーツという出で立ちは、秋口の服装ではとてもない。
しかし、彼女は特段寒がっているようには見えない。それこそが、彼女が遺伝子レベルの改造を施されている歴とした根拠に思えるのだが。
「……何であんたがここにいんだよ」
エマヌエルは、自分の口が思いっ切り長めの台形になっているのを自覚しながらウィルヘルムに向き直る。
「てかウィル、鍵掛けてなかったのか? もしかして一晩中? めちゃくちゃ不用心だぞ」
だが、ウィルヘルムは火を付けてない煙草を銜えながら、しれっと言った。
「まあ、人間の犯罪者にはある程度は有効だけど、今時フィアスティックにフォトン・シェル発射されたら一発アウトだしなぁ」
「そゆことね。それに」
ヴァルカは自身の言葉に続けるように、カードキーを翳して見せる。
「……何っでこの女が合い鍵持ってんだよ」
エマヌエルは、ウィルヘルムをジットリとした目で見据え、トーストを持ったままの指先をヴァルカに突き付けた。すると彼女が、呆れたように紅の目を細める。
「本当にご挨拶様ね、この子は。こないだ同盟関係結んだばっかじゃない」
「同年代の女から『この子』呼ばわりされる筋合いねぇんだけど!」
ダン! と音を立てて、拳がテーブルに落ちる。食器がガシャンと悲鳴を上げて、マグカップの中のコーヒーが波打った。
「あら、いくつ?」
「十六!」
正確には、先日誕生日を迎えたばかりだ。
ジロリと睨め上げると、ヴァルカは柔らかく、不敵に微笑んだ。髪を掻き上げながら腰を屈めて、エマヌエルと目線を合わせる。
「じゃ、やっぱり『この子』で問題ないわ。あたし十七だから」
「一個の差でデカい顔すんな!!」
「はいはい、そーゆー態度がデカい顔される原因だぜ坊や」
ウィルヘルムも、指先に摘んだ火の着いていない煙草を上下に振る。エマヌエルは遂に椅子を蹴って立ち上がった。
「坊やってゆーな、お嬢ちゃんでもねぇ! 俺は男だ!!」
「わーったから座れ。食事中だろ」
うぐっ、と言葉を詰まらせ、渋々元通り腰を落とす。
すると、ヴァルカが目を丸くしてウィルヘルムを見た。
「……猛獣使いね、まるで」
誰が猛獣だ、というエマヌエルの訴えは軽くスルーされる。
「まあ、一応親代わりみてぇなモンだしな」
「だとしたら随分若い父親だよな。あんたが十五の時の子か」
ふん、と鼻を鳴らして悔し紛れに言うと、「全然似てないから母親似ね」とヴァルカが混ぜ返す。
「誰が女顔だっ!」
「いー加減にしろよお前ら。ヴァルカがとっとと用件に入らねえからコイツがどんどん脱線してくんだろ」
「断っとくけど、用件に入れなかったのはこの子の所為でしょ」
「だっからこの子ってゆーな!」
「こーら、エマ。そろそろ本気で黙れよ。次におかしな横槍入れやがったら、鎮静剤コーヒーに放り込むぞ」
エマヌエルは再度、言葉を呑むように口を噤んだ。
もうほとんど回復しているのに、朝っぱらから眠らされては堪らない。
もちろん、入れるところさえ見ていれば、エマヌエルでなくとも鎮静剤入りコーヒーをバカ正直に飲むような愚は犯さないだろう。ただ、スィンセティックの目さえ盗める技術を持っていそうな雰囲気がウィルヘルムにはある。
不承不承ながらエマヌエルが沈黙したのを見て取ると、ウィルヘルムはヴァルカに向き直った。
「で、何の用だったんだ」
「取り敢えず、当面の生活費」
ヴァルカが、分厚い封筒をテーブルに滑らせる。
中身は多分、札束だろう。きょうび、金をネット上で安心してやり取りできるほど、フィアスティックの脅威は去っていない。
エマヌエルはフィアスティック・ハンターをやったことはないが、人間の犯罪者を捕まえるほうは幾度か経験がある。報酬は、どの職業も現在は現金、且つ手渡し払いが基本だ。
銀行に預けたりできない分、個人管理がやはり基本の為、それを狙った泥棒や引ったくり、スリに強盗も多い。お陰で、人間の犯罪者相手のハンターも仕事があるという現実は、何とも皮肉としか言い様がなかった。
「……でも、彼がこの様子なら必要なかったかしら」
ヴァルカはチラリとエマヌエルを一瞥する。彼女曰くの『この様子』は、傷の回復具合を言っているのだろう。
深紅の視線を跳ね返すように見ながら、エマヌエルはサラダにフォークを突き立てた。
「補償ってことでいただいとけよ、ウィル」
「言われなくてもそのつもりだよ」
ウィルヘルムは、滑ってきた封筒を開いて、中身を確認している。
「コイツの治療費やら検査費やらもタダじゃないんでな」
「あら、ごめんなさい」
ちっとも心の込もっていない『ごめんなさい』に、エマヌエルもウィルヘルムもしばし呆れたようにヴァルカを見つめた。
直後、ピピッ、という電子音がして目を瞬く。ほかの二人も同様だったが、ヴァルカは自身の付けていたウェストポーチを探って携帯端末を取り出した。音源はどうやらそれらしい。
画面を確認したヴァルカは、「行くわよ」とエマヌエルに向かって言った。
