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第三十六話 排除対象

## 第三十六話 排除対象


 朝の旧南第三は、いつもより静かだった。


 子どもたちは教室にいた。


 机は元の位置に戻されていない。


 玄関の内側に、二つだけ残されている。


 紙を書くための机。


 昨日の夜は、扉を狭めるための机だった。


 健二は、それを見るたびに思い出す。


 鉄パイプを持った男。


 窓へ回ろうとした足。


 紙では止まらなかった瞬間。


 そして、直樹の身体が一歩だけ入った瞬間。


 あれは暴力だったのか。


 防衛だったのか。


 それとも、名前をつけなければどちらにもされる力だったのか。


 倉持は、朝から記録を整理していた。


 真柴直樹、鉄パイプ所持者の進路を制止。

 打撃あり。

 追撃なし。

 武器奪取後の加害なし。

 校門外へ後退。

 相原一尉の指示に従う。

 児童接触なし。


 倉持は、何度も読み返した。


 打撃あり。


 その四文字だけが重い。


 昨日、直樹は殴り合いをしなかった。


 だが、力は使った。


 それを隠すわけにはいかなかった。


 三枝が静かに言った。


「見たままです」


 倉持は頷いた。


「はい」


「白羽は、そこを使います」


「分かっています」


「それでも、消さない」


 倉持は、もう一度頷いた。


「消したら、白羽と同じです」


 その時、玄関の外で車の音がした。


 国境第三駐屯地の車両だった。


 相原が降りてきた。


 顔色は変わらない。


 だが、いつもの相原ではなかった。


 手に紙を持っていた。


 健二は、その紙を見ただけで分かった。


 白羽の紙ではない。


 南側の紙だった。


     *


 相原は、旧南第三の職員室に入ると、椅子に座らなかった。


 紙を机の上に置いた。


 表題は、短かった。


 旧南第三周辺治安対応に関する暫定措置。


 その下に、いくつかの項目が並んでいた。


 真柴直樹氏の旧南第三敷地内立入を当面停止。

 児童支援活動への直接関与を停止。

 旧南第三との無線連絡を停止。

 治安事案発生時の連絡先は国境第三駐屯地へ一本化。

 緊急防護行為については当該時点限りの事案として処理。

 今後の継続的関与は認めない。


 健二は、最後まで読む前に顔を上げた。


「兄ちゃんを追い出すってことですか」


 相原は逃げなかった。


「はい」


 三枝が目を閉じた。


 倉持のペンが止まる。


「昨日、兄ちゃんが止めなかったら、窓から入られてました」


「その通りです」


「じゃあ、兄ちゃんは悪いんですか」


「悪くありません」


「なのに追い出すんですか」


「はい」


 健二の喉が鳴った。


「おかしいだろ」


 相原は、少しだけ間を置いた。


「昨日の真柴さんの行為は、国境第三駐屯地としては緊急防護として扱います。犯罪として扱う理由はありません」


「じゃあ」


「ですが、真柴さんが旧南第三周辺で治安対応を続けることは認められません」


「続けてない」


「白羽は、続いていると書きます」


 健二は、机に手を置いた。


 昨日、扉にした机だった。


「白羽が書いたら、何でもそうなるんですか」


「なりません」


「なら」


「ですが、白羽が書いたものを、南側が無視できないことがあります」


 相原の声は硬かった。


「停戦線付近で元自衛官が児童支援拠点の周辺で身体制圧を行った。これが北側に流れれば、旧南第三だけでなく、国境第三駐屯地も“民間児童施設を軍事経験者が影響下に置いている”と書かれます」


