Code.2 Loss of control
シールドで弾けると思っていた弾丸は、しっかり避け損ねた。
「――――――ッ!」
衝撃で押されるようにディルクの背中に尻餅を付く。一拍遅れて熱さがジワリと右肩に広がる。
「エマヌエル!」
「ッ、平気だ……!」
無意識に肩を押さえながら、小銃を構える人物に改めて目を向けた。
その人物との距離は、三百メートルちょっとだろうか。超視覚の射程から外れる距離ではない。
しかし、容姿を正確に吟味するより早く、その指先が再度引き金を絞ろうとしているのが見えた。
「ディルク!」
「掴まってろ!」
先刻と同じ台詞を叫ぶと、ディルクは空中で一つ羽ばたき、小銃を構えた人物に向かって急降下した。
弾道を見極めたディルクが、相手が引き金を絞ると同時にヒラリと身を躱す。
巨体に似合わぬ機敏さにか、相手が初めて、かすかな動揺を見せた。
エマヌエルは、ディルクの旋回に合わせてその背から飛び降りる。相手の小銃へ飛び付き、奪い取ろうとするように自分のほうへ引き様、相手の鳩尾へ遠慮なく蹴りを放った。だが、それは空振りに終わる。
そのタイミングで、相手はバックステップで飛び退きながら小銃を手放した。着地と同時に懐へ手を入れた相手は、取り出した拳銃をエマヌエルに向ける。
左手に意識を集中させようとした時、違和感に気付く。とっさに弾道から外れようと、脇へ飛んだ。
地面へ足を着いた途端、膝が抜ける。
「な、にっ……!」
「エマヌエル!?」
ディルクの呼ぶ声が、どこか遠くに聞こえた。
何とかまだ地面へ伏すことはしていないが、四つん這いになっているのが精一杯だ。いくらも動いていないのに、呼吸が上がっている。身体にうまく力が入らない。
(まさか)
エマヌエルは、顔を上げた。瞬間、冷ややかな深紅の瞳と視線が絡む。
拳銃を構えた紅い瞳の主は、何度目かで容赦なく引き金を絞った。
地面へ転げることで避けようとしたが、銃弾が今度は左腕を掠る。倒れ込んだら、すぐには起き上がれなかった。
「くっぅ……!」
地面を引っ掻くようにして上体だけを起こそうとするも、背中から踏み付けられる。
「ぅあ……!」
「……悪いわね」
凛とした声音は、明らかに少女のものだ。
「獲物を無駄にいたぶる趣味はないの。今、楽にしてあげる」
簡単に楽にされて堪るか、と反射で思うが、拘束を撥ね除けることができない。ここへ来て、変わらず続く不快な違和感の正体に、ようやく思い当たる。
(くっそ……!)
フォトン・エネルギーが解放できない――覚えのある感覚に、歯を食いしばる。
“――マグネタインを体内に注入する実験は?”