「行くってどこに」
「仕事よ。あたしのね」
***
消音モードにでもしてあるのか、ダッシュボードに設置された携帯端末は、先刻と違って音を立てなかった。
だが、どこかの座標が表示された画面では、時折青い光が明滅する。
ヴァルカの運転する車は、どうもそこへ向かっているようだ。
「これって何かのレーダーか?」
「さあね」
「もしかして、俺をピンポイントで狙いに来れたのも」
「答える義務はないわ」
助手席に座ったエマヌエルは、はあっ、と聞こえよがしな溜息を吐いた。
「この質問、こないだもしたのに答えなかったよな。同盟関係ってあんた自分で言ったんだぜ?」
「だから?」
「必要な情報は共有しようって言ってんだよ」
「必要ないわ。第一あたしたちの同盟関係はあんたが全快するまで。しかもあたしが、あんたたちの生活費まで負担することになってんのよ?」
「過失でも人を車で撥ねたら、いくらかは賠償するのが当たり前だろ」
「分かってるわよ。だからこーして大人しく賠償してやってんじゃない」
『大人しく賠償している』という割には、五日前、それを承諾するまで数時間掛かった。
あくまでも、彼女の中ではエマヌエルを撃ったのも正当なハントだったからだろう。
「それにしたって、俺があんたの仕事を手伝うのはまだ納得いかねぇんだけどな」
「明らかに害獣と分かるフィアスティックを駆逐するなら、協力するって言わなかった?」
「でなきゃあんたが譲りそうになかったからだろ。一応こっちは被害者だって主張、引っ込めたわけじゃねぇんだぞ」
「スィンセティックでいる以上、ある程度は諦めるのね」
怒りのメーターがあっという間に振り切れた直後のエマヌエルの反応は、言葉ではなかった。
無言でサイドブレーキに手を伸ばし、力任せに引く。
「なっ……!」
ギョッとしたような声を上げたヴァルカが、反射的にか急ブレーキを掛けた。
そこは街中とは言え、人も車もほぼ通らない場所だったので、大事故には至らなかった。停止した車の中、エマヌエルはヴァルカの視線を痛いほどに感じながらも、彼女のほうを向かない。
「……何するのよ、死にたいの!?」
「その気になりゃどうにかなるさ。あんたも俺もな。だろ?」
冷え切った流し目をくれると、ヴァルカが初めて怯えたような表情を見せる。
「スィンセティックでいる以上、ある程度は諦めろって? 何を諦めるんだよ。問答無用で殺され掛けることか。それとも、またマグネタイン弾食らって暴走することをか?」
「何が言いたいの」
「あんた、俺が望んでこんなカラダになったとでも思ってんのか。歩く凶器だぞ。しかも、次に暴走したら吹っ飛ぶかも知れない爆弾付きの」
「だからそれは」
「仕方ないのか。俺の意思なんて介在してないのにこんなカラダになったこと、喜べってのか。仕方ない、諦めろって? 人身売買組織に売り飛ばされてカラダの中身掻き出されて、気付いたらもう『こう』なってたのにか。あとは殺されようがどうしようが受け入れろって? あんた正気か?」
ヴァルカは、ばつが悪いような、それでいて苛立ったような表情で噛み締めた表情を震わせた。伏せた瞼の下で目を泳がせたかと思うと、やがて絞り出すような声で「自分だけが辛いと思ってんじゃないわよ」と言った。
「あ?」
眉根を寄せて、半ばチンピラのように構わず凄むと、紅の瞳が昏さを秘めてエマヌエルを睨め上げた。
「好き勝手なこと言わないで、何も知らないクセに!」
しかし、エマヌエルは動じなかった。動じる理由もない。
「当たり前だろ。あんたが言わなきゃ知るわけない。でもそれはお互い様だ。あんたがフィアスティックにどんな目に遭わされたか知らねぇけど、あんた流に言うなら、それは俺には関係ないね」
言い終えると同時に、シートベルトを外してドアを開ける。
「ちょっ……ちょっとどこ行くのよ!」
ヴァルカが慌ててあとを追うように車を降りて叫んだ。
「帰るんだよ。とてもじゃないがあんたとはやってけそうにない。傷はあと数日もすりゃ全快するだろーし、金はあんたがさっきくれた分でどうにかやってけんだろ。あんたにもなけなしの良心があるんなら、金だけ届けに来てくれりゃいいさ。じゃあな」
「本当にいいの!?」
「はあ? 何が」
アパートへ戻る方向へ、すでに身体を向けていたエマヌエルは、首だけを巡らせた。その視線の先で、ヴァルカがなぜか、先ほどまでダッシュボードに置いてあった端末を掲げている。
こちらへ向けるように突き出された画面には、変わらず青い印が点滅している。
「ここがどこだか分かってるの?」
「説明がないのに分かるわけねぇだろ」
「セレペナとの州境よ」
「セレペナ……」
瞬間、エマヌエルは瞠目した。
「ッ、……まさか!」
「そうよ」
ヴァルカは、何とも表現し難い表情をその顔に浮かべている。
「あんたたちと初めて会った……初めてドンパチやらかした、あの辺りよ」
©️神蔵 眞吹2022.