「だから兄ちゃんを切るんですか」


「切るのではありません」


 健二は睨んだ。


 相原は、はっきり言った。


「距離を置きます」


「同じです」


「同じではありません」


「同じだ」


 三枝が口を開いた。


「健二さん」


 健二は黙らなかった。


「昨日、国家の力は間に合わなかった」


 相原は何も言わなかった。


「間に合ったのは、兄ちゃんだった」


「はい」


「それでも兄ちゃんを外すんですか」


「はい」


「何で」


 相原は、少しだけ目を伏せた。


「正しい行為でも、続けば別の力になります」


 健二は息を止めた。


「昨日は防衛でした」


 相原は続けた。


「でも、真柴さんが旧南第三の周辺に残り続ければ、防衛ではなく警備になります。警備になれば、誰の権限かを問われます。権限がないまま続けば、私的治安活動になります」


「でも、子どもは」


「だから、国境第三駐屯地が受けます」


「昨日、遅れたじゃないですか」


「遅れました」


 相原は認めた。


「その事実は消しません」


 健二は言葉を失った。


 認められたところで、昨日の窓は戻らない。


 相原は言った。


「国家の力は遅い」


 教室の外で、風が窓を揺らした。


「昨日、それは事実でした」


 相原は紙を見た。


「ですが、遅いからといって、個人の力を常設すれば、次はその個人が国家になります」


 健二は黙った。


「白羽は、それを待っています」


     *


 直樹は、旧南第三の門の外にいた。


 中には入っていない。


 車両の音も、職員室での会話も、だいたい分かっているようだった。


 健二が門へ向かうと、直樹は先に言った。


「決まったか」


「兄ちゃん、聞こえてたの」


「声は聞こえない」


「じゃあ」


「顔で分かる」


 健二は門の内側に立った。


 直樹は門の外に立っている。


 昨日は、直樹が外から入ってきた。


 今日は、入らない。


「納得してるの」


「してない」


「じゃあ何で」


「俺が残れば、学校が止まる」


「でも、兄ちゃんがいなかったら」


「次は相原を呼べ」


「間に合わなかったら」


「机を使え」


「それでも駄目だったら」


 直樹は、少しだけ健二を見た。


「お前が判断しろ」


 健二は、返す言葉をなくした。


「兄ちゃんは」


「外に出る」


「どこへ」


「白羽の地図の外」


「そんな場所あるの」


「ある」


「旧南第三には」


「入らない」


 健二は拳を握った。


「それ、白羽の勝ちじゃん」


「半分はな」


「半分?」


 直樹は、旧南第三の看板を見た。


「白羽は俺を学校から出した」


「うん」


「でも、学校の外に出した」


 健二には、すぐ意味が分からなかった。


 直樹は言った。


「中にいれば、俺は白羽の紙に縛られる。外に出れば、俺は白羽の道を見る」


「道」


「燃料、車両、配給袋、外部倉庫、処置室の記録をどこへ動かしたか」


 健二は黙った。


「白羽は、俺を排除したつもりで外に出した」


 直樹は門から離れた。


「出た先に道がある」


「兄ちゃん」


 直樹は振り返らなかった。


「ケン」


「何」


「俺を追うな」


「でも」


「お前の道は、中にある」


 健二の喉が詰まった。


「兄ちゃんの道は」


「外だ」


 直樹は歩き出した。


 旧南第三の門の外。


 橋へ向かわず、旧国道の方へ。


 健二は追いかけなかった。


 門の内側に残った。


 そのことが、悔しかった。


     *


 白羽地域物資管理株式会社の一室で、久住は報告を受けていた。


 白羽本部の会議室よりも狭い部屋だった。


 窓はない。


 壁には、地域安全調整部というプレートがかかっている。


 久住は、直樹が旧南第三を離れた報告を聞くと、小さく笑った。


「出ましたか」


 部下が頷いた。


「旧国道方面です」


「単独?」


「確認範囲では」


「国境第三は」


「追っていません。接触制限措置の直後です。動きにくいはずです」


 久住は机の上の書類を見た。


 真柴直樹氏移動経路確認。

 地域安全上の接触確認。

 必要時、身柄保全。


 どこにも殺害とは書かれていない。


 どこにも処理とは書かれていない。


 ただ、現場に渡された口頭指示は違っていた。


 戻すな。

 喋らせるな。

 残すな。


 久住は言った。


「本部には」


「報告しますか」


「しません」


「黒崎室長には」


 久住は少しだけ顔をしかめた。


「成功してからでいい」


「了解しました」


「真柴直樹は、学校の中にいたから面倒だった。外に出れば、ただの一人です」


 部下は何も言わなかった。


 久住は続けた。


「一人なら、処理できます」


     *


 旧国道沿いには、もうほとんど店が残っていなかった。


 壊れた看板。

 閉じたシャッター。

 割れた窓。

 消えた街灯。


 その中に、古いガソリンスタンドがあった。


 屋根は半分だけ残っている。


 給油機は錆び、価格表示の数字は途中で止まっていた。


 レギュラー。

 軽油。

 灯油。


 古い数字の下で、風が紙片を転がしていた。


 直樹は、そこへ向かって歩いていた。


 急いでいない。


 逃げてもいない。


 ただ、足音を立てない歩き方をしていた。


 途中で一度、止まった。


 遠くで車のエンジンが止まる音がした。


 一台ではない。