“まだです”
さして遠くない過去、ベッドに縫い止められたエマヌエルを見下ろす狂科学者たちの姿が脳裏をよぎる。
“では、ちょうどいい。どういう効果が見られるか試すとしよう――”
(……まさか……こいつもアレを持ってたのか)
彼女の持っている武器は、すべてのスィンセティックを封じる、あの材質でできた弾丸なのか。
「……ディルク……ッ、逃げろ」
ボソリと呟くような音量でも、スィンセティックの持つ超聴力なら拾えるはずだった。
「エマヌエル」
「……早くッ……この女の使う弾丸、マグネタインでできてる!」
意味は分かるだろ、と続ける前に、不意に造りものの心臓が大きく脈打った。
「ッ、ア……!」
今まで経験したこともないほど、心臓が大きく脈打ち続ける。呼吸がどんどん浅くなって、息が吐けなくなる。
(何ッ……だってんだよ)
止めを刺された感覚はなかったが、もう死ぬのか。そう思う暇もない。
混乱する意識は、それを最後にブツリと途切れた。
***
「逃げろ……早くッ……この女の使う弾丸、マグネタインでできてる!」
少女――ヴァルカ=フェルヴェークは、その深紅の瞳を見開いた。このヒューマノティックは今、フィアスティックを庇うようなことを言った気がする。
仲間なら庇い合いがあっても当然だが、ヒューマノティックは通常、自分の意思も自我もないはずだ。意思がないということは、人間同士が交わすようなコミュニケーションも取れないことを意味する。
今、足の下にいるヒューマノティックも当然そのはず。
聞こえた気がしたモノは、単に錯覚――瞬き一つで脳内を凪に戻したヴァルカは、引き金に掛けた指に力を込める。終わりにしてやることが、せめてもの救いだ。だが、一瞬早く、強風が襲った。
足を踏ん張ろうとすると、二度、三度、強風は吹き付け続ける。
ヴァルカは舌打ちと共にやむなくヒューマノティックから足を退け、フィアスティックのほうに向き直った。
巨大な鷹だ。それが鋭くヴァルカを見据えて羽ばたきを続けている。
ヴァルカは、再度舌打ちを漏らした。仮に今攻撃したとしても、この強風の中では弾丸が跳ね返される公算のほうが大きい。
出直すか――そう思った直後、今度は別の衝撃に見舞われた。
「ッ……!?」
真横からの突然の波動に身構えられず、身体が吹き飛ばされる。とっさに空中で身体を捻り、ほとんど四つん這いになりながら着地する。
顔を上げると、あのヒューマノティックが緩慢な動きで立ち上がったところだった。
ヴァルカも初めて見る現象だった。
相手の身体から、フォトン・エネルギー特有の青白い光とスパークが放たれ、そのヒューマノティックの身体に纏い付くように踊り、飛び跳ねている。
エネルギー波の影響か、着ていた服も無惨に破け、裂け目から白い肌が露出している。顔の造作からは判断できなかったが、ここでようやく相手が少年だと分かった。
纏められていた極上の黒真珠を思わせる髪は解けて、彼の身体を中心に吹き荒れる風に煽られ、どこか艶めかしく揺れている。
本来出るべきでない場所からもエネルギーが出ている所為か、露出した肌には裂傷ができ、血が吹き出していた。しかし、少年は痛みも感じていないらしい。
感情が殺げ落ち、ガラス玉のようになった深い青色の瞳が、ヒタとヴァルカを見据える。
ゾワリ、と何かが背筋を伝う。
――ココニ、イテハ、ダメダ。
そんな本能の警告に、ヴァルカは素直に従おうとした。ジリッと半歩後退る。
「小娘」
しかし、撤退より早く、背後の上空から声が掛かる。だが、ヴァルカは目の前の少年から目を離さなかった。
彼から少しでも視線を外せば、何が起きるか分からない。しかし、背後から声が続けて問う。
「貴殿、エマヌエルに何をした」
「答える義務はないわ」