 二台。


 直樹は、横の潰れた自販機を見た。


 ガラスに、遠くの灯りが小さく映っている。


 追ってきた車。


 停めた位置。


 降りた人数。


 直樹は振り返らなかった。


 歩き続けた。


     *


 白羽の接触班は、六人だった。


 地域保全会の古い腕章をつけた者が二人。


 青葉生活輸送の作業服を着た者が一人。


 白羽の名前を持たない者が三人。


 書類上、彼らは白羽ではない。


 しかし、持っている封筒には白羽の用語があった。


 高影響人物。

 私的治安対応。

 接触確認。

 身柄保全。


 六人は、廃ガソリンスタンドを囲むように動いた。


 だが、直樹は給油機の前にいなかった。


 屋根の下にもいない。


 事務所の中にも見えない。


 一人が小声で言った。


「どこだ」


 返事はなかった。


 次の瞬間、ライトが消えた。


 車の片方のヘッドライトが落ちた。


 誰かが悲鳴を上げる。


 短い音。


 何かが地面に倒れる音。


 別の男が叫んだ。


「いたぞ」


 その声は、途中で途切れた。


 旧国道の夜に、金属が転がる音だけが響いた。


 誰も、何が起きているのか分からなかった。


 ただ一つ分かったのは、彼らが追っていた男は、逃げていなかったということだった。


     *


 久住の端末に、最初の異常が入ったのは十五分後だった。


 接触班一号車、応答なし。


 久住は眉を寄せた。


「回線不良だろう」


 部下は、もう一度呼び出した。


 返事はない。


 次に、二号車の通信も途絶えた。


 久住は立ち上がった。


「何をしている」


 その時、短い通信が入った。


 雑音混じりの声。


 若い男の声だった。


「対象、見失い……違う、こっちが……」


 そこで切れた。


 久住は端末を見つめた。


「続けろ」


 誰も続けられなかった。


 白羽地域物資管理株式会社の窓のない部屋に、沈黙が落ちた。


     *


 廃ガソリンスタンドに、別の足音が入った。


 白羽の接触班ではなかった。


 黒い雨合羽を着た者たち。


 人数は三人。


 彼らは倒れた男たちを見ても、驚かなかった。


 助けにも行かなかった。


 目的は人ではない。


 車両の中。


 封筒。


 携帯端末。


 小型無線。


 接触指示書。


 それらを一つずつ拾っていく。


 直樹は、壊れた整備ピットの影に立っていた。


 手には血がついていない。


 だが、息は少し荒かった。


 黒い雨合羽の一人が、顔を上げた。


 老人ではない。


 しかし、声には年齢が混ざっていた。


「Naoki」


 直樹は、動かなかった。


 雨合羽の男は、日本語で続けた。


「まだ、その名前で歩いているのか」


 直樹は答えた。


「誰だ」


「今は、名乗らない」


「なら、持っていくな」


 雨合羽の男は、白羽の封筒を持ち上げた。


「これは、お前のものではない」


「白羽のものでもない」


「その通り」


 男は、少しだけ笑った。


「だから持っていく」


 直樹は、一歩だけ前に出た。


 その瞬間、雨合羽の残り二人が動いた。


 武器を向けたわけではない。


 だが、動ける者の立ち方だった。


 直樹は止まった。


「敵か」


 雨合羽の男は答えた。


「今夜は違う」


「味方か」


「それも違う」


 男は、古い紙片を一枚、地面に置いた。


 赤い手帳から破られたような紙だった。


 そこに、ロシア語で一行書かれている。


 直樹は読めなかった。


 男は言った。


「名前を消す者は、名簿で裁かれる」


 直樹は、紙を見た。


「誰の言葉だ」


「古い友人の言葉だ」


「アレクセイか」


 雨合羽の男は、少しだけ動きを止めた。


 その反応だけで十分だった。


「生きてるのか」


「お前が来れば、会える」


「どこへ」


「港」


 雨合羽の男は、拾った封筒を懐へ入れた。


「学校の外に出されたのなら、外の名簿を見ろ」


 そう言って、三人は闇に消えた。


 直樹は追わなかった。


 追えば、また誰かの道に乗る。


 彼は地面に置かれた赤い紙片を見た。


 白羽の接触班は動かない。


 死んでいる者もいるかもしれない。


 ただ、直樹はそれを確認しなかった。


 確認すれば、そこに名前をつけなければならない。


 遠くで、国境第三駐屯地の車両音が近づいていた。


 直樹は、旧国道の先へ消えた。


     *


 相原が廃ガソリンスタンドに到着した時、そこには誰も立っていなかった。


 倒れた男たち。


 横転した車両。


 踏み潰された無線機。


 開いた封筒。


 散らばった書類。


 血は少なかった。


 銃声の痕も少ない。


 だが、接触班は完全に機能を失っていた。


 部下が言った。


「全員、白羽ですか」


 相原は膝をつき、落ちていた紙を見た。


 白羽の名前はない。


 地域保全会。

 外部安全協力。

 経路確認。

 身柄保全。


 白羽ではない。


 だが、白羽の言葉だった。


「白羽ではありません」


 相原は言った。


 部下が顔を上げる。


 相原は続けた。


「白羽ではないことにされた者たちです」


 その時、別の部下が小さな紙片を拾った。


「これを」


 赤い紙片。


 ロシア語。


 相原は読めない。


 だが、そこに書かれた文字の下に、アルファベットが一つだけあった。


 Naoki.