銃口だけを背後へ向けると、トリガーを絞るより早く巨大鷹が羽ばたいた。またも強風が吹き荒れ、腰を落として足を踏ん張るしかない。
直後、フワリと浮遊感が襲った。
「えっ……!?」
目を瞬く。無意識に向けた眼下には、クレーター状に陥没した地面と、そこに拳を突き立てた状態の少年がいた。
何が起きたのか、理解できない。足の下には地面がなく、自分は宙に浮いている状態だ。
首もとが若干息苦しい。だが、事態を把握する前にもう一度浮遊感が襲い、今度は高く放り投げられたのが分かる。
「きゃ、っ……!」
思わず声を上げた時には、フカフカしたものに落下していた。
「掴まってろ!」
とっさに声に従うと、しがみついたそれは急上昇する。
いつの間にか閉じていた目を開けると、上昇は止まっていた。遙か下から、青白いエネルギー波を纏った少年が、こちらを見上げているのが見える。
「もう一度問うぞ、小娘。貴殿、エマヌエルに何をした?」
「答える義務はないと言ったはずよ」
言いながら、ヴァルカは銃口を鷹の後ろ首筋に押し当てる。
「引き金を引くのは勧めない。貴殿の持っているのはマグネタイン弾らしいな。それに間違いなければ、引き金を引いた瞬間、貴殿も落下する。この高さから何の準備もなく落ちればまず助からぬぞ」
唇を噛み締める。確かに、現在の高度は軽く見積もっても二百メートルはある。
地上戦しか想定していなかったから、今はパラシュートの持ち合わせもない。持っていたとしても、今あの状態の少年の前に降りれば、その瞬間戦わなければならない。
が、あんな見たことも経験もない相手に対する有効な戦術は、とっさには浮かばない。
「……なぜあたしを助けたの」
「放っておけば貴殿が死ぬと思ったからだ」
「建前は結構よ」
「私の言い分を信じるかどうかは貴殿の勝手だ。それはそうと、貴殿がエマヌエルに撃ち込んだのは、本当にただのマグネタイン弾か?」
「……そうよ」
フィアスティックと『マトモな会話』が成立している。
それがまず、ヴァルカには驚愕に値した。理解できないことばかりだ。
「とにかく彼を正気に戻さねば」
「正気に戻す、ですって?」
まるで先刻まで、彼が正気だったような言い方だ。しかし、問い質すより早く、すぐ傍で雷が弾けるような音が空気を震わせた。同時に、二百メートル下にいたはずの彼が、気付いた時には目の前にいる。
「嘘!」
とんでもない跳躍力と速さだ。
フォトン・エネルギーで脚力が増幅するのは知っていたが、通常ならここまで飛ぶことはできないだろう。完全に力のセーブが外れているとしか思えない。
唖然とする間に、空中に浮遊した少年が、青白い閃光を纏った右腕を、遠慮なく振りかぶった。
考えるより先に、巨大鷹の背に伏せる。巨大鷹も同時に急降下していた。鷹の首にしがみついたまま、チラリと背後に視線を向けると、拳を空振りさせた少年のガラス玉の瞳と視線が合う。
一瞬の浮遊ののち、自然落下を始めた少年は、自身の意思で頭を下に向けるとヴァルカたちを追って急降下した。
降下速度を上げる為か、少年は真っ直ぐに姿勢を正して落ちてくる。ただ、いくらフォトン・エネルギーを纏っていると言っても、推進する為のジェット機能はないようだ。
先に地面スレスレまで降下した鷹は、バサリと一つ翼を羽ばたかせ、急停止し上を見た。
待ち受け、少年が到達するギリギリを見極めて避けるつもりだったのだろう。しかし、頭上三メートルほどの位置に迫った少年は、何の準備動作もなく、雷鳴と共に、水平に構えた右手に巨大フォトン・シェルを出現させた。
鷹は慌てて翼を羽ばたかせ、低空飛行で横這いに、少年の落下軌道上から身体を外す。同時に、ヴァルカは鷹の背からバック・ステップで地面へ飛び降り、鷹とは逆方向へ駆け出した。
途端、少年はどちらに攻撃を仕掛けるべきか迷ったようだった。お陰で、彼にほんの一瞬、隙ができる。その一瞬を逃さず、彼の右側へ避けていたヴァルカは、少年の足を狙って引き金を絞った。
彼との距離は、約三十メートル。充分に拳銃の有効射程範囲内だ。しかし、彼が身体に纏うように放出しているフォトン・エネルギーにどう防御されるかは未知数だ。
ヴァルカの拳銃から放たれた弾丸は、少年の足に着弾はしたが、彼の動きを止めるところまで行かない。
舌打ちすると同時に、少年の青い瞳がヴァルカを見据えた。
空中で身体を縮めて宙返りし、フォトン・エネルギー波で着地の衝撃を吸収した少年は地面へ降り立つ。そして、まるでその場でバウンドするようにヴァルカに突進した。
連続で引き金を絞るが、やはり少年を止めるには至らない。地を蹴って後退するが、彼の動きのほうが早い。
「伏せろ!」
少年の後方から掛かった声に、ほとんど思考することなく従う。少年がそちらへ視線を向けると同時に、ヴァルカの正面から飛んできたフォトン・シェルが彼を捉えた。
まるで容赦のないその一撃を、まともに食らった少年が弾き飛ばされる。地に伏せたヴァルカの頭上を飛び越えた彼は、背後へ叩き付けられた。
その衝撃で、その場には土煙が上がり、あっと思う間もなく視界が利かなくなる。
何度目かで舌打ちを漏らし、煙幕の中に油断なく銃口を向ける。
瞬間、前触れなく強風が吹いて、土煙を吹き飛ばした。
目を庇った両腕の隙間から、目の前を状況を透かし見るように視線を据える。そこへ上空から突進して来た巨大鷹が、晴れた視界の中、少年に鉤爪で襲い掛かるのが見えた。
瞬間、鷹が哀れな獣そのものの悲鳴を上げる。鷹の足先は、少年の発するエネルギー波によって無惨に裂け、血が噴き出した。
鷹は多少ふらついたものの、辛うじて空中に留まっている。着地すれば、傷ついた足に障るのが分かっているのだ。
彼が体勢を立て直す間に、倒れていた少年は、ネックスプリングの要領で跳ね起き、空中にいる鷹に飛び掛かった。
瞬間、ヴァルカは鷹に向かって伸ばされた少年の腕を狙って引き金を絞る。
銃声に反応した彼が、視線をこちらへ投げる。同時に、バックステップでその場を飛び退いた。必然、鷹と少年の間に距離ができる。
着地した足で、少年は再度、ヴァルカに向かって地を蹴った。
歯を食いしばる。彼の挙動に合わせて、ヴァルカもまた地を蹴り、横へ飛んだ。
彼のまき散らすスパークは、彼を中心に半径二メートル前後にいる相手を、彼自身の意思とは関係なく切り裂き、あるいは粉微塵にする。
その攻撃エリアに到達する刹那を見極めギリギリで避ける、などという芸当は、今の少年に相対していると神業をやってのけるに等しい。
彼と同時に動いて、避けきれるかどうか――しかし、空中にある身体を捻った少年は、ヴァルカを追って軌道を修正し、まっすぐこちらへ向かって手を伸ばす。
同様に宙にいるヴァルカは、避けられない。半ば、死を覚悟した瞬間、意に反して身体が横にさらわれた。
「掴まれ!」
それが誰の声か、考えることもなく、ヴァルカはただ目の前にあるものにしがみつく。
猛スピードでの移動に、反射で目をきつく瞑った。いつしか動きが止まったような気がして、そっと目を開く。
周りには、何もなかった。
突いた膝の下には、ふかふかした羽毛があり、地面はその更に下、遙か彼方にある。
「さっきは、百メートル上空で、いとも簡単に突破されたからな。今度は五百メートルほどに上げてみた」
淡々と言う彼の口調に、乱れはないように思える。だが、先刻とは明らかに、滞空での安定度が違った。
「……いつまでもこうしてるわけにはいかないでしょ」
足を傷つけられた鷹の状態を思えば、戦闘を引き延ばせない。
「当然だ。だが、エマヌエルがひっきりなしに向かってくる今の状況では、作戦会議もできん」
ヴァルカは、唇を噛んだ。