 相原は、しばらく紙を見ていた。


「真柴さんは」


「見当たりません」


「追いますか」


 相原は、旧国道の先を見た。


 追えば、何を追うことになるのか。


 真柴直樹か。

 白羽の接触班か。

 それとも、白羽の外にある別の名簿か。


「追いません」


「ですが」


「国境第三駐屯地は、この場を保全します」


 相原は立ち上がった。


「旧南第三には、まだ知らせるな」


「なぜですか」


「知らせれば、健二さんが動揺する」


 部下は黙った。


 相原は赤い紙片を封筒に入れた。


「これは、旧南第三の中だけの話ではなくなりました」


     *


 白羽地域物資管理株式会社の夜間報告には、短く記された。


 接触班、応答なし。

 車両一台、通信途絶。

 車両一台、現場放棄。

 対象、所在不明。

 現場より外部紙片を確認。

 白羽本部関与、記録上なし。


 黒崎は、その報告を黙って読んでいた。


 長谷部は、部屋の隅に立っていた。


 久住は、椅子に座らされている。


 顔色が悪い。


「久住さん」


 黒崎がようやく口を開いた。


「はい」


「誰の判断ですか」


 久住は喉を鳴らした。


「地域安全上の必要判断です」


「誰の」


「現場の」


「現場とは」


 久住は答えられなかった。


 黒崎は、報告書を机に置いた。


「真柴直樹を旧南第三から切り離した。それは成功でした」


「はい」


「その後、なぜ触ったのですか」


 久住は顔を上げた。


「触った、とは」


「接触です」


 黒崎は静かに言った。


「あなたは、外に出した相手に触った」


 久住は汗を拭った。


「学校から切り離されていました。国境第三も動きにくい状況でした。処理できると」


「だから失敗したんです」


 黒崎の声は低くなかった。


 怒鳴ってもいない。


 ただ、温度がなかった。


「真柴直樹は、学校の中にいたから危険だったのではありません」


 久住は黙った。


「学校の中にいたから、見えていた」


 黒崎は報告書の文字を指でなぞった。


「外に出したから、見えなくなった」


 長谷部が目を伏せた。


 黒崎は久住を見た。


「見えないものに触る時は、まず名簿を確認する」


「名簿は確認しました」


「日本の名簿だけを」


 久住は、そこで初めて黒崎の顔を見た。


「どういう意味ですか」


 黒崎は答えなかった。


 机の横に置かれた別の紙を取り上げた。


 南側から回ってきた古い照会票だった。


 国外渡航歴。

 詳細不明。

 通常照会不可。

 紙媒体照会要。


 まだ、確定した情報ではない。


 だが、黒崎はそこにある空白の方を見ていた。


「久住さん」


「はい」


「失敗したことは問題ではありません」


 久住は少しだけ安堵しかけた。


 黒崎は続けた。


「失敗に、白羽の名前が残ったことが問題です」


 久住の顔が固まった。


「私は、白羽の指示で」


 黒崎は遮った。


「白羽の指示はありません」


「しかし」


「接触班は外部協力者です」


「私は地域安全調整部の」


「地域安全調整部に、久住という担当者はいません」


 久住は立ち上がろうとした。


 後ろの職員が肩を押さえた。


 黒崎は、久住の名前が印字された報告書を見ていた。


「この名前を外してください」


 長谷部が顔を上げた。


「処分ですか」


「いいえ」


 黒崎は、赤い線を一本引いた。


「最初から、白羽の人間ではなかったことにします」


 久住が何かを言おうとした。


 だが、黒崎はもう見ていなかった。


 失敗した者に、名前はいらない。


 それが白羽のやり方だった。


     *


 久住は別室へ連れていかれた。


 戻ってこなかった。


 長谷部は、しばらく報告書を見ていた。


 そこから久住の名前は消えていた。


 外部協力者A。

 現場判断。

 白羽本部承認なし。

 白羽生活支援センター関与なし。

 所在確認中。