作戦も何も、どうしたらいいのか、見当も付かない。
しかし、次に言葉を発するより先に、地上にいる少年が地を蹴ったように見えた。豆粒ほどの大きさだった彼は、見る見る接近してくる。
鷹は素早く羽ばたいて、更に高度を上げた。
彼の羽ばたきによって生じた風が、少年を強引に下方へ押し戻し、再度両者の距離が開く。
「何か、策はないのか。このままでは近付くこともできん」
「知らないわよ! あたしだってこんなこと初めてだもの」
思わず逆ギレ気味に言う間に、少年のほうは地上まで落ちた。
この距離から、無防備に叩きつけられれば、いくらなんでも死ぬ。慌てて確認すると、落ちる前に体勢を立て直した少年は、纏ったフォトン・エネルギーで墜落の衝撃を緩和したようだった。
ほとんど無意識に安堵の息が漏れて、そんな自分に戸惑う。
「……離脱しましょう」
ヴァルカは静かに言った。
よく考えれば、少年を正気に戻す義務はない。自爆的に傷つき続け、最終的に彼が死んだとしても、それはヴァルカにとっては一つの僥倖に過ぎなかった。
遺体は、あとで回収すればいい。
しかし、鷹は違った。
「では、貴殿一人で離脱するのだな」
「なら降ろして」
「今この場でここから叩き落とせと?」
「そんなこと言ってないわ。あんたに良心があるなら、安全な場所まで行って降ろしてくれるのが道理でしょ」
「貴殿に良心はないのか。あれば、彼を正気に戻す援護をしてくれるのが道理だと思うが」
「その義務はないわ」
「貴殿の攻撃でああなったのに?」
「意図した結果じゃない。それに、義務があるとすれば止めを刺す義務だけよ。終わりにしてあげるのが彼にとっての救いでしょ」
「なぜだ。彼とて被害者だ。歩く兵器にされてしまったのは、彼の意思ではない」
「だからこそよ。ヒューマノティックはフィアスティックの乱が起きた時からフィアスティックたちの下僕だもの。自分の意思とは無関係にフィアスティックに利用され続けるなら、死なせてあげるほうが親切よ」
「エマヌエルは利用されてなどいない。私にも、ほかのフィアスティックにもな」
断固とした声音で言われて、ヴァルカは眉を顰めた。
「どういう意味」
「手を貸してくれる意思のない者に説明する義務はない。分かった。降ろしてやるからしっかり掴まっていろ。但し、着地点は選んでやれない。降りられる高さになったら好きに降りろ」
「あんたはあいつを止めるつもり?」
「そのつもりだ。早く止めないとエマヌエルの身体も保たない」
言い終えるや、鷹は降下を開始する。釈然としないながらも、ヴァルカは降りるタイミングを計った。エマヌエルの姿がはっきり見えるようになると、彼もこちらを伺っているのが嫌でも分かる。
彼からできるだけ離れたところに降りるつもりで、地上三メートルほどの高さに来たところで、鷹の背を蹴った。
空中で無理矢理身体を捻って、どうにか四つん這いに着地する。体勢を整え、顔を上げると、エマヌエルが目算五メートルほど先にまで迫っていた。相変わらず、常識を無視したスピードだ。
しかし、エマヌエルが何かするより早く、鷹が間に割って入った。瞬間、視界が白く染まる。
「きゃあぁあああ!!」
生じた衝撃波が、ヴァルカを否応なく弾き飛ばした。
ここには、叩きつけられるような壁や天井がない。代わりに、飛んだ身体を受け止めてくれるようなものもない。
「ッ、くぅ……ッ!!」
息が詰まる。何か――どこかに掴まるものでもあれば。そう思った直後、ボフッ、という音を立てて、何かと衝突する。
「すまない」
フォトン・シェルを撃った直後、急旋回した鷹が、吹き飛ばされたヴァルカに追いつき、受け止めてくれたようだ。
「……死ぬかと思った……」
恨みがましく言いながら、彼の背に座り直す。
「悪かった。爆発の余波まで頭が回らなかったのでな」
淡々と謝罪しながら、鷹は再び、エマヌエルの跳躍不可能エリアまで上昇した。
フォトン・シェルと、エマヌエルの纏うエネルギー波が衝突した所為で生じた土煙が、地上にはもうもうと立ちこめている。
「今ならどこに降りても隠れて逃げられるかも知れないが、どうする?」
問われて、唇を噛み締める。
スィンセティックが相手では、気配が読めない。こちらが姿を隠せるというのなら、それは向こうにも同じだ。
加えて、現時点での戦闘力も速度も、桁が違う。不意打ちでも食らえば、ひとたまりもない。
「……分かった。ひとまず彼を止めるのに協力する」
少年をどうにかしないことには、ここを立ち去ることすらできない。残念だが、それにはこの鷹の助けがどうしても必要だと、ヴァルカは不承不承認めざるを得なかった。
「恩着せがましく宣言しないでくれ。貴殿にはすでに貸しが二つほどあるのだからな」
「そっちこそ、恩着せがましく言わないで」
元々フィアスティックが妙な気を起こしてバカな真似をしなければ、ヴァルカが今ここでドンパチやらかす必要もなかったのだから。
しかし、それを説明するのも無意味だし面倒だ。
「さて、ではここからどうしたらいいと思う?」
「訊かれたって分かるわけないでしょ。まさかマグネタイン弾が通じなくなるなんて想定外よ」
落ち着いたら、フィアスティック・ハンターのネットワークに情報を流しておかなくてはならない。
そう脳裏で独りごちた直後、鷹が口を開いた。
「降りる前に一つ言っておきたいが」
「何よ」
「くれぐれも彼を殺さないでくれ。大事な友なのだ」
あの少年ヒューマノティックを仕留めに来てから、ヴァルカは面食らってばかりだ。この言葉にも首を傾げるしかない。
「友、ですって?」
「ああ。友の意味の説明が欲しければあとにしてくれ。降りるぞ」
「さり気なく嫌み言う頭があるのは分かったわ。策はあるんでしょうね」
「出たとこ勝負しかないな。どの道時間は掛けられん」
言うなり、ヴァルカが唖然とするのに構わず、鷹は地上へ向けて降り始めた。
ある程度の高さまで降りると、翼を一振りする。バサリ、という音と共に、一陣の風が起こり、土煙を吹き飛ばした。
視界がクリアになった一瞬の勝負に出るしかない、とこの短い間にヴァルカも腹を括った。そこから飛び降りるつもりで身構えたが、寸前で思いとどまる。
見下ろした視線の先には、少年がいた。しかし、もう禍々しい青のオーラを纏ってはいない。代わりに、彼の前方には、青い半透明の壁が浮かんでいた。
フォトン・シールドにしては随分分厚い。まるで、フォトン・エネルギーでできた壁だ。
それを認めた直後、その中央から、何とも形容しがたい音を立てて、蜘蛛の巣のような亀裂が走り、青い壁は砕け散る。
「……エマヌエル?」
鷹が、おそるおそる声を掛けると、少年はゆっくりとこちらを振り仰いだ。
先刻までガラス玉のような無表情だった青色は、澄んだ、深い海のようなそれになっている。人間らしい表情に思えた。
彼は、一言も発することなく、その華奢な身体を傾がせる。
「エマヌエル!」
鷹は、叫ぶと同時に、急いで降下する。
彼が傷ついた足をそっと地に着けると同時に、ヴァルカは彼の背から地面へ滑り降りた。
「エマヌエル、大丈夫か?」
この鷹は、もしも人の姿をしていたら、恐らく血で汚れるのも構わず彼を抱き起こしていただろう。なぜだか、ふとそう思えてヴァルカは動揺する。
「ッ……」
吐息を漏らすように、四つん這いに伏した少年が何か言った。だが、あまりにも小さい声だった為、超聴覚でも拾えない。
「何だ」
鷹が、静かに問い直す。
「……悪い……何が……あったか、訊いて、いいか……」
荒い呼吸を吐きながら、やっとそれだけ口に乗せると、少年は崩れるように地面へ転がった。
©️神蔵 眞吹2022.