 名前を消す作業は、驚くほど早かった。


 処置室二の時と同じだった。


 社員の名札が外される。


 担当部署が消える。


 記録の主語が曖昧になる。


 誰かが行ったことは、いつの間にか、誰でもないものになる。


 黒崎は窓のない部屋で、最後の報告を読んでいた。


 白羽は真柴直樹を旧南第三から切り離した。


 それは成功だった。


 しかし、成功した結果、真柴直樹は白羽の地図の外へ出た。


 黒崎は、初めてその意味を理解した。


 学校の中にいた男を、外に出してしまった。


     *


 深夜、旧南第三では、まだ誰も廃ガソリンスタンドのことを知らなかった。


 健二は、玄関に残した机の前に座っていた。


 直樹がいない旧南第三は、少し広く見えた。


 倉持は、ホワイトボードの前で新しい項目を書いている。


 真柴直樹氏、旧南第三立入停止。

 無線連絡停止。

 治安事案連絡先、国境第三駐屯地へ一本化。

 旧南第三は警備組織ではない。

 旧南第三は帰り道を作る場所。


 健二は、その文字を見ていた。


「帰り道を作る場所」


 声に出すと、少しだけ弱く聞こえた。


 昨日は、力が必要だった。


 今日は、その力を門の外に置かなければならなかった。


 三枝が言った。


「健二さん」


「はい」


「明日から、直樹さんはいません」


「分かっています」


「分かっているだけでは足りません」


 健二は顔を上げた。


 三枝は静かに言った。


「直樹さんがいない時の手順を作ります」


 健二は、机を見た。


 紙を書く机。

 扉を狭める机。

 残された机。


 それを見ながら、頷いた。


「作ります」


 倉持がペンを持った。


「項目は」


 健二は少し考えた。


「逃げ道」


 倉持が書く。


 逃げ道。


「入口」


 入口。


「子どもの人数」


 子どもの人数。


「誰が前に出ないか」


 倉持の手が止まった。


「誰が前に出るか、ではなく?」


 健二は頷いた。


「前に出ない人を決めます」


 三枝が少しだけ目を細めた。


「なぜですか」


「全員が前に出たら、奥が空くから」


 倉持は、ゆっくり書いた。


 前に出ない人。


 健二は続けた。


「それと、相原さんに戻す線」


 国境第三駐屯地連絡線。


「あと」


 健二は、しばらく黙った。


「兄ちゃんの名前を使わない」


 倉持が健二を見た。


「どういう意味ですか」


「困った時に、“直樹さんなら”って言わない」


 三枝は何も言わなかった。


「兄ちゃんを使えば、また白羽が旧南第三を止めに来る」


 健二は、ホワイトボードを見た。


「だから、兄ちゃんの名前を、ここで便利に使わない」


 倉持は静かに書いた。


 真柴直樹の名前を、旧南第三の力として使わない。


 その文字を見て、健二は胸の奥が痛くなった。


 兄を守るためではない。


 旧南第三を守るためでもない。


 兄の力を、勝手に自分たちのものにしないためだった。


     *


 その頃、旧国道の先を直樹は歩いていた。


 橋の灯りは、もう見えない。


 旧南第三の屋根も見えない。


 手の中には、赤い紙片があった。


 ロシア語の一行。


 名前を消す者は、名簿で裁かれる。


 その下に、小さく別の文字がある。


 A.


 アレクセイ。


 直樹は、その文字を見て息を吐いた。


 生きていた。


 それが良い知らせなのか、悪い知らせなのかは分からなかった。


 旧南第三から離れた。


 健二から離れた。


 それでも道は続いている。


 白羽は、直樹を学校から追い出した。


 それは確かに成功だった。


 ただし、白羽はまだ知らなかった。


 学校の外に出た直樹は、もう日本の紙だけで動く男ではなかった。


次はこのまま、**直樹が港へ向かい、アレクセイの赤い手帳に触れる回**に入ると自然です。


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